正式な迎え
生徒は窓から数メートル離れた場所に立っていた。
顔から血の気が引いている。
外では、見知らぬ人物が学校へ向かって歩き続けていた。
急ぐ様子はない。
ためらいもない。
隠れようとする気配すらない。
それが何よりもキランを不安にさせた。
悪いことをしている人間なら、悪いことをしているように見えるものだと思いたかった。
だが、その人物はまるで保護者面談にでも来たかのようだった。
「あいつらが……僕が家に帰れない理由なんです」
生徒の言葉が教室に残った。
キランは窓から離れた。
「分かった」
生徒は彼を見つめた。
「分かった?」
「ああ」
キランは机へ戻った。
「君はここにいる」
「でも——」
「ここにいるんだ」
その強い口調に、生徒は口を閉じた。
マッハがプライベート通信で話しかける。
「対象が校内へ入りました」
「正面玄関?」
「はい」
「追跡できる?」
「学校が正式に設置している監視カメラを利用すれば」
キランは片眉を上げた。
「信用するなって言われたカメラ?」
「妥当な指摘です」
マッハのアバターの横に監視映像が表示された。
「補助的な情報源としてのみ使用します」
「それならいい」
キランは生徒を見る。
「座って」
生徒はためらった。
「もう課題を続けなくてもいいから」
意外だったのか、生徒が目を瞬いた。
「本当に?」
「僕の残酷さにも限界はある」
生徒はゆっくり席へ戻った。
キランはタブレットを開く。
「マッハ、以前の緊急連絡先を出して」
「すでに取得済みです」
名前。
電話番号。
生徒との関係。
九日前に削除された情報。
キランは生徒を見た。
「何かする前に、君の許可が必要だ」
生徒の視線がタブレットへ向く。
「以前、学校には別の緊急連絡先が登録されてた」
生徒の表情がすぐに変わった。
その反応だけで、その情報に意味があることは十分分かった。
「古い電話番号が残ってる」
キランは声を落とした。
「電話してもいい?」
生徒は彼を見つめた。
そして頷いた。
「お願いします」
「誰につながる?」
少し間が空く。
「お母さん」
キランはマッハを見る。
「安全な回線で」
「接続します」
「学校のネットワークは使うな」
「すでにそのつもりでした」
「よし」
発信。
一回。
二回。
三回。
誰も出ないかもしれない。
そう思った時——
「もしもし?」
女性の声。
緊張している。
落ち着かない様子だった。
キランは生徒を見る。
その声を聞いた瞬間、生徒の目が大きく見開かれた。
キランが話す。
「もしもし。こちらは——」
保存されていた名前を読み上げる。
「はい」
「シトロン・アカデミーで英語を教えているキラン・キリアンです」
沈黙。
そして——
「キリアン先生?」
「はい」
女性の声が一変した。
「うちの子は無事なんですか?」
キランは生徒を見る。
「無事です」
生徒は目を閉じた。
電話の向こうから、大きく息を吐く音が聞こえた。
「ああ……よかった……」
その反応だけで、キランには十分だった。
「今は僕の教室にいます」
「今は?」
「誰かが学校へ迎えに来ています」
沈黙。
困惑ではない。
沈黙。
キランの表情が険しくなる。
「心当たりがあるんですね?」
女性は囁いた。
「あの人たちに、うちの子を渡さないでください」
生徒が俯いた。
キランはそちらを見る。
「渡しません」
「キリアン先生、お願いです」
「渡さないと言いました」
女性の呼吸が震える。
「あの人たちはずっと——」
通信にノイズが走った。
マッハが即座に反応する。
「干渉を検出」
キランはディスプレイを見る。
「どこから?」
「不明です」
通話が歪む。
「もしもし?」
女性の声が戻った。
「キリアン先生?」
「聞こえてます」
「ずっと学校に電話してたんです」
キランは眉をひそめた。
「いつから?」
「何日も前からです」
生徒が顔を上げた。
「学校の事務室にも電話しました。管理部にも。メールも送りました。でも誰も返事をくれなくて」
キランはマッハを見る。
マッハはすでに調査を始めていた。
「無視されてるんだと思ってました」
女性の呼吸が乱れる。
「それから、メールまで戻ってくるようになって」
「どういう状態で?」
「配信不能って」
マッハが内部ルーティングに関する複数の警告を表示する。
キランは顎を引いた。
「あなたの連絡先は、九日前に学校のシステム上で変更されています」
沈黙。
「え?」
「電話番号が削除されてます。あなたの保護者としての権限情報も」
「何を言ってるんですか?」
「誰かが別の情報に差し替えました」
「そんな……」
女性は本気で驚いていた。
「私はそんな変更、許可してません」
「そうだと思いました」
「誰が変更したんです?」
「今調べています」
キランは窓を見る。
「そして今、その変更後の緊急連絡先に登録されている人物が、学校の下にいます」
女性の呼吸が一瞬止まった。
「誰ですか?」
キランは名前を読み上げた。
反応は即座だった。
「違う」
「知ってる人ですか?」
「知りません」
キランは間を置いた。
「その名前を聞いたことも?」
「一度もありません」
突然、生徒が口を開いた。
「あいつら、違う名前を使うんです」
キランは振り返る。
母親にも聞こえた。
「あなた?」
生徒の目に涙が浮かぶ。
「お母さん?」
「ああ……!」
数秒間、二人ともそれ以上ほとんど何も言えなかった。
キランは視線を逸らした。
マッハも黙っている。
やがて母親が言った。
「よく聞いて」
生徒は目元を拭った。
「その教室から出ちゃダメ」
「うん」
「キリアン先生と一緒にいて」
生徒はキランを見る。
キランは頷いた。
「僕はどこにも行きません」
その時——
ピン。
学校からの通知が表示された。
キランが開く。
表情が一気に険しくなった。
事務室からの連絡
正式な迎えの登録者が生徒を迎えに来ています
その下には、改ざんされた記録にあったのと同じ名前。
キランは生徒を見る。
生徒も通知を見ていた。
「嫌だ」
「行かなくていい」
「でも、事務室が——」
「待たせればいい」
キランは要求を拒否した。
迎えの要請:担当教師により拒否
五秒後。
事務室からの連絡
正式な迎えの登録者が生徒を迎えに来ています
キランは再び拒否。
机の電話が鳴った。
キランは見る。
「事務室だ」
生徒の身体が強張る。
キランは電話を取った。
「キラン・キリアンです」
「キリアン先生、生徒さんを迎えに来られた方がいらっしゃいます」
「知ってます」
「正式な迎えの登録者になっています」
「それも知ってます」
間。
「生徒さんを下へ来させていただけますか?」
「いいえ」
さらに間。
今度はずっと長かった。
「……何と?」
「それと、誰もこの教室へ上げないでください」
「キリアン先生——」
「あの生徒の記録には問題があります」
「どのような?」
「本当の保護者と今電話で話していますが、その方は事務室にいる人物を一度も聞いたことがないと言っています」
沈黙。
キランは続ける。
「この生徒を引き渡さないでください」
受付の声が小さくなる。
「分かりました」
「警備も呼んで」
「もう呼んでいます」
「よし」
キランは電話を切った。
マッハがプライベート通信で言う。
「対象は依然として落ち着いています」
「それで安心しろって?」
「いいえ」
「何してる?」
「受付職員と話しています」
「音声は?」
「ロビーのカメラでは、十分に鮮明な音声を取得できません」
キランは生徒を見る。
母親との通話はまだ続いている。
「お母さん?」
「います」
「学校の警備と警察が状況を確認するまで、お子さんは僕と一緒にいます」
「ありがとうございます」
「学校まで来られますか?」
「行けます」
「身分証を持ってきてください」
「分かりました」
「それと、最近学校から送られてきた連絡先情報は使わないでください」
「どうして?」
「今は学校の記録を信用できません」
母親は黙った。
「……分かりました」
通話が終わった。
キランはタブレットを下ろした。
数分ぶりに、教室が静かになる。
生徒は彼を見つめた。
「信じてくれたんですね」
キランは生徒を見る。
「助けてくれって言っただろ」
「普通は信じてくれない」
「普通の人は君の英語教師じゃない」
生徒の口元に、ほんのわずかな笑みが浮かんだ。
その時、マッハが割り込んだ。
「キラン」
「何?」
「別の問題が発生しました」
「もちろんだろうな」
生徒の表情が再び不安になる。
キランのディスプレイが切り替わった。
生徒情報システム
ステータス欄が点滅している。
現在の状況:放課後学習支援
そして——
目の前で変わった。
現在の状況:下校済み
キランは固まった。
「何?」
別の項目も変わる。
下校方法:正式な迎えの登録者
その生徒は、キランから三メートルほど離れた場所に座っている。
キランは画面を凝視した。
「マッハ」
「確認しています」
下校時刻:午後3時28分
「あり得ない」
「そのとおりです」
「あの子はそこにいる」
「承知しています」
生徒が二人を見る。
「何があったんです?」
キランはすぐには答えなかった。
代わりにマッハが答える。
「学校のシステム上では、あなたはすでに校外へ出たことになっています」
生徒の表情が消える。
「え?」
「下にいる人物と一緒にね」
キランが付け加えた。
「でも、僕はここにいる」
「だから問題なんだ」
キランはステータスを修正しようとする。
アクセス拒否
もう一度。
アクセス拒否
「誰かが記録をロックした」
「はい」
「解除できる?」
「侵害されている管理層へ侵入すれば可能です」
「やめとこう」
「同意します」
キランは偽の記録を見つめた。
誰かが生徒を連れ去ろうとしているだけではない。
すでに連れ去ったという証拠まで作っている。
「マッハ」
「はい?」
「他の改ざんされた記録も確認して」
「特定した九人ですか?」
「まず転校した生徒と、十一日間休んでる生徒」
マッハが過去の記録を検索する。
キランは待った。
生徒も動かなかった。
三十秒。
最初の記録が表示された。
三週間前に転校したことになっている生徒。
最終登校日
下校:午後3時34分
正式な迎えの登録者へ引き渡し
キランは背筋が冷たくなるのを感じた。
「誰に?」
マッハが承認履歴を表示する。
その生徒がシトロン・アカデミーから姿を消す十二日前、新たな保護者が追加されていた。
元の緊急連絡先は削除。
まったく同じだ。
「二人目」
マッハが十一日間欠席している生徒の記録を開く。
最後の出席記録。
正式な迎えの登録者へ引き渡し
キランは見つめた。
「嘘だろ」
「両方の記録で同じ流れが確認できます」
「緊急連絡先が変更される」
「はい」
「新しい迎えの登録者が追加される」
「はい」
「そして、その人物に引き渡される」
「そのとおりです」
「その後は?」
「一人は転校したことになっています」
「もう一人は?」
「その後の登校は確認できません」
キランはゆっくりと、教室にいる生徒を見る。
同じことがまた起きている。
ただし今回は、何かが狂った。
今回は、生徒が静かに消えなかった。
今回は、誰かに助けを求めた。
今回は——
キランがいた。
「マッハ」
「はい?」
「九人のうち、新しく追加された迎えの登録者に引き渡されたことになってるのは何人?」
マッハが検索する。
「四人です」
キランの胃が沈む。
「四人?」
「はい」
「その後は?」
「一人は現在も在籍し、通常どおり登校しています」
キランは意外そうに眉を上げた。
「残りの三人は?」
「転校した生徒」
二つ目の記録。
「十一日間欠席している生徒」
そして三つ目。
「さらに、約五週間前に退学手続きが処理された生徒です」
「理由は?」
「家族の転居」
「確認されてる?」
少し間。
「いいえ」
キランは一覧を見つめた。
三人。
消えている。
三人とも、その前に記録を改ざんされていた。
三人とも、新しく登録された大人に引き渡されたことになっている。
そして今、怯えた生徒にも同じ処理が行われた。
キランの表情が険しくなる。
「これは仕組みになってる」
「その可能性はますます高くなっています」
「まず記録を書き換える」
「はい」
「その後、誰かが迎えに来る」
「はい」
「システム上は全部正規に見える」
「はい」
「そして子供が連れていかれた後は——」
「記録が、その後の不在について行政上もっともらしい説明を提供します」
転校。
引っ越し。
家庭の事情。
すべて整っている。
すべて正式。
そして、すべてが間違っている。
再び教室の電話が鳴った。
キランと生徒が同時に見る。
マッハが発信元を確認する。
「事務室です」
キランは出た。
「はい?」
受付の声は明らかに困惑していた。
「キリアン先生?」
「聞いてます」
「生徒さんを迎えに来られた方が、先生とお話ししたいそうです」
キランは生徒を見る。
目が大きく見開かれた。
「ダメ」
キランは片手を上げた。
「大丈夫」
そして電話へ。
「代わってください」
数秒の沈黙。
そして新しい声。
穏やか。
感じがいい。
どこにでもいそうな、ごく普通の声。
「キリアン先生?」
キランはすぐには答えなかった。
相手が続ける。
「あなたがキリアン先生ですね」
キランの目が細くなる。
「そっちは、僕の生徒をどこにも連れていけない人だな」
小さな笑い声。
怒っていない。
むしろ面白がっているようだった。
「何か誤解があるようですね」
「そうは思わない」
「私は正式な保護者として登録されています」
「何かしらの登録はされてるみたいだな」
「身分証明書もあります」
「おめでとう」
生徒はキランを見つめている。
相手は落ち着いたままだった。
「学校の記録には、私が迎えを許可されているとはっきり記載されています」
「その学校の記録だと、この生徒は数分前にあんたと一緒に帰ったことになってる」
沈黙。
初めて、相手から言葉が消えた。
キランは続ける。
「面白い問題だろ?」
電話の向こうは静かなまま。
「僕の生徒は今、目の前に座ってる」
まだ返事はない。
「つまり、あの子が瞬間移動を覚えたか——」
マッハがプライベート通信で言う。
「可能性は低いです」
「——誰かが学校の記録をいじってるか、そのどっちかだ」
相手の声が変わった。
ほんのわずか。
だが、十分だった。
「そのような告発をする時は、慎重になった方がいいですよ」
「出たな」
「何がです?」
「普通の迎えを装うのをやめたところ」
再び沈黙。
そして——
「これは家庭内の問題です、キリアン先生」
「違う」
キランの声が冷たくなる。
「誰かが僕の生徒の記録を偽造した時点で、学校の問題だ」
「あなたは状況を理解していません」
「今日はそればっかり言われるな」
「なら、少しは人の話を聞くべきです」
キランは怯えている生徒を見る。
「嫌だね」
電話を切った。
生徒がキランを見つめた。
「切ったんですか?」
「ああ」
「どうして?」
「話がくどくなってきた」
マッハのアバターが現れる。
「キラン」
「今度は何?」
「対象の様子が変化しました」
キランは窓を見る。
「どう変わった?」
「事務室から離れています」
キランの表情が険しくなる。
「警備は?」
「接近中です」
「よし」
少し間。
そして——
「対象は正面玄関へ向かっていません」
キランは動きを止めた。
「どこへ?」
マッハが利用可能なカメラを追跡する。
一つ目の廊下。
次の廊下。
そして映像が消えた。
「マッハ?」
「無許可カメラによって生じている死角の一つへ入りました」
キランは教室のドアを見る。
生徒もその視線を追った。
「嫌だ」
キランはすぐに生徒へ近づいた。
「大丈夫」
「来る」
「まだ分からない」
「分かります」
突然、マッハが別の警告を表示した。
ドアアクセス要求
誰かが管理者権限を使用した。
キランのいる廊下の端にあるセキュリティドアが解錠された。
キランは通知を凝視した。
「学校の警備?」
「違います」
「職員?」
「違います」
「じゃあ誰だ?」
「認証情報の発信元は隠蔽されています」
生徒が立ち上がった。
キランは教室のドアを見る。
次に生徒。
そして画面に残された偽のステータス。
正式な迎えの登録者へ引き渡し済み
学校の記録上では、すでにこの生徒はいない。
誰かが書類を準備した。
誰かが侵入経路を準備した。
そして今——
誰かが来ている。
「マッハ」
「はい?」
キランの声は静かだった。
「ドアをロックして」
カチッ。
教室の鍵が作動した。
マッハがすぐに続ける。
「電子アクセスを制限しました」
「向こうから解除できる?」
「本日確認した能力を考慮すると——」
間。
「可能性はあります」
キランは生徒を見る。
「ドアから離れて」
生徒はキランの机の後ろへ移動した。
キランはMACH-01Aを動かし、生徒と入口の間に入った。
戦闘システムはまだロックされたまま。
プラズマキャノンもない。
高出力推進もない。
ヒーローとして戦うための装備は使えない。
構わない。
この子の教師でいるために、そんなものは必要なかった。
廊下は静かだった。
十秒。
二十秒。
三十秒。
そして——
足音。
ゆっくり。
一定の速度で。
教室へ近づいてくる。
生徒が口元を手で覆った。
キランは動かない。
足音がドアの前で止まった。
沈黙。
そして誰かがドアノブを回す。
カチャッ。
鍵がかかっている。
また沈黙。
ドアの向こうから声がした。
穏やか。
感じのいい声。
電話と同じ声。
「キリアン先生」
キランはドアを見つめた。
「ドアを開けてください」
答えない。
相手がもう一度ドアノブを回した。
カチャッ。
そして——
「あなたは、正式に許可された生徒の引き渡しを妨害しています」
キランは背後で怯えている生徒を見る。
そしてドアへ視線を戻した。
「違う」
その声は、どこまでも落ち着いていた。
「阻止してるんだ」




