第三話 (2)
翌日の昼、三人は漢南洞に来ていた。地下鉄の駅を出て、車の多い大通りから横道に入ると街の喧騒は一気に遠ざかる。見えない壁があるかのように車の走行音は聞こえなくなり、広がる景色もショーウィンドウの並ぶ大通りとは違い、住宅街のプライバシーを守る高い塀が続く。
左右に立ち並ぶ邸宅に見下されながら急勾配の坂を登っている途中、三人の横をセダンが音も立てずに追い抜いた。行先を目で追うと、その車は突き当たりにある家の車庫へと吸い込まれていった。ムウンが電柱に手をついてしゃがみ込む。
「歩いて来るようなやつはお呼びじゃないのよ、こんな所……」
「頑張ってムウナ、もう少しのはずだから」
数歩先を歩いていたホカゼとチェソンが振り向く。
「ムウンオンニ、荷物持ちますよ!」
「私だってそこまで落ちぶれてないわよ、このダンス狂どもが!」
勢いよく立ち上がると二人を追い越すムウン。すると後ろからホカゼが呼び止めた。
「待って、ムウナが今通り過ぎたところを曲がるの!」
「もっと早く言いなさいよ!」
閑静な住宅街に破裂音のような足音を響かせて戻ってきたムウンと中間地点で合流し、ホカゼたちは脇道へと入っていく。
そして一軒の家の前で立ち止まった。黒い門越しに、真っ白な壁と焦げ茶色のアンティーク調の扉が見える。左右にある規格外の豪邸と比べると小さく感じるが、それでも立派な二階建ての家だった。
「イェリンオンニ、セレブじゃないですか……。私の田舎とは大違いですよ」
「여기 진짜 맞아?」
ムウンの質問に対して、ホカゼが自信なさげに頷く。イェリンの実家に一度も行ったことがない三人。昨夜もう一度寮の部屋を調べたが、住所の書かれたものを見つけることはできなかった。マネージャーに確認してもらい、住所を手に入れたのが今朝。そうしてたどり着いたこの家だが、表札もなくイェリンの実家であるという確証はなかった。誰もインターホンを押そうとしない。
「どうしよう、マネージャーに写真を送って確認してもらう?」
「無駄よ。そもそもあのマネージャーが私たちの担当になったのはオンニが失踪したときなんだから、私たち以上にオンニのことなんて知らないはずよ。もらった住所はここで合っているんでしょ? だったらもう突撃するしかないわよ」
「芸能人が出てきたりして……」
冗談を言うチェソンを無視して、ムウンはインターホンを鳴らした。しばらくの静寂ののち、スピーカーからイェリンの母の声が聞こえた。
『……はい』
「あの、THE ONEのムウン、ホカゼ、チェソンです。お話があって……」
『ああ、事務所のマネージャーから聞いているわ』
プツッという音がスピーカーから聞こえる。その直後に、三人の目の前に立ちはだかっていた門が自動でスライドした。恐る恐る敷地内に入る三人。すると家の扉が開いてイェリンの母が姿を現した。四日前、ホカゼとムウンが練習室で会ったときと変わらない美貌だが、険しい表情をしている。
「えっ!?」
チェソンが変な声を上げるので、ムウンがその背中を叩く。イェリンの母がチェソンを見た。
「あなた、はじめましてよね。チェソンさんだったかしら?」
「は、はい。もしかして、ヨンヘ……さんですか……?」
チェソンの言葉に、顔を見合わせるホカゼとムウン。それに対するイェリンの母の回答を聞いて、二人は目を見開いた。
「あら、若いのによく知っているわね」
イェリンの母が家の中へ三人を招き入れる。ホカゼの後ろに隠れて、ムウンが小声でチェソンを問い詰めた。
「ちょっと、あんたなんでオンニの母親の名前知ってるわけ!?」
「いやいや、逆にオンニたちなんで知らないんですか!? 前に会ったんですよね!? 本当に芸能人が出てきちゃったんですよ! あの人、KPOP第一世代として活躍していた歌手のヨンヘですよ!」
驚いて、先を歩く銀髪の女性の背中を見つめるムウン。
「일 세데라면、진짜 레전드잖아……。前に会ったとき年齢不詳の美人だとは思っていたけど、芸能人だったとは……」
「オンニたち、もっと真面目にKPOPの勉強をしないとデビューしてからテレビでやっていけないですよ! と言ってもヨンヘさんは私たちが生まれるより前に引退しているはずだから、知らなくても無理はないですけど……。でも、あのヨンヘさんがイェリンオンニのお母さんなんてびっくりです」
「雰囲気は全然違うわよね。オンニも私たちに変な先入観を持ってほしくなくて、母親のことを言っていなかったのかも」
玄関に入ると、ヨンヘが三人に話しかけた。
「あなたたちもイェリンを連れ戻すのに協力してくれているそうね。色々、動画を上げたり」
「はい、すぐに事務所から非公開にされてしまいましたけど」
すぐにでも本題を切り出そうとするムウンを、ホカゼが遮った。
「ひとまず、オンニの部屋を見せてもらえませんか? 何か手がかりが無いか確認したいんです」
「分かったわ、二階よ。でも私たちもイェリンがいなくなってから調べたけど、これといったものは何も見つからなかったわ」
二階に上がると、二つの扉が向かい合っていた。ヨンヘが片方の扉を開ける。
「この部屋がイェリンの寝室よ。もう片方は私」
ホカゼが二つの部屋を一瞥すると、ヨンヘに当時の状況を確認した。
「四日前の夜、お母様が向こうの部屋で休まれているあいだにオンニはいなくなったんですよね?」
「そのようね、扉を閉めて寝ていたから物音には全く気が付かなかったわ。まさかいなくなるとは……」
ムウンが質問を続ける。
「警察には連絡しないんですか? 事務所はデビュー候補を警察沙汰にしてスキャンダルを起こしたくない、みたいなことを言っていましたけど、母親からしたらそんなことを言っている場合じゃないんじゃないですか?」
強い口調のムウン。しかしヨンヘは首を横に振った。
「事務所の意向に従うわ。警察沙汰になって、アイドルを目指すあの子が困るのは事実よ。それに事務所の方たちが必死に探しているわ」
「……そうですか」
「私は一階にいるわ。何か分かったら教えてちょうだい」
そう言ってヨンヘは階段を降りていった。三人はイェリンの部屋に入ると、扉を閉める。
「何よ、自分の娘が消えたっていうのに……」
悪態をつくムウン。チェソンがヨンヘをフォローした。
「自分も芸能人だったから、っていうのが大きいと思います。確かヨンヘさん自身、引退したのはスキャンダルではないんですけど、結婚と妊娠を世間に発表したことが原因で徐々に仕事が減っていって、芸能界からフェードアウトしたという経緯だったはずです」
「もしかして、その妊娠した子どもがオンニ?」
「だと思います。もちろん引退しているので、調べても子どもの名前なんかは出てこないでしょうけど」
「第一世代のKPOPスターたちがどんな売り方をしていたのかは知らないけど、いきなり結婚妊娠まで受け入れてもらうのは無理だったわけね。それでオンニの家出が表沙汰になるのも避けたいってことか……」
「複雑な立場だよね。ただの親じゃなくて、娘も同じ道を目指す元芸能人、なんだから。ヨンヘさんもすごく悩んでいるのかもしれない」
「だとしても……」
考えがまとまらず黙り込むムウン。ホカゼがその肩に触れた。
「ヨンヘさんには後で話を聞こう……整形の件も含めて。まずはオンニが姿を消す前に最後にいた、この部屋を調べてみよう」




