メガネパワーに大興奮
ボヤ騒ぎの後、真っ黒になって戻ってきたグラディレオは、そんな煤だらけの姿では屋敷に入れられないというフラウレイドさんの主張に負けて、しょんぼりと宿舎に戻って行った。
「トーチカーっ。また明日なーっ」
バルコニーの下から元気に手を振る様子に、全身真っ黒ではあるものの、怪我はなさそうでホッとする。
「お疲れ様ー、グラ兄さんもしっかり休んでくれよー」
俺も負けじと叫び返すと、グラディレオは嬉しそうにニコーっと笑って「おうよー。お前もいっぱい食べていっぱい寝て大きくなれよー」と答えて帰っていった。
兄呼びが嬉しかったんだな。
けど俺はもう22歳だぞ?
いっぱい食べていっぱい寝ても、横にしか大きくならないからな?
その日は仕事に追われるリーフェリオン様の代わりにフラウレイドさんが俺についててくれた。
火の手が出たのは厩舎だったとか、出火は火の不始末だったが、そこから藁に移って、馬の尻尾に火がついてからが大騒動で、馬は暴れるわそれを宥めようとした厩舎番に負傷者は続出するわ、次第に火の手は広がるわで大変だったらしい。
それで、リーフェリオン様もフラウレイドさんもぐったりした顔で帰って来たんだな。
「厩舎番を長らく務めてくれた責任感のある方でしたが、この件で彼は引退してしまうでしょうね……。最近は手元が見えづらいと言っていましたから……」
…………それは、老眼ですね?
「まだ体力は十分にありましたし、気力もあり若々しい方でしたのに、……残念です……」
フラウレイドさんが俯くと、駆け回って乱れたのか、ゆるやかなオールバックから黒髪が一筋ハラリと目元に落ちた。
あ、この人の髪って黒髪かと思ってたけど、よーーく見たら濃い紫なんだな。
ああ、目の色もそうなのか。黒っぽく見える紫。
真面目そうなキリッとした眉に切れ長の瞳には、大人の色気がある。
普段は一部の隙もなさそうな顔をして、ピッと背筋を伸ばして立っている人が、こんな風に疲れを滲ませて傷付いた顔をしていると、なんだかこう……。
なんとかしてやりたくなっちゃうよな。
「フラウレイドさん、今からその厩舎番の方にお会いする事ってできますか?」
俺の言葉に、フラウレイドさんはキョトンとした顔で俺を見つめ返した。
***
翌朝も、俺はやっぱり、異世界で目を覚ました。
……そろそろ、これは現実だと受け止めるしかなさそうだな……。
なんとなく諦めが漂い始めた胸を抱えつつ、俺は愛しい金色の丸メガネを手に取り、かける。
視界がクッキリすると、それだけで頭もクッキリする気がするんだよな。
俺は、今日も俺を助けてくれるメガネに感謝しながら、ベッドを抜け出した。
フラウレイドさんが起こしに来てくれたので、一緒にリーフェリオン様の待つ食卓へと向かう。
外は良い天気みたいだなぁ。
ガラス技術が発達してないからか、窓はどれも格子状の木枠にてのひら大ほどの歪んだガラスが嵌め込まれていて外の景色までは見えない。
でもまあ、雨か天気かくらいは分かる。
ん?
こういうガラスって、俺の『レンズ加工』で平らに出来ねーのかな?
「トーチカ様?」
「ああいや、すみません」
思わず立ち止まった俺に、先を行くフラウレイドさんが気づいたようでこちらを振り返っている。
まあ、食事の後でやってみるか。
食卓に着くと、朝の挨拶を交わしたリーフェリオン様が俺に深々と頭を下げてきた。
「トーチカ、ありがとう」
ん? ああ、あれか?
「厩舎番のディクスにメガネを作ってくれたそうだね。おかげで彼はまだしばらく厩舎番を続けてくれるそうだ。本当に感謝している。ありがとう」
リーフェリオン様の下げた頭の左右で、明るい金色の髪がさらりと落ちる。
そこに遅れてラベンダー色のリボンがハラリと揺れた。
「俺……じゃなくて私は、メガネが必要な人にメガネを作っただけです。これが私の仕事ですから、リーフェリオン様が頭を下げるような事ではありませんよ」
俺は昨日メガネを作ってあげたディクスさんの事を思い出す。
日に焼けた肌にムキムキの腕で、ゴツくて強そうで、でも、すごく優しそうな小さな目をしたおじさんだったな。
フラウレイドさんの話によると、ディクスさんはリーフェリオン様が幼い頃から厩舎番の長を務めていて、リーフェリオン様は馬の世話から乗馬のやり方までを全てディクスさんに習ったのだと聞いた。
リーフェリオン様にとって第二の家族のような存在だと聞いて、俺は俄然やる気を出して、ディクスさんにぴったりの老眼鏡を作った。
すっごく喜んでくれて、嬉しかったなぁ。
「これでもうしばらく、馬達の面倒が見られます。本当にありがとうございます」
ディクスさんは俺の手をゴツゴツした大きな手で包んで、何度も感謝を伝えてくれた。
にへ、と思わず緩んでしまいそうな頬を引き締めて顔を上げると、リーフェリオン様が俺をじっと見つめていた。
「私のことといい彼のことといい、トーチカにはとても感謝している。何かお礼をさせてはもらえないだろうか」
「い、いやいや、お礼をしないといけないのは私の方で……。毎日食事も住むところも、服まで全部世話になってるんですから……」
「それは領主としての責務で、トーチカへの礼にはならない。何か……他に私にできることはないだろうか?」
えええ?
衣食住に大満足してるってのに、これ以上何を望めばいいんだ……?
「え……、えっと……、じゃあ俺……じゃなくて私はそのうち自分の眼鏡店を持ちたい思っているので、その際に何かリーフェリオン様のご無理のない範囲で手伝っていただけたら、ありがたいです」
俺の正直なお願いに、リーフェリオン様は「トーチカは、店を構えたいのか……」と一瞬目を丸くする。
やっぱり意外だったか。
まあ確かに、こっちの世界に来たばっかの奴がいきなり言い出す事じゃないかもな。
「わかった、約束しよう。それと、私に堅苦しい話し方をせずとも構わないよ。私もできたらもう少しトーチカとは親しく話したいと思っているんだ」
んんん?
けどさ……あれだよ、普通は大家さんにだって敬語使うだろ?
リーフェリオン様は大家どころか大地主っていうか、それこそ俺の生活丸ごと面倒見てくれてる上役みたいな存在なのに、敬語抜きで話せるか……?
いや、畏れ多すぎるだろ……。
つっても、それは無理ですって言っちゃうのもなぁ……。
だって、シルバーフレームの向こうから、ラベンダー色の瞳が期待をたっぷり浮かべて俺を見てるんだよな……。
「ありがとうございます」
俺はなんとかそれだけ言って、にっこり笑って誤魔化した。
***
その日、グラディレオは城で行われる騎士団の合同練習に参加するため、こちらに戻るのは夕方のはずだった。
……はずだったのだが、彼は予定よりずっと早く俺の部屋に駆け込んできた。
「トーチカっ! 聞いてくれよ!!」
バンと勢いよく開けられた扉に俺は思わず肩を揺らす。
フラウレイドさんがジロリとグラディレオを睨んで言った。
「グラディレオ様、入室前にはノックをなさってください」
「すげーんだって! 遠くまで見えると全然ちげーんだよ! めっちゃ楽だし、できることがもう全然違う!」
グラ兄は鮮やかな緑の長い髪を後ろで大きく揺らして、瞳をキラキラさせて、身振り手振り付きで俺にうったえた。
メガネの素晴らしさを。
その顔には、数日前に俺が作ってグラ兄に渡したメガネがかかっている。
男らしい顔立ちで眉もくっきりした面長のグラ兄のフレームは、ウェリントンタイプにした。
大きめの四角いフレームで縦幅があるから、戦闘でもフレームが視界に入りにくいだろう。
明るくて頼もしいグラ兄に、かっちりとしたクールな雰囲気をプラスするウェリントン。フレーム素材はプラスチックと金属で迷ったんだが、ここは頑丈で汗にも強いプラスチックにした。
色は黒に近い暗めの紺で、グラ兄の鮮やかな緑の髪と眼ともケンカしない色だ。
耳の後ろはシリコン素材でしっかりキープ。
ベルトがなくてもこれなら飛んだり跳ねたり程度では外れない。
とはいえ、この人の動きは半端ないからな……。
一応戦闘用にゴムベルトも渡しておいた。
店から持ち出した段ボールの中に入ってて助かったよ。
……もしかしたら他の店員が入れてて、渡すか見せる予定のお客さんがいたのかもしれないけどな。
いやぁしかし、アスリートっぽい人がメガネかけてるのって、本当イイよなぁ……。
運動だけじゃなく、勉強もできます感が出てさ。
なんかこう、頭脳プレーできそうな感じが……。
グラ兄の前髪は普段は全部後ろに流されてて、視界を遮らない。
そんな鮮やかな緑の前髪が、今は走って来たせいかパラパラと幾筋か額に落ちて、濃紺のメガネフレームにかかってるのが、またなんとも言えずイケメン感を増してるな。
「あはは、グラ兄大興奮だな。話は聞くから落ち着けよ」
つーか一体どこから走って来たんだ……?
まさか城から……?
いや城からここまでって、馬車で五時間の距離だよな……?
……そんな、まさかな……?
俺は肩で息をするグラ兄の様子に、内心ちょっと不安になりつつも、陶器の水差しから木のカップに水を汲んで差し出す。
この世界では向こうでよくみるシンプルなグラスすら超高級品らしい。
あ、ちなみに窓のガラスを俺の『レンズ加工』で加工することはできなかった。
これは多分俺の『レンズ作製』で作ったレンズにしか対応しないんだろうな。
さすが銀色飛来人。
応用は効きそうにないようだ。
まあ別に凹んではいないけどな。
俺にとっては好きにメガネが作れるってだけで十分どころか最高の能力だ。
グラ兄は俺の差し出したカップの水を一気に飲み干して、また叫んだ。
「兄貴に勝てたんだよ! 初めて! 生まれて初めて勝てた!!」
「へー、すげーな、良かったな」
つーか、こんな強そうなグラ兄が今まで一度も勝てなかった相手って、一体どんだけ強者なんだろうな……。
「メガネパワーすげーって! 再戦しても勝てたしさ! 兄貴すっっっげー悔しがってたぜ!」
言って笑うその顔には、喜びが弾けている。
「おーおー、良かったな」
メガネに大興奮のグラ兄を前に、つい俺までニマニマしてしまうな。
「……それがな、実はオレが強くなったのってメガネのおかげなんだよなーって言ったら、兄貴も欲しいって言っててよぉ」
「おいおい、それはグラ兄が近視だからで、他の人が……」
そこまで言って、ふと気づく。
兄弟って大抵揃ってメガネなんだよな。
後天的な近視の場合はともかくとして、先天的なものの場合は……。
「オレのメガネかけたら、兄貴もすげー見えるっつってたんだよな」
あー、やっぱりか……。
「そんじゃあグラ兄のお兄さんも近視だなぁ」
「だろ? だからさ、兄貴にもメガネを作ってやってくれないか……? あっ、もちろん対価はちゃんと払うからな!?」
「そりゃいーけどさ、そしたらグラ兄はまたお兄さんに負けるんじゃないか?」
俺の言葉に、グラ兄はぱちくりと鮮やかな緑色の瞳を瞬かせた。
それから、どこか悔しそうにくしゃっと笑う。
「たははー、それ。そーなんだけどなー」
そこは否定しないのか。
よっぽど強いんだな、グラ兄のお兄さんって……。
グラ兄は片手でバリバリと頭を掻くと、ふぅ。とひとつ小さく息を吐いてから、顔を上げた。
「でも、オレ達は国を守ってっから。戦力が増えるのはいいことなんだ」
うわ……。
いつもケラケラ笑ってる人が不意に見せる真剣な表情って、なんだか息が詰まりそうな緊張感があるな……。
「……それにもうすぐ総力戦だからな……」
「え?」
「いや、こっちの話。トーチカの事は、オレがちゃーんと守ってやるからなっ」
パチーンと弾けるようなウインクを間近で食らって、俺は半歩後ずさる。
なんなんだこのアイドルみたいな男は……。
俺の周囲にはいなかったタイプで、正直反応に困るんだが……。
グラ兄は俺の動揺にまるで気づく様子もなく、ケラケラ笑って俺の肩を抱き寄せる。
「だから重いって」
「トーチカもちょっとは鍛えたらどうだ?」
俺は「それとこれとは別だろ」と腕を払い落としてから尋ねる。
「そんで、メガネの対価って何くれんの?」
「トーチカは何が欲しいんだ?」
まっすぐ聞き返されて、言葉に詰まる。
いますぐ要るものなんて、正直ねーんだよな……。
「んー…………」
「なんもねーのかよっ、満たされてんなぁ」
ケラケラ笑われて、けどその通りだなと思ったりもする。
「……じゃあ、俺がこの先困った時に助けてもらうってのでもいいか?」
「おうよ、後払いだな。しっかりツケといてくれ!」
俺のふんわりした頼みを、グラ兄はニッと頼れる笑顔で聞き入れてくれた。




