第四話 (5)
「……録音は削除したわ。そっちも偽の診察結果は削除したほうが良いんじゃないの?」
「あ、ああ……」
慌ててPCを操作する医師。ムウンはその様子を見届けると、サングラスをかけながら話を続ける。
「結果が残らないのだから、そもそもこの診察は無かったのよね。お金は払わないわよ」
「いいから早く出ていってくれ。頼むからキム・ヨンヘには言わないでくれよ……」
「約束は守るわよ。これに懲りたら、金持ちに媚びて危ない橋を渡るような真似はもう辞めることね」
診察室を出ていくムウン。引き戸が閉まる直前、大きなため息をついた医師の姿はムウンが来たときよりも十歳以上老けたように見えた。
病院の入口にて。不安そうな表情を浮かべ待っていたホカゼとチェソンは、ムウンが出てくると急いで駆け寄った。
「ムウナ、大丈夫だった!?」
「당연하지。ヤブ医者脅して聞き出してきたわ。……といっても、オンニがこの病院を訪れたあとにどこへ向かったかは分からなかったけど」
「脅したって、ムウンオンニいったい何を……」
「ちょっとね……あんたたち、将来売れてVIPになってもこの病院はやめときなさい」
ムウンが配車アプリでタクシーを呼ぶと、病院付近で待っていたのかすぐに車がやってくる。
「帰りながら話しましょう」
ムウンが後部座席に乗り込むと、二人がそれに続く。扉が閉まり、タクシーは事務所に向かって走り出した。真ん中に座るチェソンがムウンを見る。
「それで、何が分かったんですか?」
「キム・イェリンという名前は母親が離婚後につけた名前だということ」
「離婚前はユク・イェリンだったってことだよね?」
「違うの……名前すらも変わっていたのよ。ユク・ボラム。それがオンニが生まれたとき、父親がつけた名前」
「そ、そんな……イェリンオンニがイェリンオンニじゃなかった、ってことですか!?」
「法的には、今はもうキム・イェリンが正しい名前なんでしょうね。でもオンニ、ボラムというのが父親がつけた名前だと知って、かなりショックを受けていたそうよ。それから、オンニが持っていった写真の切れ端には二十三年前の父親の姿も写っていた。あの母親も言っていたけど、ヤブ医者曰くオンニは父親にそっくりらしいわ」
ムウンの話を聞いて、ホカゼがポツリと呟いた。
「オンニは今、お父さんを探しているんだね。……いや、ずっと前から探していたんだ」
「私もそう思うわ。そう考えると色んなことが繋がる気がするもの。オンニが残した公開練習生としての活動のメモ……あのリストには男性アイドル楽曲が多く載っていた。衣装もスーツが第一候補だった。デビューが決まったあの日も、ショートヘアは譲らないって私に言っていた。なぜか男装のようなコンセプトにこだわりがあったのは、そういうことだったのね」
「きっと昔、少しずつ顔つきがお母さんと変わってきたことに気付いて、自分がお父さん似なのかもって思い始めたんだ。それで、アイドルになって自分の顔が広く知られればお父さんに再会できると考えた」
「イェリンオンニ、お父さんと会うためにアイドルに……。そんなこと、今まで全然知りませんでした……」
「アイドルになりたい理由、オンニから聞いたことなんか無かったよね」
「そりゃあそうでしょ。私たちがアイドルを目指す理由なんて、踊るのが好きとか、好きな先輩アイドルがいるとか、そんなものじゃない。一人だけ重い過去を抱えていても、私だって共有しないわ」
これまでの練習生時代を振り返る三人。イェリンは、四人の中で誰よりも努力していた。年齢的なタイムリミットが近付いても諦めることなく前に進み続け、そして五日前、ついにデビューを勝ち取った。泣いて喜んでいた彼女の姿を思い出す三人。しかし、そこにヨンヘがやってきた。
「デビューが決まって、居場所の分からないお父さんにようやくアピールできる……そんなとき、ヨンヘさんから整形するように言われた。薬箱に入っていた美容外科の名刺も、そのときにもらったんだ」
「もしかして、私たちが作った動画が非公開になったのって……」
「あの母親が事務所に言ってきたんでしょうね、オンニの整形前の顔が写っているから。……顔が変わってしまっては、父親に気付いてもらえないかもしれない。自分は整形しない、オンニはそう母親を説得しようとしたが……」
三人の脳内にヨンヘの言葉がこだまする。
『あの子は生まれたままの容貌では完璧なアイドルになることはできない』
「母親は意見を変えなかった。実家に帰って、ふと自分が生まれたときのアルバムを見ると、보람と書かれた切れ端を見つけた」
ムウンが取り出した、『육』と書かれた切れ端を見つめる三人。ホカゼがムウンの言葉の先を続ける。
「ヨンヘさんは、お父さん似のオンニの顔を変えようとしているどころか、既に名前すらもお父さんが与えてくれたものを奪っていた。このままヨンヘさんの監視下でアイドルとしてデビューしても、お父さんと出会うことはできない。そう悟ったオンニは姿を消した……」
沈黙する三人。すると、ホカゼとムウンの耳に、チェソンのすすり泣きが聞こえてきた。
「왜 네가 울고 있어……」
「だって、ひどすぎます……。イェリンオンニはただお父さんに会いたいだけなのに、名前も顔も……」
ホカゼがチェソンを抱きしめた。ムウンも黙って背中をさする。それでも泣き止まないチェソンに、ホカゼが言葉をかけた。
「ねえチェソニ、オンニから送られてきたストラップ持ってる?」
「え……? はい……」
チェソンが、昨日送られてきた封筒の中身を取り出した。パスポートと手紙、そして『YERING UNNIE』と綴られたハートのストラップ。
「私ね、昨日すごく悲しかったの。だってこれが送られてきたとき、オンニが私たちのことも拒絶してしまったような気がして……。オンニがいなくなった理由が分かった今もつらいけれど、でもほんの少しだけ安心しちゃった」
チェソンが潤んだ目でホカゼを見た。ホカゼが、ストラップを持つチェソンの手に自分の手を添える。
「これは、私たちへの拒絶のメッセージなんかじゃない。送られてきたストラップもパスポートも、オンニがユク・ボラムに戻るというメッセージなんだと思う」
ムウンが頷いて、チェソンの手とストラップを握った。チェソンも何度も頷いて、もう片方の手を二人の手に重ねる。
「私、たとえ渡すことができなくても、今年のオンニの誕生日プレゼントもストラップを作ります。今度はイェリンオンニじゃなくて、ボラムオンニに……」




