名ばかりの父親
キラン・キリアンは、これまで数々の危険な状況に直面してきた。
武装した犯罪者と戦い、暴走したアンドロイドを相手にし、保険会社から契約を続ける価値があるのか疑われるほどの爆発事故にも巻き込まれてきた。
しかし、そんな経験を積んできた彼でさえ、今コミュニケーターに表示されているメッセージには、どう対処すればいいのかわからなかった。
おはよう、キラン。よかったら、今度一緒に昼食でもどうだろう。お前さえよければ、二人だけで。無理にとは言わない。――父さん
ダニエル・キリアンがギアの工房に現れてから、三日が経っていた。
十五年分の未解決の家族問題を、旅行鞄と一緒に持ち込んできた父親。
子供の頃から会っていなかったその男が、今になって、まるで長い休暇から帰ってきた親戚のように昼食に誘ってきたのだ。
キランはもう一度メッセージを読んだ。
「これで八回目だね」
マッハのホログラムがキッチンカウンターのそばに浮かんでいた。
キランは顔を上げた。
「何が?」
「この二十分間で、同じメッセージを八回読んだ」
「考え事をしてるのかもしれないだろ」
「珍しい行動だね。記録しておこうか?」
「面白いね」
「僕もそう思う」
キランはコミュニケーターをテーブルに置き、窓の外を見た。雲一つない空の下にシトロンシティの高層ビルがそびえ立ち、その間をホバークラフトが行き交っている。
普段なら、自分も飛び出したくなる光景だった。
だが今日は、頭から離れないことがあった。
「行ったほうがいいと思う?」
マッハは少し考えた。
「何を得たいかによるね」
「わからない。話をするとか?」
「会話をする目的としては素晴らしいね」
「マッハ」
「キラン」
キランはため息をついた。
マッハの表情が少し和らいだ。
「会いたいなら会えばいい。会いたくないなら、応じる義務はない。ダニエルが関係を修復したいからといって、君まで同じ気持ちになる必要はないんだ」
キランは相棒を見つめた。
「感情面のサポート、ずいぶん上手くなったね」
「優秀な先生がいるからね」
「誰?」
「僕自身さ」
キランは笑った。
そしてコミュニケーターを手に取り、返信を入力した。
いいよ。シトロン学園の近くに『カッパー・スプーン』っていう店があるんだ。一時でどう?
返事はすぐに届いた。
それは嬉しいよ。ありがとう、息子よ。
キランは最後の言葉を見つめた。
息子。
父親からそう呼ばれるのは、何年ぶりだろう。
そして今、その言葉は思っていた以上に奇妙に感じられた。
カッパー・スプーンは、シトロン学園の近くにある書店と電器店の間に挟まれた、小さなレストランだった。
木製のテーブル、クッション付きの座席、暖かな照明。特別おしゃれな店ではなかったが、落ち着ける雰囲気があった。
値段も手頃で、入口にはMACH-01Aが通れる十分なスペースが確保されている。
キランは何年も前から、この店を利用していた。
店に入ると、顔なじみのウェイトレスが声をかけてきた。
「キラン! いつもの?」
「今日は違うんだ。人と待ち合わせしてて」
彼女は微笑んだ。
「ああ、もう来てるわよ」
彼女が窓際のテーブルを指さした。
そこにはダニエルが一人で座っていた。
きちんとアイロンのかかった青いシャツを着て、白髪交じりの髪を丁寧に整えている。目の前には、まだ口をつけていない水のグラスが置かれていた。
キランに気づくと、すぐに立ち上がった。
「キラン!」
「やあ、父さん」
ダニエルは微笑んだ。
「マッハも一緒か。また会えて嬉しいよ」
「こんにちは、ダニエル」
キランはテーブルに近づき、MACH-01Aを所定の位置に移動させた。
ダニエルは近くの椅子に手を伸ばした。
「座るのを手伝おうか?」
キランは首を振った。
「大丈夫だよ。ありがとう」
「ああ、そうか」
ダニエルは少し気まずそうに手を引っ込めた。
キランが安定装置を調整すると、エンジンは静かな機械音を立てて落ち着いた。
ダニエルは興味深そうに見つめていた。
「すごい機械だな」
「うん。ギアが本当に頑張ってくれたんだ」
「全部ギアが作ったのか?」
「ほとんどね。僕もアイデアは出したけど」
マッハが近づいた。
「その多くが、不必要な修理費用の増加につながったけどね」
キランは眉をひそめた。
「誰も聞いてないよ」
「君の家計簿はそう思っていないようだね」
ダニエルが笑った。
一瞬、場の空気が和らいだ。
しかしウェイトレスがメニューを持ってくると、再び気まずい沈黙が流れた。
ダニエルが咳払いをした。
「そういえばキラン、昨日もニュースでお前を見たよ」
キランは顔を上げた。
「本当?」
「街中で犯罪者を捕まえたそうじゃないか」
「ああ、あれね」
ダニエルは微笑んだ。
「大したことじゃないみたいな言い方だな」
「大したことじゃなくはないけど、いつもの火曜日って感じかな」
マッハが口を挟んだ。
「木曜日だったよ」
「言葉のあやだよ」
「不正確な表現だね」
ダニエルはくすくす笑った。
「本当に仲がいいんだな」
キランは微笑んだ。
「いろいろ一緒に経験してきたからね」
「想像できるよ」
キランはマッハをちらりと見た。
正直、父親にはその半分も想像できないだろうと思った。
十五分後、料理が運ばれてきた。
ダニエルはグリルチキンサンドイッチを、キランはターキーメルトとフライドポテトを注文していた。
それまでの会話は、キランの教師としての仕事やMACH-01Aの性能、そしてニュースで取り上げられた冒険の数々についてだった。
ダニエルは特に飛行能力に興味を示した。
「どれくらい速く飛べるんだ?」
「状況によるかな」
「ホバークラフトよりも?」
「機種によってはね」
マッハが割り込んだ。
「キランは推奨運用速度を何度も超過している」
ダニエルは眉を上げた。
「危険じゃないのか?」
「極めて危険だね」とマッハ。
キランは目を回した。
「どうもありがとう」
ダニエルは再び笑った。
「それにしても、お前がここまで成し遂げたなんて、まだ信じられないよ」
キランはサンドイッチを一口食べた。
「どういう意味?」
「教師になって、人を助けて、街の空を飛び回って……」
ダニエルは車椅子を示した。
「特に、その障害のことを考えればな」
キランは噛むのをやめた。
マッハのホログラムがダニエルの方を向いた。
ダニエルは続けた。
「お前が小さかった頃は、こんなことができるようになるなんて、誰も想像できなかっただろう」
キランはゆっくりとサンドイッチを下ろした。
「誰も?」
ダニエルはその表情に気づいた。
「いや、そういう意味じゃないんだ」
「じゃあ、どういう意味?」
ダニエルはためらった。
「ただ、いろんな困難を乗り越えてきたのが素晴らしいと思ってね」
キランはマッハを見た。
相棒は黙っていたが、その表情が変わっていた。
「父さん、僕は障害を克服したわけじゃないよ」
ダニエルは眉をひそめた。
「何だって?」
「今でも障害はあるんだ」
「もちろんだが――」
「この車椅子がそれを変えるわけじゃない」
ダニエルはMACH-01Aを見た。
「わかってるよ」
キランには、そうは思えなかった。
彼が答えるより先に、マッハが近づいた。
「ダニエル、一つ質問してもいいかな?」
「もちろん」
「キランは、いつから君にとって誇れる息子になったんだい?」
ダニエルは瞬きをした。
「何だって?」
「教師になった時? MACH-01Aを手に入れた時? それとも世間が彼をヒーローと呼び始めた時かな?」
ダニエルは居心地悪そうに身じろぎした。
「そういう意味じゃない」
「では、説明してもらえるかな」
ダニエルはキランを見た。
「私はずっと息子を誇りに思っていた」
マッハは少し間を置いた。
「ずっと?」
ダニエルの表情がこわばった。
「ああ」
「なら、なぜ彼を置いていったんだい?」
その質問は、ハンマーのように重く響いた。
ダニエルは周囲の客を気にするように店内を見回した。
「それは複雑なんだ」
マッハの声は落ち着いていた。
「本当に?」
「マッハ」とキランが静かに言った。
AIは彼を見た。
「僕に任せて」
マッハは頷いて後ろに下がった。
キランは父親と向き合った。
「父さん、ソニック・ウィーラーズの話をするのは嫌じゃないよ。仕事のことも、この車椅子のことも」
ダニエルは頷いた。
「でも、それが今日ここに来た理由じゃないだろ?」
ダニエルは目を伏せた。
「ああ」
キランは息を吸った。
「じゃあ、いくつか聞きたいことがあるんだ」
「何でも聞いてくれ」
キランは父親の顔を見つめた。
「僕の十歳の誕生日、覚えてる?」
ダニエルは瞬きをした。
「十歳の?」
「うん」
ダニエルは数秒間考えた。
「残念だが、覚えていない」
キランは頷いた。
「じゃあ、僕が初めて学校に行った日は?」
ダニエルは首を振った。
「僕の好きだった教科は?」
「英語か?」
「理科だよ」
ダニエルは驚いた顔をした。
「そうなのか?」
「うん。文学に興味を持ったのは、もっと後なんだ」
「そうか……」
キランはポテトを一本つまんだが、食べなかった。
「ギアのことは?」
ダニエルは眉をひそめた。
「ギア?」
「いつからエンジンをいじり始めたか知ってる?」
「正確には……」
「どうやって覚えたかは?」
ダニエルは目を伏せた。
「いや」
キランはため息をついた。
「何も知らないんだね」
ダニエルは苦しそうな表情を浮かべた。
「多くのことを見逃してしまったのはわかっている」
「多くのこと?」
キランは力なく笑った。
「父さん、ほとんど全部だよ」
ダニエルは息子を見つめた。
彼は、この再会をもっと違うものとして想像していた。
最初は気まずくても、思い出話をして笑い合い、少しずつ親子らしい関係を取り戻せると思っていたのだ。
しかし、キランの質問はどれも、自分がいなかった時間を突きつけてきた。
「そばにいなかったことはわかっている」とダニエル。
キランは頷いた。
「うん」
「本当にすまなかった」
「わかってる」
ダニエルは身を乗り出した。
「過去は変えられない」
「そうだね」
「でも、これから新しい関係を築けるかもしれない」
キランは少し考えた。
「そうかもね」
ダニエルがかすかに微笑んだ。
「でも、昔のことがなかったふりはしたくない」
その笑顔が消えた。
ダニエルは目を伏せた。
「わかっている」
キランは窓の外を見た。
歩道では人々が足早に行き交い、頭上を車両が通過していた。
父親と再会したらどうなるのか、彼は長年想像してきた。
怒鳴りつけることもあれば、抱きしめてもらうことも想像した。
だが、こんなに普通の会話になるとは思っていなかった。
そして、それがかえってつらかった。
「一つ聞いてもいいか?」とダニエル。
キランは振り向いた。
「いいよ」
「私のことを覚えているか?」
キランは瞬きをした。
「え?」
「私が出ていく前のことだ」
キランは考えた。
幼い頃の記憶は断片的だった。顔や声、古い家族写真で見た光景と実際の記憶の区別さえ、曖昧になっているものもあった。
それでも、いくつかは覚えていた。
「青いおもちゃの宇宙船を持ってたよね」
ダニエルの表情が変わった。
「青いやつか?」
キランはかすかに微笑んだ。
「うん」
ダニエルは身を乗り出した。
「リビングで飛ばして遊んでいたな」
「父さんが着陸させるたびに、僕が怒ってた」
ダニエルは笑った。
「そうだったな」
「宇宙船はソファに着陸するものじゃないからね」
「どうやらそうらしい」
二人は少しの間、一緒に笑った。
小さな思い出だった。
それでも、二人が共有している思い出だった。
やがて沈黙が戻った。
ダニエルは俯いた。
「もっと一緒にいたかったよ」
キランは頷いた。
「僕もだよ」
その言葉は、それまでのどんな言葉よりもダニエルの胸に響いたようだった。
マッハがダニエルの方へ浮かんだ。
「君は自立というものを少し誤解しているようだね」
ダニエルは顔を上げた。
「どういうことだ?」
「キランには、日常生活の一部で介助が必要だ。でも、それによって自分で判断し、夢を追い、人間関係を築き、社会に貢献する能力が失われるわけではない」
ダニエルはゆっくり頷いた。
「今はわかっている」
マッハは彼を見つめた。
「それでも君は、彼が障害者であることを理由に、その功績を特別視し続けている」
「侮辱するつもりはなかった」
「意図がなかったとしても、言葉の意味が消えるわけではないよ」
キランは黙って聞いていた。
マッハは続けた。
「キランの人生は、MACH-01Aを手に入れた時に始まったわけじゃない。彼は技術によって価値を与えられるのを待っていた、不完全な人間ではなかったんだ」
ダニエルは息子を見た。
「彼は、将来何を成し遂げるかに関係なく、愛されるべき子供だった」
ダニエルは頭を下げた。
マッハの声が少し柔らかくなった。
「彼の価値は、初めて市民を救った時に高まったわけじゃない。誰かにヒーローと呼ばれるずっと前から、愛される価値があったんだよ」
ダニエルは黙っていた。
やがて口を開いた。
「怖かったんだ」
キランは顔を上げた。
ダニエルは額をこすった。
「医者からお前の障害について聞かされた時、悪いことばかり考えてしまった」
声が小さくなった。
「治療、医療機器、お前を失うかもしれないという恐怖……」
キランは静かに聞いていた。
「どう向き合えばいいのかわからなかった」
マッハが答えた。
「恐怖を感じるのは理解できる」
ダニエルは彼を見た。
「なら、わかってくれるのか?」
「恐怖を理解することと、家族を捨てたことを正当化するのは別問題だよ」
ダニエルは黙った。
マッハは続けた。
「スザンヌも怖かった。ギアも怖かった。そしてキランは、君の決断によって生じた結果を受け入れるしかなかった子供だった」
ダニエルはテーブルを見つめた。
今度ばかりは、言い訳をしなかった。
昼食を終える頃には、店内は午後の客で賑わい始めていた。
ダニエルは会計を引き受けた。
キランは最初断ったが、最終的には任せることにした。
外に出ると、周囲のビルのガラスに暖かな日差しが反射していた。
MACH-01Aのエンジンが起動した。
ウィィィン!
車椅子が地面から浮かび上がるのを、ダニエルは見つめていた。
「本当にすごいな」
キランはかすかに微笑んだ。
「うん」
「いつか、仕組みを教えてくれないか?」
「いつかね」
ダニエルはためらった。
「キラン?」
「何?」
「今日は来てくれてありがとう」
キランは頷いた。
「どういたしまして」
ダニエルは彼を見た。
「また会えたら嬉しい」
キランは返事を考えた。
その時、一つの疑問が頭に浮かんだ。
「父さん?」
「何だい?」
「最後に一つだけ聞いていい?」
「もちろんだ」
キランは息を吸った。
「もし僕がソニック・ウィーラーズになっていなかったら……」
ダニエルは待った。
「テレビにも出てなくて、ただシトロン学園で英語を教えてる普通の人間だったら……」
少し間を置いた。
「それでも帰ってきた?」
ダニエルは息子を見つめた。
頭上をホバークラフトが通過した。
歩道を人々が行き交っている。
ダニエルは口を開いた。
そして閉じた。
キランは待った。
マッハも黙っていた。
やがてダニエルが口を開いた。
「私は……」
彼は足元を見た。
「わからない」
キランの胸が沈んだ。
その答えは、最初から予想していた。
だが、実際に聞くのは別だった。
ダニエルが顔を上げた。
「キラン、頼むから――」
キランは首を振った。
「いいんだ」
「いや、誤解しないでほしい――」
「いいんだよ、父さん」
その声は優しかった。
しかし、何かが変わっていた。
ダニエルは黙った。
キランは操作装置を調整した。
「もう行かなきゃ」
ダニエルはゆっくり頷いた。
「ああ」
エンジンが唸った。
「また会えるか?」とダニエル。
キランは彼を見た。
「わからない」
ダニエルは頭を下げた。
「そうだよな」
キランは小さく微笑んだ。
「元気でね、父さん」
「お前もな、息子よ」
キランは加速した。
シュゴォォォッ!
数秒後、紫色の車椅子はビルの屋上を越えて上昇し、ダニエルだけが歩道に残された。
シトロンシティの上空を、キランは黙って飛んでいた。
マッハがバイザーの画面に現れた。
「キラン?」
「何?」
「大丈夫かい?」
キランは嘘をつこうか考えた。
だが、ため息をついた。
「わからない」
マッハは黙っていた。
「たぶん、イエスって言ってほしかったんだ」
「違う答えだと予想していたのに?」
「うん」
キランは地平線を見た。
「ヒーローじゃなくても帰ってきたって、言ってほしかった」
マッハの表情が和らいだ。
「当然の気持ちだよ」
キランは唾を飲み込んだ。
「馬鹿みたいかな?」
「いいや」
マッハは即答した。
「まったくそんなことはない」
しばらく、二人は無言で飛び続けた。
やがてマッハが口を開いた。
「キラン、ダニエルが君の望んでいた父親になれるかどうかは、僕にはわからない」
キランは聞いていた。
「でも、一つだけ確実に言えることがある」
「何?」
「君は父親に愛されるために、ヒーローになる必要なんてなかったんだ」
キランはかすかに微笑んだ。
「ありがとう、マッハ」
「どういたしまして」
少し間があった。
「ちなみに、君が飛び抜けて平凡な英語教師だったとしても、僕は友達になっていたと思うよ」
キランは笑った。
「飛び抜けて平凡?」
「見事な矛盾だろう?」
「本当に嫌な奴だね」
「最高の先生から学んだからね」
キランは首を振り、ギアの工房へ向けて加速した。
そこにはレーザーも、爆発も、倒すべき悪党もいなかった。
ただ一つの質問があった。
そして、胸を痛める答えがあった。
その夜、ダニエルはホテルの部屋に一人で座っていた。
彼はコミュニケーターで古い家族写真を開いた。
ソファに座って微笑むスザンヌ。
その隣に立つギア。
そして前には、車椅子に乗って満面の笑みを浮かべる幼いキランがいた。
ダニエル自身も写っていた。
ソファの後ろに立ち、スザンヌの肩に手を置いている。
写真を撮った日のことを覚えていた。
当時は、欲しかったものがすべて揃っていると思っていた。
妻。
二人の子供。
家。
家族。
しかし、未来が怖くなった時、彼は向き合うよりも逃げる方が簡単だと思い込んだ。
ダニエルは写真を拡大した。
キランの笑顔が画面いっぱいに広がった。
テレビで見たのと同じ笑顔。
レストランの向かい側で見たのと同じ笑顔。
息子の質問が頭に蘇った。
それでも帰ってきた?
そして、自分の答え。
わからない。
嘘はつかなかった。
だからこそ、余計につらかった。
「すまない、キラン……」
その声を聞く者は、誰もいなかった。
街の反対側では、キランがギアの工房に到着していた。
中ではギアがエンジンにかがみ込んでいた。
ガチャン!
「スナット!」
キランはかすかに微笑んだ。
「やあ、ギア」
「おう」
ギアは顔を上げなかった。
「昼飯はどうだった?」
キランはためらった。
「その……」
ため息をついた。
「複雑だったよ」
ギアがようやく振り向いた。
「何があった?」
「話したんだ」
「何を?」
「いろいろ」
ギアは彼を見つめた。
「謝ったのか?」
「うん」
「言い訳は?」
「少しね」
ギアは目を回した。
「やっぱりな」
キランは俯いた。
「それで、僕がヒーローじゃなくても帰ってきたかって聞いたんだ」
ギアの表情が険しくなった。
「それで?」
「わからないって」
数秒間、ギアは動かなかった。
そしてゆっくりと作業台に向き直った。
「信じられないな」
キランはため息をついた。
「ギア――」
「いや」
ギアは首を振った。
「あんな男に、何かを証明する必要なんてないんだぞ」
キランは顔を上げた。
「お前には母さんがいる。マッハがいる。友達もいる」
ギアは自分を指さした。
「それに、俺もいる」
キランは微笑んだ。
「わかってる」
ギアはレンチを手に取った。
「だから、今はあいつのことなんか忘れろ」
キランは作業に戻るギアを見つめた。
三日前の口論が頭に蘇った。
ギアの怒りに満ちた声。
スザンヌを支えてきた年月。
ダニエルがいなかったために、幼い頃から背負わなければならなかった責任。
キランはずっとギアに感謝していた。
だが、感謝することと、相手の苦労を理解することは同じではないのかもしれない。
ギアは別の人生を望んだことがあったのだろうか。
諦めた夢はあったのだろうか。
逃した機会は?
一度も話してくれなかったことは?
キランは聞かなかった。
まだ、その時ではなかった。
代わりに作業台へ近づいた。
「手伝おうか?」
ギアは顔を上げた。
「何を?」
「エンジン」
ギアは眉を上げた。
「お前が?」
キランは眉をひそめた。
「どういう意味?」
「前にお前がエンジン修理を手伝った時、危うく建物から避難する羽目になっただろ」
「あれは一回だけだよ!」
「二回だ」
マッハが口を挟んだ。
「プラズマ調整器の件を含めれば三回だね」
キランはうめいた。
「誰も聞いてないってば!」
ギアは笑った。
そして、その日の午後に起こったことにもかかわらず、キランもつられて笑ってしまった。
今は、それで十分だった。
しかし、ダニエルの帰還によって、家族が十五年間忘れようとしてきた古傷が再び開かれていた。
そして次に明らかになる傷は――
ギアのものだった。




