教師禁断症状
キランは、自宅軟禁よりもひどいものを発見してしまった。
自宅軟禁中にメールが使えることだ。
始まりはごく無害だった。
午前八時十三分、キランはキッチンテーブルの前でハーブティーを飲んでいた。
コーヒーではない。
ハーブティーだ。
その事実には、今でも心の底から納得していなかった。
マグカップはネブライザーの隣に置かれ、その下ではMACH-01Aが回復モードのまま彼を支えていた。
**飛行システム――制限中**
**戦闘モード――ロック**
**プラズマキャノン――ロック**
**マッハ速度――ロック**
ギアが制限を解除していないか確認するのは、もうやめた。
ほとんど。
今朝は二回しか確認していない。
それでも進歩だ。
「マッハ」
「はい?」
「あと何日でコーヒー飲める?」
「十一分前にも同じ質問をしました」
「医学が進歩したかもしれない」
「十一分で?」
「科学の進歩は速いから」
「そこまで速くありません」
キランはもう一口飲んだ。
顔をしかめる。
「草みたいな味する」
「カモミールです」
「宣伝が上手い草だよ」
「水を飲むこともできます」
「なぜかそっちの方が嫌だな」
キランは背もたれに身体を預けた。
家の中は静かだった。
静かすぎる。
薬は飲んだ。
朝の呼吸器治療も終わった。
酸素飽和度も安定している。
朝食も食べた。
ラクソン先生なら大喜びだろう。
キランは最悪の気分だった。
身体的にではない。
身体は良くなっていた。
咳は絶え間なく出るものではなく、たまに出る程度になっていた。呼吸も楽になり、退院してからずっとまとわりついていた疲労感も、ようやく薄れ始めている。
それこそが問題だった。
何かをする元気は戻ってきた。
ただし、そのほとんどをすることは禁止されている。
キランは窓を見る。
「ダメです」
マッハのアバターへ視線を向ける。
「何も言ってないけど」
「外を見ました」
「外を見るくらいいいだろ」
「構いません」
「じゃあ、なんでダメって言った?」
「予防措置です」
「僕に対する?」
「はい」
キランはため息をついた。
タブレットを開く。
「分かったよ」
「何をするのですか?」
「危険なことじゃない」
「その回答により懸念が大幅に増しました」
「メールを見るだけ」
マッハが一拍置く。
「それなら問題ありません」
「ありがとう、看守さん」
「どういたしまして、囚人さん」
キランが止まる。
ゆっくりディスプレイを見る。
「今、冗談言った?」
「適応しています」
「怖いな」
キランは受信箱を開いた。
未読メール、四十七件。
瞬きをする。
「マジか」
「大半は入院中に届いたものです」
「そんな長く休んでないぞ」
「あなたは思春期の生徒を教えています」
「なるほど」
キランはスクロールを始めた。
ほとんどは普通の内容だった。
事務連絡。
教職員への通知。
シトロン・アカデミーからの更新。
オンラインで提出された課題。
同僚からのメール。
そして、生徒からのメールが何通か。
最初の一通を開く。
**キリアン先生、死んだんですか???**
キランは見つめた。
「感動的だね」
マッハが答える。
「生徒は心配しているようです」
「もうちょっと言い方あるだろ」
次を開く。
**キリアン先生へ**
**早く元気になってください。**
**それと、いつ戻ってきますか?**
**ハワード先生は“象徴表現は作者が意図的に入れるものだ”って言うんですけど、先生は“作者が無意識にパターンを作ることもある”って言ってたって伝えたら、僕が先生の話を勘違いしてるって言われました。**
**なんかもう個人的な戦いになってきたので早く戻ってきてください。**
キランはゆっくりタブレットを下げた。
「ハワード先生って誰?」
「あなたの代理教師です」
「嫌いだ」
「会ったこともありません」
「間違ってる」
「彼の意見について、生徒が書いた一段落しか読んでいません」
「それで十分」
キランは次のメッセージを開いた。
**キリアン先生、早く戻ってきてください。**
**金曜日に小テストを出されました。**
キランは眉をひそめる。
「それが?」
その下にもう一行。
**金曜日ですらなかったです。**
キランは瞬きをした。
送信日を見る。
火曜日。
キランは笑った。
「よし。ハワード、ちょっと好きになった」
次のメール。
**キリアン先生**
**早く良くなってください。**
**代理の先生、マクベスのことずっとハムレットって呼んでます。**
キランの笑みが消えた。
「いや」
マッハのアバターが現れる。
「キラン?」
「いや」
もう一度読む。
「絶対ダメ」
「生徒が誇張している可能性があります」
「マッハ」
「はい?」
「MACH-01Aを準備して」
「ダメです」
「緊急事態だ」
「違います」
「マクベスをハムレットって呼んでるんだぞ」
「緊急事態の定義には該当しません」
「僕の教室では該当する」
「飛行システムは現在も制限されています」
「じゃあレイモンドに電話して」
「何のためです?」
「医学的に復帰許可を出してもらう」
「ダメです」
「ギアは?」
「ダメです」
「ラクソン先生?」
「ダメです」
「母さん?」
「特にダメです」
キランはマッハを見つめた。
「本当に看守になってきたな」
キランはメールを読み続けた。
大半は面白かった。
中には真剣なものもあった。
ただキランの具合を心配しているだけの生徒も何人かいた。
教室のホワイトボードを撮影した写真も送られてきていた。
そこには、
**キリアン先生、早く元気になって!**
その下に、
**教室は絶対に壊しません!**
さらに別の誰かが、
**↑これは嘘です**
キランは笑った。
思った以上に長く、その写真を眺めた。
見慣れた机の列。
前にある自分の机。
本棚。
ホワイトボード。
壁のポスター。
自分の教室。
恋しかった。
そのことに気づいたのは、自分でも意外だった。
ここ数日、キランは空を飛ぶことばかり考えていた。
MACH-01Aのこと。
空のこと。
戦闘システムのロックが解除されること。
再びウルトラヴァイオレットになること。
だが、朝になって教室へ入り、生徒たちの前に戻ることを、こんなにも恋しく思っているとは気づいていなかった。
宿題について文句を言う生徒たち。
シェイクスピアは十代の若者を苦しめるためだけに生まれたわけではないと説得すること。
興味がないふりをしながら、実はちゃんと話を聞いているクラスの半分。
教えること。
キランは背もたれに寄りかかった。
「くそ」
「どうしました?」
「仕事が恋しい」
「驚くことではありません」
「恐ろしいな」
「あなたは教えることが好きです」
「分かってる」
「では、なぜ恐ろしいのです?」
「大人は自分の仕事が好きだなんて認めちゃいけないんだよ」
「そのような社会的慣習は認識していません」
「今、僕が作った」
「そうだと思いました」
キランは学校のオンライン課題ポータルを開いた。
マッハは即座に気づく。
「何をしているのです?」
「ちょっと確認」
「現在、仕事をする義務はありません」
「分かってる」
キランは一時間目のクラスを開く。
課題、二十八件。
目元が引きつる。
「よし」
最初の一件を開いた。
五分後、採点していた。
二十分後、四件終わっていた。
四十五分後、ハーブティーは冷めていた。
一時間後――
「キラン」
「ん?」
「六十八分間、連続で作業しています」
「ずっと座ってるよ」
「休息とは、身体を動かさないことだけを意味するものではありません」
「真夜中に採点してる教師全員に言ってあげて」
「あなたは肺炎から回復中です」
「ヒドラと戦ってるんじゃない。作文を採点してるだけ」
「休憩するべきです」
「あと一つ」
「三件前にもそう言いました」
「その三件の後の一つ」
「それは“あと一つ”の意味ではありません」
キランは無視した。
次の課題を開く。
さらに次。
その時――
通知が表示された。
**新着メッセージ――シトロン・アカデミー生徒ポータル**
キランはクリックした。
件名なし。
送信者名なし。
妙だった。
生徒からのメッセージなら、必ずアカウント情報が表示される。
キランは開いた。
本文は一文だけだった。
**キリアン先生、学校に戻ってきても、放課後は残らないでください。**
キランは見つめた。
メッセージの横にマッハのアバターが現れる。
二人とも何も言わなかった。
キランはもう一度読む。
「何だこれ?」
「送信者情報がありません」
「見れば分かる」
「シトロン・アカデミーの生徒ポータルでは、すべての送信者が認証されるはずです」
「だよね」
キランはメッセージの詳細を開いた。
何もない。
生徒名なし。
プロフィール写真なし。
授業時間なし。
生徒番号なし。
あるのはメッセージだけ。
**キリアン先生、学校に戻ってきても、放課後は残らないでください。**
キランは画面へ顔を近づけた。
「システムの不具合かも」
「可能性はあります」
「いたずら」
「それも可能です」
「生徒がふざけてる」
「可能です」
キランは待った。
マッハはそれ以上何も言わない。
「納得してないように聞こえる」
「あなたも同じでしょう」
キランは文章を見つめた。
露骨な脅迫ではない。
危害を加えるという言葉もない。
要求もない。
説明もない。
ただの警告。
キランは返信を選択した。
システムからエラーが返ってくる。
**受信者が見つかりません**
表情が変わった。
「マッハ」
「確認しています」
「追跡して」
一拍。
「メッセージのメタデータを解析しています」
キランは待った。
指先がMACH-01Aの操作装置を軽く叩く。
「何か分かった?」
「メッセージはシトロン・アカデミーのネットワーク内部から送信されています」
指が止まる。
「学校の中から?」
「はい」
「いつ?」
「昨日の午後四時三十七分です」
キランは時間を確認する。
「放課後だ」
「はい」
「場所は?」
「正確には特定できません。利用可能なメタデータの一部が削除されています」
「誰が?」
「不明です」
キランは眉をひそめる。
「生徒にできる?」
「十分な知識を持つ生徒なら可能です」
「他の人間でも?」
「はい」
まったく安心できない答えだった。
キランはもう一度警告を見る。
**放課後は残らないでください。**
「誰かが僕を怖がらせたいだけかも」
「可能性はあります」
「効いてないけど」
「その発言は正確ではありません」
キランはマッハのアバターを見る。
「怖くない」
「心配しています」
「別物だよ」
「はい」
キランはメッセージを閉じた。
そして、もう一度開いた。
まだそこにある。
匿名のまま。
不気味なまま。
スクリーンショットを撮る。
「保存して」
「すでに完了しています」
キランは受信箱へ戻った。
「考えすぎるのはやめよう」
「それが賢明です」
「たぶん、いたずら」
「可能性はあります」
「僕がそのうち学校に戻るって、生徒も知ってる」
「はい」
「誰かがからかってるだけ」
「かもしれません」
キランは目を細めた。
「一番怪しく聞こえる同意の仕方するのやめてくれる?」
「十分な証拠なしに結論を出さないようにしています」
「立派だね」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
「褒め言葉として受け取りました」
キランは次のメールへ進む。
今度は名前がある。
普通の生徒。
普通の件名。
**早く元気になってください**
開く。
**キリアン先生**
**早く良くなってください。**
**先生がいないと授業が変な感じです。**
**それと、休む前に倉庫の本を動かしましたか? ハワード先生が聞いてきたんです。何冊か床に落ちてたみたいで。**
キランは眉をひそめる。
「何の本?」
「情報不足です」
キランは返信を入力する。
**どの倉庫?**
驚くほど早く返事が来た。
**先生の教室の裏にある小さいところです。**
キランは見つめる。
「何も動かしてない」
「別の教職員が動かした可能性があります」
「かもね」
別のメッセージが届いた。
別の生徒。
**キリアン先生**
**月曜日戻ってきますか**
キランは笑う。
返信する。
**医者次第かな。**
ほぼ即座に入力中の表示。
**戻ってきてください**
**ハワードが詩の課題出しました**
キランは笑った。
**心よりお悔やみ申し上げます。**
さらに返事。
**あと誰かが先生の教室の鍵を開けっぱなしにしてます**
キランの笑みが消えた。
少し姿勢を正す。
**何だって?**
生徒から返事。
**知らないです**
**昨日の昼休みの後ドア開いてました**
**先生戻ってきたのかと思った**
**でも中には誰もいませんでした**
キランは画面を見つめる。
マッハが先に口を開いた。
「興味深いですね」
「そういう言い方もできるね」
キランは画面を上へ戻す。
匿名の警告。
倉庫で動かされた本。
開けっぱなしになっていた教室。
別々に考えれば?
何でもない。
一緒に考えても?
まだ何でもないかもしれない。
だが、キランはこれまで生き延びてきたせいで、“偶然”というものとは複雑な関係になっていた。
大抵の場合、偶然は何かが爆発する少し前に偶然ではなくなる。
「マッハ」
「はい?」
「僕が休んでる間に、学校から設備点検とかの連絡が来てなかったか確認して」
「検索します」
少しして、
「あなたの教室、および隣接する倉庫で予定されていた設備作業はありません」
「清掃は?」
「通常の清掃のみです」
「ドアの件はそれで説明できる」
「はい」
「本は?」
「可能性はあります」
「匿名メッセージは?」
「説明できません」
キランは黙った。
突然、家の中がそれほど退屈ではなくなった。
マッハが気づく。
「ダメです」
キランは無邪気な顔をする。
「何が?」
「現在考えていることが何であれ、ダメです」
「何も考えてない」
「笑っています」
「僕だって笑うよ」
「その笑い方ではありません」
キランはタブレットを閉じる。
「落ち着いて」
「あなたからその言葉を聞くこと自体、統計的に面白いです」
「どこにも行かないよ」
「どちらにせよ、医学的制限により行くことはできません」
「思い出させてくれてありがとう」
キランはリビングへ向かった。
だが、途中でもう一度通知音が鳴った。
止まる。
画面を見る。
また匿名メッセージ。
送信者なし。
件名なし。
キランは開いた。
今度はもっと短かった。
**倉庫のことを聞くべきじゃなかった。**
冗談めいた空気が一瞬で消えた。
マッハのアバターが現れる。
キランはメッセージを見つめた。
「……なるほど」
声は静かだった。
「これは、いたずらじゃないな」
「必ずしもそうとは断定できません」
「マッハ」
「いたずらである可能性が大幅に低下したことには同意します」
キランはメタデータを開く。
また――
何もない。
「追跡して」
「試みています」
数秒。
そして――
「今回のメッセージも、シトロン・アカデミーの内部ネットワークから送信されています」
「いつ?」
「二十一秒前です」
キランは時計を見る。
今は授業時間中。
「じゃあ送った奴は……」
「現在、校内にいる可能性があります」
キランはメッセージから目を離さない。
**倉庫のことを聞くべきじゃなかった。**
最初に浮かんだ考えは一つだった。
行く。
MACH-01Aなら数分でシトロン・アカデミーへ着ける。
飛行制限があろうと関係ない。
方法は見つけられる。
キランの手が飛行操作へ動く。
**飛行システム――制限中**
手が止まる。
いつもの苛立ちが一気に湧き上がる。
「くそ」
「キラン」
「誰かが僕の教室に入ってる」
「まだ確定していません」
「倉庫には誰か入った」
「その可能性は高いです」
「学校のネットワークを使ってる」
「はい」
「それで今、僕が生徒に何を聞いてるかまで見てる」
「可能性があります」
キランは窓を見る。
次に、ロックされた飛行操作を見る。
数秒間、何も言わなかった。
やがて――
「学校に電話する」
マッハが一拍置く。
「適切な対応です」
キランは彼を見る。
「そんな驚いた声出すな」
「驚きを表現してはいません」
「飛んで行くと思ってただろ」
「はい」
「僕も考えた」
「知っています」
キランはシトロン・アカデミーの連絡先を表示した。
指が通話ボタンの上で止まる。
その時、またメッセージが届いた。
キランが止まる。
また匿名。
開く。
**家にいてください、キリアン先生。**
その下に二行目。
**私たちが狙っているのは、あなたではありません。**
キランの表情が険しくなる。
そして最後の一行に気づいた。
**狙っているのは、あなたの生徒の一人です。**
部屋が静まり返った。
キランは一度読む。
そしてもう一度。
退屈は消えた。
苛立ちも消えた。
自分に課された制限への不満さえ消えた。
キラン・キリアンにとって、自分自身への脅しよりもはるかに強く心を揺さぶるものがいくつかある。
自分の生徒を脅されることは、その最上位に近かった。
マッハの声が真剣になる。
「キラン」
「分かってる」
「衝動的な行動は避けてください」
「分かってる」
「あなたはまだ回復中です」
「分かってる」
「そして、このメッセージが何を意味するのか、まだ分かっていません」
キランは画面を見つめる。
指がMACH-01Aの操作装置を強く握った。
「そうだな」
シトロン・アカデミーの連絡先へ視線を向ける。
「でも、これから突き止める」




