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教師が生徒になる

ベルが鳴った。

誰も動かなかった。

キランは教室を見回した。

生徒たちもキランを見返している。

そしてキランはシバを見た。

シバは、心の底から呆れたような表情で彼を見ていた。

キランはため息をつく。

「分かったよ。言っていいぞ」

シバが瞬きをした。

「何をです?」

「言いたいこと」

「何のことか分かりませんけど」

「絶対分かってるだろ」

彼女は笑いをこらえようとした。

失敗した。

「ウィリアム・タフト?」

何人かの生徒が笑った。

キランはドアを指差す。

「授業終了。解散」

それでさらに笑いが大きくなった。

生徒たちが荷物をまとめ始める。

シバは席に残っていた。

「本当にタフトとストライプスの時代からVRF見てないんですか?」

「映像なら見たことある」

「質問の答えになってません」

「忙しかったんだよ」

「二十年間?」

「いろいろあったんだ」

マッハが外部スピーカーから口を挟む。

「控えめな表現ですね」

キランは下を見る。

「誰も君をこの会話に呼んでない」

「シバが現代のVRFについて、我々二人より詳しいと判明した時点で、私も関係者になったと考えています」

シバは嬉しそうな顔をした。

「ありがとう、マッハ」

「どういたしまして」

キランは二人を交互に見る。

「この友情、問題になってきたな」

最後の数人の生徒たちが廊下へ出ていく。

シバはまだ残り、ノートをリュックへ入れていた。

キランは机の上の答案を整理し始める。

「それで」

彼女が言った。

「ダメ」

「まだ何も聞いてませんけど」

「その声は知ってる」

「どんな声です?」

「生徒が面倒なことを言い出す直前の声」

「先生って質問を推奨するものじゃないんですか?」

「教育に関係する質問ならね」

「これも教育です」

キランはゆっくり彼女を見る。

シバは微笑んだ。

「現在のVRFランキング二位は?」

キランが固まる。

マッハは何も言わない。

シバは待った。

キランは背もたれに寄りかかる。

「バロン・テニモス」

「一位です」

「知ってた」

「そうでしょうね」

「次」

「終盤に強いレーサーとして有名なのは?」

「ダンディ・デイ?」

シバの眉が上がる。

「おっ」

キランは笑った。

「ほら!」

「今のは正解です」

「当然」

「当てずっぽうでしょ」

「推理したんだよ」

「レース一本見ただけじゃないですか」

「推理だ」

マッハが口を挟む。

「偶然正解する確率は——」

「マッハ」

「はい?」

「やめて」

「了解しました」

シバは腕を組んだ。

「じゃあ、ブレイクアウェイの得意分野は?」

キランの笑顔が消えた。

「……ブレイクアウェイすること?」

シバは無言で彼を見た。

マッハのインジケーターが点滅する。

キランは下を指差した。

「笑うなよ」

「何も言っていません」

「言わなくても分かる」

シバは首を振った。

「これはひどい」

「ひどくない」

「かなりひどいです」

「初心者なんだよ」

「初心者じゃなくて、知識が二十年遅れてるんです」

「そう言われると余計ひどく聞こえるな」

「良く聞こえる言い方なんてありません」

キランは彼女へ手を向けた。

「分かったよ、シバ教授。教えてくれ」

彼女の顔が一気に輝いた。

キランは即座にその言葉を後悔した。

「はい!」

彼女は近くの机から椅子を引き寄せる。

キランは見つめた。

「本当にやるの?」

「先生が頼んだんじゃないですか」

「皮肉だったんだけど」

「もう遅いです」

マッハが言った。

「私は準備できています」

「もちろんだろうね」

シバはスマートフォンを机に置いた。

「まず理解しなきゃいけないのは、VRFは最高速度だけで決まる競技じゃないってことです」

「それは分かった」

「いいですね。学んでます」

キランは目を細めた。

彼女は無視する。

「直線では最高速度が重要ですけど、加速、コーナリング、エネルギー管理、パイロットとVentの同期、ポジショニング、それからポジション争いをしない方がいいタイミングを見極めることも同じくらい重要なんです」

マッハが答える。

「正確です」

シバはマッハを指差した。

「ほら。マッハは分かってます」

「マッハはスーパーコンピューターだぞ」

「だからですよ」

「それはずるいだろ」

彼女は映像を表示する。

「バロンとヴェロシティを例にしましょう」

キランはうめいた。

「やっぱりそこか」

「何です?」

「何でもない。続きをどうぞ、先生」

「二人が圧倒的に強いのは、単純にヴェロシティが全員より速いからじゃないんです」

彼女は画面をタップした。

「ほとんど無駄な動きをしないから。誰かに抜かれてもバロンは焦らないし、ヴェロシティも毎回すぐに抜き返そうとしてエネルギーを無駄にしません」

キランは先ほど見たレースを思い出す。

「ダンディ・デイとブレイクアウェイ」

「そうです!」

シバは少し誇らしげにキランを見た。

「ブレイクアウェイが前に出た。バロンは行かせた」

「先頭を維持するために相手が使ってたエネルギーの方が、ヴェロシティが後ろについて走るために使ってたエネルギーより多かったから」

「そう!」

シバが机を叩いた。

キランが少し驚く。

「落ち着いて」

「すみません」

まったく悪いと思っていない顔だった。

「それからレッドシフト」

「ディーコン・ゼルマンのVent」

「正解」

キランは笑う。

「ほら、覚えてきた」

「レッドシフトの加速は本当にすごいんです。ゼルマンに直線で十分なスペースを与えたら、そこからが危険です」

「ダンディ・デイは?」

「かなり攻撃的」

「バロンは?」

「計算型」

「ヴェロシティは?」

「完璧」

キランが止まる。

「今のは偏ってない?」

「偏ってません」

「目がハートになりかけてたぞ」

「なってません」

マッハが言った。

「瞳孔はわずかに拡大しました」

シバがMACH-01Aを見る。

「裏切り者」

キランは笑った。

「おいおい、今度は君が裏切り者扱いか?」

「今の発言は撤回します」

「無理」

「じゃあ異議申し立てします」

「却下」

シバはため息をつく。

「分かりました。ヴェロシティは完璧じゃありません」

「ありがとう」

「完璧にものすごく、ものすごく、ものすごく近いだけです」

「ほら出た」

それでも彼女の講義は続いた。

十分もしないうちに、キランは数時間かけて適当にネットを調べた時よりも、現代のVRFについて詳しくなっていた。

コースのセクター。

予選。

エネルギー制限。

ドラフティング。

オーバーテイクゾーン。

ペナルティ制度。

レーサーごとの戦術思想。

戦術分析をVentへ大きく依存するパイロットもいれば、自分で直接判断することを好む者もいること。

どのチーム同士がライバルなのか。

どのドライバー同士が本当に嫌い合っているのか。

そして、宣伝になるからという理由で嫌い合っているふりをしている者たちまでいること。

最後の部分は、キランが認めたくないほど興味深かった。

「じゃあ、ライバル関係の中には偽物もあるの?」

「偽物じゃありません」

シバは少し考える。

「……強調されてるんです」

「スポンサー付きの偽物ってこと?」

「違います」

「偽物に聞こえるけど」

「先生、面倒くさい」

「僕は教師だぞ」

「今は違います」

キランが止まった。

マッハが言う。

「彼女の言う通りです」

キランは二人を見つめた。

「この状況、完全におかしくなってるな」

シバは笑った。

時間を確認すると、荷物をまとめ始める。

「そろそろ行かないと」

キランは彼女のスマートフォンへ顎を向けた。

「特別講義、ありがとう」

「どういたしまして」

「その言葉を聞くのに慣れるなよ」

「もう遅いです」

彼女はリュックのファスナーを閉じた。

そして何でもないことのように言った。

「私もシトロン・レースウェイに行きますよ」

キランが顔を上げる。

「君も?」

シバは頷いた。

また一瞬で嬉しそうな表情になる。

「お父さんがチケット取ってくれたんです」

「いいね」

「ものすごく時間かかったんですよ」

彼女は笑った。

だが今度の笑顔には、興奮だけではない柔らかなものが混じっていた。

「発売された時は、うちじゃなかなか買えなくて」

キランは黙って聞いた。

「だから、お父さんが少しずつ貯めてくれたんです」

彼女はリュックの肩紐を直す。

「余裕がある時に、ちょっとずつ」

そして笑顔がさらに大きくなる。

「それで先週、やっとチケット代が貯まったって言ってくれて」

「だから行けるんだ」

「はい!」

キランも微笑んだ。

「お父さん、本当に君を連れて行きたかったんだな」

「うん」

シバは少し視線を落とす。

「お父さん自身は、私ほどVRFにハマってないんですけどね」

「だいたい、そういうもんだよ」

彼女が顔を上げる。

「何がです?」

キランは自分が何を言ったのか気づいた。

「何でもない」

シバの目が細くなる。

そして、大きく開いた。

「あっ」

「違う」

「だから先生も行くんだ!」

「違う」

「彼女がレース好きだから行くんでしょ!」

「さようなら、シバ」

彼女は笑った。

「えー!」

「ドアはあっち」

「先生、VRFに興味なかったんじゃないですか!」

「今は興味が出てきた」

「秘密の新技術があるからでしょ」

キランが止まる。

「……それもある」

シバは勝ち誇ったように指を差した。

「ほら!」

「何も分かってないだろ」

「ミカイラさんに誘われたんですよね?」

「出なさい」

「レースに興味なかったのに、誘われたから行くって言ったんだ」

「シバ」

「ちょっとかわいいですね」

「君の授業参加点が秒単位で下がってるぞ」

「そんなことできませんよ」

「夢を見るくらい許してくれ」

シバはリュックを片方の肩にかける。

「まあ……」

ドアへ向かう。

そして振り返った。

「デート、頑張ってくださいね、キリアン先生」

「別にデートとは限らないだろ」

シバは彼を見つめた。

キランも見つめ返す。

マッハが言った。

「デートです」

キランは下を見る。

「君は黙ってて」

「私も招待されています」

「だからって専門家みたいに言うな」

「第三者として客観的に観察できます」

シバがニヤリとする。

「絶対デートです」

キランは廊下を指差した。

「行きなさい」

彼女はドアを出た。

「レースウェイで会いましょう!」

「楽しんできて」

「先生も!」

シバは廊下を歩き始めた。

しかし最後にもう一度、ドアから顔だけを覗かせる。

「バロンとヴェロシティの前で恥かかないでくださいね!」

「さようなら、シバ」

彼女は笑いながら消えていった。

教室に静けさが戻る。

キランは教卓の後ろに座った。

マッハは待っている。

キランは、まだ採点を終えていない答案の山を見る。

それからレース映像。

そしてシバが消えていったドアを見る。

「まったく」

「はい?」

「教師が生徒になっちゃったな」

「健全な教育体験です」

「好きじゃない」

「彼女の方が詳しかったからですか?」

「僕より詳しいことを、本人が楽しんでたからだよ」

「あなたの生徒たちが毎日経験していることですね」

キランはMACH-01Aを見つめた。

「君、どっちの味方なの?」

「私は観察しているだけです」

「楽しんでるだろ」

「非常に」

キランは首を振り、コンピューターへ向き直った。

少なくとも、これでシトロン・レースウェイで自分が何を見ることになるのか、かなり理解できた。

優勝候補。

戦術。

ライバル関係。

マシン。

そしてシバのおかげで、プロのVentレースに関する自分の知識が二十年前で止まっていたという事実を露呈せずにイベントを乗り切れるかもしれない。

たぶん。

キランは次の答案を開いた。

一文読む。

そして止まる。

「マッハ?」

「はい?」

「バロンとヴェロシティのあの映像、もう一回出して」

一拍。

「調査ですか?」

キランは笑った。

「調査だよ」

マッハが映像を開いた。

答案は、あと五分くらい待ってくれるだろう。

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