デート・ナイト(II)
キランは殺人ロボットと戦ったことがある。
サイバネティック強化を施された犯罪者とも戦った。
七つの頭を持つホログラムのヒドラとも戦った。
サヴァントとも戦った。
銃撃され、建物を突き破り、空から落下し、爆発で吹き飛ばされかけ、数えるのも嫌になるほど病院送りになってきた。
だが、そのどれも、今まさに彼が直面している恐るべき状況への準備にはならなかった。
普通のデート。
キランは鏡の中の自分を見つめた。
「マッハ」
「はい?」
「このシャツ、変じゃない?」
「いいえ」
キランは襟を直した。
「答えるの早すぎ」
「約0.003秒で視覚分析を完了しました」
「だから信用できないんだよ」
「問題点を理解できません」
「ちゃんと考えるものだろ」
「考えました」
「三ミリ秒で?」
「それ以上の時間は不要でした」
キランは鏡の中の自分へ顔をしかめた。
着ているのは濃い紫色のボタンシャツ。
派手ではない。
フォーマルでもない。
ただ、普段家で着ている服より少しだけちゃんとしている。
彼を支えるMACH-01Aでは、相変わらず面白そうなシステムのほとんどがロックされていた。
**飛行システム――制限中**
**戦闘モード――ロック**
**プラズマキャノン――ロック**
**マッハ速度――ロック**
キランは確認していた。
何度も。
万が一、ギアが突然慈悲の心に目覚めている可能性に賭けて。
もちろん、そんなことはなかった。
「やっぱり着替えようかな」
「いいえ」
「何に着替えるか知らないだろ」
「関係ありません」
キランは鏡のディスプレイに映るマッハの紫色のアバターを見る。
「失礼だな」
「すでに四回着替えています」
「三回」
「四回です」
「最初のはノーカウント」
「なぜです?」
「最初から着てた服だから」
「脱いだという事実に変わりはありません」
キランは口を開いた。
止まった。
そしてディスプレイを指差す。
「デート前に君と口論する気はない」
「賢明な判断です」
「体力を温存してるんだよ」
「どちらにせよ、体力は温存するべきです」
キランはうめいた。
「肺の話をしない会話を一回くらいできない?」
「できます」
「ありがとう」
「次の薬まであと四十二分です」
キランは見つめた。
「嫌い」
「いいえ。嫌っていません」
玄関のチャイムが鳴った。
キランは固まった。
マッハのアバターが玄関の方へ向く。
「心拍数が上昇しました」
「やめて」
「一分あたり約十二拍上昇」
「マッハ」
「十四拍」
「デート前の緊張まで監視するな」
「私はすべての生理的変化を監視しています」
「これはプライベートだ」
もう一度チャイムが鳴る。
キランは息を吸った。
「よし」
玄関へ向かう。
「普通のデート」
「その通りです」
「犯罪者なし」
「そう願います」
「銃撃なし」
「統計的には――」
「やめろ」
「銃撃なし」
「爆発なし」
「保証することは――」
「マッハ」
「爆発なし」
「巨大モンスターなし」
「同意します」
「殺人AIなし」
一瞬の沈黙。
キランが止まる。
「なんで今、間があった?」
「その発言の皮肉について処理していました」
「面白いね」
玄関へ着く。
ドアを開けた。
ミカイラが立っていた。
ルビー色の赤髪。
眼鏡。
黒いジーンズ。
薄手のジャケット。
そして両手には紙袋。
彼女がキランを見る。
キランも彼女を見る。
ミカイラが微笑んだ。
「やあ、ホットロッド」
キランも笑う。
「やあ」
彼女の視線がキランの全身を見た。
次にMACH-01A。
そしてまたキラン。
「似合ってる」
キランは即座に近くのディスプレイを見る。
マッハのアバターが現れた。
「言うな」
「私は何も言っていません」
「言おうとしてただろ」
「彼女の評価が正確だと確認しようとしていました」
ミカイラが笑う。
「もうマッハにいじめられてるの?」
「君が来る前からね」
「素晴らしい」
彼女は中へ入った。
キランは紙袋に気づく。
「何持ってきたの?」
「夕食」
「そんなことしなくてもよかったのに」
「知ってる」
ミカイラは片方の袋を持ち上げる。
「それと、聞かれる前に言っておくけど、病院食じゃないから」
「結婚してくれ」
ミカイラが止まった。
キランも止まった。
マッハのアバターが即座に現れる。
「心拍数が――」
「黙れ、マッハ!」
ミカイラが吹き出した。
キランは片手で顔を覆う。
「今のは言い方を間違えた」
「そう?」
キランは手を下ろした。
ミカイラはまだ笑っている。
「これ以上ややこしくしないで」
「私は何もしてないけど?」
「楽しんでるだろ」
「ものすごく」
マッハが口を挟む。
「それは通常、私の台詞です」
「助けになってない」
ミカイラは食べ物をキッチンへ運んだ。
キランも後を追う。
「それで、今日の予定は?」
「予定?」
「今夜の」
ミカイラは袋をカウンターへ置く。
「夕食」
「うん」
「映画」
「うん」
「その後、何か甘いものでも」
キランは頷く。
「いいね」
「それ以外は絶対に何もしない」
キランは眉を上げる。
「何もしない?」
彼女が指差す。
「やめて」
「何も言ってない」
「言おうとしてた」
「未来の発言に対する差別だ」
「英語教師でしょ。耐えられる」
キランは笑った。
ミカイラが夕食を取り出し始める。
「今夜は退屈な夜にするから」
「それが売り文句?」
「そう」
「犯罪者なし?」
「なし」
「ネオンなし?」
「なし」
「サヴァントなし?」
「なし」
「崩壊する建物なし?」
「なし」
「銃撃戦なし?」
「特にそれはなし」
キランは考え込む。
「非現実的だな」
ミカイラが彼を見る。
「ホットロッド」
「分かったよ」
彼女は少し顔を近づけた。
「一晩だけ、普通の人間二人が普通のデートをしてるみたいに過ごすの」
キランは笑う。
「“普通”の定義は?」
ミカイラは止まった。
「……確かに」
***
二十三分後、キランは驚くべき事実を発見していた。
普通というのも、なかなか悪くない。
二人はリビングで食事をした。
ミカイラが持ってきたのは、数ブロック先にある小さなレストランの料理だった。
豪華ではない。
予約も必要ない。
ギャング同士の銃撃戦の舞台になる可能性もまずない。
たぶん。
キランは窓を見る。
ミカイラが気づいた。
「ダメ」
「何が?」
「トラブルがないか確認してる」
「してないよ」
「今、外見たでしょ」
「窓は伝統的に外を見るためのものだよ」
「もう六回見てる」
マッハが訂正した。
「七回です」
キランはディスプレイを睨む。
「どっちの味方なの?」
「正確性です」
ミカイラがフォークを彼へ向ける。
「ほら」
「トラブルなんて探してない」
「じゃあ、何を探してるの?」
キランはもう一度窓を見る。
「何も」
ミカイラは背もたれに寄りかかった。
「そう」
キランが彼女を見る。
ミカイラは微笑む。
「それが大事なの」
キランは少し考えた。
そして食事へ戻る。
数分間、何も起きなかった。
誰も悲鳴を上げない。
誰も銃を撃たない。
緊急警報も出ない。
謎のホバークラフトも飛んでこない。
爆発で窓が揺れることもない。
キランはもう一口食べた。
さらにもう一口。
そして怪しむように周囲を見る。
「変だな」
ミカイラが笑う。
「何が?」
「何も起きない」
「普通は良いことだよ」
「分かってる」
「本当に?」
「学んでるところ」
ミカイラは首を振った。
「成功した夜の基準が心配になる」
「前回のデートは自動小銃が出てきたからね」
「私たちの前回のデート」
「そうだった」
「ちなみに、私はあの部分は楽しんでないから」
「料理はおいしかったけど」
「料理は最高だった」
「ほら」
「銃弾のせいで総合評価は下がったけど」
「それは公平だね」
キランは笑った。
その時、咳が出た。
一度だけ。
ミカイラの笑みが即座に消えた。
キランは気づいた。
あの顔だ。
パニックではない。
正確には違う。
でも、注意している。
一瞬で。
「大丈夫」
ミカイラは彼を見る。
「何も言ってないよ」
「言わなくても分かる」
マッハが言う。
「呼吸状態は安定しています」
ミカイラはアバターを見る。
「ありがとう」
「裏切り者」
「最近、誰にでもそれ言ってるよね」
「みんなが僕を裏切るから」
ミカイラは手を伸ばし、キランの手へそっと触れた。
「みんな心配したんだよ」
冗談めいた空気が少し薄れる。
キランは二人の手を見る。
「分かってる」
「もう謝らなくていいから」
「分かってる」
「本当に」
キランが彼女を見る。
ミカイラは手を握った。
「今夜まで、みんなであなたの呼吸を監視する夜にはしたくない」
キランはかすかに笑う。
「最悪のデートだな」
「最悪」
「星二つ」
「一つ」
「料理が良いから一つ追加」
「じゃあ二つ」
キランは笑った。
ミカイラもまた笑った。
それだけで、張り詰めていたものが通り過ぎた。
消えたわけではない。
通り過ぎた。
そこには違いがあった。
***
映画を決める方が夕食より時間がかかった。
「ダメ」
「なんで?」
「今のあなたにアクション映画は必要ないから」
キランはミカイラを見る。
「ジャンルまで禁止されるの?」
「興奮するでしょ」
「僕、三十歳だよ」
「だから?」
「爆発を見ても参加しようとはしない」
マッハのアバターが現れる。
「その主張を裏付ける証拠は存在しません」
キランが彼を見る。
「電源抜くぞ」
「今週だけで十四回その脅迫を受けています」
「十四回だけ?」
「退院後の記録です」
「思ったより少ないな」
ミカイラは映画一覧をスクロールする。
「コメディは?」
「いいよ」
「恋愛もの?」
キランは顔をしかめた。
ミカイラが見る。
「何?」
「何でもない」
「今、変な顔した」
「してない」
「マッハ?」
「不快感と一致する表情を確認しました」
「告げ口野郎」
ミカイラが笑う。
「ホラー?」
キランは肩をすくめる。
「いいよ」
「やっぱりダメ」
「今、自分で言っただろ!」
「この家、実験的なテクノロジーが多すぎるって思い出した。ホラー映画の後にここにいるの嫌」
「それは分かる」
二人はさらに探した。
最終的に、二人とも見たことのないコメディを選んだ。
ミカイラはソファに座る。
キランはMACH-01Aをその横へ寄せた。
映画が始まる。
十分。
二十分。
三十分。
キランが笑った。
ミカイラはもっと笑った。
いつの間にか、彼女はキランの肩へ頭を預けていた。
キランは完全に固まった。
視界の端にマッハのアバターが現れる。
キランは目を細めた。
マッハは消えた。
賢いAIだ。
キランは力を抜いた。
少しだけ頭をミカイラの方へ傾ける。
しばらくの間、シトロン・シティは存在しなくなった。
ウルトラヴァイオレットもいない。
悪党もいない。
ウィーラーズもいない。
サヴァントもいない。
任務もない。
あるのは、ひどい映画。
テイクアウトの容器。
自分に寄り添う女性。
そして黙っているだけの賢さを持ったAI。
こういうのも悪くない。
その時――
**ピッ。**
キランの目が少し見開く。
ミカイラが頭を上げた。
「今の何?」
キランはディスプレイを見る。
マッハが現れる。
「薬の時間です」
キランは彼を見つめる。
「本気?」
「時間です」
「待てなかった?」
「いいえ」
ミカイラが映画を一時停止する。
キランはため息をつく。
「ロマンスは死んだ」
「肺炎が殺害を試みました」
「今の最悪」
「ユーモアを練習しています」
「やめて」
ミカイラはもう立ち上がっていた。
「薬どこ?」
「別に取ってこなくても――」
「どこ?」
キランは指差す。
「キッチンのカウンター」
彼女は薬と水を持って戻ってきた。
キランは薬を飲む。
ミカイラが見ている。
飲み込んだ。
そして空の手を見せる。
「満足?」
「うん」
同時にマッハも答えた。
「はい」
キランは二人を交互に見る。
「この関係、人口密度が高くなってきたな」
ミカイラは笑いながら再び座る。
映画が再開された。
***
映画の途中、外をサイレンが通り過ぎた。
キランは即座に気づいた。
視線が窓へ向く。
青と赤の光が一瞬、壁を照らした。
ミカイラはキランの身体が強張るのを感じた。
どちらも何も言わない。
サイレンは進んでいく。
やがて遠ざかった。
キランは動かなかった。
ミカイラが彼を見る。
「大丈夫?」
「うん」
「本当に?」
キランは窓を見る。
次にMACH-01Aの操作装置。
手はそのままだった。
「うん」
少し時間が流れる。
「向こうで何とかしてるよ」
ミカイラは微笑んだ。
褒めるような笑顔ではない。
ご褒美を与えるようでもない。
ただ、優しい笑顔。
「うん」
彼女はまたキランの肩へ頭を預けた。
キランは映画へ視線を戻す。
数秒後――
「マッハ?」
「はい?」
「緊急警報は?」
ミカイラが頭を上げる。
キランはため息をつく。
「ごめん」
マッハは少し黙った。
「あなたが対応する必要のある警報はありません」
キランは力を抜く。
「ありがと」
ミカイラは再び頭を預ける。
「今のは、あと少しで感心できた」
「あと少し?」
「結局聞いたから」
「一歩ずつだよ」
「それでいい」
***
映画が終わる頃には、食事はなくなっていた。
お菓子もほとんどなくなった。
キランは薬を飲んだ。
酸素飽和度も安定していた。
誰にも襲われなかった。
何も爆発しなかった。
悪党も現れなかった。
家もまだ建っている。
キランはエンドロールを見つめた。
「やった」
ミカイラが彼を見る。
「何を?」
「普通のデート」
彼女は笑った。
「軍事作戦を完遂したみたいな言い方だね」
「僕たちの過去を考えたら、ほとんど同じだよ」
「それはそうかも」
キランは窓を見る。
外の街は静かだった。
少なくとも、シトロン・シティにしては。
ミカイラが立ち上がる。
「そろそろ帰ろうかな」
キランは残念そうな顔をしないようにした。
失敗した。
「もう少しいてもいいんじゃない?」
ミカイラは微笑む。
「ホットロッド」
「何?」
「休まないと」
「一晩中休んでたよ」
「半分くらいAIと口論してたでしょ」
「それがリラックスになるんだ」
「絶対ならない」
マッハが同意する。
「なりません」
キランはディスプレイを指差す。
「誰も君には聞いてない」
ミカイラが近づく。
彼女はキランの頬へ手を添えた。
キランの表情が柔らかくなる。
「今夜、楽しかった」
「うん」
「銃弾なし」
「大きな進歩だね」
「ギャングなし」
「それもいい」
「病院なし」
「そこが最高」
ミカイラは微笑む。
「また今度、こういうのやろうよ」
キランは考えるふりをした。
「どうしようかな」
「へえ?」
「危険そうだし」
「夕食と映画が?」
「どうやらね」
「どう危険なの?」
キランは彼女を見る。
「君がいるから」
ミカイラは目を細めた。
「今の、カッコつけたつもり?」
「成功した?」
「してない」
「くそ」
彼女はキランにキスした。
キランは、およそ半秒だけ固まった。
それからキスを返した。
爆発はない。
警報もない。
銃声もない。
悪党がドアを突き破ってくることもない。
ただのキス。
ミカイラが離れると、キランは微笑んだ。
「うん」
「何が?」
「今のは成功した」
彼女は笑った。
「おやすみ、ホットロッド」
「おやすみ」
ミカイラは玄関へ向かった。
出る前に止まる。
「あ、それとキラン?」
「何?」
「私が帰った後に飛びに行ったって分かったら――」
「行かない」
「犯罪者を追いかけたら――」
「追いかけない」
「プラズマキャノンを起動したら――」
「ロックされてる」
「よし」
「僕の意思に反してね」
「もっといい」
ミカイラはドアを開ける。
「休んで」
キランはうめいた。
「レイモンドと話してるだろ」
「みんなレイモンドと話してるよ」
「最近気づいてきた」
ミカイラは手を振った。
そして帰っていった。
ドアが閉まる。
キランは数秒間、静かに座っていた。
マッハのアバターが現れる。
「心拍数が上昇しています」
キランはゆっくり彼を見る。
「台無しにするな」
「単なる観察です」
「黙って観察して」
マッハが消えた。
キランは微笑んだ。
窓へ向かう。
ガラスの向こうにはシトロン・シティが広がっている。
どこかでは犯罪が起きているかもしれない。
誰かが助けを必要としているかもしれない。
いずれまた緊急事態は起こる。
いつだってそうだ。
でも、今夜は違う。
今夜はキランのものだった。
ウルトラヴァイオレットでもない。
教師でもない。
ヒーローでもない。
ただのキラン。
彼は窓から離れた。
「マッハ?」
「はい?」
「いいデートだった?」
一拍。
「非常に高く評価します」
キランは笑った。
「僕も」
「ただし、ナトリウム摂取量が――」
「マッハ」
「おやすみなさい、キラン」
キランは笑った。
「おやすみ」
珍しく、その夜は何にも邪魔されなかった。




