予期せぬ訪問者
キランは病院について、ある重要なことに気づいていた。
病院の中では、時間の流れがおかしい。
五分が二十分に感じる。
一時間が地質学的な時代ほど長く感じる。
そして夜は、どうやら六年くらい続くらしい。
キランは病院のベッドに横たわり、天井を見つめていた。
MACH-01Aはすぐそばに置かれている。
誰も乗っていない。
その姿を見るのが嫌だった。
マッハはベッドの横に浮かんでいる。
ドクター・ラクソンは、今夜はMACH-01Aからベッドへ移るようキランに強く言った。
キランは反対した。
ドクター・ラクソンは無視した。
レイモンドは彼女に賛成した。
X-Rayも賛成した。
マッハまで賛成した。
キランは一瞬、全員クビにしてやろうかと思った。
残念ながら、厳密に言えば彼の部下なのは一人だけだった。
キランはマッハを見る。
「クビ」
マッハは彼を見ることすらしなかった。
「拒否します」
「たぶん、クビってそういう仕組みじゃないと思うんだけど」
「解雇通知の受理を拒否します」
「そんなことできるの?」
「今、しました」
キランはじっと見つめた。
「危険なくらい自立してきたね」
「ありがとうございます」
「褒めてないよ」
「褒め言葉として解釈することにしました」
キランが笑う。
その直後――
**ゴホッ! ゴホッ!**
笑顔が消えた。
顔を横へ向け、ティッシュに咳をする。
さらに一度。
もう一度。
**ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!**
胸が痛んだ。
キランは目を閉じる。
「ゆっくり呼吸してください」
「分かってる」
「呼吸数が上昇しています」
「分かってる」
「酸素飽和度が――」
「マッハ」
マッハが止まった。
キランが目を開く。
「大丈夫だから」
マッハは彼を見つめる。
キランがため息をついた。
「比較的には」
「より正確です」
キランは枕へ身体を戻した。
酸素が静かに流れている。
病室は薄暗い。
治療は効いていた。
多少は。
少なくとも、さっきほど呼吸すること自体が苦しいわけではない。
だが咳は残っている。
疲労も残っている。
そして、少し良くなったかもしれないと思うたび――
肺がそうではないと思い知らせてきた。
ドアをノックする音がした。
キランがそちらを見る。
「また針を持った人じゃありませんように」
ドアが開いた。
最初に見えたのは赤い髪。
次に眼鏡。
キランが瞬きをする。
「ミカイラ?」
ミカイラ・マッキントッシュが中へ入ってきた。
小さな袋を持っている。
その表情は読み取りにくかった。
安堵。
心配。
そして――
怒りに限りなく近い何か。
キランはすぐにマッハを見る。
「呼んだね」
「いいえ」
「レイモンド?」
「いいえ」
「ギア?」
「他者の通信について、私は責任を負いません」
「それ、答えになってないよ」
ミカイラがドアを閉める。
「レイモンドから電話があったの」
キランがうめいた。
「やっぱり」
「私にも知らせるべきだと思ったんだって」
「あいつ、全員が何でも知ってるべきだと思ってるから」
「肺炎で入院してることを考えれば、今回は私も同意するわ」
キランはマッハを見る。
「みんな僕の敵だ」
「見事な成果です」
ミカイラがベッドへ近づいた。
数秒間、何も言わない。
ただキランを見つめる。
キランは突然、自分が今どんな姿をしているのかを意識した。
病衣。
呼吸器系の機器。
疲れ切った目。
乱れた髪。
どう考えても、最高にヒーローらしい姿ではない。
それでも笑顔を作った。
「やあ」
ミカイラが腕を組む。
「やあ?」
「うん」
「それだけ?」
キランが考える。
「こんばんは?」
「キラン」
「会えて嬉しい?」
「キラン」
「今夜も綺麗だね?」
それは少し効いた。
少しだけ。
ミカイラの口元がわずかに緩む。
だが、自分が怒っている最中だったことを思い出したらしい。
「レイモンドから全部聞いたわ」
キランが眉をひそめる。
「どこまで?」
「銀行強盗」
「なるほど」
「爆発したホバークラフト」
「疑惑だよ」
「空から落ちた女性」
「助けた」
「二件目の緊急事態」
キランは少し静かになった。
「そっちも助けた」
「それで、ほとんどまともに呼吸できない状態になって、ようやく家に帰った」
「ほとんど、ってほどじゃ――」
マッハが割り込む。
「私はそう表現します」
キランが指を向ける。
「誰も聞いてない」
ミカイラがマッハを見る。
「どれくらい酷かったの?」
マッハは即答した。
「呼吸状態は悪化しており、酸素飽和度は基準値を下回っていました。それにもかかわらず、キランは中止するよう繰り返し勧告された後も、身体的負荷の大きい救助活動を続けました」
キランが睨む。
「裁判で僕に不利な証言してるみたいだね」
「正確な記録を提供しているだけです」
ミカイラはキランへ視線を戻す。
「ホットロッド」
その声。
キランはその声を知っていた。
「はい?」
「いったい何考えてたの?」
「助けを必要としてる人がいた」
「それで、あなた自身は助けを必要としてなかったの?」
キランは止まった。
それは効いた。
ミカイラは椅子を引き寄せ、ベッドの横に座った。
「どうしてやったのかは分かってる」
キランは答えない。
「誰かが危険なら、あなたは助けに行く」
「だいたいは」
「いつもでしょ」
「だいたいいつも」
「笑い事じゃないの」
キランの笑顔が弱くなる。
「分かってる」
ミカイラは彼の手を見る。
そして握った。
キランは黙った。
「心配した」
それだけだった。
冗談もない。
説教もない。
ただ、その一言。
キランは二人の手を見る。
「ごめん」
ミカイラが彼を見る。
本気だった。
それが少し意外だったらしい。
「肺炎だなんて知らなかったんだ。無理しすぎただけだと思ってた」
「実際、無理しすぎてるけど」
「分かった。それだけが原因だと思ってた」
「そっちのほうが正確ね」
「レイモンドは、強盗より前から始まってたんじゃないかって」
「マッハから聞いた」
キランはゆっくりマッハを見る。
マッハは完全に静止していた。
「電話してないって言ったよね」
「していません」
「なのに、ずっと情報は流してたんだ」
「彼女から情報を求められました」
「裏切り者」
ミカイラが彼の手を握る。
キランは彼女を見る。
「本当のところ、具合はどう?」
キランが笑う。
「最高」
じっと見られる。
「分かった」
言い直す。
「かなりいい」
さらに見られる。
「許容範囲?」
「キラン」
彼はため息をつく。
「疲れてる」
「どのくらい?」
「かなり」
「呼吸は?」
「前よりはいい」
「痛みは?」
「少し」
「咳は?」
キランが口を開く。
肺が代わりに答えた。
**ゴホッ!**
ミカイラが眉を上げる。
「よく分かったわ」
キランは弱々しく笑った。
その直後――
**ゴホッ! ゴホッ!**
顔を横へ向ける。
もう一度。
**ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!**
咳が止まらない。
キランの手がミカイラの手を強く握る。
彼女はすぐに身を乗り出した。
「キラン?」
返事をしようとする。
できない。
さらに咳が出る。
胸が締めつけられる。
**ゴホッ! ゴホッ!**
マッハが即座に動く。
「キランの呼吸数が上昇しています」
ミカイラの表情が変わる。
「キラン」
彼は手を上げた。
大丈夫だと伝えようとする。
誰も納得しなかった。
本人さえも。
咳が続く。
咳をするたび、次の息を吸うのが難しくなる。
ミカイラが立ち上がった。
「誰か呼んだほうがいい?」
マッハはすでに動いていた。
「医療スタッフへ通報済みです」
キランが首を振る。
話そうとする。
「呼ばな――」
**ゴホッ!**
声が消えた。
ミカイラの顔から血の気が引く。
ドアが開いた。
ドクター・ラクソンが素早く入ってくる。
X-Rayも続く。
その後ろから看護師も入ってきた。
「何があったの?」とラクソン。
「持続的な咳発作です。呼吸数上昇。酸素飽和度低下」
X-Rayが隣へ移動する。
「確認しました」
ドクター・ラクソンがキランへ近づく。
「キラン、話そうとしないで」
キランが頷く。
珍しく、まったく反論する気にならなかった。
ミカイラは少し下がる。
だがキランの手は離さない。
ラクソンが胸の音を聴く。
「ゆっくり呼吸して」
キランが試す。
吸う。
**ゴホッ!**
吐く。
吸う。
次の呼吸は少し楽だった。
さらにもう一度。
徐々に咳が収まっていく。
キランは枕へ身体を預けた。
疲れ切っている。
ドクター・ラクソンがモニターを見る。
「戻ってきてる」
X-Rayが確認する。
「酸素飽和度、回復中です」
マッハはすぐそばにいた。
近すぎるほどに。
キランは気づいた。
ミカイラを見る。
彼女は彼をじっと見ている。
その顔に浮かぶ恐怖を見て、キランの胃が沈む。
「ねえ」
声は弱かった。
ミカイラは何も言わない。
「大丈夫だから」
彼女はまだ見つめている。
キランは今日、それを何度言っただろう。
「僕は……」
止まる。
もしかすると、もう言わないほうがいい。
ミカイラがドクター・ラクソンを見る。
「大丈夫なんですか?」
ラクソンは中身のない安心を与えなかった。
「今は安定しています」
ミカイラが唾を飲み込む。
「でも?」
「肺炎の治療中です。こういった発作が起こる可能性があるからこそ、入院してもらいました」
キランが枕へ頭を戻す。
「ほら」
ミカイラが彼を見る。
「何?」
「病院」
疲れた笑顔。
「来て正解だった」
ドクター・ラクソンでさえ少し驚いたように見えた。
マッハが言う。
「もう一度言っていただけますか?」
「嫌だ」
「記録用です」
「絶対嫌」
ミカイラまで少し笑った。
ドクター・ラクソンは診察を終える。
「休んで」
キランが頷く。
「飛行は禁止」
「分かってる」
「ヒーロー活動も禁止」
「ヒーロー活動の定義は?」
ラクソンが見つめる。
キランはため息をついた。
「分かったよ」
ラクソンがミカイラを見る。
「面会は構いません。ただ、疲れさせないようにしてください」
ミカイラが頷く。
「分かりました」
キランが眉をひそめる。
「なんでみんな、僕に監視役をつけるの?」
ドクター・ラクソンが彼を見る。
「必要みたいだから」
彼女は看護師と一緒に出ていく。
X-Rayも続いた。
ドアが閉まる。
再び静かになる。
ミカイラが椅子へ座り直す。
キランが彼女を見る。
まだ手を離していない。
「大丈夫?」
ミカイラが彼を見つめる。
「私に聞いてるの?」
「うん」
「肺炎なのはあなたでしょ」
「だからって、君が動揺しちゃいけないわけじゃない」
ミカイラは黙った。
そして目を逸らす。
「一瞬……」
そこで言葉が止まる。
キランは待った。
「息が止まるんじゃないかと思った」
彼から冗談が消えた。
マッハも黙っている。
ミカイラは再びキランを見る。
「こういうことに、あなたがずっと対処してきたのは分かってる」
キランが小さく頷く。
「でも、私は違う」
その言葉は、思っていた以上に深く刺さった。
キランが彼女の手を握り返す。
「まだここにいるよ」
「分かってる」
「ドクター・ラクソンが診てくれてる」
「分かってる」
「マッハなんて一秒も放っておいてくれない」
「その通りです」とマッハ。
キランが彼を見る。
「実演ありがとう」
「どういたしまして」
ミカイラがかすかに笑った。
キランは枕へ身体を預ける。
まぶたが重い。
ミカイラが気づく。
「寝て」
「疲れてない」
「さっき自分で、かなり疲れてるって言ったでしょ」
「あれは別のキラン」
「三十秒前の?」
「考え方が変わったんだよ」
「寝て、ホットロッド」
キランが目を閉じる。
「偉そう」
「寝て」
数秒が過ぎる。
キランが片目を開けた。
「何持ってきたの?」
ミカイラが袋を見る。
「何でもない」
「何か持ってきたでしょ」
「あとで」
「何?」
「寝なさい」
「ミカイラ」
「キラン」
「何なの?」
彼女が笑う。
「あなたの好きなお菓子」
キランは本気で傷ついたような顔をした。
「それを僕から取り上げてるの?」
「肺炎なんだから」
「胃は肺炎じゃないよ」
マッハが割り込む。
「ドクター・ラクソンによる食事制限が――」
「マッハ」
「はい?」
「次に言う言葉は慎重に選んで」
ミカイラが笑った。
今度は本物の笑いだった。
キランも笑う。
そのほうがよかった。
もう一度目を閉じる。
ミカイラはそばに残った。
その手はキランの手を握ったまま。
マッハはアバターの光を落とす。
病室が静かになる。
キランの呼吸はまだ苦しそうだった。
時折、咳が混じる。
だが少しずつ――
身体から力が抜けていく。
数分が過ぎる。
ミカイラがマッハを見る。
「眠った?」
マッハがスキャンする。
「もう少しです」
キランは目を閉じたまま言う。
「起きてる」
ミカイラが笑う。
「寝て」
「努力してる」
さらに一分。
呼吸が少しずつ一定のリズムへ落ち着いていく。
マッハは一呼吸たりとも見逃さず監視を続けた。
ミカイラはキランの顔を見守る。
やがて――
彼は起きているふりをやめた。
そして、ようやく眠りについた。
ミカイラは帰らなかった。
マッハも離れなかった。
今だけは――
シトロン・シティも、自分で自分を救えるだろう。




