メガネを四つ並べて
「え、俺…………、え、…………え!?」
「まあ落ち着けよ。リーフェだって別に返事を求めてたわけじゃねーんだし、聞かなかったことにしてやればいーって。今日のところはな」
「今日の、ところは……」
今日は、十年に一度の流星光雨災害の日だ。
今まだ静かなこの町に、昼から流星が降り注ぐ。
広いウィルトゥーズ領の端の方の住民はすでに数日前から地下壕へと避難してきていたし、町の人達も午前中のうちには避難を完了する予定だ。
俺はあれから紙筒と木箱を組み合わせて自作の望遠鏡を作って流星を観測した。
昨日の時点で既に、星達がどの程度の数あり、大体どの場所に降るかまで大まかに把握できている。
それでも、流星光雨災害では、二次災害で煙や火にまかれて亡くなる者も少なくない。
光雨災害の日が近づくにつれて、リオン様の睡眠時間は減っていった。
10年前の災害の日、ほんの15歳でこの領土の責任者として領民を守ろうとしたリオン様は、一体どれほどの不安と恐怖と責任を感じていたんだろうか。
当時23歳だったフラウレイドさんも、13歳の頃は幼い主人を失ったばかりで塞ぎ込んでおり現場を経験していなかったために、その頃はリオン様と共に現場を駆け回ることで精一杯でリオン様の心のケアまではできなかったのだろう。
目の下にくっきりと隈を作ってしまったリオン様を見ていられずに、俺と一緒に寝ようと声をかけたのは3日前だった。
俺が抱いて撫でながら寝かしつけると、不思議とリオン様は夜中にうなされることも悪夢に目覚めることもなく、朝まで眠る事ができた。
俺も、リオン様と一緒でも寝苦しかったりしないので、このまま光雨災害の日まで一緒に寝ようかなんて話をしていたら、その日の夜にはグラ兄が来た。
「2人だけなんてズルいだろ、オレも混ぜろよー」というグラ兄に、フラウレイドさんはソファで寝るならと渋々……本っ当に渋っっ々、許可を出してくれた。
だけど、その日の夜、ずるいずるいと文句を言いつつソファで眠ったグラ兄が、苦しそうにうなされているのを見て、俺が起こしてベッドに誘った。
リオン様も「ショウがいいなら」と言ってくれた。
10年前、18歳だったグラ兄は騎士として目隠しをして光雨と戦っていた。
グラ兄はハッキリ言わないけど、前回の災害で、どうもグラ兄は仲間を失ってるっぽいんだよな……。
ベッドに入った途端俺にベタベタ触ってくるグラ兄を、メガネをかけていないリオン様が人を殺せるくらいの視線で睨んで、その晩は三人川の字で眠った。
俺が真ん中な。
一番ちびでちょっと悔しい。
そして昨日の晩。
俺はフラウレイドさんの目の下にも隈ができていることに気づいてしまった。
もうこうなったら皆一緒に寝てしまえ!!
皆でくっついて寝れば、狭いけど、怖くはねーだろ?
俺の提案に皆が頷いてくれたので、今朝はこんなことになっていたわけだ。
ヘッドボードに並ぶ4つのメガネが何とも言えず良い絵になったので、俺は何だかとても満足して眠りについた。
……のだが……。
俺を胸元から取り出したグラ兄が、俺の顔を覗き込んで盛大に噴き出した。
「ブフォッ!? っ、な……っなんだよトーチカ……っ、ククッ……、まっ、まっ
真っ赤……すぎんだろ……ッ」
ええいうるさいな。
俺はベッドから腕を伸ばして、ひとまずメガネをかける。
まだ起き上がりたくはないが、俺の視力だとグラ兄の顔がよく見えねーからさ。
って、オイ、このメガネのレンズについた水滴は……。
「俺の顔にグラ兄の唾が飛んだんだが?」
文句を溢しつつひとまず服の裾でそっと表面の水分を吸い取る。
あとでしっかり洗っておこう……。
「おー、わりーわりー。……つーか、オレはお前の顔なら全部舐め回してやりてーくらいなんだけど?」
「……は……?」
「あー……。今日言うのって、なんかフラグっぽくてアレだけどなー……」
そう言ったグラ兄の鮮やかな緑の瞳が俺をじっと見据える。
フラグなんて誰が言い出したんだよ、飛来人か……?
「んでもまー、オレは死ぬ気ねーし、トーチカもぜってー守るから、……いいか。言っとくかオレも」
グラ兄の瞳に、グッと力が籠るのがわかった。
何だか逃げられないような空気に息が詰まる。
「ま、待て待て待て、聞きたくないっ!」
慌ててグラ兄の口を塞いだ俺の手のひらを、グラ兄はニッと目を細めてからベロンと舐めた。
ぬるりとした温かな感触が、生々しく手のひらに伝わる。
「ヒィッ」
咄嗟に手を離した俺を、グラ兄は可愛くてしょうがないみたいな目で見つめてから、口端をニヤリと持ち上げて言った。
「オレ、トーチカを性的な意味で抱きたいと思ってっからな?」
……ん?
「……シモい話だった……」
「おいっ、失礼だな!? 上半身と下半身を分けて考えんなよ!?」
「んじゃどーゆー事だよ」
「オレはお前のこと可愛くてしょうがねーって思ってんの」
……それはまあ、さっきの視線からも感じたし、薄々感じてはいた。
めっちゃ可愛がられてんな俺、って。
「それって、グラ兄は俺の事好きだって言ってんの?」
「おう、めちゃくちゃ好きだぞ?」
グラ兄はハッキリと緑色の瞳を輝かせて答えた。
んー……?
なんか……全然違うよな……?
俺はさっきリオン様にもらった言葉を胸に蘇らせてみる。
それは、すごくすごく大切そうな声で、俺の心の深いところで静かに響いた。
途端に、カーッと顔が赤くなってくる。
「あ、今赤くなってんのはリオン様の言葉を思い出しただけだからな、グラ兄の告白には俺、揺れてねーから」
「おいおいおい、何だよそれ、オレってそこまで脈無しか!?」
「じゃあ聞くけどさ、グラ兄ってリオン様の事も好きだよな。すげー可愛いと思ってるだろ?」
「思ってる」
「……つまり、リオン様の事も抱きたいと思ってんだな?」
「当然!」
グラ兄が良い笑顔で答える。
俺は頭を抱えた。
あー……、これあれだ。
彼女とかセフレがいっぱいいる……そういうタイプの人だな。
悪気もなしに全員好きって言い切るやつだ。
別にそういう人自体を否定する気はねーけど、俺を巻き込むのはやめてほしい。
俺は、友達ならともかく、恋人はひとりで十分なんだよ。
……つーか、なんか……嫌だな……。
俺がグラ兄にそーゆー目で見られてるってのもちょっと嫌だけど、まあ手を出してこねーならいいか。くらいなんだよな。
けど、リオン様がグラ兄にそんな目で見られてるってのは嫌だ。
なんかこう……心の底から、すっっっげー嫌だ。
だって、グラ兄が前からリオン様をそんな風に見てたんだとしたら、リオン様のお風呂姿とか、寝巻き姿とか、そーゆーので……抜いてたり……。
思わず想像してしまったリオン様のあられもない姿に、俺は頭から布団をかぶった。
リオン様のベッドからは、リオン様の匂いがして、俺は余計に追い詰められる。
俺の下半身は、間違いなくリオン様に反応してしまっていた。
「お、おいっ、トーチカ?」
焦ったようなグラ兄の声に、俺は答える。
「……グラ兄の脳みそってさ、下の方にあんじゃねーの?」
「なっ!?」
俺の声は、俺が思うよりもずっと冷たくて、俺は自分の気持ちを認めるしかなかった。
俺はベッドの中でグラ兄に背を向けて、膝を抱えたまま呟く。
「……でもさ、俺もリオン様も、男だろ……」
「おうっ、男同士なら子どももできねーし安心だよなっ」
……斜め上の回答すぎんだろ……。
「そういや、ドリュエリオン公の好きな人の話、前出たろ? あれも、相手男だぞ?」
…………マジか……。
そりゃますます言えねーだろ。
可愛い婚約者がいて、その人に好かれてるのに、他の男の人が好きだなんて……。
「俺の親父な」
「おい……マジか……」
グラ兄の親父さんは見た事ねーけど、三兄弟を見る限り、親父さんもムキムキな気がする……。
「親父もさ、好きだったみたいなんだよな。だから、両思いだったんだよ」
両思い…………とはいえ、グラ兄達三兄弟がいるってことは、グラ兄の親父さんも別の女性と結婚して……?
「両親の仲は良かったよ。家の空気だって別に悪くねーし。ただ、親父としてはやっぱ心残りだったんだろうな。俺達には、好きな奴が出来たら男でも女でも気にせず連れてこいって言っててさ」
教育方針っっっっ!!
「兄貴達は恋愛結婚なんだよな」
へえ、あの二人は恋愛結婚だったのか。
二人ともよく似た結婚指輪をつけてたけど……。
………………よく似た?
俺はひとまず、そこを考えるのをやめた。
今日は十年に一度の流星光雨災害の日だってのに、朝から俺の頭はすでに情報過多でショート寸前なんだが?
「リーフェもさ、ドリュエリオン公に似て真面目な奴だろ? だからトーチカの前では一生言わねーんじゃなーかなって思うんだよな」
……それで、リオン様は俺に何も言わないまま、俺を見送って……。
……この屋敷で、家のために、他の女性と婚約して……?
家のために、後継者を…………、子どもを、作って……?
ほんの一瞬の想像に、ぞわっと胃をひっくり返されたような感触がした。
追いかけるように、空っぽの胃を吐き気が襲う。
あーーーーっくそっ。
分かったよ!
認めるよっ!!
この感情が正しいかどうかは別として、俺はリオン様に誰も抱いてほしくねーし、誰にも抱かれてほしくねーって事だな!?
……こんなん……、自覚したところで、どうしろってんだよ……。
相手は公爵家の一人息子だぞ……?
ああくそっ……。
よりによって今日になってかよ。
……ようやく理解したよ。
なんで俺がこんなにリオン様と離れたくなかったのか。
俺は、リオン様が好きだったんだな。
恋愛的な意味で。
そりゃ好きな奴と今まで一つ屋根の下で暮らしといて、そっから出ていくのなんて嫌に決まってるよな。
……でも、じゃあ……。
リオン様は……?
リオン様は、俺より先に自覚してた。
俺のことが好きだって。
途端、心臓がぎゅうっと苦しくなって、口元が堪えきれず緩んだ。
……っ、やべーな。両思いってこんな嬉しかったか……?
俺は脳内に高校の頃一年弱付き合っていた彼女の姿を思い描いてみる。
だけど、その輪郭も感情もなんだか朧げだ。
ああくそっ、よくわかんねーけど、とにかく今の俺はリオン様が好きでしょーがねーんだな。
わかった。
わかったからひとまず落ち着け俺。
今はリオン様の事だろ。
あの人は、俺のことが好きなのに、っつーか、好きだからこそ、か。
俺の夢を叶えるためにずっと頑張って、俺との別れに一人で耐えようとしてたのかよ。
そんなん、夜だって眠れなくなるっつーの!!
当たり前だろ!?
俺のそばで眠るのは、……余計苦しかったんじゃねーのかよ……。
俺には住むとこも食べるものも着るものも、バカ言って笑える相手も、安全も、教育も、帰る場所まで、全部リオン様がくれたのに。
なのに、……俺には何も、求めねーのかよ……。
くそっ、いじらしいにも程があんだろ!?
それなのに、そんな素振りを全然見せないとこが、最高に強くて男らしくてかっこいいんだよな……。
……ああそうだな。
俺はリオン様の強くて優しくて健気なとこが大好きだ。
いつからかなんてわかんねーけど、俺はリオン様が大好きだよ。
全部を認めたら、何だか急に胸の内側がスッキリした気がした。
この先のことはひとまずこの後考えりゃいい。
今日はとにかく流星光雨災害だろ!
「……トーチカ、寝てんのか?」
「こんな話聞いて、誰が二度寝できるかよっ!」
俺がベッドの上でガバッと立ち上がった時、扉の向こうでノックの音と「おはようございます」というフラウレイドさんの声がした。




