個人的な恨みはない
監視映像は驚くほど鮮明だった。
ヴェンティックスは暗闇の中に一人座り、携帯端末の画面越しにキラン・キリアンを見つめていた。
小型ドローンはギアの工房の外に浮かび、そのカメラを窓の一つへ向けている。
中では――
キランとギアが口論していた。
当然のように。
「ちょっと確認させて」
ギアが作業台にもたれる。
「あんたには、あのめちゃくちゃホットな彼女の家に泊まるチャンスがあったのに……」
キランが即座に眉をひそめる。
「……それを断って、ここに来たわけ?」
「彼女を危険に巻き込みたくないんだ」
「はいはい」
「本当に」
「そうだね」
キランがギアを見つめる。
「何、その言い方?」
「もしミカイラが私に“うちに泊まらない?”なんて言ってきたら、こんなところで機械油の臭い嗅いでないってこと」
マッハが二人の間へ浮かぶ。
「ギアの主張は、主としてホルモンに基づいています」
「ありがとう、マッハ」
「賛同したわけではありません」
キランがため息をつく。
「僕が一緒にいたら、ミカイラまで危険になるかもしれない」
ギアが肩をすくめる。
「あんたと付き合ってる時点で危険かもしれないけどね」
「全然助けになってない」
「言ってみただけ」
キランは工房の奥へ進んだ。
奥には仮の寝床が用意されている。
豪華とは言えない。
だがギア自身がほとんどこの工房に住んでいるようなものなのだから――
キランはもっとひどい環境を経験したことがある。
ギアが後ろからついてくる。
「それで、いつまでいるの?」
「数日」
「曖昧」
「準備ができたら家に帰る」
ギアのからかうような表情が少し薄れた。
キランは気づいた。
「本気だよ」
ギアを見る。
「サヴァントに脅されたからって、自分の家から逃げたままになるつもりはない」
「誰もそんなことしろとは言ってない」
「分かってる」
ギアが腕を組む。
「でも、何かを証明するためだけに急いで戻るのはやめなよ」
キランはすぐには答えなかった。
そして――
「ありがとう、ジェラルド」
ギアの目が見開かれる。
「やめろ」
キランが笑う。
「どうしたの、ジェラルド?」
「分かってて言ってるでしょ」
「ジェラルド」
マッハがゆっくり後退する。
「私はこの場から離れたほうがよさそうです」
ギアがレンチを掴む。
キランが笑った。
外では――
ヴェンティックスが映像を見つめていた。
親指で携帯端末の側面をゆっくりとなぞる。
これが標的?
ため息をついた。
「やれやれ」
映像を閉じる。
仕事の時間だ。
数時間後――
ギアの工房は静まり返っていた。
珍しいことに。
大型機械のほとんどは停止している。
作業灯が巨大な工房のあちこちを照らしていた。
作りかけの機械がいくつもの作業台を占領している。
交換用の装甲パネルが天井ラックから吊り下げられていた。
工具は文字どおり、置ける場所のほぼすべてを埋め尽くしている。
以前、キランはギアに「ちゃんと整理するルールとかあるの?」と聞いたことがあった。
ギアはドリルで脅してきた。
二度と聞かなかった。
キランは仮の寝床へ向かった。
マッハが隣を浮かぶ。
「セキュリティシステム、作動中」
「ドアは?」
「施錠済みです」
「窓は?」
「保護されています」
「警報は?」
「作動中です」
キランが頷く。
「じゃあ今夜こそ、本当に眠れるかも」
マッハが彼を見る。
「何?」
「何も」
「今のは批判的だった」
「何も言っていません」
「その“何も”が批判的だった」
キランは身体を休める位置まで下げようと操作系へ手を伸ばした。
その時――
マッハが止まった。
「キラン」
その声だけで、空気が一変した。
キランが彼を見る。
「何?」
マッハは答えない。
暗い工房へ向き直る。
スキャン。
キランもその視線を追う。
何もない。
そして――
**バヂッ!**
照明が消えた。
闇が工房を飲み込む。
キランが固まる。
「……マッハ?」
「セキュリティシステムが妨害されました」
「睡眠は諦めるか」
**シュッ!**
暗闇から金属ケーブルが飛び出す。
「伏せて!」
キランが頭を下げる。
ケーブルが頭上すれすれを通過した。
背後の金属棚へ巻きつく。
**グイッ!**
棚全体が倒れた。
**ガシャァン!**
工具や部品が床一面に飛び散る。
キランがMACH-01Aを起動。
**キィィィィン!**
スラスターが唸りを上げる。
マッハが暗闇を照らした。
そこには――
二つの作業台の間に立つ――
ヴェンティックス。
全身装甲。
ヘルメット。
微動だにしない。
キランが見つめる。
「誰?」
返事はない。
ヴェンティックスが突進する。
「そう来るか!」
キランが加速。
**ゴォッ!**
ヴェンティックスが拳を振るう。
キランがかわす。
ぎりぎりで。
拳が油圧リフトへ直撃した。
**バキッ!**
金属が内側へひしゃげる。
キランの目が見開かれる。
「強い」
「確認しました」
「聞いてない!」
ヴェンティックスが再び襲う。
キランが発砲。
**ピュン! ピュン!**
ヴェンティックスが身体を捻ってかわす。
プラズマ弾は二発とも外れた。
キランは作業台を回り込むように加速する。
「マッハ! リフト7!」
マッハが即座に工房のシステムへ接続。
ヴェンティックスの足元にある機械式プラットフォームが上昇する。
**ウィィィン!**
ヴェンティックスが下を見る。
キランが笑う。
「サプライズ」
リフトが猛烈な勢いで上昇した。
ヴェンティックスが跳ぶ。
頭上の支持梁を掴む。
そのまま前方へ振り子のように飛び――
MACH-01Aごとキランを蹴り飛ばした。
**ドン!**
キランが回転する。
「ぐあっ!」
ヴェンティックスが着地。
「いつもなら効くのに!」
「彼は同意していないようです」
キランが別の機械を見る。
「磁気クレーン!」
**ガン!**
頭上の巨大な電磁石が起動。
周囲の工具が一斉に飛び上がる。
**ガン!**
**ガシャン!**
ヴェンティックスの装甲が引っ張られる。
一瞬――
動けなくなった。
キランが笑う。
「捕まえた」
ヴェンティックスは冷静にベルトへ手を伸ばした。
**カチッ。**
装置が起動する。
装甲に働いていた磁力が消えた。
キランの笑みも消える。
「いやいや、それはズルいでしょ」
ヴェンティックスがクレーンから垂れていたチェーンを引きちぎる。
振り回す。
キランが後方へ加速。
**ドン!**
チェーンがMACH-01Aの前部装甲へ激突した。
警告灯が点滅。
「装甲損傷!」
「気づいた!」
ヴェンティックスが引く。
チェーンがMACH-01Aへ巻きつく。
キランの車椅子が前方へ引きずられた。
真っすぐヴェンティックスへ。
拳が持ち上がる。
キランの目が見開かれた。
「マッハ!」
「緊急切り離し!」
装甲パネルが外れる。
**ガン!**
チェーンはキランではなく、そのパネルだけを引き剥がした。
キランが上空へ飛び上がる。
ヴェンティックスが見上げる。
キランが下を見る。
「重機は好き?」
返事なし。
「ほんと喋らないね」
キランが制御盤へ発砲する。
**ピュン!**
**バヂッ!**
吊り下げられていたエンジンユニットが落下。
ヴェンティックスが横へ飛ぶ。
**ドォォォン!**
床が揺れた。
煙が工房を満たす。
キランが煙の中を探す。
「今ので――」
ヴェンティックスが姿を現す。
「だよね」
何かを撃った。
**シュッ!**
小さな装置がMACH-01Aへ貼りつく。
マッハの目が見開かれる。
「電子妨害装置!」
**バヂヂヂッ!**
キランの操作系が激しく明滅する。
「いや、いや、いや――」
MACH-01Aが落下した。
**ガシャァン!**
キランが床へ叩きつけられる。
ヴェンティックスが近づく。
マッハがシステムの安定化を試みる。
「干渉を除去中」
キランは必死に周囲を見る。
「ギアのコンプレッサー」
マッハは理解した。
近くの産業用コンプレッサーが起動。
圧力が上昇する。
ヴェンティックスがそちらを見る。
遅い。
ホースが外れた。
**ブシュウウウッ!**
圧縮空気がヴェンティックスを横から吹き飛ばす。
彼は作業台を突き破った。
キランが笑う。
「ハッ!」
ヴェンティックスは即座に立ち上がった。
「……こいつ嫌い」
戦いは続いた。
数分が数時間のように感じられた。
キランとマッハが何か使えそうなものを見つけるたび――
ヴェンティックスは適応した。
溶接装置で後退させる。
無力化された。
修理用ロボットアームが脚を掴む。
切断された。
マッハがギアの自動タイヤ発射装置を起動する。
ヴェンティックスはタイヤを受け止めた。
キランが固まる。
「嘘でしょ」
ヴェンティックスが投げ返す。
**ドン!**
「痛っ!」
やがて――
MACH-01Aは限界を迎えた。
キランも同じだった。
**ガシャァン!**
再び床へ激突する。
今度は――
すぐには起き上がれなかった。
マッハのアバターが激しくちらつく。
「キラン……」
「まだ……」
キランが咳き込む。
「……いるよ」
ヴェンティックスが近づいてくる。
彼の装甲にも損傷はあった。
装甲板には無数の傷。
ヘルメットの一部は焦げている。
呼吸も先ほどより荒い。
だが立っている。
キランは立てない。
ヴェンティックスが彼の前で止まる。
キランが見上げる。
「そろそろ誰なのか教えてくれる?」
沈黙。
「誰に雇われた?」
何もない。
「本気?」
ヴェンティックスが武器を持ち上げる。
そして――
ようやく口を開いた。
「悪いな、坊主」
キランが固まる。
ヴェンティックスの声は穏やかだった。
ほとんど何でもないことのように。
「個人的な恨みはない」
武器を握り直す。
「仕事をしてるだけだ」
ヘルメットがマッハへ向く。
「ただし、お前のVentは別だ」
マッハが見つめ返す。
「そいつならタダでも壊してやる」
それにはマッハも反応した。
「なぜです?」
ヴェンティックスは答えない。
損傷したマッハのアバターが、彼へ向き合える程度まで安定する。
「あなたは任務を遂行するうえで必要な範囲を大きく超えて、私に敵意を示しています」
ヴェンティックスが首を傾げる。
マッハが続ける。
「なぜ私を破壊することに満足を感じるのです?」
ヴェンティックスが鼻で笑った。
「生きてもいないものは殺せねえよ」
マッハが黙る。
キランの表情が険しくなった。
ヴェンティックスが武器を構える。
「さて――」
**ドォォォォン!**
爆発的な一撃が胸部へ直撃した。
ヴェンティックスが後方へ吹き飛ぶ。
**ガシャァン!**
作業台を突き破る。
キランが目を見開く。
入口から重い足音が響く。
**ズン。**
**ズン。**
**ズン。**
外骨格を装着したレイモンドが入ってきた。
武器はまだ構えられている。
銃口から煙が立ち上っていた。
ヴェンティックスが瓦礫の中からゆっくり身体を起こす。
レイモンドはキランを見る。
次にマッハ。
そして破壊された工房。
その顔が険しくなる。
彼はキランたちとヴェンティックスの間へ立った。
「ここまでだ」
ヴェンティックスが完全に立ち上がる。
「どけ」
レイモンドは動かない。
「こいつが欲しいのか?」
外骨格のサーボが唸り、レイモンドが両拳を構える。
「だったら俺を倒してから行け」
ヴェンティックスが彼を見つめる。
レイモンドも見つめ返す。
どちらも動かない。
そして――
ヴェンティックスが突進した。
レイモンドも同時に走り出す。
**ドォォォォン!**
二人の拳が激突した。




