憎悪の種
シトロンシティの人々は、昔からヒーローが大好きだった。
ヒーローたちの活躍を祝うパレードが開かれ、街中の広告看板には彼らの顔が飾られ、その名前を冠した商品が飛ぶように売れた。子供たちは公園で超能力を使う真似をして遊び、大人たちはプロスポーツ選手や映画スターの活躍を追いかけるように、テレビに映るヒーローたちの戦いに夢中になっていた。
長年にわたり、ソニック・ウィーラーズはシトロンシティを代表するヒーローたちの一員として、市民から絶大な支持を集めていた。
なかでも、ブリザードとブレイズの人気は圧倒的だった。
華麗な救出劇、迫力満点の空中戦、そして市民の安全を守るためなら危険を顧みない献身的な姿勢。二人は誰もが知る存在となり、その名声が揺らぐことなどないと思われていた。
しかし、真実が明らかになった。
ザイラ・ラインハルトとジャリック・ラインハルトは、犯罪者たちと手を組んでいたのだ。
その事実は街全体に衝撃を与えた。続く捜査によって、彼らの英雄的な仮面の裏に隠されていた汚職、欺瞞、暴力の数々が次々と明るみに出た。
かつての称賛は怒りへと変わった。
ニュース番組では、ブリザードとブレイズが人命救助を行う過去の映像が繰り返し放送された。しかし、以前とは違い、画面には彼らの行動が本当に善意によるものだったのか、それとも周到に仕組まれた宣伝活動だったのかと疑問を投げかける評論家たちの姿があった。
政治家たちは、ヴェントの規制に関する徹底的な調査を要求した。
かつてヴェントが頭上を飛んでいくたびに歓声を上げていた市民たちも、今では疑いの目で空を見上げるようになっていた。
そして、街に広がる恐怖と不信感のなかで、ある新しい組織が静かに勢力を伸ばし始めていた。
その名は――純化協定。
当初、その存在に注目する者はほとんどいなかった。
純化協定は、規制の行き届いていないヴェント技術の危険性から市民を守ることを目的とした、市民擁護団体を名乗っていた。
代表者たちはテレビ番組に出演し、市民集会に参加し、より厳格な管理と責任の明確化を求めるパンフレットを配布した。
彼らの言葉は、慎重に選ばれていた。
安全。
責任。
保護。
そして、自分たちの主張は決して差別ではないと、繰り返し強調した。
だが、その耳当たりのよい言葉の裏側では、はるかに危険な何かが育ち始めていた。
キラン・キリアンにとって、その朝は実に不愉快なものだった。
スーパーヴィランのせいではない。
プラズマキャノンが故障したわけでもない。
ましてや、生徒たちが英語の基本的な文法を驚くほど理解していないことが原因でもなかった。
違う。
彼の朝を台無しにした犯人は、プリンターだった。
「頼むよ……」
キランは目の前の機械をにらみつけた。
「君の仕事は一つしかないんだからさ」
プリンターがガリガリと不吉な音を立てた。
続いて、もう一度。
一枚の紙が半分ほど排出されたところで止まり、そのまま内部で無残に絡まってしまった。
キランは黙ってそれを見つめた。
もちろん、プリンターが彼を見返すことはなかった。
「マッハ?」
「はい、キラン」
「このプリンターが、わざと僕の人生を台無しにしようとしている確率って、どれくらい?」
「ほぼゼロパーセントです」
「つまらないなあ」
「ただし、過去の整備記録を考慮すると、今後三十日以内に再び機械的な故障が発生する確率は八十七パーセントです」
キランはため息をついた。
「素晴らしいね」
車椅子を少し前進させ、プリンターの前面カバーを開く。
内部では何枚もの紙が蛇腹のように折り重なっていた。
「どうやったら、こんなことになるんだよ……」
「給紙ローラーの位置ずれ、部品の摩耗、そして前世紀に製造された機器をいまだに交換しようとしない、この教育機関の頑固な姿勢が主な原因です」
キランは思わず笑った。
「気をつけて。学校への悪口だって言われるよ」
「その場合は、私の分析結果を詳しく説明する機会をいただきたいものです」
キランが返事をする前に、職員室のテレビから流れてきた声が彼の注意を引いた。
ニュースキャスターが、シトロンシティの市庁舎前に集まった大勢の人々について報じていた。
【速報】シトロンシティ各地で反ヴェントデモが拡大
キランの手が止まった。
画面には、数百人ものデモ参加者が通りを埋め尽くしている様子が映っていた。
ヴェント技術の厳格な規制を求める看板を掲げる者たち。
ブリザードとブレイズの活動によって被害を受けたとされる人々の写真を持つ者たち。
そして、一部の看板には、キランが見たことのない奇妙な紋章が描かれていた。
白い円の中央を鋭い縦線が貫き、その下には斜線で打ち消された一対の機械の翼があった。
ニュースキャスターが続ける。
「元スーパーヒーロー、ブリザードとブレイズをめぐる一連の不祥事を受け、ヴェント技術に対する市民の不安は過去に例を見ないほど高まっています。新たに結成された『純化協定』と名乗る団体は、政府による早急な対応を求め、各地で抗議活動を行うと発表しました」
映像が切り替わった。
演壇の前に立つ、ダークスーツ姿の男性が映し出される。
大勢の聴衆を前に話すことに慣れているのか、その声には落ち着いた自信が感じられた。
「私たちは、障害のある方々に反対しているわけではありません」
男性は力強く宣言した。
「私たちが問題視しているのは、十分な監督も受けずに運用されている危険な技術です。街を走り、空を飛ぶ機械が、いつ私たちに牙をむくかわからない。そのような状況を、市民が黙って受け入れる必要があるのでしょうか?」
会場から大きな拍手が起こった。
キランの表情が険しくなった。
「ずいぶん都合のいい言い方だね」
マッハのホログラムが、彼の隣に姿を現した。
「意図的に曖昧な表現を使用しています」
「うん。僕もそう思った」
男性は演説を続けた。
「長年、私たちはヴェントに疑問を呈すること自体が、使用者の権利を否定する行為だと言われてきました。しかし、それは誤った比較です。何よりも優先されるべきなのは、安全なのです!」
再び拍手が響いた。
キランは腕を組んだ。
「誰の安全だよ……」
マッハは何も答えなかった。
画面には、市庁舎前を行進するデモ参加者たちが映っていた。
彼らの掲げる看板には、さまざまな標語が書かれていた。
『ヴェントを規制せよ!』
『ブリザードもブレイズも、もういらない!』
『人類第一!』
キランは最後の看板をじっと見つめた。
「これは、もう隠す気もないみたいだね」
「ええ。まったくありません」
昼休みになる頃には、デモの話題はシトロン学園の至るところに広がっていた。
廊下では生徒たちが議論し、職員室では教師たちが新しい規制案について意見を交わしていた。
食堂でさえ、即席の討論会場と化していた。
キランがいつものテーブルに座っていると、食事の載ったトレーを持ったマイケイラ・マッキントッシュが近づいてきた。
「ここ、座ってもいい?」
キランは笑顔を向けた。
「君ならいつでも大歓迎だよ」
マイケイラは向かい側に腰を下ろした。
「ニュース、見た?」
「嫌でも目に入るよ」
彼女は食堂の入口付近に設置されたテレビに目を向けた。
「デモ、週末まで続くかもしれないって」
「素晴らしいね。土曜日の過ごし方としては最高だ。車椅子を使っている人たちに向かって怒鳴り散らすなんてさ」
マイケイラは眉をひそめた。
「キラン」
「何?」
「私が何を言いたいかわかるでしょう?」
キランはため息をついた。
「うん。ごめん」
彼女は少し身を乗り出した。
「あなたが心配なの」
キランは安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。怒っているデモ参加者くらい、今まで戦ってきた相手に比べれば――」
「そういうことじゃないの」
キランの笑みが消えた。
マイケイラは続けた。
「ザイラとジャリックがしたことに、みんなが怒っているのは理解できる。でも、最近はまるで、すべてのヴェント使用者に責任があるみたいな言い方をする人が増えているでしょう?」
キランは視線を落とした。
「……うん」
「人は怖くなると、誰かに責任を押しつけたくなるものよ」
車椅子からマッハの声が聞こえた。
「歴史的に見ても、そのような心理が極めて不幸な結果を招いた事例は数多く存在します」
マイケイラはうなずいた。
「そういうこと」
キランはテレビを見上げた。
画面には、繁華街を行進するデモ参加者たちが映っていた。
「僕には理解できないよ。たった二人がしたことを見て、どうして同じような技術を使っている人間まで、全員危険だって決めつけられるんだろう」
「問題が複雑だって認めるより、ずっと簡単だからよ」
キランは少し考え込んだ。
それから、乾いた笑いを漏らした。
「複雑な問題が好きなら、高校生の作文を採点してみればいいのに」
マイケイラは微笑んだ。
「やっといつものキランに戻ったわね」
街の反対側では、レイモンド・ハリソンが自宅のアパートで、一人テレビを見つめていた。
画面には、純化協定による最新のデモの様子が映っている。
群衆は朝よりも明らかに増えていた。
レイモンドは険しい表情で、その光景を眺めていた。
こうした運動を、彼は以前にも見たことがあった。
名前は違う。
掲げる標語も違う。
だが、そこにある怒りは同じだった。
複雑な問題を単純化し、誰か一人を敵に仕立て上げようとする欲求も。
そのとき、携帯電話が震えた。
キランからのメッセージだった。
『これ、見てる?』
レイモンドは携帯電話を手に取った。
『ああ』
すぐに次のメッセージが届いた。
『もっとひどくなると思う?』
レイモンドは画面を見つめた。
戦場での記憶が脳裏をよぎる。
敵はもはや人間ではないと、自分自身に言い聞かせる者たち。
誰かを守るという名目で下される命令。
そして、どうしても思い出してしまう男の顔。
リヴァース。
かつての戦友。
友人。
そして、ヴェンティックスと呼ばれた暗殺者。
レイモンドは奥歯を噛みしめた。
彼は短い返事を打った。
『そうならないことを願ってる』
少し考えてから、もう一文を付け加えた。
『だが、周囲には気をつけろ』
携帯電話を置く。
テレビでは、純化協定の代表者が演説していた。
「シトロンシティの市民には、ヴェントの脅威から解放される権利があるのです!」
レイモンドはリモコンに手を伸ばした。
テレビを消す。
部屋に静寂が戻った。
「……ああ」
彼は低くつぶやいた。
「その手の言葉なら、前にも聞いたことがある」
午後遅くになる頃には、繁華街の状況はさらに悪化していた。
市庁舎前で始まった平和的なデモは、周辺の通りへと広がっていた。
車の列が数ブロック先まで続き、警察官たちは歩行者を車道から遠ざけるために奔走していた。
公共交通機関の駅の近くには、デモ参加者の一団が集まり、標語を叫びながら看板を振り回していた。
大半の人々は、ただ声を上げているだけだった。
通行人と口論する者もいた。
しかし、駅の入口付近では、少人数のグループが一人の若い男性を取り囲んでいた。
男性の名前は、イライアス・マーサー。
二十三歳の大学生で、ヴェント使用者だった。
彼は帰宅途中、運悪く繁華街を通り抜けようとしてしまったのだ。
今、彼の周囲には六人の見知らぬ人間が立っていた。
一人は、**『この街にヴェントはいらない』**と書かれた看板を持っていた。
別の男が、イライアスの車椅子を指さした。
「おい! こいつもそうだ!」
イライアスは周囲の顔を見回した。
「あの……僕は、ただ家に帰りたいだけなんです」
大柄な男が一歩近づいた。
「だったら、その機械をどこか別の場所に持っていけよ」
イライアスは眉をひそめた。
「これは僕の車椅子です」
「だから何だ? 安全だってどうやって証明する?」
イライアスは呆然とした。
「……え?」
「武器を隠し持っていないって、どうしてわかるんだ?」
「そんなもの持ってません!」
一人の女性が携帯電話を掲げ、撮影を始めた。
「ほら! こういうことなのよ! この機械、何ができるかわかったものじゃないわ!」
イライアスは近くの警察のバリケードに目を向けた。
しかし、警察官たちは別の騒ぎへの対応に追われていた。
「お願いします。通してください」
大柄な男が車椅子の前に立ちはだかった。
「質問に答えるまでは駄目だ」
イライアスは男を避けて進もうとした。
その瞬間、男が車椅子のアームレストをつかんだ。
「おい!」
「どこへ行くつもりだ?」
「車椅子から手を離してください!」
男はさらに強く握りしめた。
イライアスは何とか離れようとした。
そのとき、背後から誰かが叫んだ。
「そいつを止めろ!」
硬い金属製の物体が、車椅子の側面に叩きつけられた。
ガァン!
イライアスは身をすくめた。
「やめて!」
別のデモ参加者が車椅子の後部を蹴りつけた。
車体が激しく揺れた。
操作画面が明滅する。
警告音が鳴り響いた。
【走行システム異常】
イライアスは画面を見つめた。
「そんな……嘘だろ……」
車椅子が反応しなくなった。
彼はもう一度操作レバーを動かした。
何も起こらない。
周囲から怒号が上がった。
暴行をやめるよう叫ぶ者もいれば、歓声を上げる者もいた。
イライアスは必死に周囲を見回した。
「誰か! 助けてください!」
そこから三ブロック離れた場所では、キランが書店から出てくるところだった。
次の授業で使うために、評論集を何冊か購入していたのだ。
MACH-01Aは歩道を滑らかに進み、紫色の装甲が午後の日差しを反射していた。
マッハのアバターが、バイザーの隅に浮かんでいる。
「今回の読書の選択は、いつになく楽観的ですね」
キランは座席の横に固定された本を見た。
「何が悪いの?」
「一冊は文明の崩壊について、もう一冊は人間の残虐性について、そして三冊目は実存主義の評論集です」
「僕にとっては、のんびりした週末にぴったりだよ」
「あなたの考える『のんびり』という概念には、以前から懸念を抱いています」
キランは笑った。
そのとき、怒鳴り声が聞こえた。
最初は、また別のデモ参加者たちが騒いでいるのだと思った。
しかし、声は次第に大きくなっていった。
切迫した叫び声。
そして――
「助けて!」
キランは車椅子を止めた。
マッハのアバターが明るく輝いた。
「東へ約二百メートルの地点で、騒動を確認しました」
キランは声のした方向へ顔を向けた。
「映像を確認できる?」
「公共交通監視カメラにアクセスします」
次の瞬間、バイザーに映像が表示された。
車椅子に乗った若い男性。
彼を取り囲む人々。
動かなくなった車椅子。
そして、その車体を殴りつける男。
キランの表情が変わった。
「……冗談じゃない」
彼は一気に加速した。
「マッハ、緊急対応モード!」
「起動します」
MACH-01Aの車体に紫色の光が走った。
車椅子が勢いよく前進した。
「そいつから離れろ!」
怒声が群衆を切り裂いた。
何人ものデモ参加者が振り返った。
紫色の装甲車椅子が角を曲がって飛び出し、イライアスと襲撃者たちの間で急停止した。
キランは破損した車椅子を見た。
それから、周囲の男たちを見回した。
「さて」
彼は言った。
「これをやったのは誰?」
大柄な男が目を見開いた。
「お前、あのウィーラーか!」
「最後に確認したときは、そうだったけど」
「お前も奴らの仲間だな!」
キランは片眉を上げた。
「何の仲間? 英語教師のこと? それなら、確かにそうだけど」
「ヴェントを使う化け物どもの仲間だ!」
キランの笑みが消えた。
「……そのへんにしておきなよ」
男が一歩近づいた。
「そんな空飛ぶ機械に乗ってるからって、俺たちより偉いと思ってるのか!」
「いや」
キランは落ち着いた声で答えた。
「ただ家に帰ろうとしている人を襲うような人間よりは、まともだと思ってるよ」
周囲の見物人から、同意するような声が上がった。
男は拳を握りしめた。
「お前らは危険なんだよ!」
キランはイライアスに目を向けた。
「怪我は?」
イライアスは首を横に振った。
「たぶん……大丈夫です。でも、車椅子が動かなくて……」
「マッハ?」
「スキャンします」
紫色の診断光が、破損した車椅子を走査した。
「操作装置の外装に衝撃による損傷を確認。主走行制御装置が応答していません。使用者に明らかな外傷は見られません」
キランはうなずいた。
「わかった。まずは安全な場所へ移動しよう」
大柄な男が前に出た。
「勝手に連れていくんじゃねえ!」
キランはゆっくりと振り返った。
「いや、連れていくよ」
男が飛びかかってきた。
キランはため息をついた。
「本当にやるの?」
バシッ!
MACH-01Aの装甲側面が、男の伸ばした手を受け止めた。
男はよろめきながら後退した。
キランは武器を起動する必要すらなかった。
「お願いだから、これ以上恥をかかないでよ」
そのとき、背後から金属音がした。
カチリ。
マッハのアバターが赤く点滅した。
「キラン。新たな脅威です」
群衆の中から、三人の人物が現れた。
ほかのデモ参加者とは違い、彼らは揃いの黒いジャケットを着ていた。
顔は黒いマスクで隠されている。
そして、それぞれが幅広い長方形の銃口を備えた、小型拳銃のような装置を持っていた。
キランは目を細めた。
「……あれ、プラカードじゃないよね」
「ええ。違います」
一人が武器を構えた。
銃口の内部で青い光が明滅する。
「ヴェント個体を確認」
キランの胃が冷たくなった。
「マッハ?」
「未知の電磁波反応を検出しました」
武器が発射された。
バヂヂヂッ!
青いエネルギーの塊が空気を切り裂いた。
キランは即座に反応した。
「シールド!」
半透明の紫色の障壁が、MACH-01Aの前方に展開された。
ドォォン!
電磁パルスがシールドに激突した。
障壁の表面を電流が駆け巡る。
キランは歯を食いしばった。
「なるほど! 普通のデモ参加者じゃないってことか!」
「電磁妨害兵器です。電子制御システムへの干渉を目的として設計されています」
二人目の襲撃者が発砲した。
バヂヂッ!
衝撃がシールドを襲った。
バイザーに警告表示が浮かび上がる。
【電磁干渉を検出】
【シールド耐久値:82%】
「マッハ、倒せる?」
「可能です。ただし、背後の民間人は無防備な状態にあり、周囲の群衆にも巻き添え被害が発生する危険があります」
キランはイライアスを見た。
青年は恐怖に顔を引きつらせ、アームレストを握りしめていた。
「じゃあ、慎重にやろう」
「了解しました」
三人目が武器を構えた。
キランは横へ急加速した。
シュゴォッ!
電磁パルスはMACH-01Aを外れ、近くの街灯に命中した。
バキィッ!
火花が歩道に降り注いだ。
人々が悲鳴を上げた。
「みんな、下がって!」
一人の襲撃者がイライアスへ向かって走り出した。
キランの目が見開かれた。
「そうはさせない!」
彼はMACH-01Aの磁力式グラップリングシステムを起動した。
ガシュン!
小型の磁気ワイヤーが発射され、襲撃者の武器に吸着した。
キランは勢いよく引っ張った。
ヒュン!
装置が男の手から飛び出し、数メートル先の地面に転がった。
襲撃者がよろめく。
キランは車椅子を旋回させた。
「マッハ! 拘束して!」
「喜んで」
MACH-01Aの側面から拘束用ケーブルが飛び出し、男の両脚に巻きついた。
ドサッ!
男は地面に倒れ込んだ。
「一人目!」
「残り二名です」
残る襲撃者たちは左右に分かれた。
一人はキランの左側へ回り込む。
もう一人は、イライアスに向かって武器を構えた。
キランはその動きを見逃さなかった。
「駄目だ!」
MACH-01Aが急加速する。
シュゴォォッ!
武器が発射された。
バヂヂヂッ!
キランはシールドを展開し、電磁パルスを受け止めた。
ドォォン!
衝撃が車体全体を揺さぶった。
バイザーが明滅する。
【シールド耐久値:54%】
【補助制御系統に干渉を検出】
キランは歯を食いしばった。
「マッハ!」
「補正中です!」
車椅子の姿勢が安定した。
しかし、襲撃者はすでに次の射撃を準備していた。
キランは近くの交通待合所に目を向けた。
一つの考えが浮かんだ。
「マッハ、あの金属製の支柱を磁化できる?」
「可能です」
「やって!」
MACH-01Aが低い機械音を発した。
磁場が急激に強まる。
襲撃者の武器が突然、横方向へ引っ張られた。
「なっ……!?」
ガァン!
装置は男の手から飛び出し、待合所の鉄製支柱に激突した。
三人目の襲撃者が動きを止めた。
そして、逃走を始めた。
キランはその背中を見た。
「逃がさないよ!」
「キラン」
マッハが警告した。
「追跡すれば、イライアスが無防備になります」
キランは車椅子を止めた。
イライアスを見る。
それから、逃げていく襲撃者を見た。
「……そうだね」
「はい」
黒いマスクの人物は、混乱した群衆の中へ姿を消した。
遠くからサイレンが聞こえてきた。
ようやく警察官たちが近づいてくる。
キランはシールドを解除した。
「マッハ、武器を確保して。誰にも触らせないように」
「了解しました」
彼はイライアスに向き直った。
「ねえ、大丈夫?」
イライアスはキランを見つめた。
しばらく、言葉が出てこなかった。
やがて、ゆっくりとうなずいた。
「……はい」
声が震えていた。
「たぶん、大丈夫です」
キランは近づいた。
「よかった。僕はキラン」
「知ってます」
キランはかすかに微笑んだ。
「ああ、そうだよね。紫色の車椅子だし、目立つもんね」
イライアスは小さく笑った。
「僕はイライアスです」
「よろしく、イライアス。こんな状況で会うことになっちゃったけど」
青年は壊れた車椅子に目を落とした。
「これ……直せますか?」
キランはマッハを見た。
「修理の手配はできるよ。まずは安全な場所に移動して、体に異常がないか確認しよう」
イライアスはうなずいた。
それから、地面に転がる電磁兵器に目を向けた。
「あの人たちは……誰なんですか?」
キランの笑みが消えた。
「わからない」
マッハのアバターが隣に浮かんだ。
「ですが」
AIは静かに言った。
「近いうちに、その正体を突き止めることになるでしょう」
その日の夕方、事件は地元ニュースの主要な話題となっていた。
現場にいた人々が撮影した映像は、瞬く間にソーシャルメディア上へ拡散された。
無実のヴェント使用者を守ったキランを称賛する者たち。
一方で、デモ参加者に対して過剰な武力を行使したと非難する者たち。
そもそも、なぜスーパーヒーローがデモの現場にいたのかと疑問を呈する評論家まで現れた。
キランはギアの工房に座り、苛立ちを募らせながら報道を眺めていた。
「冗談じゃないよ……」
ギアはMACH-01Aの横に立ち、電磁波による損傷を調べていた。
「世論っていうのは、そういうものさ」
キランは腕を組んだ。
「僕は、車椅子に乗った人を襲っていた連中を止めただけなんだよ!」
「二人です」
マッハが訂正した。
「三人目は逃走しました」
「ありがとう、マッハ。とても助かるよ」
ギアは露出した回路をのぞき込んだ。
「この武器、面白いな」
キランは振り返った。
「面白いって、いい意味? 悪い意味?」
「ものすごく悪い意味」
ギアは診断用タブレットを持ち上げた。
「こいつの電磁パルスは、ただ電子機器を妨害するだけじゃない。ヴェントの制御システムで一般的に使われる周波数帯に合わせて調整されているんだ」
キランは眉をひそめた。
「つまり?」
「つまり、これを作った奴らは、何を停止させたいのか正確に理解していたってこと」
マッハのアバターが作業台の上に現れた。
「さらに、装置には一般の小売市場では入手が難しい特殊部品が使用されています」
キランは二人を見比べた。
「じゃあ、偶然居合わせたデモ参加者じゃないんだね」
ギアは首を横に振った。
「違う」
そのとき、入口から聞き慣れた声がした。
「やっぱりな」
レイモンド・ハリソンが工房に入ってきた。
キランは振り返った。
「レイモンド!」
元軍人は作業台へ近づいた。
「映像を見た」
「街中の人が見てるよ」
レイモンドは冗談を無視した。
「あの襲撃者たち、訓練を受けている動きだった」
ギアはうなずいた。
「同感だね」
「奴らは喧嘩を始めたかったわけじゃない。何かを試していたんだ」
キランは眉をひそめた。
「試していた?」
レイモンドは損傷した部品を見た。
「お前の防御能力。反応速度。民間人が脅かされたとき、どう行動するか」
工房に沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはマッハだった。
「その解釈は、襲撃者たちの行動と一致しています」
キランは背もたれに体を預けた。
「つまり、ヴェント使用者を襲ったら何が起こるのか、確かめたかったってこと?」
レイモンドはうなずいた。
「そして、かなりの情報を手に入れたはずだ」
ギアはテレビを見た。
画面には、純化協定のデモ参加者たちが街を行進する映像が流れていた。
いくつもの旗に、白い紋章が描かれている。
キランが朝に見たものと同じだった。
ギアは目を細めた。
「誰だか知らないけど、相当組織的だね」
レイモンドはその紋章をじっと見つめた。
何かが引っかかっていた。
見覚えがあるわけではない。
初めて見る紋章だった。
だが、ヴェント使用者を標的とし、特殊な兵器を使う覆面の襲撃者たちを見ていると、長い間忘れようとしてきた記憶がよみがえってきた。
戦場。
かつての戦友。
暗殺者となった男。
ヴェンティックス。
リヴァース。
レイモンドの表情が暗くなった。
キランはそれに気づいた。
「レイモンド?」
元軍人は我に返った。
「ん?」
「大丈夫?」
レイモンドはテレビから視線を外した。
「ああ」
しかし、その声には力がなかった。
彼はもう一度、画面に映る紋章を見た。
それから、静かに口を開いた。
「……ちょっと、思い出したことがあってな」
キランは続きを待った。
だが、レイモンドは首を横に振った。
「まだ何も証明できない」
シトロンシティの地下深く。
冷たい白色光に照らされた、巨大な地下施設があった。
壁一面には何列ものモニターが並んでいた。
午後に起きた戦闘のニュース映像を映し出す画面。
ヴェントの構造図を表示する画面。
移動装置や電子制御システムの設計資料を映し出す画面。
部屋の中央には、長い会議用テーブルが置かれていた。
その周囲に、数人の人物が座っていた。
彼らの顔は、薄暗い照明の中に隠されていた。
背後の壁には、大きな紋章が輝いていた。
白い円。
中央を貫く縦線。
そして、打ち消された機械の翼。
純化協定の紋章だった。
一人が口を開いた。
「実地試験は失敗に終わりました」
別の人物が首を横に振った。
「いや。むしろ成功だ」
中央のモニターに、キランの戦闘映像が表示された。
MACH-01Aのシールドが電磁パルスを受け止める。
システムが明滅する。
しかし、車椅子は動き続けていた。
人物が身を乗り出した。
「標的の防御システムに干渉できることが確認された」
三人目の声がした。
「ですが、完全な停止には至っていません」
「まだ、な」
映像がキランの顔で停止した。
テーブルの最奥に座っていた四人目の人物が、その画像をじっと見つめた。
「キラン・キリアン」
静かな声が部屋に響いた。
「ウルトラヴァイオレットと呼ばれている男か」
部下がうなずいた。
「はい。彼のヴェントは、一般的な機体よりはるかに高度な性能を備えています」
「搭載されているAIは?」
「自律型です。高度な適応能力を持っています。識別名はマッハ」
指導者はしばらく黙っていた。
そして、別の質問をした。
「逃走した工作員は?」
「無事に帰還しました」
「残りは?」
「拘束されました」
指導者は両手を組んだ。
「許容範囲内の損失だ」
部下の一人が落ち着かない様子で身じろぎした。
「ですが、このような襲撃が続けば、世論が我々に敵対する可能性があります」
指導者は、純化協定の最新デモを映すモニターへ視線を向けた。
何千人もの人々が、組織の旗を掲げて行進している。
「世論など」
指導者は答えた。
「恐れるものではない」
椅子の背にもたれかかる。
「我々が形作るものだ」
別のモニターが起動した。
ヴェント使用者の名簿が表示される。
氏名。
住所。
医療情報。
機体の技術仕様。
数百件。
やがて、数千件。
指導者はそのデータベースを眺めた。
「ブリザードとブレイズは、市民に疑う理由を与えた」
少し間を置く。
「ならば我々は、恐れる理由を与えてやろう」
部屋が静まり返った。
やがて、指導者は命令を下した。
「次の段階へ移行しろ」
中央のモニターが切り替わった。
新しい見出しが表示される。
【作戦名:クリーン・スレート】
その下に、赤い文字で一つの指令が点滅した。
【特定せよ。隔離せよ。排除せよ。】
指導者は画面を見つめた。
「最後のヴェントが消えたとき、人類は我々に感謝するだろう」
ギアの工房では、キランが夕方のニュースを見ながら、浮かない表情をしていた。
報道番組では、いまだに午後の事件をめぐる議論が続いていた。
彼をヒーローと呼ぶ者。
脅威と呼ぶ者。
どちらの言葉も、キランにとって初めて聞くものではなかった。
しかし、今回は何かが違っていた。
襲撃者たちは、名声や金銭、復讐のために彼を倒そうとしたわけではない。
彼らは、ただヴェントを使っているという理由だけで、見ず知らずの青年を襲ったのだ。
しかも、その青年を無力化するために、わざわざ専用の兵器まで用意していた。
キランはマッハに目を向けた。
「ねえ」
「はい?」
「これから、もっとひどくなると思う?」
マッハのアバターが、しばらく静かに浮かんでいた。
やがて、AIは答えた。
「その可能性に備えるべきだと思います」
キランはうなずいた。
工房の外では、街がいつもどおりの夕暮れを迎えていた。
道路には車が行き交い、家族たちは夕食の食卓を囲み、アパートの窓には次々と明かりがともっていく。
ほとんどの人々にとって、それはシトロンシティのありふれた夜にすぎなかった。
しかし、その暗闇のどこかで、ある組織が戦争の準備を進めていた。
彼らが敵と見なしているのは、生きていくために技術の力を必要としている人々だった。
キランはもう一度テレビを見た。
それから、電源を切った。
「まあ……」
彼は静かにつぶやいた。
「もしあいつらが、人を傷つけても僕たちが黙っていると思ってるなら……」
マッハのアバターが明るく輝いた。
「重大な計算違いをしていますね」
キランは微笑んだ。
「そのとおり」
二人はまだ知らなかった。
純化協定が、どれほど巨大な組織へと成長しているのか。
すでに何人の人間が、その目的のために動いているのか。
そして、その組織の過去が、彼らの大切な仲間の心に今なお深い傷を残す、死んだ暗殺者とつながっていることなど、想像すらしていなかった。
今の二人にわかっていることは、ただ一つ。
何者かが、ヴェントに戦争を仕掛けた。
そして、ソニック・ウィーラーズは、その挑戦を受けて立とうとしていた。




