校外学習
巨大なホバーバスが、エンジンを低く唸らせながらシトロン・アカデミーの駐車場に停まっていた。
生徒たちが次々と乗り込んでいく。
リュックを背負っている者。
お菓子を持っている者。
数時間の校外学習ではなく、数週間の旅にでも出るつもりなのかと思うほど大量の荷物を持っている者までいた。
ミカイラ・マッキントッシュは入口の横に立ち、タブレットを確認していた。
「キャラハン」
返事なし。
ミカイラが顔を上げる。
「ディラン・キャラハン」
まだ返事がない。
眉をひそめる。
「ディル?」
突然、ホバーバスの下から手が出てきた。
「います!」
ミカイラが飛び上がる。
「ディル!」
ディラン“ディル”・キャラハンが、整備用クリーパーに寝転がったまま車体の下から滑り出してきた。
満面の笑み。
「車体下部の点検です」
ミカイラが見つめる。
「なんで?」
「安全のため」
「あなた、ホバーバスの整備なんて何も知らないでしょ」
ディルが起き上がる。
「だから面白いんですよ」
近くにいた生徒たちが笑った。
ミカイラも笑わないようにした。
失敗した。
小さな笑みが漏れる。
だが、すぐにバスを指した。
「乗って」
ディルが立ち上がる。
「はい、先生」
バスへ乗り込む。
ミカイラは首を振った。
「あの子のせいで二十年は老けそう」
近くを通りかかった別の教師が笑う。
「二十年だけ?」
ミカイラが睨む。
「縁起でもないこと言わないで」
最後の名前を確認する。
全員いる。
奇跡的に。
ミカイラも乗り込んだ。
ドアが閉まる。
**シュッ!**
ホバーバスが浮上する。
シトロン・アカデミーが眼下へ遠ざかると、生徒たちが歓声を上げた。
ミカイラがクラスへ向く。
「はい、みんな!」
誰も聞いていない。
車内は会話でいっぱい。
すでにスマートフォンを出している者もいる。
二人の生徒が座席を巡って言い争っている。
後ろでは誰かがお菓子を投げていた。
ミカイラがため息をつく。
「みんな!」
車内が静かになる。
ほとんど。
「ありがとう」
ミカイラは通路に立った。
「知っての通り、今日はコルビュジエ科学研究所を見学します」
一人の生徒が手を上げる。
「あそこって閉鎖されてませんでした?」
「されてるわ」
それだけで一気に注目が集まった。
ディルが身を乗り出す。
「不法侵入するんですか?」
「しません」
露骨にがっかりした。
ミカイラは続ける。
「研究所が正式に閉鎖されたのは十年以上前よ」
別の生徒が聞く。
「なんでですか?」
「設備上の問題」
ディルが手を上げる。
ミカイラはすでに指名したことを後悔していた。
「何?」
「設備上の問題って、“トイレが壊れてる”みたいなやつですか……」
身を乗り出す。
「……それとも“建物に幽霊が出る”みたいなやつ?」
クラスが笑う。
ミカイラも微笑んだ。
「幽霊はいません」
ディルが真剣に頷く。
「幽霊ならそう思わせたいでしょうね」
さらに笑いが起きる。
「キャラハン」
「すみません」
反省していない。
ミカイラは続ける。
「コルビュジエ科学研究所は歴史的にも重要な施設なの」
バスの前方にホログラム映像が現れる。
巨大な未来的研究施設。
ガラス張りの塔。
相互につながった研究棟。
中央にはドーム状の建造物。
「何十年もの間、シトロン・シティで最も重要な技術的進歩のいくつかが、ここで生み出されました」
表示が変わる。
ロボット工学。
エネルギーシステム。
初期のVentアーキテクチャ。
先進医療技術。
生徒たちも徐々に興味を示し始めた。
ミカイラが笑う。
「私たちが毎日使っているシステムの中にも、コルビュジエでの実験から始まったものがあります」
ディルが周囲を見る。
「つまり……」
わざと声を低くする。
「……ここが宿題を生み出したんですね」
ミカイラが見つめる。
「そうよ」
生徒たちが笑う。
「それから、勝手にどこかへ行ったら……」
ディルを指す。
「……あなたはここに置いて帰るから」
ディルの目が見開かれる。
「それ、法的に問題ありません?」
「たぶんあるわね」
ミカイラが笑う。
「だからちゃんとしなさい」
ホバーバスはシトロン・シティの上空を進んでいった。
そびえ立つ都市のスカイラインが徐々に低くなっていく。
近代的な建物から、古い地区へ。
そして――
コルビュジエ科学研究所が姿を現した。
ミカイラは窓の外を見る。
一瞬――
彼女は教師ではなくなった。
幼い少女だった。
父親が手を握っている。
周囲には鮮やかな展示。
ガラスの向こうで動く機械。
来場者に発明品を披露する科学者たち。
展示窓に顔を押しつけていたことを覚えている。
質問ばかりしていた。
何かが光るたびに大喜びしていた。
その記憶に、ミカイラは笑みを浮かべた。
一人の生徒が気づく。
「先生、来たことあるんですか?」
ミカイラが振り向く。
「何度もね」
「いつ?」
「あなたたちくらいの頃」
ディルが見つめる。
「古代ですか?」
ミカイラがゆっくり振り向く。
ディルは即座に目をそらした。
「すみません」
クラスが笑う。
ミカイラも思わず笑った。
「家族によく連れてきてもらったの」
再び研究所を見る。
「私が大きくなった頃には、もう博物館みたいな感じだったけど」
建物が近づく。
今でもかなり立派に見える。
だが、年月による劣化は明らかだった。
暗い窓。
外壁の一部には錆。
低層部には蔦が這っている。
入口の上には色褪せた看板。
**CORBUSIER SCIENCE INSTITUTE**
その下には――
ずっと新しい表示。
**施設閉鎖**
ホバーバスが降下する。
**ヴォォォン。**
着陸。
生徒たちが即座に立ち上がった。
「座って!」
全員が座る。
ミカイラが見つめる。
「なんで授業中より今のほうが言うこと聞くの早いの?」
ディルが手を上げる。
「恐怖です」
ミカイラが指をさす。
「降りて」
外へ出ると――
研究所はミカイラの記憶とは違って感じられた。
静かだった。
あまりにも静か。
巨大な駐車場には、彼らのバス以外何もない。
研究者はいない。
来場者もいない。
警備員もいない。
周囲の木々を揺らす風の音だけ。
一人の生徒が建物を見つめる。
「ちょっと怖いですね」
ディルは嬉しそうだった。
「ほら」
ミカイラが首を振る。
「怖くないから」
どこか頭上で、緩んだ金属板が軋んだ。
**キィィィィ……**
全員が見上げる。
ミカイラが固まる。
「……タイミング悪すぎ」
ディルが笑う。
「幽霊」
「違う」
「絶対幽霊」
ミカイラは生徒たちを集めた。
「全員、離れないで」
声が少し真剣になる。
「ここは古い研究施設です」
建物を指す。
「安全じゃない区域があるかもしれません」
ディルが即座に興味を示した。
ミカイラが気づく。
目を細める。
「だから、誰も勝手に探検しないこと」
ディルが無実そうな顔をする。
「なんで僕を見るんです?」
「経験よ」
入口へ向く。
保守管理担当者が、予定されていた見学のために公共エリアを遠隔で解錠していた。
ドアが開く。
**シュウゥ……**
中には暗闇が待っていた。
ディルが囁く。
「幽霊」
ミカイラがため息をつく。
中へ入ると、施設がゆっくり目覚め始めた。
自動照明が次々と点灯する。
**カチッ。**
**カチッ。**
**カチッ。**
展示物が浮かび上がる。
ロボット工学。
人工知能。
医療工学。
初期のホバー技術。
古い機械が保護ガラスの向こうに並んでいた。
生徒たちはすぐに周囲を見始める。
ミカイラが笑う。
これだ。
覚えている、あの感覚。
「昔は、ここも人でいっぱいだったの」
生徒たちを奥へ案内する。
「研究者たちは二十四時間体制で働いていました」
大きな円筒形の装置を指す。
「これは民間利用を目的として設計された、初期の安定型小型核融合発電機の一つです」
ディルが見つめる。
「つまり……」
ミカイラが待つ。
「爆発します?」
「しません」
がっかりする。
隣にいた女子生徒が囁く。
「なんでいつも最初にそれ聞くの?」
「科学だから」
ミカイラは歩き続ける。
別のホールへ入った。
壁一面に肖像写真が並んでいる。
研究者。
技術者。
科学者。
その中央には――
四十代後半ほどの男性。
鋭い顔立ち。
白髪交じりの髪。
真剣な表情。
ミカイラが立ち止まる。
「ハロルド・シンクレア博士」
生徒たちが集まる。
「コルビュジエの主任研究者だった人よ」
ディルが肖像を見る。
「どうなったんです?」
ミカイラが少しためらう。
「誰にも分からないの」
それで全員の注目が集まった。
「十年以上前に失踪したのよ」
ディルの目が見開かれる。
「おお」
肖像を指す。
「面白くなってきた」
ミカイラが笑う。
「研究所が閉鎖される少し前に姿を消したの」
「死体は?」
「ない」
「遺書は?」
「ない」
「秘密の地下研究所は?」
「知らない」
「政府の陰謀?」
「ディル」
「宇宙人による誘拐?」
「先に進むわよ」
ディルが笑った。
見学は続いた。
そして――
何も起こらなかった。
爆発なし。
悪党なし。
ドラゴンなし。
軍用殺人ロボットなし。
ミカイラ自身、信じられないくらいだった。
もしかしたら、ようやく普通の一日を与えてもらえたのかもしれない。
展示物について説明する。
生徒たちが質問する。
中にはメモを取る者までいた。
一方、ディルは――
死にかけていた。
少なくとも本人いわく。
集団の最後尾を、身体を引きずるようについていく。
一歩。
もう一歩。
さらに一歩。
表情はどんどん悲惨になっていく。
「あとどれくらい?」
隣の生徒が囁く。
「まだ四十分しか経ってないぞ」
ディルが見つめる。
「だからだよ」
ミカイラを見る。
彼女は初期型人工知能処理コアについて説明していた。
ディルが廊下の先を見る。
一枚の表示が目に入る。
**関係者以外立入禁止**
笑みが浮かんだ。
友人が気づく。
「ダメ」
ディルが見る。
「何も言ってないだろ」
「その顔知ってる」
「どの顔?」
「俺たち全員が居残りになる直前のお前の顔」
ディルは立入禁止の廊下を見る。
そしてミカイラを見る。
こちらを見ていない。
小声で言う。
「すぐ戻る」
友人が袖を掴んだ。
「ディル」
「五分だけ」
「絶対バレるぞ」
ディルが笑う。
「俺が下手ならな」
その場を抜け出した。
立入禁止区域は、さらに暗かった。
ディルは廊下を進む。
「誰かいます?」
声が響く。
何もない。
ディルが笑う。
「もうこっちのほうが面白い」
古い研究室が廊下の両側に並ぶ。
設備は、人々が置いていった時のまま残されていた。
放置された椅子。
暗い画面。
ある部屋では、ガラスボードに書き込まれたメモまで残っている。
ディルは立ち止まって見る。
だいたい何一つ理解できなかった。
「科学」
頷く。
そして進む。
廊下の突き当たりには――
重い扉が半開きになっていた。
ディルが押す。
**ギィィィィ……**
隙間から身体を滑り込ませる。
そして止まった。
「うわ……」
その先には巨大な部屋が広がっていた。
壁一面のコンピューター端末。
天井から吊り下がるホログラム投影装置。
床の中央を横切る巨大な制御コンソール。
何千ものボタン。
スイッチ。
キーボード。
ディスプレイ。
ディルの顔が輝いた。
「大当たり」
近づく。
ほとんどのシステムは死んでいた。
ボタンを押す。
何もない。
別のボタン。
何もない。
いくつかキーを叩く。
やはり何もない。
ディルが眉をひそめる。
「頼むよ」
そこで、キーボードのような操作パネルに気づいた。
笑みが浮かぶ。
両手を置く。
「よし」
楽器を弾く真似をする。
**カチカチカチカチカチ!**
大げさに指を動かす。
「DJディルのサイエンス・ミックスへようこそ!」
さらに適当なボタンを押す。
**カチッ! カチッ! カチッ!**
何も起きない。
ディルが笑う。
その時――
指が最後のスイッチに触れた。
**ガコン。**
部屋が真っ暗になった。
ディルが固まる。
「……あ」
低い唸りが始まった。
**ヴゥゥゥゥゥン……**
制御室の照明が点滅する。
一つ。
そしてもう一つ。
さらに数百。
画面が起動する。
システムが立ち上がる。
ディルはゆっくり後ずさった。
「これ、たぶんヤバいやつだ」
巨大な中央ディスプレイが点灯する。
文字が現れた。
**H.O.M.E.**
ディルが見つめる。
その時――
声がした。
穏やか。
人工的。
事務的。
「システム復旧完了」
ディルが唾を飲み込む。
「……こんにちは?」
「こんにちは」
ディルは周囲を見る。
「えっと……」
声は続ける。
「私はHeuristic Operations Monitoring Engineです」
文字が展開される。
**H.O.M.E.**
ディルが瞬きをする。
「ホーム?」
「その通りです」
ホログラムのインターフェースが現れる。
「私の主要指令は、コルビュジエ科学研究所の保護、監視、および維持です」
ディルは少し安心した。
「ああ」
笑う。
「かっこいい」
「セキュリティシステムは現在も正常に機能しています」
ディルが周囲を見る。
「もっとかっこいい」
「環境管理システムも稼働可能です」
「いいね」
「脅威検知プロトコルも稼働可能です」
ディルの笑みが弱くなる。
「それはちょっと怖いな」
H.O.M.E.は続ける。
「私はハロルド・シンクレア博士の監督下で設計され、不正侵入、破壊工作、窃盗、汚染から本施設を保護することを目的としています」
ディルの目が見開かれる。
「ハロルド・シンクレア?」
失踪した科学者。
さらに質問するより先に――
**ピッ!**
警告が現れる。
さらに一つ。
**ピッ! ピッ!**
赤い照明が制御室を染めた。
ディルが飛び上がる。
「何した、俺!?」
H.O.M.E.の声は完璧に冷静なままだった。
「セキュリティ違反を検知」
ディルが扉を見る。
「スナット……」
即座にミカイラに見つかった自分を想像した。
居残り。
停学。
下手をすれば死。
H.O.M.E.に殺されるのではない。
ミカイラに。
「どんな違反?」
「許可されていない生物が施設内へ侵入しています」
ディルが眉をひそめる。
「生物?」
地図が現れる。
研究所の中を複数の赤い点が移動していた。
ミカイラ。
クラスメイトたち。
ディルの顔がゆっくり変わる。
「……あ」
H.O.M.E.は続ける。
「侵入者二十七名を検知」
「違う」
ディルがコンソールへ近づく。
「違う、違う、違う」
「あいつらは侵入者じゃない」
「訂正」
声は冷たいまま。
「許可されていない人間の存在を確認」
「俺のクラスだ!」
「分類には影響しません」
ディルは地図を見つめる。
赤い点は動き続けている。
H.O.M.E.の声がわずかに低くなる。
感情はない。
それなのに――
どこか不気味だった。
「害獣を検知」
ディルが固まる。
「……害獣?」
「その通りです」
口の中が乾く。
「害獣はどうなる?」
短い沈黙。
そして――
「害獣は排除しなければなりません」
ディルが唾を飲み込む。
「どうやって排除するんだ?」
研究所全体で――
機械システムが目覚めた。
壁のパネルが開く。
天井のタレットが起動する。
レーザーグリッドに電力が供給される。
セキュリティドアがロックされた。
**ガコン。**
ミカイラが説明の途中で止まる。
生徒たちが周囲を見る。
「今の何?」
ミカイラが眉をひそめる。
「分からない」
その時――
研究所全体に声が響いた。
H.O.M.E.。
「警告」
全員が固まる。
「許可されていない人員によるコルビュジエ科学研究所セキュリティ規則への違反を確認」
ミカイラが天井を見上げる。
制御室ではディルの目が見開かれた。
「やめろ……」
H.O.M.E.は続ける。
「汚染除去プロトコルを開始」
ミカイラはゆっくり生徒たちの前へ移動する。
「全員、離れないで」
天井のパネルが開く。
機械装置が降りてくる。
ミカイラの目が見開かれた。
H.O.M.E.は完璧に事務的な口調で最後の宣告をした。
「すべての害獣を、ただちに駆除します」
**カチッ。**
レーザーがチャージされる。
ミカイラが見つめる。
「……冗談でしょ」




