家を間違えた
隠れ家は静かだった。
痛いほど静かだった。
通りの向かいに配置された警官の一人が、覆面車両にもたれかかり、胸の前で腕を組んでいた。
何も動かない。
何も起きない。
もう一時間近く、何も起きていなかった。
彼は時間を確認した。
そして、もう一度確認した。
三十七秒しか経っていなかった。
「最高だな」
少し離れた場所では、別の警官が路地の入口に立ち、スマホを眺めているふりをしながら定期的に通りを確認していた。
三人目は隣の建物の屋上。
もう一人は隠れ家の裏手。
警察に見えてはいけない。
制服なし。
パトカーなし。
目立つ武器もなし。
ごく普通の住宅街。
ごく普通の家。
その周囲に散らばる、ごく普通の人々。
最初の警官があくびをした。
無線は沈黙したまま。
視線が隠れ家へ向かう。
カーテン越しに明かりが見える。
何も問題ない。
完全に――
**ゴッ。**
家の裏にいた警官が消えた。
悲鳴なし。
銃声なし。
何もない。
倒れる寸前、その身体を一人のNeonが受け止め、静かにフェンスの裏へ引きずり込んだ。
屋上の警官が何かを聞いた。
擦れる音。
彼は振り返る。
「誰だ?」
何もない。
屋上の端へ近づく。
下を見る。
空っぽの路地。
無線に手を伸ばした。
「ユニット3、状況を――」
背後から手が伸びた。
目が見開かれる。
**ドン!**
無線機が屋上を滑っていった。
光を放つ人影が倒れた警官の上にしゃがみ込む。
そして、その身体を見えない場所へ引きずっていった。
路地の入口にいた警官が通信端末を見る。
報告がない。
眉をひそめる。
「3?」
ノイズ。
姿勢を正す。
「3、応答しろ」
返事はない。
武器へ手を伸ばす。
遅かった。
非常階段からNeonが飛び降りる。
**ドガッ!**
警官が崩れ落ちた。
Neonが受け止める。
音を立てないように地面へ下ろす。
そして暗闇へ引きずり込んだ。
通りの向かいでは――
最後の警官がまだ退屈していた。
腕時計を見る。
また一分。
「人生で一番長い夜だ――」
背後で何かが動いた。
振り返る。
何もない。
目を細める。
その時――
車の窓に、かすかなネオンの光が映った。
目が見開かれる。
**ドスッ!**
再び静寂。
通りから人影が消えた。
一人ずつ――
脱獄犯たちと隠れ家の間にあった障害は、すべて消えていた。
遥か上空から――
二つの影が降下する。
ザイラ。
Blizzard。
二人は周囲の高層ビルの間を降下し、隠れ家の真正面へ着地した。
**ドン。**
ザイラのブーツの下から霜が広がる。
彼女は玄関を見る。
「ここか」
Blizzardがスキャンする。
「そのようです」
ザイラは笑った。
「大した場所じゃないな」
「それが狙いでしょう」
ザイラが前へ出る。
Blizzardが即座に手を上げた。
「待ってください」
ザイラが止まる。
「何?」
Blizzardの目が明るくなる。
スキャンパターンが入口を走った。
「扉が内側から補強されています」
「どのくらい?」
「鋼鉄です」
ザイラは眉をひそめた。
「当然か」
Blizzardはさらにスキャンする。
「複数層」
「なら壊す」
「慎重に行動することを推奨します」
ザイラが彼女を見る。
「なぜ?」
Blizzardの意識が扉の向こうへ移る。
「誰かいます」
ザイラの表情が変わった。
「キラン?」
「特定できません」
Blizzardがもう一度スキャンする。
「少なくとも二つの反応」
一拍。
「こちらの存在に気づいています」
ザイラが笑った。
「好都合」
「ザイラ」
「何?」
「待ち伏せの可能性があります」
「だろうな」
「それでも?」
ザイラが両手を上げた。
冷気が指の周囲を渦巻く。
「扉を凍らせろ」
Blizzardは彼女を見つめた。
そして、ため息をついた。
「あなたがいなくて寂しかったです」
ザイラは笑う。
「知ってる」
Blizzardが両手を上げた。
**フォォォォシュ!**
氷が入口を飲み込んだ。
ドア枠へ。
蝶番へ。
鍵へ。
そして補強構造そのものへ。
金属が軋む。
**ミシミシミシ……**
極低温によって鋼鉄が脆くなっていく。
Blizzardが手を下ろした。
「構造強度、大幅に低下」
ザイラが前へ出る。
「完璧」
片手を上げた。
その瞬間――
**フォォォォン!**
眩いレーザーが扉を貫いた。
「伏せろ!」
ザイラが横へ飛ぶ。
Blizzardも反対方向へ飛んだ。
光線が凍結した入口を突き破る。
**ガシャァァァン!**
扉全体が外へ吹き飛んだ。
凍りついた金属片が通りへ散乱する。
煙が開口部から噴き出した。
ザイラが転がる。
「何だ?!」
煙の中から人影が突進してきた。
アダム。
その隣にはPatrol。
アダムは武器を構えていた。
「サプライズだ、クソ野郎ども!」
ザイラの目が見開かれる。
「ああ、お前か」
アダムが撃つ。
**ピュン! ピュン!**
ザイラが身をかがめる。
Blizzardが壁を作った。
**バキン!**
攻撃が氷へ叩きつけられる。
アダムは止まらない。
蒸気の中へ一直線に突っ込んだ。
ザイラが気づいた時には遅かった。
**ドガッ!**
アダムの肩が彼女に激突する。
ザイラが後ろへよろめいた。
「離れろ!」
Blizzardが攻撃。
Patrolが迎撃する。
**フォォン!**
エネルギーと氷が衝突した。
アダムがさらに攻撃する。
ザイラが防ぐ。
反撃。
アダムがかわす。
Patrolが彼の肩越しに発砲した。
**ピュン!**
攻撃がザイラの脇腹をかすめる。
身体が回る。
「SNAT!」
アダムが笑った。
「壁に凍りつけられてないと、そんなに簡単じゃないだろ?」
ザイラが睨む。
「なら、また凍らせてやる」
両手を前へ突き出した。
アダムの目が見開かれる。
「Patrol!」
「回避!」
**フォォォォォォシュ!**
巨大な氷の波が庭を飲み込んだ。
アダムとPatrolが散開しようとする。
間に合わない。
**ドォォォォン!**
二人とも直撃を受けた。
アダムが吹き飛ぶ。
**ガシャァン!**
フェンスを突き破った。
Patrolは建物の側面へ激突する。
ザイラは荒い息を吐いた。
Blizzardが隣に浮かぶ。
「ヘンリー巡査はまだ意識があります」
「よかったな」
ザイラが破壊された入口へ向き直る。
「キラン!」
中へ踏み込んだ。
暗闇。
ザイラはゆっくり進む。
Blizzardが続く。
リビングは空だった。
アダムが突撃した時に倒れたらしい椅子。
ランプはついたまま。
キッチンカウンターには食べ物。
ザイラが周囲を見る。
「キラン?」
何もない。
Blizzardがスキャンする。
「付近に反応なし」
ザイラは眉をひそめた。
「二階を調べろ」
二人は動いた。
速く。
寝室。
空。
二つ目の寝室。
空。
浴室。
空。
クローゼット。
何もない。
部屋を確認するたびに、ザイラの苛立ちは増していった。
「どこにいやがる?」
Blizzardが廊下に浮かぶ。
「MACH-01Aを検出できません」
ザイラが固まった。
「何?」
「Machもです」
「もう一度スキャンしろ」
「すでに行いました」
「もう一度」
Blizzardは従った。
数秒。
何もない。
ザイラは階下へ戻った。
すべてを見る。
家具。
照明。
食べ物。
アダムとPatrol。
あからさまな警察の警護。
完璧に見えた。
完璧すぎた。
表情が変わる。
「まさか」
Blizzardも理解した。
「囮」
ザイラが歯を食いしばる。
「あの野郎ども――」
**フォォォォシュ!**
紫色の何かが破壊された玄関を横切った。
ザイラが振り返る。
「何?!」
紫の閃光が反転する。
さらに速く。
開口部から飛び込んできた。
ザイラはギリギリでかわす。
MACH-01Aがリビングを突っ切った。
キランは笑っていた。
Machが隣に浮かぶ。
「誰か探してる?」
ザイラが睨む。
「キラン」
キランがMACH-01Aを旋回させた。
「やあ」
Blizzardが目を細める。
「ここにはいなかった」
「うん」
ザイラは破壊された家を見る。
そしてキラン。
「ここは隠れ家じゃない」
キランは笑った。
「厳密には、“隠れ家の一つ”ではあるよ」
Machが訂正する。
「より正確には、キランの実際の滞在場所から敵対勢力の注意を逸らすために用意された囮地点です」
ザイラの表情が険しくなる。
「どこだ?」
キランは適当に後ろを指差した。
「あっち」
数棟離れた場所――
シトロン市の高層ビル群の影に隠れた、古びた建物の中に――
もう一軒の家があった。
最初の家とは違い、そこは質素には見えなかった。
廃墟に見えた。
外壁の塗装は剥がれている。
雨樋の一部は垂れ下がっている。
いくつかの窓は、わざと古びて見えるよう加工されていた。
庭も荒れている。
通りから見える明かりはない。
外に警官もいない。
近くに車両もない。
誰も二度見しない。
それこそが狙いだった。
キランはずっとそこにいた。
待っていた。
囮を監視していた。
そしてザイラが中へ入った瞬間――
彼とMachは動いた。
ザイラが先に撃つ。
**フォォォシュ!**
キランが横へロール。
壁が氷に覆われる。
「Mach!」
「照準」
キランが反撃。
**フォォン!**
Blizzardが盾を作る。
蒸気がリビングを満たした。
その中からザイラが飛び出す。
跳躍。
キランはその下を加速した。
**ブォォシュ!**
MACH-01Aが階段の手すりへ激突する。
木材が吹き飛んだ。
キランが旋回。
ザイラが着地する。
「面白いと思ってんのか?!」
「ちょっとだけ!」
「キラン」Machが警告する。
「そうだった。真面目に」
Blizzardが攻撃。
**バキン!**
氷がMACH-01Aの側面装甲へ直撃した。
キランがうめく。
両方のプラズマキャノンを撃つ。
ザイラがキッチンの壁の裏へ飛び込んだ。
**ドォン!**
漆喰が吹き飛ぶ。
Blizzardが反対側から撃つ。
Machが警告。
「後方!」
キランが下降する。
氷が頭上を通過した。
床すれすれを低く加速する。
真正面のザイラへ。
彼女の目が見開かれた。
**ドガッ!**
MACH-01Aが胴体を捉える。
キランはそのまま彼女をキッチンへ押し込んだ。
**ガシャァン!**
二人がキャビネットへ突っ込む。
ザイラがMACH-01Aの装甲を掴んだ。
「離れろ!」
氷が装甲を覆い始める。
警告灯が点滅した。
**外部温度低下**
Machが即座に熱出力を上昇させる。
氷に亀裂が走った。
キランが急速後退。
ザイラの手が外れる。
キランが旋回。
**ドガッ!**
後部装甲が彼女を捉えた。
壁へ叩きつけられる。
Blizzardが突進する。
Machが迎撃。
二人の攻撃が衝突した。
**ドォォン!**
キランが旋回する。
ザイラが身体を起こした。
キランが撃つ。
ザイラが氷を形成する。
遅い。
**フォォン!**
攻撃が彼女の真正面の床へ直撃した。
爆発で後ろへ吹き飛ばされる。
キランが前進する。
「そのまま寝てろ!」
ザイラが見上げた。
「地獄に落ちろ」
発射。
キランがかわす。
外れた。
加速。
もう一発。
Blizzardが防ぐ。
Machが即座に隙を発見した。
「右側!」
キランが撃つ。
**フォォン!**
ザイラが身体を捻る。
プラズマが装甲をかすめた。
部屋の反対側へ転がる。
Blizzardの集中が途切れた。
盾が崩壊する。
キランが両方のキャノンを構えた。
ザイラが見上げる。
荒い息。
Blizzardが隣に浮かんでいる。
光がちらついていた。
Machはキランのそば。
キランも疲れ切っていた。
だが――
今夜初めて――
彼が優位に立っていた。
Machもそれを確認する。
「ザイラの防御能力は大幅に低下しています」
ザイラが睨む。
キランはキャノンを向けたまま。
「やめろ」
ザイラがゆっくり身体を起こす。
「ザイラ」
キランの声が低くなる。
「やめろ」
しばらく――
誰も動かなかった。
その時――
音。
かすかに。
遠くから。
**ドン。**
キランの視線が動く。
ザイラが笑った。
**ドン。**
Machが振り返る。
「キラン」
「聞こえてる」
電子音の低音が壁を震わせる。
**ドン――ドン――ドン。**
キランがゆっくり天井を見る。
「……ああ、Snat」
音楽が大きくなる。
急速に。
**ブォォォン――ツッ!**
建物全体が揺れた。
キランが周囲を見る。
「どこだ?」
Machがスキャン。
「複数のソリッドライト反応が形成されています」
「複数?」
Machの表情が変わった。
「キラン――」
**ガシャァァァァン!**
巨大な何かが家の側面を突き破った。
キランは後方へ飛ぶ。
木材。
漆喰。
ガラス。
家具。
すべてが内側へ吹き飛ぶ。
ネオンの光で構成された巨大な爬虫類の頭部が壁を突き破って現れた。
もう一つ。
さらにもう一つ。
キランは呆然とした。
三本の機械的な蛇の首が、破壊された建物の中をうねる。
金属の顎が開く。
輝く瞳が暗闇を焼く。
その後ろから、さらに頭部が現れた。
巨大なホログラムのヒュドラが隠れ家を引き裂きながら侵入してきた。
**ギャァァァァァァァッ!**
キランの口が開いた。
「冗談だろ」
Machが高速スキャンする。
「ソリッドライト構造体であることを確認」
ザイラが笑った。
EDMは耳をつんざくほどの音量になっていた。
**ドン! ドン! ドン!**
外では――
ナオミが夜空の下に立っていた。
DJ Kre8が光り輝くホログラムターンテーブルの後ろに浮かんでいる。
両手がコントロールの上を走った。
ビートが落ちる。
**ブォォォォォォン!**
ヒュドラの無数の頭が一斉に咆哮した。
崩壊していく家の中で――
キランは見上げた。
巨大な機械の頭部が一つ、真っすぐ彼へ向く。
顎が開いた。
埃の向こうでザイラが笑った。
「第二ラウンドだ」




