最終話 (3)
タクシーは、電車の駅や大通りから離れた小さな町で二人を降ろした。カフェに入り、窓際の席で他愛のない話をしながら時間を潰す。二人とも、まるで寮の部屋にいるかのような感覚で喋っていた。
「이 말차 파르페 잔짜 맛있어。보람 언니도 먹어 봐요」
「그래? ……아 진짜 좋다」
「그쵸!」
笑い合う二人。しかし視線は常に時計や窓の外に注意を向けている。そろそろヨンヘたちが清水港に着いただろう、という時刻を過ぎる。二人ともスマートフォンの通信を断っているのでどこで何が起きているのかは全く分からない。車や人が行き交うたびに緊張感が走る。
一分、また一分。焦れったいほどゆっくりと時間は進んでいった。このまま何事もなく、早く終わってほしい。そう思っているはずなのに、二人で言葉を交わしているこの時間はいつまでも続いていてほしい。矛盾する感情を二人で共有していた。
だが、終わりは静かにやってきた。
カフェの前に、一台のタクシーが止まる。もしもそれがヨンヘたちだった場合にボラムをどうにか逃がせるよう、チェソンがカフェ内の動線を確認する。だが、タクシーから出てきたのはチェソンの知らない一人の男だった。窓越しに男とボラムの目が合う。男が優しい目つきで微笑んだ。
「お父さん……ですか?」
「……うん」
ボラムがチェソンに向き直る。チェソンが笑顔を作った。
「行ってあげてください」
ボラムは動かない。大きく深呼吸すると、チェソンに話しかけた。
「ありがとう……三人にはどれだけ感謝しても足りない。あの船に乗った時点で、私の持っているお父さんへの手がかりは顔写真しかなかった。これからどうやってお父さんにたどり着けばいいのか途方に暮れていた。でもお父さんも私のことを探していて、お母さんが芸能人だったからそういう情報もチェックしていたみたいなの。あの動画の私の顔を見てすぐに分かったって言ってた。こうやって出会えたのは全部、あの日あなたたちが出した動画のおかげ」
「あの動画のせいで、こうやってヒヤヒヤする羽目にもなったんですけどね……」
苦笑いしながら頭をかくチェソンと、声を上げて笑うボラム。だが、ボラムはすぐに真面目な表情になった。
「チェソン、あのね……あなたたちの方がよっぽど実感しているかもしれないけれど、あの事務所は普通じゃないよ。だってお母さん一人であんな計画を実行できるはずがないもの」
「はい、分かっています。部長やマネージャー、他の人たちもボラムオンニの捜索に協力していた。オンニたちも、きっとヨンヘさんはうちの上層部の誰かと繋がっているんだ、って言っていました」
「今回は私がターゲットだったけど、いつかあなたたち自身が何かのトラブルに巻き込まれてもおかしくない。私ね、二人組でもうアイドルデビューしている知り合いが他の事務所にいるの。その子たちの事務所に三人揃って移籍できるよう掛け合ってみる。あなたたちはまだ十代だし、実力的にも受け入れてくれるはずよ」
しかし、チェソンは首を横に振った。
「チェソン、どうして……」
「だって今日ボラムオンニと会えて、一緒にお話して……私やっぱりこの四人でアイドルになりたいって思っちゃったんです。だから、ボラムオンニが他の事務所に行かない限り私たちも行きません」
何事もなかったかのように、あっけらかんとしているチェソン。先ほど車の中で二人で泣いていたのは何だったのだろうか……ボラムが困惑する。
「チェソン、分かっていると思うけど私はもう無理だよ。年齢的に他の事務所には行けないし、私がTHE ONEに帰る方法なんて……」
「大丈夫ですよ、ホカゼオンニとムウンオンニが何とかします! オンニたちが事務所にはびこる悪を暴いて、ボラムオンニが安心して帰ってこられる事務所に変えてみせます!」
他力本願な言葉に笑ってしまうボラム。しかしチェソンはいたって真面目な顔で話を続けた。
「……だから、もう会えないなんて言わないでください。私たちにとって맏언니はボラムオンニ以外ありえないんですから」
チェソンはポーチから作ったばかりのストラップを取り出すと、ボラムの手の上にそっと置いた。
「一週間早いけど、誕生日プレゼントです。私たち、また……今度はボラムオンニとの思い出を積み重ねていきたい」
上手く言葉を出すことができず、ボラムがうつむく。意図せず感傷的な雰囲気を作ってしまったチェソンは、間髪入れずストラップにパスポートを重ねた。
「それからこれ! いくら行方をくらますためとはいえ、パスポートを持たずに出国するなんて大犯罪ですよ!? 私今日、荷物検査とかヒヤヒヤしながら持ってきたんですから、間違っても自首なんかしないように! 前科者とはさすがにグループ組めないですからね!」
チェソンの勢いに負け、ボラムに再び笑顔が戻った。
「ごめん、チェソン。やりすぎたよ」
「歌もダンスも、サボっちゃダメですからね!」
「分かった、ちゃんと練習しておく」
笑顔で向き合う二人。最後に、ボラムが口を開いた。
「……ずっと、待ってる」
チェソンは、力強く首を縦に振った。
「はい。今度は、三人で迎えに行きます!」
そう言うと、わざとらしくため息をつくチェソン。
「ほら、いつまでお父さんのこと待たせる気ですか!」
ボラムは頷くと、ゆっくりと席から立ち上がった。チェソンは座ったまま、出口に向かうボラムの背中を見つめる。
出口の扉が閉まる。チェソンが外に目を向けると、ボラムの父親が娘に駆けつけ、強く抱きしめていた。そして父親はタクシーの後部座席へと戻っていった。
ボラムがタクシーの扉に手をかけ、最後に振り返る。幸せそうな彼女の笑顔を、太陽が明るく照らしていた。
車の姿が見えなくなっても、チェソンは静かに窓の外を見つめていた。
静岡空港に戻ったチェソン。空港の入口でスマホを復帰させようと取り出した瞬間、数人に取り囲まれた。おそるおそる顔を上げると、目の前にいたのはマネージャーとヨンヘだった。ヨンヘが低い声でつぶやく。
「……イェリンはどこ」
つばを飲み込むチェソン。本能的にムウンにすがろうとするが、この場に彼女はいない。
「……知りません」
「嘘をつくな。港でイェリンと合流して、どこへ連れて行ったの!」
「イェリンなんて人、私は会っていません」
心を落ち着かせ、まばたきもせずにヨンヘを睨みつける。ヨンヘは怒りを押さえながら、震える声でつぶやいた。
「覚えておきなさいよ」
踵を返し、空港の中へ入っていくヨンヘ。他の人たちもそれに続いたが、マネージャーだけがその場に残った。
「チェソンさん、自費で来られていますよね。交通費など、領収書は受け取っていますか?」
「もらっていません……」
「練習生として日本語を勉強しているため、こういったことも活動の一環と認められる場合があります。私が帯同していれば良かったのですが、もしもまたこのようなことがあれば、その際は忘れないように。今回は事前報告も領収書も無いという状況ですが、経費として処理できないか念のため確認しておきます」
それだけ伝えると、ヨンヘの元へ向かおうとするマネージャー。だが、チェソンが呼び止めた。
「マネージャー」
「……何でしょうか」
「今回の件、事務所側でヨンヘさんと最初に手を組んだのは誰なんですか。部長ですか?」
「私に指示を出しているのは部長ですが、部長がキム・ヨンヘさんから直接指示を受けているのか、事務所内の他の人間から指示を受けているのかは存じ上げません」
淡々と言葉を返すマネージャー。チェソンには、彼女が嘘をついているようには見えなかった。マネージャーが歩き出す。チェソンもそれに続いて空港に入る。
窓から入るオレンジ色の夕日が、出発便の時刻表を照らす。そこにはチェソンが乗る、ソウルへと帰る便が表示されていた。




