証拠を消せ
ドアノブが回った。
ゆっくりと。
キランはその動きを見つめた。
机の後ろにいる生徒は、息をすることさえ忘れていた。
カチッ。
ラッチが外れる。
ドアがほんの少し開いた。
さらに数センチ。
キランが動いた。
MACH-01Aが前へ出る。
戦闘用推進ではない。
ギアによってロックされた高出力スラスターでもない。
キランが毎日使っている、通常の電動移動システムだ。
車椅子の装甲側面がドアへぶつかった。
バンッ!
ドアが勢いよく閉まる。
直後、向こう側から誰かが押し返した。
その力がMACH-01Aのフレームを通して伝わってくる。
「マッハ」
「電子ロックは依然として侵害されています」
「取り戻せる?」
「試行中です」
再びドアノブが回る。
相手が押す。
MACH-01Aは動かない。
キランは自分の身体で相手と力比べをしているわけではなかった。
その必要はない。
見知らぬ人物と生徒の間には、数百キロの電動機械がある。
ドアにかかる圧力が増すにつれ、駆動系が自動的に補正した。
移動用トルク:18%
「それだけ?」
「演出のために数値を誇張した方がよろしいですか?」
「少しくらいなら」
移動用トルク:19%
「ありがとう」
「どういたしまして」
生徒がキランを見つめた。
「冗談言ってるんですか?」
「少し楽になるから」
再びドアが強く押された。
ドンッ!
MACH-01Aがわずかに揺れる。
キランは操作部を握り直した。
マッハがすぐ警告する。
「ご自身の力で車椅子を補助しようとしないでください」
「してない」
「しようと考えました」
「そんなの分からないだろ」
「心拍数が上昇しました」
「誰かが教室に押し入ろうとしてるんだぞ」
「別の説明として妥当です」
再び押される。
キランはMACH-01Aに任せた。
車椅子が自動的に抵抗を強める。
移動用トルク:24%
キランは生徒を振り返った。
「机の後ろにいて」
生徒は頷いた。
火災警報は、ほとんど無人となった学校中で鳴り続けている。
ビィィィィィィィィィィッ!
赤い非常灯が点滅する。
避難放送が繰り返される。
教室の外から押していた力が消えた。
キランは待った。
何もない。
「マッハ?」
「ドアに対する圧力はありません」
「行った?」
「確認できません」
キランはドア脇の細い窓を見る。
何も見えない。
その時、見知らぬ人物の声がした。
穏やか。
相変わらず腹が立つほど穏やかだった。
「間違ったことをしていますよ、キリアン先生」
キランは答えない。
「中へ入る必要などありません」
キランの表情が変わった。
足音が遠ざかっていく。
ゆっくりと。
そして消えた。
生徒が囁く。
「どういう意味ですか?」
「分からない」
マッハが即座に答えた。
「私には分かったと思います」
キランの視界に複数のウィンドウが開く。
大量のシステム処理が流れ始めた。
キランは眉をひそめる。
「何を見てる?」
「シトロン・アカデミーの管理ネットワークです」
「何が起きてる?」
「大規模なファイル操作」
「もっと具体的に」
「削除です」
キランの動きが止まった。
「何?」
「誰かが学校のサーバーからデータを組織的に削除しています」
ファイルが次々と消える。
アクセスログ。
セキュリティ記録。
管理情報の変更履歴。
ディレクトリそのものが、次々と消えていく。
「全部消してる」
「はい」
生徒が少し近づく。
「僕たちに関するものも?」
マッハが答える。
「改ざんされた生徒記録が、主要な削除対象の一つになっているようです」
キランの目が見開かれた。
「止めろ」
「私は学校サーバーの管理権限を保有していません」
「今までそんなの気にしたことなかっただろ」
「無許可で介入した結果、証拠そのものが破壊される可能性がある場合は大いに気にします」
キランは理解した。
マッハが侵害されたネットワークへ強引に介入すれば、相手が削除を加速させる可能性がある。
あるいは逆に、マッハが証拠を消したと責任を押しつけられるかもしれない。
「何か保存できる?」
間。
「すでに保存済みです」
キランは瞬きをした。
「いつ?」
「改ざんされた記録を最初に発見した時点で」
「全部?」
「関連する生徒ファイル、変更履歴、タイムスタンプ、認証情報の変更、カメラの不整合、アクセスログ、そして教室裏の倉庫で発見した装置から取得したデータ」
キランは見つめた。
「全部バックアップしたの?」
「複数のコピーを」
「どこに?」
「学校のネットワーク外です」
キランは笑った。
「マッハ」
「はい?」
「キスしたい」
「強く辞退します」
生徒が不安げに笑った。
ほんの一瞬。
それでも笑った。
キランは消えていくファイルを見る。
「消させよう」
「私もそれを推奨します」
「向こうは証拠を全部消したと思う」
「そのとおりです」
「僕たちがコピーを持ってることは知らない」
「その可能性が高いです」
「よし」
削除は続く。
監視カメラ映像記録――削除済み
来訪者アクセス履歴――削除済み
生徒記録変更ログ――削除済み
管理者セッション履歴――削除済み
そして——
緊急連絡先変更履歴――削除済み
生徒が画面を見つめる。
「全部なかったことにしようとしてる」
キランは頷いた。
「つまり、起きたことを証明されるのが怖いんだ」
生徒が彼を見る。
「僕たちに?」
「そうだといいな」
マッハが割り込む。
「キラン」
「今度は何?」
「214号室との通信が途絶えました」
キランはすぐ画面を見る。
「途絶えたって?」
「教師の携帯電話との接続が突然切断されました」
「かけ直して」
マッハが発信する。
一回。
二回。
三回。
応答なし。
もう一度。
何もない。
「カメラ」
214号室前の廊下映像が表示された。
ノイズ。
そして真っ黒になる。
キランの胃が締めつけられた。
「別のカメラは?」
「使用不能です」
「階段は?」
真っ黒。
「廊下の反対側」
マッハが切り替える。
そちらのカメラはまだ動いていたが、廊下の端がわずかに映るだけだった。
教師はいない。
生徒もいない。
偽の保護者もいない。
「どこ行った?」
「不明です」
キランは自分の教室のドアを見る。
「二人目の偽保護者は?」
「最後に確認されたのは、北階段へ退避しているところです」
「その後は?」
「映像上の確認なし」
キランは小さく悪態をついた。
後ろにいた生徒が一歩前へ出る。
「何があったんです?」
「向こうの先生と連絡が取れなくなった」
生徒の表情が曇る。
「もう一人の生徒は?」
「見えない」
「そんな……」
「何かあったと決まったわけじゃない」
「でも、何かあったかもしれない」
キランは答えなかった。
そのとおりだったからだ。
「マッハ、外部回線で電話」
「どこへ?」
「警察」
「接続します」
もう学校のシステムは信用できなかった。
電話も。
警報も。
記録も。
セキュリティネットワークさえも。
携帯回線で警察へ連絡する。
キランはシトロン・アカデミーの住所を伝え、生徒の迎えに関する記録が偽造され、校内に無許可の大人が侵入し、電子ロックが侵害され、少なくとも二人の生徒が危険にさらされている可能性があると説明した。
「銃撃犯はいますか?」
「いません」
「武器は確認しましたか?」
「いいえ」
「火災警報は本物ですか?」
「実際の火災を示す証拠はありません。今回の事件の一環として手動で作動させられたようです」
警報や関連通報を受け、すでに警察官がシトロン・アカデミーへ向かっていると告げられた。
「学校の電子記録を信用しないよう伝えてください」
間があった。
「……何ですか?」
「そのまま伝えて」
キランは偽造された下校記録を見る。
「生徒記録が改ざんされた証拠があります」
担当者は了承した。
キランは通話を切る。
「次は214号室」
マッハが教師へ再び電話する。
まだ応答なし。
キランは教室のドアを見る。
自分の生徒を置いていくことはできない。
まだ近くに一人目の偽保護者がいるかもしれない。
だが校舎の反対側では、別の生徒が危険にさらされている可能性がある。
嫌だった。
選ばなければならないことが。
マッハが静かに言った。
「すべての場所へご自身で対応することはできません」
キランは答えない。
「それは理解しているはずです」
「分かってる」
「適切な行動は、緊急対応者へ情報を提供することです」
「分かってる」
「すでに実行しています」
「分かってるって言っただろ」
マッハは黙った。
キランは息を吐く。
その時——
「キラン」
「何?」
「新たな動きです」
別の生徒記録が表示された。
九人のうちの一人。
改ざんされた一覧で見た名前だった。
「何が起きた?」
「この生徒は本日出席しています」
「場所は?」
「最終時限は物理科学」
「今は?」
「避難済みです」
キランの表情が変わる。
「外?」
「はい」
運動場の監視映像が表示された。
何百人もの生徒がクラスごとに集まっている。
教師たちは点呼を取ろうとしていた。
学校の向こうで緊急車両のライトが点滅する。
生徒たちは話している。
動き回る。
別の集団へ移る。
混乱。
「見つけて」
「検索中です」
マッハが映像を照合する。
十秒。
二十秒。
そして、一人の生徒が枠で囲まれた。
「発見しました」
キランは画面へ身を寄せる。
その生徒は数人のクラスメートと一緒にいる。
無事だ。
今のところは。
その時、記録が変化した。
現在の状況:避難済み――所在確認済み
表示がちらつく。
そして——
現在の状況:下校済み
キランの血の気が引いた。
「ダメだ」
さらに一行。
下校方法:正式な迎えの登録者
「マッハ」
「確認しています」
「迎えは誰?」
改ざんされた緊急連絡先が表示された。
八日前に追加されている。
キランはカメラへ視線を戻す。
「そいつも外にいる?」
「検索中です」
何百もの顔。
保護者たちも指定区域の外側へ集まり始めている。
職員。
緊急対応者。
人々が集団の間を歩いている。
そしてマッハが一人を強調表示した。
フェンスの近くに立つ大人。
緊急対応者ではない。
職員でもない。
ただ見ている。
その大人が携帯電話を持ち上げる。
集団の端にいた生徒が、自分の携帯を見る。
そしてフェンスへ視線を向けた。
「ダメだ」
生徒が歩き始めた。
クラスメートから離れて。
その大人へ向かって。
「マッハ、生徒に電話」
「個人の電話番号へアクセスする権限はありません」
「担当教師は?」
「確認中」
生徒は歩き続ける。
二十メートル。
十五。
大人が笑顔を見せる。
キランは操作部を握りしめた。
「早く」
マッハが教師の職員用番号を発見する。
「発信します」
呼び出し。
呼び出し。
応答なし。
「もう一度」
マッハが発信する。
生徒はフェンスまで十メートル。
ようやく教師が出た。
「もしもし?」
「キラン・キリアンです。今すぐ——」
生徒の名前を告げる。
「何ですか?」
「今すぐその子を見つけて」
「避難中なんですけど——」
「記録を改ざんされた生徒の一人です」
沈黙。
「見つけて」
教師が周囲を見る。
マッハはカメラで追い続ける。
生徒はもう大人のすぐ近く。
教師は映像に入った。
探している。
だが逆方向。
「後ろだ」
生徒がフェンスへ到着した。
大人が何か言う。
生徒は頷いた。
「マッハ、外の警察に連絡できる?」
「担当者を通して特徴を伝達できます」
「やって」
大人が駐車場近くの開口部を指す。
生徒がついていく。
その時——
教師が見つけた。
「よし」
キランは教師が走るのを見守る。
開口部へ着く前に生徒へ追いついた。
大人が止まる。
教師が生徒へ声をかける。
生徒は困惑している。
大人が一歩前へ出る。
教師が遮る。
音声がなくても、次に何が起きるかキランには分かった。
身分証。
迎えの許可。
完璧な書類。
大人が教師に携帯を見せる。
教師は首を振る。
大人が生徒を指す。
教師は再び首を振った。
今度は強く。
そして警察官が近づいてきた。
大人の態度が変わった。
一歩後ろへ。
さらに一歩。
「逃がすな」
警察官が話しかける。
大人は答える。
落ち着いて。
当然のように。
さらに警察官が来た。
キランは息を吐いた。
「やっとか」
マッハが監視を続ける。
「対象は事情聴取のため、その場に留められています」
「よし」
生徒は教師のもとへ戻された。
キランは少しだけ背もたれに身体を預けた。
標的となった生徒が三人。
一日のうちに三度の試み。
即興ではない。
計画されていた。
マッハが言った。
「生徒の記録は依然として『引き渡し済み』です」
「保存して」
「すでに保存済みです」
「全部」
「はい」
キランは自分の教室にいる生徒を見る。
生徒は画面を見つめていた。
「僕にも、あれをするつもりだったんですか?」
キランは嘘をつかなかった。
「そうだったと思う」
生徒は目を伏せる。
キランは声を柔らかくした。
「でも、そうはならなかった」
生徒が顔を上げる。
「君はまだここにいる」
小さく頷いた。
そして再びマッハ。
「キラン」
キランは目を閉じた。
「その言い方で僕の名前を呼ぶの、本当に嫌になってきた」
「214号室の教師の携帯電話を検出しました」
キランは目を開く。
「どこ?」
「端末が携帯回線へ再接続しました」
「電話して」
マッハが発信する。
呼び出し。
誰かが出た。
声はない。
ただ呼吸音。
「もしもし?」
何もない。
「誰?」
後ろの生徒が身体を強張らせる。
キランは耳を澄ます。
呼吸。
そして、何かを擦るような小さな音。
「もしもし?」
ようやく囁き声。
「キリアン先生?」
214号室の教師だった。
キランは身を乗り出す。
「聞こえてる」
「あいつら……戻ってきました」
キランの胃が沈む。
「怪我は?」
「私は大丈夫です」
「生徒は?」
間。
「一緒にいます」
キランは息を吐いた。
「どこ?」
「214号室の隣の備品室に鍵をかけて隠れています」
「そこから出ないで」
「ドアを開けようとしてきました」
キランは自分の教室の入口を見る。
「まだ外にいる?」
「分かりません」
「警察が来ても、本人たちが警察官だと別の方法で確認できるまで開けないでください」
「分かりました」
電話越しに教師の荒い呼吸が聞こえる。
そして——
「キリアン先生?」
「はい?」
「あいつら、もう生徒を連れていこうとしてなかったんです」
キランは眉をひそめた。
「何?」
「私たちが隠れた後、教室に戻ってきました」
「何をしてた?」
「音が聞こえました」
教師は唾を飲み込んだ。
「私のパソコンを調べてた」
キランはマッハを見る。
ネットワーク上の削除。
無人になった学校。
偽の火災警報。
すべてがつながった。
「証拠を消してたんだ」
マッハが静かに答える。
「そして、情報を回収していた可能性もあります」
教師が続ける。
「何か持っていきました」
「何を?」
「分かりません。見えなかったから」
キランは隣にいる生徒を見る。
そして、シトロン・アカデミー中で消えていくファイル。
これは最初から一つの作戦ではなかった。
複数の作戦が同時に進められていた。
可能なら生徒を連れていく。
記録を消す。
物理的な証拠を回収する。
学校を空にする。
そして何か失敗しても——
最初から何も起きなかったようにする。
突然、火災警報が止まった。
シトロン・アカデミーを静寂が包む。
あれほどの騒音の後では、その静けさの方が不気味だった。
キランは教室のドアを見つめる。
その時、タブレットが鳴った。
匿名メッセージ。
最初の送信者だ。
奴らは撤退してる。
キランは待った。
次。
行かせろ。
キランは眉をひそめる。
「何?」
三通目。
もう必要なものは手に入れただろ。
キランの目が細くなる。
次。
追うのはやめろ。
そして——
なぜあの九人が選ばれたのかを調べろ。
キランはその言葉を見つめた。
マッハは数秒間、沈黙していた。
やがて——
「匿名の協力者が、次の調査対象を提示したようです」
キランは九人の名前を見る。
九人の生徒。
学年も違う。
クラスも違う。
住んでいる地域も違う。
家庭環境も違う。
それでも、誰かが九人全員を選んだ。
キランはMACH-01Aの背もたれへ身体を預けた。
「なら、それを調べよう」
マッハが九人のファイルを画面へ並べる。
九枚の顔写真がこちらを見つめていた。
「共通点を探して」
「比較分析を開始します」
キランはその顔を見つめた。
この悪夢が始まって以来、初めてキランは、自分を監視しているのが誰なのかを考えていなかった。
どうやって学校のネットワークへ侵入したのかでもない。
偽の保護者が何者なのかでさえない。
その答えはいずれ見つける。
だが、その前に——
なぜ誰かが、この九人の子供たちを選んだのか。
それを知らなければならなかった。




