花火
シトロン・シティの人々は、自分たちが戦争を目撃しているなど知る由もなかった。
ほとんどの人には――
美しく見えた。
三本の光が空を駆け抜けていく。
青。
オレンジ。
紫。
それらは花火のように高層ビルの間を飛び交った。
祝祭のように。
ショーのように。
誰も真実を知らない。
その光の一つが――
必死に生き延びようとしていることを。
◇ ◇ ◇
遥か下の通りでは、人々が足を止めて空を見上げていた。
家族連れ。
仕事帰りの人々。
夕方の通勤途中だった会社員たち。
子供たちは興奮しながら空を指差す。
一人の少女が母親の袖を引っ張った。
「見て!」
頭上では、三本の光跡が雲を横切っていく。
少女が笑った。
「花火だ!」
両親も笑顔になる。
彼らには――
知る由もなかった。
キランは、本当に花火だったらよかったのにと思った。
花火は普通――
人を殺そうとはしない。
爆発がマッハの装甲を直撃した。
「ぐあっ!」
キランの肩に激痛が走る。
機体が空中で激しく回転した。
街全体がぼやける。
ビルが捻じれて重なり合う。
光が線となって流れていく。
地平線が逆さまになった。
元に戻る。
そして――
また逆さま。
「うあああっ!」
背後からジャリックの笑い声が聞こえた。
通信回線越しに響き渡る。
『来いよ、ダムスナット!』
すぐ近くで、また爆発が起こった。
『もっと楽しませろよ!』
キランは歯を食いしばった。
全身が痛い。
顔にはいくつもの切り傷。
ヘルメットのバイザーには、すでに亀裂が入っている。
それなのに――
ジャリックはまだ楽しんでいた。
バイザーの中にマッハのアイコンが現れる。
『そろそろ離脱したほうがよさそうですね』
「今さら!?」
『その判断に対する確信度が急速に上昇しています』
また一発。
近い。
近すぎる。
キランは慌てて操作装置を倒した。
マッハが鋭くロールする。
攻撃は外れた。
ギリギリで。
残念ながら――
高層ビルは避けてくれなかった。
ガシャァァァァン!
ガラスが爆発する。
社員たちの悲鳴。
書類が空中を舞う。
コンピューターが床へ叩き落とされる。
キランとマッハはオフィスの中を転がるように突き抜け――
ようやく止まった。
しばらく。
どちらも動かなかった。
そして――
キランが呻く。
「いったぁ……」
マッハのディスプレイが明滅する。
『生きていますか?』
「ギリギリ」
『では、「はい」に分類します』
キランはゆっくり身体を起こした。
ヘルメットのバイザーには巨大な亀裂が走っている。
片側はほとんど砕けていた。
「絶対もっと頑丈なヘルメットが必要だな」
『同意します』
オフィスの社員たちは、賢明にも関わらないことを選んだ。
ほとんどはすでに逃げている。
残った者たちは――
その場で完全に固まっていた。
無理もない。
空飛ぶ車椅子が、突然ビルの窓を突き破ってきたのだから。
キランは機体を起こし始める。
その時――
見えた。
反射。
二つの影が近づいてくる。
速い。
ものすごく速い。
ジャリック。
そして――
ザイラ。
「冗談だろ……」
二人はミサイルのようにビルへ突っ込んできた。
ドォン!
オフィス全体が揺れる。
またガラスが爆発した。
机が倒れる。
社員たちが悲鳴を上げる。
ジャリックが笑った。
「もうここで殺しちまおうぜ!」
キランの胃が沈む。
ほんの一瞬――
理解した。
ジャリックは――
冗談を言っていない。
そしてそれは。
爆発よりも。
追跡よりも。
何よりも恐ろしかった。
◇ ◇ ◇
背後でオフィスが爆発した。
ガラスが遥か下の通りへ降り注ぐ。
高層ビル全体に警報が鳴り響いた。
社員たちは非常口へ殺到していく。
その混乱の真ん中で――
キランは再び空へ飛び出した。
「行け行け行け行け行け!」
『現在、移動中です!』
「もっと速く!」
『現在、さらに速く移動中です!』
マッハのスラスターが悲鳴を上げる。
街が眼下でぼやけていく。
残念ながら――
ホイーラーズも。
まだ追いついてくる。
最初に加速したのはジャリック。
機体の後方から炎が噴き出す。
距離が一気に縮まった。
「ほら!」
ジャリックが笑う。
「遅くなってきたぞ!」
「こっちは命懸けで逃げてるんだぞ!」
「そうだよ!」
ジャリックはさらに笑った。
「だから楽しいんだろ!」
キランには、ジャリックが狂っているのか。
それとも――
今まで出会った中で最も危険な人間なのか。
判断できなかった。
おそらく――
両方。
その時。
前方に青い壁が現れた。
ビルではない。
氷。
巨大な氷壁が高層ビルの間から次々と出現する。
キランは慌てて操作装置を倒した。
衝突寸前で回避。
「何だよこれ!?」
シトロン・シティの上空。
ザイラが浮かんでいた。
冷静。
集中。
正確。
弟とは正反対。
彼女は――
楽しんでいない。
そのことが。
なぜか――
さらに恐ろしかった。
「キラン」
通信回線からザイラの声が聞こえる。
「話をする必要があるわ」
「そっちから話せ!」
「あなたは危険なものを目撃した」
「そうだよ!」
キランは叫ぶ。
「知ってるよ!」
氷壁が増える。
逃げ道を塞いでいく。
行動範囲を狭める。
キランを――
追い込んでいる。
獲物のように。
マッハも即座に気づいた。
『彼女は戦場をコントロールしています』
「最高だな」
『非常に危険な状況と分類します』
「わかってるよ!」
罠が狭まる。
あらゆる方向から。
逃げ道が。
一つ。
また一つ。
消えていく。
背後からジャリック。
前方を塞ぐザイラ。
そして初めて――
キランは思った。
逃げ切れないかもしれない。
心拍数が上がる。
操作装置を握る手に力が入る。
街が小さく感じた。
空も小さく感じる。
すべてが――
狭くなっていく。
その時。
マッハが口を開いた。
『キラン』
「何?」
『一つ、考えがあります』
その言い方が――
嫌だった。
ものすごく。
「どんな考え?」
『危険なものです』
「……もちろんだよな」
マッハが複数の照準ウィンドウを開く。
武器システムの診断情報がバイザーを埋め尽くした。
出力数値が跳ね上がる。
警告表示が点滅する。
キランは眉をひそめた。
「なんでこんなに赤い警告が出てるんだ?」
『悪い考えだからです』
「じゃあ、なんでやるんだよ?」
『良い考えが尽きつつあるからです』
残念ながら――
その通りだった。
完全に。
プラズマキャノンが展開する。
砲身にエネルギーが集まる。
機体全体が震え始めた。
マッハが一瞬躊躇する。
『最大出力は推奨安全基準を超過します』
「どれくらい?」
沈黙。
『すべてです』
キランは瞬きをした。
「どういう意味だよ?」
『ギアから絶対にやるなと言われていたことを、今からやるという意味です』
「ああ」
少し間を置く。
「……どれくらい怒ると思う?」
『非常に』
キランはため息をついた。
「やれ」
『了解』
キャノンの充電が始まる。
シトロン・シティが眼下で照らされる。
青白いエネルギーが砲身を走る。
出力が上昇する。
さらに。
さらに。
さらに。
警告メッセージがバイザーを埋め尽くした。
**《最大出力限界超過》**
**《システム負荷:危険域》**
**《リアクター温度上昇》**
マッハのアイコンが不安そうな表情になる。
キランも――
同じだった。
それでも止めない。
ジャリックがようやく気づいた。
笑みがさらに大きくなる。
「おっ」
砲身を見つめる。
「なんだ、それ?」
ブレイズが隣に現れる。
『いいねえ』
前方では――
ザイラが即座に減速した。
目を細める。
その隣にブリザードのホログラムが現れた。
『警告』
『エネルギー出力が指数関数的に上昇しています』
ザイラの表情が変わった。
追跡が始まって以来――
初めて。
彼女は――
不安そうだった。
「キラン」
声に緊迫感が混じる。
「撃たないで」
キランは引きつった笑いを浮かべた。
「追いかけてる側が言うセリフじゃないだろ!」
「キラン」
「もう遅い!」
エネルギーはさらに膨れ上がる。
機体全体が激しく震え始めた。
周囲の空気が歪む。
キャノンの中でエネルギーが悲鳴を上げる。
そして――
突然。
全員が同じことに気づいた。
これはもう――
普通の攻撃ではない。
もっと大きなものになっていた。
もっと危険なものに。
そして――
そこにいる誰一人として。
本当に制御できるのかどうか。
わかっていなかった。




