メガネを思う俺の気持ち
俺の両親はどちらもメガネをかけていた。
おそらく父が遠視だったんだろう。
父はメガネを外すと、かけているときよりも目が小さく見えていたから。
そんなわけで、俺の遠視は生まれつきだ。
小学校入学時の視力検査でひっかかり、俺は人生初のメガネをかけた。
メガネをかけたら、今までぼんやりとしか見えなかった世界が突如としてクッキリした。
それは、今までまるで手の届かなかった世界が、急に俺の手の届くところにきたような。
生まれて初めて、世界に受け入れてもらえたような。
俺も、この世界の一員としてようやく認めてもらえたような。
そんな、何とも言えない喜びと安堵感に包まれて……、俺はメガネって凄いと思った。
心の底から。
こんなに素晴らしい物が、この世にはあったのか……。と、感動した。
目が覚めて、枕元に置いていたメガネをかけて。
洗顔と風呂と寝る時以外は、ずっとメガネと一緒に過ごした。
メガネはずっと俺の目の前で、俺にクッキリした世界を見せてくれた。
毎日をメガネとぴったり寄り添って過ごすうちに、俺はメガネが手放せなくなった。
大事なメガネを手に取って、少しも傷付かないように丁寧に洗って、丁寧に拭き上げる。
毎日の手入れの時は、メガネの描く美しい曲線に、心臓がドキドキして、胸がぎゅうっと苦くなった。
メガネってなんて美しいんだろう。
なんてかっこいいんだろう。
気温差に曇っても、涙に濡れても、文句ひとつ言わずに、ずっと目の弱い人の生活に寄り添って。
なんて健気で優しいんだろう。
気付いた時には、俺はメガネを何よりも愛しく思っていた。
小学生の夏休みの自由研究は毎年メガネをテーマにし、中学の発表でも毎年メガネの良さを語りに語った。
そんな俺が眼鏡店で働き始めたのは、あまりにも当然の流れだった。
……まあ、高卒で働き始めたのはちょっと予定外だったけどな。
高校卒業前に両親が揃って事故で亡くなる事がなければ、大学を出てからのつもりだったから。
でもアルバイトから入った眼鏡店で働くうち、そのまま社員にしてもらえた。
2022年に新設された国家検定資格「眼鏡作製技能士」も店で真っ先に1級を取った。
俺は、初めてメガネをかけたあの日から、メガネのために生きると決めていたから。
ぱち。と目を開くと、やたらと豪華な天蓋が目に入る。
おいおい、一体どこのお貴族様のベッドだよ。と一瞬思ったけれど、ここは正真正銘お貴族様のお屋敷だったな。
いや、正確にはゲストハウスか。
まあ貴族の持つ建物の一部である事には違いない。
俺は「ふぁ~~ぁ」と大あくびをしながら固まった腕や背中を伸ばした。
いててて、腰が痛い。
やたらふかふかしたベッドは、せんべい布団にすっかり馴染んだ俺の腰にはいささか贅沢過ぎたようだ。
ふかふかしてりゃいいってもんでもないんだな。
人にはそれぞれ身の程ってものがあるってことか。
俺は痛い腰を擦りつつ、ベッドの上に座り込んだ。
んー……なんか懐かしい夢を見てたような気がしたんだけどな……。
まだ父さんと母さんが生きてた頃の……。
ダメだ、思い出せねーや。
つーかこんなにぐっすり寝たのも久しぶりだな。
まず、何にも予定がない一日ってのが珍しいからな……。
俺は室内を見回す。
昨日の朝まで俺が寝起きしていた部屋のざっと4倍以上はありそうな空間は、あまりにも広々としていた。
……どうやら夢じゃないっぽいな。
そう思うと、喜べばいいのか悲しめばいいのか分からなくなる。
この世界で、俺はメガネを作り出せるという特殊能力を得た。これはガチで嬉しい。
けどこの世界には眼鏡店もなければメガネもない。俺が生み出さない限り。これは微妙だ。
問題なのは、俺が店からフェア会場に持って行くはずの検査セットとフレーム10本をこの世界に持ち込んでしまっているってことだな。
これは本気でマズい。
昨日のフェア会場は、あの後一体どうなったんだろうか。
……正直、考えたくない。
不幸中の幸いとしては、元の世界には俺の身寄りがいないって点か。
眼鏡店でバイトを始めてすぐの頃、近所に住んでた友達が行方不明になったとかで、そいつのおじさんから電話をもらったことがあった。
「息子を知らないか」って電話に、高校で離れて以来そいつとは遊んでいなかった俺は「知りません」と答えるしかなかったんだが、あいつは結局見つかったんだっけ……?
あの頃は初めてのバイトとひとり人暮らしに手一杯で、その後どうなったのかは分からない。
不意に扉から、コンコン、とノックの音がした。
「トーチカ様、お目覚めですか?」
フラウレイドさんの声だ。
「はいはーい、起きてますよー」
あの扉って、俺が開けに行くべきなのか?
慌てて靴をひっかける間に「失礼いたします」とフラウレイドさんは部屋に入ってきた。
あー。わかったぞ、これ正解は「どうぞ」だったんだな。
フラウレイドさんに、良ければリーフェリオン様と朝食を一緒にどうかと誘われて、俺はそれを快諾した。
案内された部屋の食卓には、朝食とは思えないほどに豪華な料理が並んでいた。
焼き立てのパンにベーコン、オムレツに、サラダに、チキンにスープ……。
昨日も思ったけど、料理は食材も味も洋風ではあるものの、見たこともないような異世界料理って感じじゃなくてホッとする。
馬車もちゃんと馬だったもんな。鳥とか犬とかじゃなくて。
俺が部屋に着いた時には、リーフェリオン様は奥の席に座って待っていた。
「おはよう、トーチカ。昨夜はよく眠れただろうか」
優しく声をかけてくれるリーフェリオン様にギロリと鋭く睨みつけられて、俺は「ひぇっ」という悲鳴を必死で吞み込んだ。
朝でもこれかぁ……。
俺もうちょい離れた席に座ろっか?
リーフェリオン様は近いほど見づらいだろ?
既にきちんと並べられた俺の分らしき食器を前に、そんな提案をしていいものか悩むうち、俺は案内された椅子に座らされて、ぐいと椅子を押されてしまう。
うーん、まあ今だけ、もうちょいリーフェリオン様には頑張ってもらうか。
食事の後は、朝の仕事の前に時間を少しもらって、俺の作ったメガネをフィッティングしてもらう事になってるからな。
つーかこの場に持ってくればよかったな。
……今からでも持ってくるか……?
俺がそわそわと出入り口の方を振り返ると、リーフェリオン様の心配そうな声がした。
「寝具が合わなかっただろうか、それとも、料理が良くなかっただろうか……」
「あっ、いえいえっ。布団はふかふかで最高でしたし、お料理もどれも美味しそうですっ」
俺は慌ててリーフェリオン様の方を振り返る。
「なんでも食べたいものがあれば言ってくれ」
そう言うリーフェリオン様の口元は確かにニコッと微笑んでるのに、そこにギッと鋭く刺さる視線が合わさせると、なんでこんなに人を殺しそうな顔になるんだろうな?
このちぐはぐ感が逆にまずいのか……?
彼に悪意はないと分かっているのに、それでも腕にぞわりと鳥肌が立った。
……そりゃこの極悪顔じゃ、町の人が怖がるのも当然と言うしかない。
全然悪い人じゃないのにな。
……むしろ、優しい人なのにな……。
俺は精一杯微笑んで「ありがとうございます」と答える。
……実際には「ありびゃとうごじゃいやす」って感じだったが。
至近距離からの威圧感に、情けねーけど歯の根が合わないんだよッ!
声が震えないように抑えるだけで精一杯だ。
リーフェリオン様は俺の返事に、ホッと息を吐いたようだった。
ああ、そっか。この人は人に怖がられてしまうのが常なんだな。
だから、俺に声をかける度に緊張してるんだ。
俺を怖がらせてしまわないかと、毎回ハラハラしてるなんて……。
俺は彼に気づかれないようにそーっと鼻から息を吸って、深呼吸をする。
数回繰り返すと、ようやく鳥肌もおさまってきた。
だって、嫌だろ。
せっかく朝食に誘った相手が自分を怖がってたらさ。
俺だったら嫌だ。
俺に良くしてくれる人に、そんな失礼な態度はとりたくない。
頭ではそう思ってんのに、それでも身体が拒否ってるってのがヤバいな。
リーフェリオン様の眼力が、力強過ぎる……。
俺は身に染み付いた営業スマイルで、リーフェリオン様との朝食をなんとか乗り切った。
正直、食事の味はよく分からなかった。
ラベンダー色の瞳に鋭く睨まれるたびに、身を竦めそうになる自身を宥めるのに精一杯で、何をどの程度食べたのかすら思い出せない……。
……う。なんか……胃が痛いな……。
暴飲暴食でもないのに胃が痛むなんて、高校受験以来だ。
わりと大雑把で神経質には程遠い俺でこれなんだから、大切に育てられた貴族のお嬢さんなんか、ひと睨みで泣き出してもおかしくないだろう。
とにかく、彼にはさっさとメガネをかけてもらおう。
昨夜俺のメガネを貸していた間の、リーフェリオン様の比較的穏やかな表情を思い浮かべながら、俺は足早に自室に戻った。




