過去の亡霊
ナサニエル・ブルックスが救出された翌朝、レイモンド・ハリソンのもとに、死んだ男から電話がかかってきた。
少なくとも、彼にはそう感じられた。
午前六時十七分。
携帯電話がキッチンテーブルの上で震え、レイモンドが一週間ぶりにようやく楽しんでいた静かな朝のコーヒーを邪魔した。
見覚えのない電話番号だった。
無視しようかと考えた。
しかし、着信に添えられた表示を見た瞬間、手が止まった。
【第816大隊――人事記録保管室】
レイモンドは数秒間、画面を見つめた。
第816大隊。
軍務に関係する場所以外で、その部隊名を耳にしたのは何年ぶりだろう。
そして最近、かつての部隊について考えるたび、必ず同じ男の顔が浮かんでいた。
リヴァース。
ヴェンティックス。
レイモンドが自らの手で殺した男。
彼は電話に出た。
「ハリソンだ」
女性の声が聞こえた。
『ハリソンさんでしょうか。私はエヴリン・ウォード中佐です。あなたが以前所属していた部隊に関する記録調査について、ご連絡しました』
レイモンドは背筋を伸ばした。
「どんな調査だ?」
『保管されている装備移管記録と、外部契約業者のアクセス許可に関する内部監査です』
「それなら、どうして俺に電話する?」
短い沈黙があった。
『確認が必要な複数の書類に、あなたのお名前が記載されているためです』
レイモンドは眉をひそめた。
「俺の名前が?」
『はい。かつて同じ部隊に所属していた人物の名前とともに』
彼女が次に何を言うのか、すでにわかっていた。
それでも、実際に聞くと胃が締めつけられた。
「リヴァースか?」
再び短い沈黙。
『はい』
レイモンドはゆっくりとコーヒーカップを置いた。
「奴がどうした?」
『軍の研究資料へのアクセスを誰が許可したのか、確認しようとしています。別件の調査中に、いくつかの記録が要確認として検出されました』
レイモンドは壁を見つめた。
「リヴァースは死んでる」
『承知しています』
「だったら、調べてるのは奴が死ぬ前のことだな」
『その認識で間違いありません』
レイモンドは額をこすった。
「具体的に何へアクセスしたんだ?」
『安全性が確認されていない電話回線では、内容をお話しする権限がありません』
「だったら、どうして朝の六時に電話してきた?」
『昨夜、何者かがその保管記録へ再びアクセスしようとしたからです』
レイモンドは動きを止めた。
「誰が?」
『わかっていません』
彼は身を乗り出した。
「なら、突き止めることだな」
『ハリソンさん、ご協力をお願いしたいのです』
レイモンドは窓へ目を向けた。
外では、近所の人々が朝の活動を始めていた。
配送トラックが通りを走っていく。
どこかで犬が吠えている。
何もかも、いつもどおりに見えた。
しかし、レイモンドは昔の不安が戻ってくるのを感じていた。
任務が失敗する直前に感じた、あの嫌な予感だ。
「書類を送ってくれ」
そう言って、彼は通話を終えた。
長い間、キッチンテーブルから動かなかった。
やがて、携帯電話に保存していた古い写真を開いた。
輸送機の前に、一団の兵士たちが並んでいた。
若く、疲れ切っていながらも、笑顔を浮かべている。
中央付近にはレイモンドが立っていた。
そして、その隣にはリヴァースがいた。
生きていた頃のリヴァース。
その表情は、当時から読み取りにくかった。
レイモンドは写真を見つめた。
「お前、一体何をしてたんだ……?」
ギアの工房では、再建作業が新たな、そして特に厄介な段階に入っていた。
粉塵の除去だ。
キラン・キリアンは、もともと建設作業に特別な興味があったわけではなかった。
屋根が部分的に崩落すると、これほど大量の埃が発生するのだと知った今では、なおさらだった。
「ギア?」
「ん?」
「どうして、まだこんなに埃があるの?」
ギアは分解中の換気装置から顔を上げた。
「天井の半分が落ちたからでしょ」
「それは知ってるよ」
「じゃあ、答えは出てるじゃない」
キランは埃だらけの床を見つめた。
「実に参考になる説明だね」
「どういたしまして」
マッハのアバターが携帯モニターに現れた。
「正確を期すなら、瓦礫の約四十三パーセントが撤去済みです」
キランはうめいた。
「まだ四十三パーセント?」
「四十三・八パーセントです」
「それを聞いて、すごく気が楽になったよ」
「お役に立てて光栄です」
ギアは笑った。
被害は大きかったものの、工房は少しずつ機能を取り戻していた。
仮設照明が工学作業区画を照らしている。
その朝には交換部品が届いていた。
主整備台も稼働を再開し、MACH-01Aの推進システムは、ようやく最初の総合診断に合格していた。
キランは結果を確認した。
【推進システム――稼働能力91%】
【シールド発生装置――稼働能力86%】
【ハイブリッドナビゲーション――正常稼働】
彼は微笑んだ。
「やっと調子が戻ってきたね」
ギアは腕を組んだ。
「まだ喜ばないで。左舷側の配電装置は、もう少し作業が必要なんだから」
「どれくらい?」
「少なくとも、最大推力の試験を許可できないくらいにはね」
キランはマッハのアバターへ目を向けた。
「信じられる?」
「はい。ギアの慎重な判断は極めて妥当です」
「裏切り者」
「責任感のある友人と呼んでいただきたいですね」
ギアはにやりと笑った。
「ほら。マッハはわかってる」
そのとき、中央モニターに通知が現れた。
【受信メッセージ――エリソン刑事】
キランはメッセージを開いた。
ノースリッジ事件の捜査状況について、簡潔な報告が記されていた。
救出された被収容者の大半が家族と再会したという。
ナサニエル・ブルックスは医療ケアを受けており、警察が施錠された保管室から彼の車椅子を回収したことで、ようやく自分の車椅子を使えるようになった。
トーマス・ヴェイルも自宅へ戻っていた。
捜査員たちは、ほかの被害者の身元確認と、施設から押収した証拠の調査を続けていた。
キランはメッセージを二度読んだ。
それから微笑んだ。
「ようやく、いい知らせだ」
ギアが近づいた。
「何?」
「ナサニエルが家に帰ったんだ」
マッハのアバターが明るくなった。
「素晴らしい進展です」
キランは背もたれに身体を預けた。
「オリヴィアも安心しただろうね」
「きっと、ものすごく疲れてるだろうけどね」とギアが言った。「誰かが家に帰ってきたからって、心配が一瞬で消えるわけじゃないんだから」
キランはうなずいた。
それは、できれば知らずにいたかったほど、よく理解できることだった。
携帯電話が震えた。
【マイケイラ】
キランはすぐに電話に出た。
「やあ」
『おはよう、ヒーローさん』
「おはよう、いたずら好きさん」
『工房はどう?』
「まだ立ってるよ」
『ずいぶん低い目標ね』
「先週のことを考えたら、それだけでもありがたいんだ」
マイケイラは笑った。
それから、声を柔らかくした。
『あなた自身はどう?』
キランは、いつもの答えを口にしようとした。
大丈夫。
しかし、周囲の損傷した工房を見渡した。
「疲れてる」
『そう』
「それに、いらいらもしてる。ナサニエルが助かって安心してるけど、これから何が起こるのかも心配だ」
『いろいろ抱えてるのね』
「本当にね」
短い沈黙があった。
それからマイケイラが言った。
『ねえ、普通の夜を過ごしたっていいのよ』
キランはかすかに微笑んだ。
「僕が?」
『そうよ。革命的な考え方でしょ?』
「何か予定でもあるの?」
『夕食。溶接の煙がしない場所で』
キランはギアをちらりと見た。
ギアはバーナーを使っていた。
「それだと、今いる場所は候補から外れるね」
『まさにそのとおり』
キランは笑った。
「わかった。夕食、いいね」
『七時は?』
「七時で」
『それと、何か予定が変わったら?』
「わかった時点ですぐに連絡する」
『あら。職業研修の成果が出てるじゃない』
キランはにやりと笑った。
「その話、いつまで続けるつもり?」
『もちろん、一生よ』
シトロンシティの反対側では、ナサニエル・ブルックスが誘拐されて以来初めて、自分の机に向かっていた。
アパートの中は、記憶にある姿とほとんど変わっていなかった。
同じ本。
同じコンピューターモニター。
取っ手の欠けた、いつものコーヒーマグ。
デスクトップには、未完成のプロジェクトファイルがそのまま残っていた。
それなのに、何もかもが妙に見知らぬもののように感じられた。
彼は、自分に合わせて調整された支持具や操作装置を備えた電動車椅子に座っていた。
長い間それを奪われていたせいで、好きなときに机へ近づけるという単純なことさえ、胸がいっぱいになるほど嬉しかった。
オリヴィアが戸口に立っていた。
「もう十分もその画面を見つめてるわよ」
ナサニエルは微笑んだ。
「鑑賞してるんだ」
「画面を?」
「自分の机を」
彼女は腕を組んだ。
「本当にオタクなんだから」
「家系だよ」
「何ですって?」
ナサニエルは笑った。
オリヴィアは近づき、彼のそばに食事の皿を置いた。
「何か食べなさい」
「お腹すいてない」
「それでも食べるの」
「ずいぶん命令口調になったね」
「昔からこうだったでしょ」
「確かに」
彼女は隣に座った。
しばらく、二人とも何も話さなかった。
やがてナサニエルはコンピューターへ目を向けた。
「連中は、俺の研究を欲しがってた」
オリヴィアの表情が変わった。
「知ってる」
「保護機能を、連中自身が制御できるものに変えたかったんだ」
「そんなことができるの?」
ナサニエルはためらった。
「どれくらいコピーされたのかわからない」
彼はフォルダーを開いた。
中には、不正操作防止システムの元のファイルが保存されていた。
「俺の研究の大部分は、許可されていない命令が移動制御装置へ届かないようにするためのものだった。でも、誰かがその構造を十分に理解していたら……」
彼は言葉を止めた。
オリヴィアは彼を見た。
「ネイト?」
「保護機能を迂回する仕組みを作ろうとするかもしれない」
彼女はモニターを見た。
「純化協定がやってるのは、それなの?」
「もっとひどいことをしようとしてるんだと思う」
オリヴィアは黙った。
ナサニエルはフォルダーを閉じた。
そして彼女を見た。
「俺も、連中を止める手伝いがしたい」
オリヴィアの表情が強張った。
「帰ってきたばかりなのよ」
「わかってる」
「まだ回復もしてないじゃない」
「それもわかってる」
「だったら、どうしてもう関わろうとしてるの?」
ナサニエルは彼女へ向き直った。
「だって、連中はまだ技術を持ってるんだ」
彼の声は静かだった。
「それに、次に狙われる人には、探してくれる誰かがいないかもしれない」
オリヴィアは視線をそらした。
数秒間、何も言わなかった。
それからため息をついた。
「一つ約束して」
「何?」
「全部一人でやろうとしないで」
ナサニエルは微笑んだ。
「わかった」
「よろしい」
彼女は皿を指さした。
「じゃあ、食べなさい」
正午少し前、レイモンドは警察署に到着した。
マーラ・エリソン刑事が会議室で彼を迎えた。
彼女はすぐに彼の表情に気づいた。
「眠れていないようですね」
「あまりな」
「何かあったんですか?」
レイモンドは携帯電話をテーブルに置いた。
「軍から電話があった」
エリソンは向かい側に座った。
「何について?」
「古い記録だ。装備の移管、外部契約業者のアクセス権限」
「純化協定と関係が?」
「それを調べたいんだ」
彼はためらった。
それから続けた。
「リヴァースの名前が出てきた」
エリソンの表情が変わった。
「あなたが殺した男ですか?」
レイモンドはうなずいた。
「ああ」
彼女はレイモンドを見つめた。
「何と言われたんです?」
「保管されているアクセス記録に奴の名前があるらしい。それに、昨夜誰かがその記録を取り出そうとしたそうだ」
エリソンは身を乗り出した。
「誰なのかわかっていますか?」
「いや」
「何にアクセスしたのかは?」
「電話では教えてもらえなかった」
エリソンは考え込んだ。
「それだけでは、純化協定との関係は証明できません」
「わかってる」
「リヴァースが不正行為をしていた証拠にもなりません」
「それもわかってる」
レイモンドはテーブルを見下ろした。
「だが、どうにも嫌な感じがする」
エリソンは黙っていた。
レイモンドは続けた。
「ヌリファイアーの装備は、昔見た軍の試作品を思い出させる。戦術も統制されている。あんな電磁兵器、そこらのガレージで作れる代物じゃない」
「だからといって、あなたの以前の部隊が関わっていたとは限りません」
「ああ」
彼は彼女の目を見た。
「だが、あの技術がどこから来たのか知りたい」
エリソンはうなずいた。
「では、証拠を追いましょう」
レイモンドは椅子にもたれた。
「そのために来たんだ」
彼女はノートを開いた。
「第816大隊の装備開発計画について、覚えていることをすべて話してください」
レイモンドは白紙のページを見つめた。
一瞬、彼は警察の会議室ではなく、何年も前の軍事基地に戻っていた。
航空燃料の臭い。
輸送機の音。
立ち入り制限のある研究室の入口に立つリヴァース。
そこで何をしているのか尋ねたことを、レイモンドは思い出した。
そして、リヴァースが笑って答えたことも。
ただの書類仕事さ。
レイモンドは瞬きをした。
エリソンが気づいた。
「レイモンド?」
彼は顔を上げた。
「一つ、思い出したことがある」
何年も前、第816大隊は市外にある軍事研究施設へ配属されていた。
レイモンドは、その場所をよく覚えていた。
どこまでも続くコンクリート造りの建物。
立ち入り制限のある研究室。
通常の部隊章を身につけていない将校たち。
そして、誰も質問してはいけないことになっていた装備。
ある晩、レイモンドは警備の厳重な研究棟の外でリヴァースを見かけた。
「兵舎からずいぶん遠いところにいるな」
レイモンドが言うと、リヴァースは書類から顔を上げた。
「お前もな」
「それは何だ?」
「書類仕事だよ」
レイモンドは笑った。
「ずいぶん大事な書類なんだな」
リヴァースはフォルダーを閉じた。
「何だって、誰かにとっては大事なものさ」
レイモンドは、その奇妙な返答を覚えていた。
当時は、特に気にしなかった。
リヴァースは昔から考えを読み取りにくい男だった。
ある瞬間には人当たりがよく、次の瞬間には冷たくなる。
質問に答えているようで、実際には何も答えない癖があった。
レイモンドは、それに慣れてしまっていた。
しかし、何年も経った今、その記憶は違った意味を帯びていた。
何かを証明するからではない。
それまで考えもしなかった疑問が浮かんだからだ。
なぜリヴァースは、あの研究室の近くにいたのか。
そして、フォルダーには何が入っていたのか。
現在に戻り、エリソンはメモを取り終えた。
「研究棟の名前は覚えていますか?」
レイモンドは首を振った。
「いや。ただ、識別番号なら覚えてる」
「どんな番号です?」
彼は目を閉じた。
思い出そうとした。
廊下。
警告標識。
警備扉の上に印字された番号。
そして目を開いた。
「セクション12だ」
エリソンは書き留めた。
「ほかには?」
「紋章があった」
「どんな?」
レイモンドは眉をひそめた。
「正確には思い出せない。円形だったと思う」
エリソンは顔を上げた。
「円形?」
「ああ」
彼女はノートパソコンを彼へ向けた。
画面には純化協定の紋章が表示されていた。
縦線で分割された白い円と、斜線で否定された機械の翼。
「これでしたか?」
レイモンドは見つめた。
数秒間、何も言わなかった。
それから首を振った。
「違う」
エリソンは彼を見た。
「確かですか?」
「同じものじゃない」
彼は画面へ顔を近づけた。
「だが……」
「何です?」
「形が似てる気がする」
エリソンはゆっくりとうなずいた。
「それだけで結論は出せません」
「わかってる」
レイモンドは背もたれに身体を預けた。
「だが、あの記録を手に入れたくなるには十分だ」
午後三時四十六分。
ギアのもとに、ナサニエル・ブルックスから暗号化されたメッセージが届いた。
件名は――
【ありがとう――それと、見てもらいたいものがあります】
ギアはメッセージを開いた。
短い動画が表示された。
ナサニエルが自分の机に座っていた。疲れた様子ではあったが、その表情には決意が感じられた。
『やあ、ギア。マッハ。キラン』
彼は少し照れくさそうに微笑んだ。
『まずは、ありがとう。何度言っても足りないと思う』
彼は視線を落とした。
『それから、昔の研究を見直していたら、ゼロ病棟から回収した技術に関係しそうなものを見つけたんだ』
ギアは背筋を伸ばした。
ナサニエルは続けた。
『純化協定の分散制御構造は、単に命令を送るだけじゃない。その命令が、受信する機器にとって正当なものに見えるようにしているんだ』
マッハのアバターが動画の横に現れた。
「認証の偽装ですね」
録画の中のナサニエルは、まるでその返答を予想していたかのようにうなずいた。
『そのとおり。信頼された保守管理機関になりすませれば、通常の保護機能を迂回できるかもしれない』
ギアは眉をひそめた。
「スナット」
動画は続いた。
『俺は、特定の高リスク命令を実行する前に、機器側での確認を必須にする方法を開発した。完璧じゃないけど、追加の検証なしに遠隔システムが使用者の直接操作を上書きするのを防げる』
ナサニエルは少し間を置いた。
『研究を共有したい。ただし、その技術をどう使うか決めるときには、俺も関わりたいんだ』
ギアは微笑んだ。
「いいね」
マッハが言った。
「妥当な条件です」
動画の最後に、ナサニエルはこう言った。
『それと、もう一つ。これを別の中央集権的な登録制度に利用させないでほしい。そんなことになったら、研究の目的そのものが失われてしまう』
動画が終わった。
ギアはマッハのアバターを見た。
「どう思う?」
マッハは答えた。
「有望な共同研究者が見つかったようですね」
ギアはにやりと笑った。
「じゃあ、電話しようか」
夕方になる頃、レイモンドはウォード中佐から二通目のメッセージを受け取った。
今度は、暗号化された書類が添付されていた。
彼はノートパソコンでファイルを開いた。
【第816大隊――保管アクセス記録概要】
【セクション12――機密技術計画】
複数の項目が黒塗りになっていた。
ほかの部分には、日付、隊員識別番号、装備の使用許可コードが記載されていた。
レイモンドは画面をスクロールした。
そして止まった。
同じ名前が何度も現れていた。
【RIVERS, D.】
彼は画面へ顔を近づけた。
記録の日付は、リヴァースが死亡する何年も前のものだった。
いくつかの項目には、実験的な電磁抑制装置へのアクセスが記されていた。
ほかには、外部契約業者との会議に関する記録もあった。
その中の一つが、レイモンドの注意を引いた。
【外部技術連絡担当――承認保留中】
関連する組織名は黒塗りにされていた。
レイモンドは画面を見つめた。
すると、別のものに気づいた。
スキャンされた書類の余白に、手書きの注記が残っていたのだ。
【P.A.――予備審査】
レイモンドの胃が締めつけられた。
P.A.
二文字。
何を意味していてもおかしくない。
人事承認。
計画評価。
調達許可。
あるいは、まったく別の何か。
早合点するつもりはなかった。
まだ、その段階ではない。
彼は携帯電話へ手を伸ばした。
しかし、その手が止まった。
ノートパソコンに新しい警告が現れた。
【不正アクセス試行を検出】
レイモンドは眉をひそめた。
「何だ、これは?」
別の警告が表示された。
【遠隔セッション要求――遮断】
その直後、画面が真っ暗になった。
一瞬、何も起こらなかった。
やがて、白い文字が現れた。
【これ以上、嗅ぎ回るな。ハリソン】
レイモンドはそのメッセージを見つめた。
表情が険しくなった。
彼はゆっくりとノートパソコンを閉じた。
そして携帯電話を手に取った。
「エリソン」
二回目の呼出音で彼女が出た。
『レイモンド?』
「問題が起きた」
午後六時五十二分。
キランは工房から出かける準備をしていた。
MACH-01Aは通常の移動には十分な状態まで回復していたが、ギアから高速飛行を禁止されていた。
キランは飛行服から清潔なシャツに着替えていた。
マッハのアバターが個人用ディスプレイに現れた。
「夕食の予約は午後七時です」
キランは微笑んだ。
「知ってるよ」
「移動時間は約八分です」
「それも知ってる」
「それなら、直ちに出発することを推奨します」
キランは笑った。
「マイケイラより厳しいね」
「時間を守ることは、重要な社会的技能だと考えています」
ギアが作業台から顔を上げた。
「マイケイラによろしくね」
「伝えるよ」
「それと、食事中ずっと電磁兵器の話をしないこと」
キランはにやりと笑った。
「約束はできないな」
「キラン」
「わかった、わかった」
彼は出口へ向き直った。
そのとき、携帯電話が鳴った。
【レイモンド・ハリソン】
キランは立ち止まった。
一瞬、留守番電話に任せようかと思った。
しかし、レイモンドが理由もなく電話してくることは滅多になかった。
彼は通話に出た。
「やあ、レイモンド」
『坊主。今どこだ?』
「工房だけど。どうしたの?」
レイモンドの声は緊張していた。
『そこから動かないでくれ』
キランは眉をひそめた。
「何があったの?」
『何者かが俺のコンピューターへ遠隔アクセスしてきた』
「えっと……」
『俺が昔の軍の記録を調べていることを知っていたんだ』
キランの表情が引き締まった。
「どんな記録?」
レイモンドはためらった。
それから答えた。
『リヴァースに関係する記録だ』
キランは動きを止めた。
「……リヴァース?」
『ああ』
「同じリヴァース?」
『あのリヴァースだ』
キランはギアを見た。
ギアは彼の表情の変化に気づいていた。
レイモンドは続けた。
『まだ何を意味するのかわからん。だが、俺に質問してほしくない奴がいるらしい』
キランは時計をちらりと見た。
午後六時五十四分。
予定が変わったら、マイケイラへ知らせると約束していた。
今度は待たなかった。
「レイモンド、マイケイラに電話して、遅れるかもしれないって伝えるよ。それから折り返す」
『わかった。それと、キラン』
「何?」
『周囲に気をつけろ』
通話が終わった。
キランはすぐにマイケイラへ電話した。
彼女は明るい声で出た。
『まさか、もうキャンセルするつもりじゃないでしょうね?』
キランは顔をしかめた。
「延期になるかも」
彼女の声が変わった。
『何があったの?』
「レイモンドが昔の軍の調査に関係する妙なものを見つけたんだ。誰かに監視されてるかもしれないって」
マイケイラは少し黙った。
『レイモンドは無事なの?』
「まだわからない」
『だったら、助けに行って』
キランは瞬きをした。
「いいの?」
『キラン、私はあなたと夕食を食べたいの。でも、友達が危険な目に遭ってるんじゃないかって心配しながら、向かいに座ってほしくはないわ』
彼はかすかに微笑んだ。
「ありがとう」
『ただし、デザートはおごってもらうからね』
「了解」
『それと、連絡を忘れないで』
「忘れないよ」
彼は通話を終えた。
ギアが彼を見ていた。
「大丈夫?」
キランは工房の入口へ目を向けた。
「……そうでもなさそう」
純化協定本部では、ヘレナ・ヴェイン司令官が監視報告書を調べていた。
コバルトが彼女のそばに立っていた。
「レイモンド・ハリソンが保管記録へアクセスしました」
ヴェインの表情は変わらなかった。
「どこまで見た?」
「計画の全容を特定できるほどではありません」
「リヴァースについては?」
「複数の項目に名前が記載されています」
ヴェインは考え込んだ。
「厄介だな」
コバルトは画面へ目を向けた。
「残りの記録を破壊しますか?」
「いや」
彼は眉をひそめた。
「司令官?」
「今になって破壊すれば、その重要性を認めることになる」
彼女はレイモンドの写真を拡大した。
「むしろ、調べ続けさせる」
コバルトの表情が険しくなった。
「なぜです?」
「答えを探している人間は、行動を予測しやすくなるからだ」
彼女は別の画面を開いた。
市内の地図が表示された。
いくつかの地点が強調されている。
レイモンドの自宅。
警察署。
ギアの工房。
そして、四つ目の場所。
川沿いにある廃工業施設だった。
ヴェインは最後の地点を指で叩いた。
「回収部隊を準備しろ」
コバルトはうなずいた。
「了解しました」
「それと、抑制部隊も投入しろ」
「ハリソンに対してですか?」
「奴に同行する者すべてに対してだ」
ヴェインは椅子にもたれた。
「ソニック・ウィーラーズには、もう十分邪魔をされた」
彼女はMACH-01Aの旧型推進システムの設計図を見つめた。
「今度は、あの有名な飛行車椅子が、飛行能力を奪われても生き残れるか試してやろう」
レイモンドは、薄暗い立体駐車場でSUVのそばに立っていた。
エリソンとは警察署で会う約束をしていた。
しかし、出発する前に、もう一つ確認したいことがあった。
彼は保管アクセス記録の印刷した写しを開いた。
いくつかの行に印がつけられていた。
【RIVERS, D.】
【SECTION 12】
【電磁抑制技術研究】
【外部技術連絡担当】
レイモンドは紙を見つめた。
リヴァースの笑顔を思い出した。
はぐらかすような返答。
いつも、何かを知りすぎているように見えた奇妙な態度。
レイモンドは首を振った。
「早合点するな」
彼は紙を折りたたんだ。
そのとき、足音が聞こえた。
顔を上げた。
駐車場の向こう側で、ちらつく照明の下に人影が立っていた。
黒っぽい服装。
ヘルメット。
目立つ部隊章はない。
レイモンドはゆっくりとジャケットへ手を下ろした。
「何か用か?」
人影は答えなかった。
コンクリートの柱の陰から、もう一人が現れた。
さらに三人目。
レイモンドの表情が険しくなった。
「なるほど」
彼はSUVをちらりと見た。
「どうやら歓迎委員会のお出ましらしいな」
最初の人物が武器を持ち上げた。
レイモンドは駐車中の車の陰へ飛び込んだ。
バヂヂヂッ!
電磁弾がコンクリートの壁に命中した。
火花が駐車場に散った。
レイモンドは遮蔽物の陰へ転がり、無線機に手を伸ばした。
「エリソン! 襲撃を受けている!」
返ってきたのは雑音だった。
ザザザザッ!
彼は無線機を見た。
画面は真っ暗になっていた。
レイモンドは悪態をついた。
すると、最初の襲撃者が口を開いた。
「レイモンド・ハリソン」
レイモンドは車の陰から様子をうかがった。
「何だ?」
「余計なことを調べているそうだな」
レイモンドは武器を握り直した。
「質問ってのは面白いもんでな」
彼は出口へ目を向けた。
「誰かが撃ち始めると、ますます興味が湧いてくる」
襲撃者はライフルを構えた。
「ならば、これを最後の警告だと思え」
レイモンドは笑った。
しかし、その笑みに温かさはなかった。
「坊や……」
彼は遮蔽物から身を乗り出し、襲撃者の装甲された肩へ発砲した。
バン! バン!
男が後ろへよろめいた。
レイモンドは次の車列へ移動した。
「……相手にする老兵を間違えたな」
数ブロック離れた場所で、キランの携帯電話が震えた。
マッハのアバターがダッシュボードの画面に現れた。
「キラン。エリソン刑事から着信です」
キランは電話に出た。
「刑事さん?」
『レイモンドの緊急信号が作動しました。最後に確認された位置は、警察署近くの立体駐車場です』
キランの表情が変わった。
「無事なんですか?」
『わかりません。通信が途絶えています』
キランは夜空を見上げた。
「マッハ」
「はい」
「どれくらい離れてる?」
「約四キロメートルです」
キランは操縦装置を握りしめた。
「ギアから高速飛行は禁止されてる」
「そのとおりです」
彼はナビゲーション画面を見た。
「修理したシステムの限界を超えずに行ける?」
マッハが計算した。
「出力を制御すれば可能です。ただし、持続的な加速は避ける必要があります」
キランはうなずいた。
「じゃあ、行こう」
MACH-01Aのスラスターが起動した。
紫色の光が通りを照らした。
キランは空中へ上昇した。
「持ちこたえて、レイモンド」
マッハの声がそばで響いた。
「今、向かっています」
立体駐車場では、レイモンドの弾薬が残り少なくなっていた。
二人の襲撃者が意識を失って倒れている。
三人目はコンクリートの支柱の陰へ退いた。
しかし、階段からはさらに足音が聞こえていた。
レイモンドは残弾を確認した。
「まったく……」
彼は出口を見た。
塞がれている。
エレベーターを見た。
停止している。
階段を見た。
敵が占拠している。
彼はため息をついた。
「家でコーヒーの続きを飲んでりゃよかったな」
暗闇から声がした。
「レイモンド・ハリソン」
彼は振り向いた。
背の高い装甲兵が駐車場へ足を踏み入れた。
その装甲は、通常のヌリファイアーが着用する装備とは明らかに異なっていた。
関節部は補強されていた。
胸部装甲には電磁遮蔽が施されている。
そして背中には、レイモンドが見たこともない小型の機械装置が取り付けられていた。
装甲兵は片腕を上げた。
ガントレットに青白いパルスが走った。
レイモンドは目を細めた。
「お前は一体、何者だ?」
歪んだスピーカー越しに、男が答えた。
「お前の過去は、もはや邪魔な存在となった」
レイモンドは武器を構えた。
「だったら、取りに来い」
装甲兵が前進した。
そして、街の上空では、紫色の閃光が駐車場へ向かって疾走していた。
その下で待ち受ける敵が、まさにその飛行車椅子を墜落させるために設計されていたことなど、まだ知らずに。




