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180/244

ルールなきレース

キラン、マッハ、ミカイラが観戦エリアに落ち着いた頃には、レーサーたちはすでにスタート位置へつき始めていた。

キランが一息つく間もなく、ミカイラが身を乗り出す。

「もう並んでる」

眼下には巨大なスターティンググリッドが広がっていた。

選手たちが次々と所定の位置へ入っていく。

中央の巨大ディスプレイが更新された。

スターティンググリッド

1――バロン・テニモス&ヴェロシティ

観客席が爆発した。

「ヴェーローシーティ!」

「バロン!」

キランは向かい側の観客席へ目を向けた。

どこかにいるシバは、すでに立ち上がって両腕を振り回していた。

まるで何万人もの観客の中から、バロンが自分を見つけてくれるとでも思っているかのように。

キランが指差す。

「いた」

ミカイラがその方向を見る。

「ずいぶん熱心ね」

「そうとも言える」

マッハが視界を拡大する。

「シバは手作りの看板を持っているようです」

「何て書いてある?」

マッハが読み上げた。

「『ヴェロシティは必ず勝つ』」

キランは見つめる。

「自分で作ったの?」

「そのようです」

「……結構いいな」

ディスプレイが続く。

2――ダンディ・デイ&ブレイクアウェイ

観客席の大きな一角から歓声が上がった。

ブレイクアウェイはヴェロシティの隣で低く構え、流線型のボディに搭載された推進機構がすでに唸っている。

ダンディ・デイがバロンへふざけた敬礼を送った。

バロンはほとんど反応しなかった。

3――ディーコン・ゼルマン&レッドシフト

レッドシフトが短い試運転を行い、エンジンが悲鳴のような音を上げた。

「加速モンスターだ」

キランが言った。

ミカイラは感心したように彼を見る。

「覚えてたのね」

「毎回そんなに驚かないでくれる?」

4――マーラ・ヴォス&アフターバーン

アフターバーンは細身のオレンジ色のレーシングVentで、圧倒的な加速と直線速度を追求した設計だった。

マーラ・ヴォスが《ロケット・クイーン》と呼ばれているのには理由がある。

5――イライアス・クラウン&ファントム

ファントムの黒い空力ボディには、空気抵抗を生みそうな突起がほとんど存在しなかった。

イライアス・クラウンは、普通なら不可能と思えるほど狭いイン側のラインへ飛び込むことで知られている。

6――レン・イトウ&テンペスト

テンペストは激しい方向転換でも安定性を失わないよう設計されており、レン・イトウは他のレーサーなら避けるようなコーナーへ平然と攻め込むことで有名だった。

7――サンドラ・ヴェイル&コメット

比較的若いコンビ。

攻撃的。

速い。

そして予測不能。

8――ギャヴィン・ルーク&ブルワーク

ブルワークはグリッド最速のVentではない。

だが安定性は抜群で、ポジション争いでは簡単に押し出せないことで知られていた。

そして最後の競技者。

一体だけ。

パートナーはいない。

独立したVentもいない。

9――VARK-01

観客は即座に反応した。

歓声とブーイングが入り混じる。

キランは眉をひそめた。

「最後尾?」

ミカイラも怪訝そうな顔をする。

「予選で最下位だったわけないわよね」

マッハはすでに大会情報を確認していた。

「VARK-01は通常の予選に参加していません」

「え?」

「じゃあ……」

ミカイラも理解した。

「わざと最後尾にしたのね」

マッハが確認する。

「プロモーション情報が更新されました」

巨大スクリーンの表示が変わった。

VARK-01

最後尾から頂点へ

未来にハンデなど必要ない

ブーイングが大きくなる。

キランはその宣伝文句を見つめた。

「うわあ」

ミカイラは腕を組む。

「控えめね」

「完全に見せつけるつもりだ」

「でしょうね」

マッハが付け加える。

「非常にリスクの高いマーケティング戦略です」

キランはグリッド最後尾で身を低くするVARK-01を見る。

「成功するって分かってるなら別だけど」

その考えは、あまり気分のいいものではなかった。

レヴ・シモンズの声がレースウェイ全体を震わせる。

「レースファンのみんなァァァッ!」

観客席が爆発する。

「九組の競技者!」

レーサーたちが姿勢を低くする。

「九機のマシン!」

推進システムが轟音を上げる。

「そして今日は、とびっきり物議を醸している新人までいるぞォォォッ!」

観客がブーイングする。

レヴは笑った。

「おいおい! 興味ないふりするなよ!」

キランが笑う。

「そこは否定できない」

スタートライトが点灯する。

RED

全レーサーが身構える。

RED

ミカイラがキランの手を握った。

RED

マッハが言う。

「かなりの騒音が予想されます」

キランはニヤリとする。

「もう準備できてる」

GREEN!

「ゴォォォォォォォォッ!」

コースが爆発した。

ヴェロシティが飛び出す。

ブレイクアウェイが続く。

レッドシフトはミサイルのようにスタートラインから射出された。

その後ろをアフターバーンが追う。

九組のレーサーが最初のストレートを駆け抜けた。

レースウェイは耳をつんざくような歓声に包まれる。

キランは無意識に身を乗り出した。

「行けぇ!」

ミカイラが彼を見る。

「レース興味なかったんじゃないの!?」

「今勉強中なんだよ!」

ヴェロシティが先頭で最初のコーナーへ入る。

ブレイクアウェイはアウト側から攻める。

レッドシフトはインへ。

三機がほぼ同時に突入した。

キランの目が大きくなる。

「ぶつかる!」

「ぶつからない」

ミカイラが言った。

三機ともコーナーから飛び出してきた。

接触なし。

高速。

完璧な制御。

キランは見つめた。

「……なるほど」

「言ったでしょ」

その後方では、残りのレーサーたちが激しく順位を争っていた。

VARK-01は最後尾。

約十二秒間だけ。

そして動いた。

「キラン」

マッハが言う。

「見えてる」

VARK-01はブルワークの下へ滑り込んだ。

人間の腕一本すら入らなそうな隙間だった。

8位

そのまま加速。

コメットがブロックに入る。

VARK-01は左へフェイント。

コメットも左。

ロボットは瞬時に右へ。

7位

観客が反応した。

まだ歓声ではない。

どちらかと言えば、一斉に——

「おおおっ!」

キランの眉が上がる。

「速い」

「非常に」

マッハが答える。

次はテンペスト。

レン・イトウがイン側を守る。

VARK-01は後ろについた。

待つ。

待つ。

そして、あり得ないほど遅いタイミングでコーナーへ飛び込んだ。

機械の脚部が縮む。

スラスターの角度が変わる。

機体全体がほとんど水平になるほど傾いた。

テンペストの内側を切り裂くように抜ける。

6位

ミカイラが身を乗り出す。

「なるほどね」

キランが彼女を見る。

「感心した?」

「心配になった」

「僕も」

二周目。

VARK-01はファントムへ追いついた。

イライアス・クラウンはラインを譲らない。

二機は狭い高架区間を並走する。

「近すぎる」

ミカイラが言った。

マッハが計算する。

「二十一センチです」

「やっぱり近すぎる」

VARK-01がさらに接近。

十四センチ。

十センチ。

ファントムが避けた。

VARK-01が前へ出る。

5位

キランは眉をひそめた。

「今、無理やり避けさせた?」

「その可能性があります」

マッハが答える。

「それって合法?」

「許容範囲内です」

「今のところは、か」

三周目。

次はマーラ・ヴォスとアフターバーン。

今度のVARK-01は待たなかった。

攻めた。

アフターバーンが防御に入る。

VARK-01はその後部へ向かって一直線に加速した。

キランの表情が変わる。

「おい」

ガンッ!

機体同士が接触。

アフターバーンが横へ弾かれる。

マーラが必死に制御する。

「マーラ!」とレヴ・シモンズが叫ぶ。

アフターバーンがコース脇のバリアへ接触。

火花が飛び散る。

観客が息を呑んだ。

マーラは立て直した。

ギリギリで。

VARK-01はそのまま走り続ける。

4位

キランは見つめた。

「今のは事故じゃない」

ミカイラから興奮が消えた。

「うん」

マッハは接触時のデータを内部で再生する。

「VARK-01は衝突の0.31秒前に進路を変更しています」

キランが下を見る。

「つまり、自分からやった?」

「はい」

レース運営も同じ判断をしたらしい。

警告が表示された。

VARK-01――接触警告

観客がブーイングする。

VARK-01は反応しない。

当然だ。

ただ加速するだけ。

先頭では、バロンとヴェロシティがまだトップを維持していた。

ダンディ・デイとブレイクアウェイがすぐ後ろ。

ディーコンとレッドシフトが三位。

そこへ——

VARK-01が追いついた。

「トップ4」

キランが言う。

マッハが訂正する。

「長くは続きません」

次のコーナーからレッドシフトが加速する。

VARK-01が追う。

ディーコンが後ろを見る。

そしてもう一度。

観客席からでも、ロボットに気づいたのが分かった。

レッドシフトが防御ラインへ移る。

VARK-01はアウトへ。

レッドシフトがブロック。

インへ。

またブロック。

するとVARK-01は——

その隙間へ強引に突っ込んだ。

「ダメ!」

ミカイラが叫ぶ。

ドンッ!

レッドシフトが横へ押し出された。

ディーコンが必死に安定させる。

一回転。

二回転。

そしてランオフエリアのバリアへ側面から激突した。

観客が悲鳴を上げる。

「ディーコン・ゼルマンがコースアウト! レッドシフトがバリアへ激突したァッ!」

レヴが叫ぶ。

緊急スタッフが動き出す。

キランの笑顔は完全に消えていた。

「マッハ」

「レッドシフトの緊急システムが作動。救護チームが向かっています」

VARK-01は止まらない。

3位

観客席から怒りのブーイングが巻き起こった。

レースウェイの反対側では、シバの看板がゆっくり下がっていく。

彼女はただコースを見つめていた。

ミカイラが首を振る。

「これ、レースじゃない」

「そうだね」

キランが言う。

「周回数が表示されてるだけのイジメだ」

前方では、ダンディ・デイとブレイクアウェイがヴェロシティとトップ争いをしている。

バロンは冷静。

ヴェロシティも正確無比。

その後ろからVARK-01が迫る。

速い。

速すぎる。

ダンディが後ろを見る。

もう一度。

ブレイクアウェイが位置を変える。

VARK-01がイン側を狙う。

ダンディがブロック。

ロボットはアウトへ。

またブロック。

数秒間、二機は並走した。

そしてVARK-01が加速する。

押した。

ガンッ!

ブレイクアウェイが大きく揺れる。

「ダンディ・デイが接触されたァッ!」

観客が爆発する。

ブレイクアウェイは勢いを失った。

ダンディは何とかコース上に残ったが、VARK-01はすでに前へ出ている。

2位

キランは呆然とした。

「二位」

マッハが答える。

「はい」

残るのは一組だけ。

バロン・テニモス。

ヴェロシティ。

優勝候補。

最初からレースを支配してきた二人。

ヴェロシティの声が公式レース通信から流れる。

「敵対的競技者、接近中」

バロンが後ろを見る。

「見えてる」

「接触確率、上昇」

「やらせてみろ」

キランにも、その自信は聞き取れた。

だが——

別のものも聞こえた。

緊張。

バロンは何周も前からVARK-01を警戒していた。

何をしてきたか、すべて見ている。

ヴェロシティも同じだった。

最終ラップ。

レースウェイ中の観客が立ち上がる。

レヴ・シモンズの声が響き渡った。

「ファイナルラップだァァァッ!」

ヴェロシティがトップ。

VARK-01が追う。

ブレイクアウェイが三位。

ファントムが四位。

テンペストが五位。

コメットが六位。

ブルワークが七位。

アフターバーンは接触の影響で順位を落としている。

レッドシフトはリタイア。

キランはじっとしていられなかった。

「行け、バロン」

ミカイラが彼を見る。

「今はバロンを応援するの?」

「わざと他の選手をクラッシュさせてない方を応援してる!」

「それなら納得!」

レースウェイの向かい側では、シバが座席の上に立っていた。

父親が必死に降ろそうとしている。

「行けぇぇぇ、バロン!」

当然、キランの位置から彼女の声など聞こえるはずがない。

それでも、何を叫んでいるのか不思議なくらい分かった。

ヴェロシティが最終セクターへ入る。

完璧なライン。

完璧なエネルギー管理。

まさにシバが教えてくれた通りだった。

キランは突然理解した。

「エネルギーを温存してたんだ」

マッハが答える。

「その通りです」

「ずっと余力を残してた」

「はい」

バロンがヘルメットの中で笑う。

「ヴェロシティ」

「準備完了」

「終わらせるぞ」

ヴェロシティが加速した。

観客席が爆発する。

ほんの数秒。

だが確実に差が広がる。

三メートル。

五メートル。

八メートル。

キランはMACH-01Aで可能な限り身を起こした。

「よし!」

ミカイラが彼の腕をつかむ。

「勝てる!」

最終コーナー。

残るはストレート一本。

レヴ・シモンズが絶叫する。

「バロン・テニモスとヴェロシティ! このままフィニッシュへ突っ込むぞォォォッ!」

向かい側ではシバが完全に我を忘れている。

VARK-01が加速した。

最初に気づいたのはマッハだった。

「キラン」

「何?」

「VARKの推進出力が十八パーセント上昇しました」

キランの笑顔が消える。

「何?」

ロボットが迫る。

八メートル。

六。

四。

二。

バロンが後ろを見る。

ヴェロシティが警告する。

「衝突軌道」

バロンの目が大きくなる。

「避けろ!」

ヴェロシティが横へ移動。

VARKも同じ方向へ動く。

「ダメだ!」

キランが叫ぶ。

ロボットがヴェロシティの後部側面へぶつかった。

ドンッ!

ヴェロシティがスピンする。

レースウェイ全体から悲鳴が上がった。

バロンは必死に制御する。

「安定させろ!」

「実行中!」

ヴェロシティが横滑りする。

VARK-01が再び接触した。

意図的な一押し。

ほんの少し。

だが、それで十分だった。

ヴェロシティがコース境界線を越える。

スタビライザーが悲鳴を上げる。

そのままランオフエリアへ回転しながら滑り込んだ。

VARK-01は走り続ける。

一体だけで。

フィニッシュラインが迫る。

観客はもう歓声を上げていなかった。

レヴ・シモンズさえ言葉に詰まった。

何世代ものレースを実況してきたあの伝説的な声でさえ、今目の前で起きたことをどう伝えるべきか分からないようだった。

VARK-01がフィニッシュラインを通過する。

WINNER

VARK-01

沈黙。

おそらく二秒ほど。

そして——

「ブーーーーーーーーーーーーッ!」

レースウェイが爆発した。

祝福ではない。

怒りだった。

キランはコースを見つめる。

ミカイラは口を開けたまま固まっている。

マッハも沈黙していた。

向かい側ではシバが完全に固まっていた。

手作りの**『ヴェロシティは必ず勝つ』**という看板が力なく垂れている。

彼女は看板を見る。

VARK-01を見る。

そして——

看板を座席へ叩きつけた。

「かなり不満そうですね」

マッハが観察する。

キランは彼を見る。

「そう思う?」

コース上では、ようやくヴェロシティが姿勢を安定させた。

バロンは数秒間、動かなかった。

そしてヘルメットが動く。

ゆっくりと。

VARK-01の方向へ。

ヴェロシティのバイザーが強く輝く。

「バロン」

「分かってる」

「最終接触は意図的だったと判断します」

「分かってる」

「確率、99.8パーセント」

バロンはレーシングポジションから降りた。

コーススタッフたちが即座に近づいてくる。

彼はVARK-01を真っすぐ指差した。

「今のは何だ!?」

観客が一斉に同意するように叫んだ。

VARK-01はフィニッシュラインの向こうで立っているだけだった。

微動だにしない。

気にも留めていない。

マドックスのピットエリア付近にある巨大スクリーンへ、セバスチャン・ロッキードの姿が映し出された。

笑っていた。

キランはそれを見た。

胃の奥が不快にねじれる。

ミカイラも気づいた。

「笑ってる」

「彼の機体が勝利しました」

マッハが言う。

「インチキしたんだ」

キランが返す。

「その判断はVRFの審判団に委ねられます」

「わざと他の選手をコースから押し出した」

「同意します」

眼下では、バロンがレース運営スタッフに怒鳴っていた。

ヴェロシティも隣にいる。

Ventでさえ怒っているように見えた。

ダンディ・デイは近くでブレイクアウェイを停止させていた。

ディーコンとレッドシフトには医療スタッフと技術スタッフが集まっている。

マーラ・ヴォスも激怒していた。

出場者の半分が、自分たちの手でVARK-01を解体したそうな顔をしていた。

ようやくレヴ・シモンズが口を開いた。

今度の声は少し静かだった。

「いやはや、レースファンのみんな……」

間。

「俺はVRFのレースを三十七年間実況してきた」

さらに間。

「だが、こんなものは……今まで一度も見たことがない」

再びブーイングが巻き起こる。

キランはゆっくり背もたれへ体を預けた。

ほんの数分前まで楽しんでいた。

レーサーの名前を必死に覚えて。

彼女にからかわれて。

レースウェイの向こう側で、シバがバロンとヴェロシティを熱狂的に応援する姿を見て。

今はただ、優勝者表示の下に立つ無機質なロボットから目を離せなかった。

VARK-01――1位

ミカイラは腕を組む。

「まだロボットレースは面白そうだと思う?」

キランが彼女を見る。

「ロボット同士のレース?」

VARK-01を指差す。

「それならね」

次に、損傷した競技者たちを指差す。

「でも、あれは?」

首を振った。

「あれはレースじゃない」

マッハのインジケーターが脈打つ。

「同感です」

向かい側でシバが看板を拾い上げた。

一瞬、キランは彼女が落ち着いたのかと思った。

次の瞬間。

シバは看板を真っ二つに破いた。

キランが瞬きをする。

「うわ」

マッハが答える。

「極めて不満なようです」

「ありがとう、マッハ」

コース上では、バロンがスタッフの制止を振り切ってVARK-01へ向かっていた。

ヴェロシティも後に続く。

ロボットのバイザーが光る。

バロンは数メートル手前で止まった。

自分から勝利を奪った機械を睨みつける。

VARK-01もバロンを見る。

どちらも動かなかった。

観客のブーイングは続いている。

そしてその日初めて、キランは未来がどれほど速く走れるのかなど考えていなかった。

代わりに考えていたのは——

勝利だけがすべてだと、この未来に教えたのは誰なのか。

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