包囲
**ドンッ。**
キランの寝室の壁が震えた。
**ドンッ。ドンッ。**
低音がさらに大きくなる。
もう徐々にではない。
近づいてきている。
キランは窓を見つめた。
Machがベッドの横に浮かび、そのアバターは完全に点灯していた。
「キラン」
「分かってる」
**ブォォォォン――ツッ!**
窓ガラスが激しく震えた。
キランはMACH-01Aへ乗り移り、システムを起動した。
**ウィィィィン。**
機体のディスプレイが点灯する。
Machが即座に接続した。
「兵装システム、応答しています」
「スラスターは?」
「作動可能です」
「スキャナー?」
「音源の特定を試みています」
再び低音がアパート全体を揺らした。
**ドォォォォン!**
キランは顔をしかめた。
「音量下げられない?」
Machは彼を見つめた。
「私が流しているわけではありません」
「知ってる。文句言ってるだけ」
寝室のドアが開いた。
アダムがすでに銃を構えた状態で入ってきた。
Patrolが続く。
「何だ、この音は?!」
「EDM」キランが答えた。
「EDMなのは分かってる!」
「じゃあなんで聞いたんだよ?」
アダムが睨む。
「どこから聞こえてる?」
突然、Machの表情が変わった。
「外です」
全員が振り返った。
Patrolが真っ先に窓へ向かった。
下を見る。
次に上。
「ヘンリー巡査」
Patrolの声に何かを感じ取ったアダムは、即座に動いた。
キランも窓へ飛んでいく。
「何?」
Patrolが指差した。
キランが見る。
そして固まった。
「……うわ、Snat」
巨大な何かがアパートの外壁を登っていた。
蜘蛛。
だが――
ただの蜘蛛ではない。
きらめく光だけで構成された、神話の怪物のような巨大蜘蛛。
八本の巨大な脚が建物へ突き刺さりながら上ってくる。
一本一本が数階分もの長さを持っていた。
半透明の胴体には、あり得ないほど複雑なネオンの模様が絶えず流れている。
巨大な頭部を無数の発光する目が覆っていた。
腹部は音楽のリズムに合わせて脈打っている。
**ドンッ。**
一本の脚が壁へ叩きつけられた。
**ドンッ。**
別の脚が数階上へ食い込む。
窓が震える。
住民たちの悲鳴。
バルコニーへ出てきた人々は、即座に室内へ逃げ戻った。
アダムが呆然と見つめる。
「何だよ、あれ」
キランにはもう分かっていた。
「ホログラム」
Patrolがスキャンする。
「違います。物理的質量を確認」
「ソリッドライトです」Machが訂正した。
キランの表情が硬くなる。
「DJ Kre8」
巨大蜘蛛の頭が動いた。
無数の光る目が――
真っすぐキランのアパートへ向けられた。
アダムがキランを見る。
「お前を狙ってる」
キランはスラスターを起動した。
「いつものことだ」
「待て」
「何?」
「作戦が必要だ」
キランは、すでに三階ほど下まで迫っている巨大蜘蛛を見る。
「ある」
アダムが目を細めた。
「何だ?」
「あれを俺の寝室まで来させない」
キランは開いた窓から飛び出した。
「キリアン!」
冷たい夜風が全身へ叩きつけられた。
MACH-01Aのスラスターが咆哮する。
キランはアパートの周囲を鋭く旋回した。
蜘蛛は即座に反応した。
巨大な一本の脚が振るわれる。
「左!」Machが叫んだ。
キランはロールした。
**ブォォォン!**
脚が数センチ下を通過する。
キランはプラズマキャノンを上げた。
**フォォン!**
紫色のプラズマが蜘蛛の脚へ直撃した。
光が爆発する。
脚が歪み――
次の瞬間には再構築された。
キランは顔をしかめた。
「だよな」
Machがスキャンする。
「DJ Kre8が構造体を継続的に補強しています」
「本人を見つけられる?」
「巨大な八本の脚を回避しながらでは困難です」
「それはそう」
蜘蛛が襲いかかった。
キランは上空へ加速した。
アパートの中では――
アダムが階段へ走っていた。
Patrolが続く。
「屋上だ」アダムが言った。
「同意します」
二人は階段を駆け上がった。
キランは怪物の周囲を旋回する。
「Mach!」
「左側第三脚の付け根。そこだけ構造が薄くなっています」
キランが狙う。
**フォォン!**
直撃。
脚が砕け散った。
蜘蛛の身体が傾く。
「よし!」
即座に再生が始まる。
「……ダメか」
屋上のドアが勢いよく開いた。
**バンッ!**
アダムが飛び出した。
Patrolが続く。
アダムが銃を構える。
「キリアン!」
キランが見る。
「遅い!」
「お前が窓から飛び出したんだろ!」
「効率的だった!」
「無謀だった!」
蜘蛛が屋上へ這い上がった。
アダムが発砲する。
**バン! バン! バン!**
弾丸が構造体へ命中した。
Patrolが分析する。
「通常弾による損傷は極めて軽微です」
「見れば分かる!」
キランが急降下して横切った。
「関節を狙え!」
アダムが叫ぶ。
「分かってる!」
「胴体撃ってただろ!」
「試してたんだ!」
Machが口を挟んだ。
「その説明が事実である統計的可能性は低いと思われます」
「お前は黙ってろ!」
蜘蛛が二本の脚を持ち上げた。
キランの目が見開かれる。
「避けろ!」
全員が散開した。
**ズガァァァン!**
コンクリートが砕ける。
アダムは換気設備の裏へ転がり込んだ。
キランが撃つ。
Patrolが照準データを送信する。
Machが気づいた。
「Patrolが構造上の弱点を特定しました」
「送って!」
「すでに受信しています」
キランはアダムを見る。
「お前ら役に立つじゃん!」
アダムが遮蔽物から顔を出した。
「どういたしまして!」
「メダルでも欲しい?!」
「俺は警官だ! もうバッジ持ってる!」
「それとこれは違うだろ!」
蜘蛛が叫んだ。
**ギィィィィィィッ!**
アダムは呆然とした。
「なんで俺たち戦いながら口喧嘩してんだ?!」
キランがまた撃つ。
「お前が始めたんだろ!」
「俺じゃねえ!」
PatrolがMachを見る。
「彼らは戦闘中、常にこのような行動を取るのですか?」
Machはキランのディスプレイへ照準情報を送り込んだ。
「残念ながら」
全員が同時に攻撃した。
アダムが一つの関節へ集中砲火。
キランが別の関節を撃つ。
Patrolが三つ目をマークする。
Machがタイミングを計算した。
「今です!」
キランが両方のプラズマキャノンを放った。
**フォォォォォン!**
蜘蛛の中心部が砕けた。
眩い光の亀裂が全身へ走る。
そして――
**ズガァァァァン!**
構造体が何千もの光の破片となって爆発した。
静寂。
キランは屋上の上空に浮かんでいた。
アダムが銃を下ろす。
「やっとか」
キランが着地する。
「ほら?」
アダムが見る。
「何が?」
「チームワーク」
「今のはチームワークじゃない」
「一緒に戦っただろ」
「俺の指示を全部無視しただろ」
「でも勝った?」
アダムが口を開いた。
**シュッ!**
青い何かが闇を切り裂いた。
Machが反応する。
「来ます!」
遅かった。
**ズガァァン!**
氷の一撃がキランへ直撃した。
MACH-01Aが横方向へ回転する。
「SNAT!」
さらにもう一撃がアダムとPatrolを襲った。
**ドンッ!**
アダムが後方へ吹き飛ばされた。
Patrolは屋上の壁へ叩きつけられる。
氷がコンクリートの上へ広がった。
キランは機体を安定させる。
「何だ――」
MACH-01Aの装甲を霜が這っていた。
Machの表情が硬くなる。
「私たちだけではありません」
キランが見上げた。
一人の人物が屋上へ降り立つ。
銀色の髪。
冷たい瞳。
青い光。
Blizzardが隣に浮かんでいる。
ザイラ・ラインハルトが着地した。
足元で氷が音を立てた。
キランは彼女を見つめる。
「ザイラ」
彼女の表情が歪む。
「驚いた?」
キランのプラズマキャノンが持ち上がった。
「脱獄したって聞いた」
「なら、私が来ることも分かってただろ」
「休暇でも取ってくれればよかったんだけど」
ザイラが目を細めた。
「休暇?」
Blizzardの表情は冷たいままだった。
「変わっていませんね」
Machがキランの隣へ浮かぶ。
「あなたも」
ザイラは無視した。
その視線は完全にキランだけへ向けられていた。
「本当に忘れたと思ったのか?」
キランは答えなかった。
「私がゲートロックの中で、お前の顔を忘れるとでも思った?」
両手の周囲に氷が形成される。
「お前がやったことを忘れると?」
キランの表情が真剣になった。
「ザイラ――」
「お前が弟を殺した」
静寂。
街が周囲に広がっている。
ザイラの声は怒りで震えていた。
「ジャリックはお前のせいで死んだ」
キランは彼女を見つめた。
「覚えてる」
「よかった」
ザイラの足元から氷が広がる。
「今度はお前の番だ」
彼女が攻撃した。
**ヒュォォォォッ!**
キランは加速した。
直前までいた場所を氷が引き裂く。
旋回。
発射。
**フォォン!**
Blizzardが盾を作った。
**バキン!**
プラズマと氷が激突した。
蒸気が屋上いっぱいに爆発する。
その中からザイラが飛び出した。
「お前があいつを奪った!」
キランはかわした。
「ジャリックを死なせたかったわけじゃない!」
「それでも死んだ!」
再び攻撃。
**バキィッ!**
氷がMACH-01Aの装甲へ直撃する。
警告表示が点滅した。
Machが叫ぶ。
「温度低下!」
「分かってる!」
キランが反撃する。
ザイラが身体をひねってかわした。
Blizzardが撃つ。
Machがキランの進路を修正する。
再び激突。
氷。
プラズマ。
スラスター。
蒸気。
どちらも一歩も譲らない。
屋上の反対側では――
アダムがうめいた。
身体を動かそうとする。
動かない。
胴体と両腕を氷で覆われ、コンクリートの壁へ固定されていた。
Patrolも隣で捕らえられている。
アダムが力を込める。
**ミシッ。**
何も起きない。
「Patrol」
「現在、脱出を試みています」
「もっと頑張れ」
「利用可能な最大出力を使用しています」
アダムはうめいた。
「最高だな」
背後から声がした。
「苦戦してる?」
アダムの動きが止まった。
足音が近づく。
影の中から一人の女が現れた。
ウルトラヴァイオレット。
アダムの表情が険しくなる。
「当然いるよな」
ウルトラヴァイオレットが笑った。
「お巡りさん」
そして――
さらに人影が現れる。
ネオンの光が屋上を照らした。
一人。
また一人。
さらに一人。
その先頭には――
Glowstick。
Neonsが屋上へ広がっていく。
アダムは周囲を見回した。
「なるほど」
Patrolが彼を見る。
「戦術的状況が悪化しました」
「見りゃ分かる」
ウルトラヴァイオレットがアダムの前へしゃがんだ。
「警察の自信はどこ行ったの?」
アダムは彼女を睨んだ。
「地獄へ行け」
「素敵」
Glowstickが近づいてくる。
アダムの目がPatrolへ動いた。
ほんのわずかに。
「なあ」
Patrolが彼を見る。
アダムは何気ない口調で言った。
「覚えてるか? あのクソまずいコーヒーの店」
Patrolが静止した。
ウルトラヴァイオレットが眉を上げる。
「何?」
アダムは続けた。
「俺が“エンジン冷却液飲んだほうがマシだ”って言った店」
Patrolは理解した。
二人がずっと以前に決めていた言葉。
セーフワード。
聞いている者には何の意味もないように聞こえる命令。
Patrolが答えた。
「覚えています」
周囲の誰にも気づかれないまま――
救難信号が起動した。
無音。
暗号化。
警察緊急周波数。
**警官、危機的状況。**
**至急応援を要請。**
ウルトラヴァイオレットが笑った。
「思い出話は終わった?」
アダムが彼女を見る。
「今のところはな」
**ドンッ!**
キランが屋上へ墜落した。
MACH-01Aが数メートル滑る。
「キラン!」Machが叫んだ。
「大丈夫!」
離れた場所へザイラが着地した。
息を切らしている。
Blizzardも隣でちらついていた。
キランのほうも大差ない。
ザイラの装備には焦げ跡。
MACH-01Aには霜。
二人とも激しく戦っていた。
そして――
どちらも勝っていなかった。
キランがアダムを見る。
そして止まった。
「あ」
アダムは壁に凍りつけられたまま。
Patrolも隣。
近くにはウルトラヴァイオレット。
その周囲にはNeons。
キランはゆっくり周囲を見回した。
「これは……」
アダムが睨む。
「言うな」
「……あんまり良くないな」
「言うなって言っただろ」
Machがスキャンする。
「ヘンリー巡査およびPatrolに身体的損傷は見られません」
アダムが彼を見つめる。
「俺、壁に凍らされてるんだけど」
「身体的損傷はありません」
「Mach」
「はい?」
「黙れ」
キランが二人の近くへ着地した。
「氷、壊せそう?」
Patrolが答える。
「試みれば注意を引く可能性があります」
キランは周囲を見る。
「もう十分引いてると思う」
Machが声を低くした。
「それより緊急性の高い問題があります」
キランはその視線を追った。
足音。
屋上の反対側から――
ナオミが現れた。
DJ Kre8が隣に浮かんでいる。
EDMが戻ってきた。
最初は低く。
**ドンッ。**
そして大きく。
**ドンッ。**
**ドンッ。**
ウルトラヴァイオレットが前へ出る。
背後でNeonsが広がる。
Glowstickが笑った。
反対方向からザイラが近づく。
Blizzardが隣。
さらに別方向からナオミ。
DJ Kre8のソリッドライトが周囲で揺らめいている。
キランはゆっくり身体を回した。
どの方向も――
塞がれていた。
アダムが周囲を見る。
「で」
キランが彼を見る。
「ん?」
「例の馬鹿げた作戦はあるのか?」
キランは少し考えた。
「ない」
アダムは見つめた。
「マジか?」
「忙しかったんだよ!」
Machが周囲を分析する。
「現在、脱出経路は極めて限定されています」
Patrolが訂正した。
「存在しません」
「ありがとう、Patrol」
「どういたしまして」
キランがアダムを見る。
アダムもキランを見る。
こんな状況にもかかわらず――
キランは弱々しく笑った。
「警察の警護も役に立たなかったな」
アダムが目を細める。
「まだ死んでない」
「ほら。その楽観主義をずっと教えようとしてたんだよ」
「始めるな」
ザイラが正面で止まった。
ウルトラヴァイオレットが左。
ナオミが右。
Neonsが円を完成させる。
DJ Kre8がさらに高く浮かび上がった。
Blizzardの瞳が青く輝く。
Glowstickが指の関節を鳴らした。
キランとMachは、氷漬けにされたアダムとPatrolの隣にいた。
包囲。
疲労。
数的不利。
ザイラが笑った。
「昔からしつこかったな、キラン」
ウルトラヴァイオレットが腕を組む。
「でも、しつこさが役に立つのは逃げ道がある時だけ」
ナオミが包囲網を見渡した。
「今回はない」
DJ Kre8の光が強くなる。
Blizzardが両手に氷を形成した。
Neonsが距離を詰める。
ザイラは真っすぐキランを見た。
「周りを見ろ」
キランは見た。
一方向。
塞がれている。
反対側。
塞がれている。
背後。
塞がれている。
上には――
DJ Kre8。
ウルトラヴァイオレットが笑った。
「今度こそ逃げられないよ」
包囲網が狭まった。
キランはMachを見る。
Machも彼を見る。
アダムは氷から抜け出そうと無駄に力を込めた。
Patrolの救難信号は送信され続けている。
無音。
不可視。
外の世界へ届く、彼ら唯一のメッセージ。
**警官、危機的状況。**
**応援要請。**
**緊急。**
キランはプラズマキャノンを持ち上げた。
「さて……」
スラスターが光り始める。
「……出口は自分たちで作るしかないな」




