第三話 (4)
「どう、何か分かったことはあるかしら?」
ヨンヘが扉を開けて、廊下から三人を見る。そしてムウンの手にあるアルバムを見ると、顔色を変えて早足で近づいてきた。とっさに切れ端を隠すホカゼ。
「あまり今回の家出に関係のないものはジロジロ見ないでほしいのだけれど」
「でも、このアルバムについて聞きたいことが……」
「過去について話す気はないわ。関係ないと言っているでしょう」
ムウンからアルバムを取り上げる、その左手に指輪はついていない。ヨンヘがアルバムを本棚に戻した瞬間、ムウンがその手首を握った。ヨンヘの態度にホカゼとチェソンが萎縮しているなか、怖気づくことなく立ち向かう。
「結婚はもう、されてないんですね。キム・ヨンヘさん」
「ええ、イェリンを産んですぐに離婚したわ。それ以降まったく連絡を取っていないからお互い居場所も知らないわよ。もちろんイェリンもね」
ムウンを振りほどくヨンヘ。
「昔話は満足? 何か聞きたいことがあるなら後は一階で話しましょう……もちろんイェリンの家出について、ね」
再び部屋を出ていくヨンヘ。階段を降りる足音が遠のいていく。ヨンヘが来てから動きを止めていたチェソンが大きく息を吐いた。
「階段を登ってくる音、気付きませんでしたね……びっくりしました……」
「扉を閉めているとまったく聞こえないようね、オンニが気付かれずに出ていけたのも納得だわ。それにしても、四日前に会ったときとは態度が大違い。オンニが姿を消した理由は確実にあの母親よ……問いただしてやる」
「でもムウナ、あの感じだとアルバムの話はさせてもらえなさそうだよ?」
「結構よ、まずは整形の話。それにしてもホカゼ、あの一瞬でよくそれを隠したわね……あんたも母親が怪しいって本能的に気付いたんでしょ?」
ニヤリと笑うムウンとは裏腹に、少し気まずそうなホカゼが二枚目の写真の切れ端を取り出す。
「すごく悪いことをしてるみたいだけど、これはオンニを見つけるうえで大事なものだと思うから……」
笑っていたムウンだったが、写真の中に書かれた文字を見て真剣な眼差しに変わる。
「そういえばホカゼさっき、ユクが離婚する前の父親側の名字か、って言ってたでしょ?」
「うん、オンニの名字とは違ったから。今のキム・イェリンはお母さんの名字ってことだよね」
「確かに、さっきあの母親のことをキム・ヨンヘさんって呼んだら何の反応もなかった。だからあの母親の名字はオンニと同じキムで間違いないわ」
「離婚したんだから、そうなるよね」
「それが、違うのよ」
ムウンの言葉に首を傾げるホカゼ。ムウンが言葉を続ける。
「日本ではどうか知らないけど、韓国では普通、離婚したからと言って子どもの名字は変わらないの。わざわざ手続きをすれば別の話だけど。だから、その写真を見るまで私はてっきりキムが父親の名字だと思っていた……」
ムウンの説明にチェソンが同意する。ホカゼが二人を見てつぶやく。
「そうなんだ……。日本では離婚して親権が移れば子どもも旧姓に変わるから、てっきり……」
「あんたの言うとおり、その写真の切れ端は大きな手がかりになると思う。でもそれはユクなんてありふれた名字自体ではなくて、オンニの名字が変わっていたという事実。キム・イェリンという名前には、あの母親の相当な執念が詰まっているようね……」
そんな話を聞いてもどうせ黙秘でしょうけど、とつぶやくとムウンが扉を開く。三人はヨンヘが待つ一階へと降りていった。
リビングには二人家族……ましてや今は一人で住んでいる家とは思えないほど長いテーブルがあり、その片側にヨンヘが座っていた。反対側には紅茶の入ったティーカップが三つ並んでいる。
「どうぞ、座ってちょうだい」
貼り付いた笑みを浮かべているヨンヘ。ムウンが真っ先に、彼女の真向かいへと座った。その両隣にホカゼとチェソンが座る。
「それで、イェリンの行き先について何か見つかったのかしら」
「……あの部屋からは特に。できれば参考までに、ヨンヘさんや事務所側の進捗をお聞きしたいのですが」
回答をあくまでこの家での進捗に留め、質問で返すムウン。ホカゼとチェソンは、ムウンから滲み出る、向こうの手の内を先に出させるという企みをひしひしと感じていた。
「私たちの方も特に進捗はないわ。三日前、失踪が発覚した直後から仁川、金浦空港での張り込みを実施しているけれどイェリンらしき人物は見つかっていない。また、張り込み以前の国際便の搭乗者についてもコネで確認を進めているけれど、現状得られたものはないわ」
「前に部長も同じことを言っていましたが、ずいぶんとイェリンオンニの国外逃亡を懸念しているようですね。何か心当たりがあるんですか? オンニが海外に向かう理由……それとも、国内に留まることでオンニが危険を感じる理由とか?」
「まさか、そんな心当たりあるわけがないでしょう。国外逃亡の阻止に専念している理由は、そうなると連れ戻すことがほぼ不可能になるから。本当は鉄道など他の交通手段についても張り込みや調査を実施したいのだけれど、こちらも人員が限られているのよ。もうすぐ、失踪してからの国際便の調査が終了するはずだから、そうすればその人員は国内の張り込みに回すつもりよ」
「あくまで人員の問題、ですか……」
ヨンヘから明らかに本音ではない回答しか得られず、歯痒い思いを隠すムウン。今度はヨンヘがムウンに質問をした。
「あなたたち、寮の部屋も調べているのよね? 私たちはまだそこに手を出す余裕を捻出できていないのだけれど、そこではどうだったのかしら」
今日、彼女たちがこの家を訪れた一番の理由である話題が始まり、ムウンは気を引き締める。ヨンヘに対してゆっくりと言葉を返した。
「オンニは寮にあまり私物を持ち込んでいなかったので、正直そこでも大した情報は得られていません……ただ、一点」
ムウンがホカゼに目配せをすると、ホカゼが美容外科の名刺を取り出した。それを見たヨンヘの口元が一瞬ピクリと動く。
「この名刺がオンニの薬箱、他のかかりつけ医院の診療カードと一緒にありました。この名前に心当たりは?」
首を縦にも横にも振らないヨンヘ。ムウンの質問に対して質問で返す。
「……その美容外科に連絡はしてみたの?」
流石に引っかからないか、とムウンが心の中で舌打ちする。だが彼女の表情はクスリと笑った。
「心当たりありますよね。……はい、電話してみました。一昨日オンニの整形手術の予約を入れていたけれど、キャンセルしたようですね。ヨンヘさん、あなたが」
「……そのとおりよ」
「すごくタイムリーじゃないですか? オンニが消えた直後に予定されていた整形手術だなんて」
「偶然よ。手術日も、それをキャンセルした日も確かに失踪が発覚した翌日。でも、予約を入れたのはもっと前の話」
「ヨンヘさんが予約を入れたのがいつかは知りません。でもオンニがそのことを知ったのは、実はいなくなる直前だったんじゃないですか? だって私たち、オンニから手術を受けるなんてこと一言も聞いていなかったんだもの」
「あなたたちが、そんな話ができるほど仲が良くなかっただけではなくて?」
「그럴 리가……!」
立ち上がろうとしたムウンの膝を、ヨンヘから見えないように机の下でホカゼとチェソンが押さえる。ムウンが一度深呼吸をする。それを見てヨンヘは小さく鼻を鳴らした。
「私がいつ、イェリンに整形手術の件を伝えたか……。本人がいない状態で真実を明らかにするのは無理だと思うけれど」
「……そうですね、失礼しました。でも、まだ一番重要なことを聞けていません。なぜ、あなたがイェリンオンニの整形手術を予約していたのですか? 私たちとは違ってオンニはもう成人している、保護者の介入は不要でしょう」
ムウンの発言が終わっても口を閉ざしたままのヨンヘ。一人ずつ、ホカゼ、ムウン、チェソンの顔を見る。そしてゆっくりと息を吸った。
「……あなたたち、ご両親は一般の方?」
ムウンたちがお互いの顔を見る。ヨンヘは三人の沈黙を肯定だと判断すると、話を続けた。
「そうでしょうね。意外とそういう子たちのほうが、女の子らしい、アイドルに向いた可愛らしい顔に産まれるものよね。私だってそう」
「……オンニは違うって言いたいんですか?」
「イェリンがアイドルを目指し始めた、少し前くらいからかしら。あの子ね、成長するにつれ元夫の顔立ちに少しずつ似てきたのよ。あれではたとえデビューしても私のような名声を得ることはできないと思ったの」
「そんな、今のイェリンオンニは最高にかっこいいのに!」
たまらず反論したチェソンに対してヨンヘが笑う。
「あなたたちには分からないわよ、まだまだ素人だもの。チェソンさんが一番詳しいようだけれど私はかつて、歌手として高みに上り詰めた身。その私だからこそ分かるのよ。あの子は生まれたままの容貌では完璧なアイドルになることはできない。それで私が信頼できる美容外科での手術を決めたの」
「信頼できる美容外科……ということはヨンヘさんも利用されているんですね」
「当然よ。この歳でこの容姿を維持するのにどれだけのコストをかけていると思う?」
「二十年以上前に芸能界を引退されたのに、ですか?」
「……女に終わりはないわよ」
睨み合うムウンとヨンヘ。そのとき、玄関のチャイムが鳴った。




