静寂のあと
シトロン・アカデミーまでの帰り道は、何事もなく平穏だった。
それが――
これまでに起きたすべてを考えると――
逆に怪しかった。
キランはホバーバスの隣を飛んでいた。
マッハもその横を並んで飛ぶ。
車内では、生徒たちも次第に落ち着きを取り戻していた。
眠っている者。
話している者。
そしてすでに、コルビュジエで起きた出来事を盛大に脚色して投稿している者。
ある生徒は、自分たちが「十階建ての殺人ロボット」と戦ったと言い張っていた。
別の生徒は、建物全体が宇宙船へ変形しようとしたと言っている。
ディルは――
珍しく――
何も言わなかった。
窓際の席に座っている。
静かに。
ミカイラはそれに気づいた。
いつもの騒がしさより、むしろこっちのほうが心配だった。
通路を歩き、彼の隣で止まる。
「大丈夫?」
ディルが顔を上げる。
「うん」
ミカイラが眉を上げる。
ディルがため息をつく。
「本当に」
彼女は隣の空いている席へ座った。
しばらく――
二人は窓の外を流れていくシトロン・シティを眺めた。
やがてディルが口を開く。
「俺、マジでやらかした」
ミカイラは否定しなかった。
「悪い判断をしたわね」
ディルが彼女を見る。
「それって先生語で『やらかした』って意味だろ」
ミカイラがわずかに笑う。
「だいたいね」
ディルが俯く。
「みんなを死なせるところだった」
声は小さかった。
冗談もない。
ニヤつきもない。
何もない。
ミカイラの表情が柔らかくなる。
「でも、死なせなかった」
「キリアン先生が来てくれたから」
「それに、みんなが協力したからよ」
ディルはバスの前方を見る。
クラスメイトたち。
また笑っている者もいる。
眠っている者もいる。
一人の生徒がキャンディを投げ、別の生徒に手を叩かれている。
ディルが唾を飲み込む。
「退屈するのが、この世で一番最悪なことだと思ってた」
ミカイラが笑う。
「ティーンエイジャーは大体そう思うものよ」
ディルが彼女を見る。
「死ぬほうが最悪だった」
ミカイラは思わず笑った。
「とても深い学びね」
「成長」
「調子に乗らない」
ディルが笑う。
戻ってきた。
少しだけ。
ミカイラが立ち上がる。
「少し休みなさい」
ディルが頷く。
「それと、ディル?」
彼が顔を上げる。
「もう謎のボタンには触らないこと」
両手を上げる。
「絶対に」
ミカイラが見つめる。
ディルが付け加える。
「ちゃんと何のボタンか書いてあれば別だけど」
「ディル」
「冗談」
ミカイラは歩いていった。
ディルは再び窓の外を見る。
キランとマッハが見えた。
バスの隣を飛んでいる。
ディルがわずかに笑う。
そして――
座席にもたれた。
再び静かに。
シトロン・アカデミーでは――
ホバーバスが降下した。
**ヴォォォォン。**
保護者と学校職員はすでに待っていた。
事件の知らせは広まっている。
つまり――
パニックも広まっていた。
扉が開いた瞬間――
生徒たちが一斉に外へ出る。
保護者が駆け寄る。
四方八方から質問が飛び交った。
「大丈夫なの!?」
「何があったの!?」
「誰か怪我したの!?」
「本当に建物が撃ってきたの!?」
ある母親は即座に娘を抱きしめた。
別の保護者は、詳しい事情を聞く前から誰かを訴えそうな顔をしている。
ミカイラは最後に降りた。
キランとマッハも近くへ着地する。
彼女は疲れ果てていた。
キランが笑う。
「で」
ミカイラが彼を睨む。
「言わないで」
キランが笑う。
「今日は順調にいくって言ってなかった?」
ミカイラが彼を指す。
「言わないでって言ったでしょ」
マッハがキランの隣に浮かぶ。
「彼は警告していたと思います」
ミカイラがマッハを見る。
「あなたまで?」
マッハが目を逸らす。
キランが笑う。
すると――
ミカイラも笑った。
我慢できなかった。
何もかもが失敗した。
完全に。
見事なほどに。
それでも、全員生きている。
今は、それで十分だった。
彼女はキランへ近づく。
「ありがとう」
キランが肩をすくめる。
「もう言ったでしょ」
「分かってる」
家族と再会している生徒たちを見る。
「でも……」
表情が柔らかくなる。
「……もう一度、ありがとう」
キランが笑う。
「いつでも」
ミカイラが凝視する。
「お願いだから、それは言わないで」
キランが笑った。
「確かに」
彼女は身を屈め、キスをした。
短く。
優しく。
その時――
背後から声が上がる。
「おおおおおおおっ!」
キランが固まる。
ミカイラも固まる。
何人もの生徒が見ていた。
先頭にはディル。
満面の笑み。
「マッキントッシュ先生に彼氏がいるぞー!」
生徒たちが一斉に騒ぎ出す。
ミカイラの顔が真っ赤になる。
キランが呆然とする。
「……最悪」
マッハが笑う。
「最高ですね」
ミカイラがディルを指す。
「キャラハン!」
ディルは即座に逃げた。
「また月曜日にー!」
ミカイラは三歩ほど追いかける。
そして止まった。
ため息。
キランが笑う。
「元に戻ったね」
「残念ながら」
その後――
キランは自宅へ戻った。
レイモンドはすでにそこにいた。
キランが入ってくると顔を上げる。
「今日は静かな一日のはずだったよな」
キランが見つめる。
「ミカイラもそうだった」
レイモンドが眉を上げる。
「何があった?」
キランはバトルアーマーの一部を外し始める。
「廃墟になった科学研究所」
レイモンドが待つ。
「暴走したAIセキュリティシステム」
レイモンドがゆっくり頷く。
「もちろん」
「レーザートラップ」
「だろうな」
「産業用の毒針」
レイモンドが止まる。
「待て」
キランは続ける。
「火炎放射式の滅菌装置」
レイモンドが凝視する。
キランが彼を見る。
レイモンドが指を差す。
「一番大事なところを後回しにするな」
「生きてるよ」
「そういう問題じゃない!」
マッハが後ろから入ってくる。
「キランは収縮中の廊下へライトスピードで意図的に突入もしました」
レイモンドの顔が引きつる。
キランがゆっくりマッハを見る。
「裏切り者」
レイモンドが額を押さえる。
「ストレスで俺を殺す気か?」
「違うよ」
「だったら大失敗だ。効いてる」
キランが笑う。
レイモンドが車椅子へ近づく。
「損傷は?」
「ほとんど見た目だけ」
マッハが訂正する。
「装甲に中程度の損傷」
キランがため息をつく。
「ほとんど見た目寄り」
レイモンドが首を振る。
「ギアが喜ぶぞ」
キランが見つめる。
「レイモンドが壊したって言っとく」
レイモンドが彼を見る。
「今夜を生き延びたいか?」
「確かに」
レイモンドは車椅子の点検を始めた。
その時――
キランがいつもより静かなことに気づく。
「何だ?」
キランが彼を見る。
「何が?」
「その顔してる」
キランが眉をひそめる。
「どの顔?」
「考えすぎてる時の顔」
キランが笑う。
「マッハ?」
マッハが頷く。
「しますね」
キランが二人を見る。
「二人ともひどいな」
レイモンドが待つ。
キランの笑みが薄れる。
「あのAI」
レイモンドは黙って聞く。
「H.O.M.E.」
キランが床を見る。
「僕たちを殺そうとした」
レイモンドが頷く。
「でも……」
キランがためらう。
「それでも、かわいそうだと思う」
レイモンドは笑わなかった。
「どうして?」
「ずっと一人だった」
キランが背もたれへ身体を預ける。
「十二年近く」
マッハが近くへ浮かぶ。
「創造者が戻ってくると信じていました」
レイモンドの表情がわずかに変わる。
キランは続ける。
「それで、どうやら……」
マッハを見る。
「……シンクレアが消えたあと、自分でセキュリティプログラムを書き換え始めたらしい」
レイモンドが眉をひそめる。
「それで疑心暗鬼になったわけか」
「だいたいね」
マッハが付け加える。
「最終的には、すべての人間を脅威だと考えるようになりました」
レイモンドがキランを見る。
「それで、お前を炭にしようとした奴をかわいそうだと思ってるのか」
キランが肩をすくめる。
「だからって、やったことが正しいわけじゃない」
「それならいい」
「でも……」
キランは考え込む。
「……誰かに置いていかれて怒る気持ちは分かる」
レイモンドが彼を見る。
キランはそれ以上説明しなかった。
その必要もなかった。
レイモンドには、キラン自身が思っていた以上に、その言葉の意味が分かった。
マッハが静かに言う。
「シンクレア博士は帰ってくるのか、と私に尋ねました」
レイモンドが彼を見る。
「何て答えた?」
マッハの表情が悲しげになる。
「答える時間がありませんでした」
沈黙。
レイモンドが二人を見る。
そして――
「それでよかったのかもしれない」
キランが眉をひそめる。
「どうして?」
「分からなかったんだろ」
レイモンドは車椅子の点検を続ける。
「答えが存在しないのに、答えを欲しがる時もある」
視線を落とす。
「そこで適当な答えを作っても、何の助けにもならない」
キランは考えた。
マッハも。
レイモンドが肩をすくめる。
「シンクレアはH.O.M.E.を捨てたのかもしれない」
「死んだのかもしれない」
「あるいは、誰かに帰れないようにされたのかもしれない」
キランの目が細くなる。
その可能性は考えていなかった。
レイモンドが気づく。
「やめろ」
キランが彼を見る。
「何を?」
「探偵モードに入るな」
キランが凝視する。
レイモンドが指を差す。
「その顔になってる」
キランが笑う。
「探偵の顔なんてないよ」
「絶対ある」
マッハが頷く。
「間違いなくあります」
キランがため息をつく。
「分かったよ」
窓の外を見る。
コルビュジエは街のどこかにある。
再び暗く。
空っぽで。
静かに。
そして突然――
研究所が閉鎖される直前にH.O.M.E.の創造者が失踪したという事実が、ただの過去の出来事には思えなくなった。
それは少しずつ――
一つの疑問へ変わり始めていた。
その夜――
コルビュジエ科学研究所は暗闇の中に佇んでいた。
生徒はいない。
教師もいない。
キランもいない。
マッハもいない。
残っているのは――
建物だけ。
死んだように。
風が外壁の壊れた部分を通り抜けていく。
内部では――
制御室は破壊されたままだった。
メインコンソールは真っ暗。
火花も止まっている。
すべてが静かだった。
その時――
研究所の遥か地下のどこかで――
**ピッ。**
小さな緑色のランプが点灯した。
制御室ではない。
さらに深い場所。
十二年近く誰にも触れられていない、封鎖された研究室の中。
**ピッ。**
バックアップシステムが起動した。
古い端末に文字がゆっくり表示される。
**アーカイブネットワーク復旧**
そして――
**シンクレア最終ログを復元中**
画面がノイズに覆われる。
映像が現れた。
ハロルド・シンクレア博士。
以前より年老いている。
疲れ切っている。
そして――
怯えている。
博士はカメラを真っ直ぐ見ていた。
その背後で――
何かが扉を叩いた。
**ドン!**
シンクレアが身体を震わせる。
早口で話す。
「もし誰かがこれを見つけたなら……」
ノイズが録画を歪ませる。
「……H.O.M.E.が問題なんじゃない」
また衝撃。
**ドン!**
シンクレアが背後を見る。
そしてカメラへ戻る。
「私は間違っていた」
映像が明滅する。
「私たちを守れるものを作ったつもりだった」
呼吸が荒くなる。
「だが、この施設には別の何かがいる」
**ドン!**
背後の扉が歪んだ。
シンクレアの目が見開かれる。
「そして、もしそれが外へ出たら――」
ノイズが映像を飲み込んだ。
録画が停止する。
そして消えた。
端末に最後のメッセージが表示される。
**ファイル破損**
再び静寂が訪れた。
数秒間――
何も起こらない。
その時――
封鎖された研究室の扉の向こう側から――
**ギィィィィィィ……**
長い金属音が向こう側を引っ掻くように響いた。
そして止まる。
ハロルド・シンクレア博士が恐れていたものは――
まだそこにいた。




