メガネトークinお茶会
光雨災害まで残り一週間となったその日、俺はなぜかローゼシリア様のお茶の相手として、庭園に呼ばれていた。
意外なことにローゼシリア様は、俺達が城に出かけていた期間の領主の仕事をリオン様の判断が必要な作業以外全てこなしてくれていた。
聞けば、療養で家を出るまでは彼女が領地の仕事を一手に請け負っていたらしいので、それも納得ではある。
おかげで領地に戻ったリオン様は、たまった雑務の消化という工程をスキップしてすぐ光雨災害対策に取り掛かる事ができた。
おっとりほわわんとしたお嬢様に見えていたが、意外と仕事のできる人だったんだな。
今ではその姿にもメガネが加わり、可愛らしさの中に知的さを感じる佇まいになっているが。
そうか……、心折れるまでの彼女は、幼いリオン様達兄弟を守り育てて、このお屋敷と領地を支える女主人だったんだな……。
だって、あんなに優しいリオン様を12歳まで育てたのは、この人なんだもんな……。
お茶の席でのローゼシリア様は俺にメガネのことを色々尋ねてくれたので、俺は嬉々としてメガネの歴史から豆知識まで、ペラペラと喋りまくった。
聞き上手な人だなぁ。
なんだか、いくらでも喋らされてしまいそうだ。
俺は三回目のお茶のおかわりを丁寧に断って、既に三杯のお茶でたぷたぷの胃をさすった。
「今日は貴重なお話がたくさん聞けて、本当に勉強になりました。ありがとうございます」
そう言って柔らかく微笑むローゼシリア様の表情は、やっぱりリオン様に似ている。
ローゼシリア様はすでに療養先の別荘から荷物を引き払ったらしく、光雨災害の後もこのままお屋敷で過ごすと言ってくれた。
良かった……。
これで、少なくともリオン様はいつでも母親に会う事ができる。
俺はその事に心から安堵していた。
席を立とうとした俺に、ローゼシリア様が尋ねる。
「トーチカさん、貴方はリーフェリオンをどう思ってらっしゃいますか?」
「リーフェリオン様ですか?」
俺は思わず瞬く。
どうしてそんなことを聞くんだろうか。
俺とリオン様は、不仲には見えないよな……?
はたから見ても普通に仲良く接してると思うんだが……?
「強くて優しい人だと思っていますよ。頑張りすぎて無理をしがちなところは心配になることもありますが……、とても立派な人だと思います」
俺が心を込めて微笑むと、ローゼシリア様からホッとした気配がした。
ん? なんか俺、心配かけてたのか……?
まあとりあえず、誤解が解けたなら良かったよ。
母親ともうまくいって、リオン様は後は……あれだよな。
「早く素敵なお嫁さんが来てくれるといいですよね」
「……え……?」
聞き取りにくかったか?
俺は少しゆっくり目に話す。
「お嫁さんが優しい人で、その人に甘えられるようになったら、リーフェリオン様はきっと、もっと肩の力を抜けると思うんですよね」
「……そ、……そう、ですね……」
なんか反応が悪いな?
あ、もしかして、まだ戻って来たばかりで、ローゼシリア様の中でリーフェリオン様はまだ12歳に近いイメージだったり……?
まだ結婚の事は考えてなかったのかも知れないな……。
俺は結婚の話を引っ込めて、話をまとめる。
「私は、リーフェリオン様には本当に感謝しています。リーフェリオン様の幸せを心から願ってますよ」
そうまとめた俺に、ローゼシリア様はなぜか感謝を込めて頭を下げてくれた。
「あの子のそばにいてくれて、本当にありがとうございます。どうかこれからも、あの子のそばにいてあげてください」
あー……、それなぁ……。
俺も、リオン様のそばにいたいのは山々なんだが。
光雨災害が終わった後は、俺は王都で生活する事になるからなぁ……。
俺は、曖昧に微笑んで「はい、できる限り……」と答えた。
自分の答えた返事だってのにな。
それを聞いた俺自身が、胃の底にずんと砂が溜まるような感覚を覚える。
俺は、笑えるほどに、リオン様と離れたくなくて仕方ないらしい。
ああ、刷り込みにあったのは、リオン様だけじゃなかったのかもな。
俺も、この世界で最初に俺のメガネをかけてくれたリオン様に、何だか特別な思い入れがあるらしい。
もうあと一週間で、空から星が降ってくる。
別れの日は、もうすぐそこだった。
***
カタ、と頭上で小さな音がして、俺は瞼を開いた。
ぼんやりとした視界の中で、俺のすぐ隣の淡く優しい金色が動いている。
メガネを手に取ったのはリオン様か。
部屋の中は真っ暗ではないものの、まだ薄暗い。
夜明け頃というところだろうか。
「んー……? リーフェ早過ぎんだろ。もうちょい寝てろよ……」
俺の背後から眠そうなグラ兄の声がする。
「そうですよ、今日は長いのですから、もう少しお休みになってください」
リオン様の向こうから聞こえたフラウレイドさんの声は、寝起きでも静かで落ち着いていた。
しかし、ドデカいリオン様の寝台とはいえ、男4人で寝ると流石に狭いな。
俺がリオン様とグラ兄に挟まれていた体をごろりと仰向けにすると、リオン様がクスッと小さく笑った。
「ありがとう。私はもう目が覚めてしまったからね、少しでも広く寝ておくれ」
「でしたら私も」
フラウレイドさんも起き上がったのか、カタ、とヘッドボードの辺りから小さな音がした。
最初に聞こえた音も、このメガネを手に取った時の音だったんだな。
なんかいいな。メガネの音で目が覚めるなんて。
目覚めの音としちゃ、これ以上ねーくらいに最高なんじゃねーの?
「へへ……」
思わずこぼれた笑いに、グラ兄がガバッと俺を抱き込んだ。
「かーーわいいなぁトーチカ、寝ながら笑ってんのかよ」
寝起きでちょっと掠れたグラ兄の声が、俺の耳元で俺を愛でている。
「トーチカ様にとって、光雨災害は初めてのことですから……」
フラウレイドさんはもう立ち上がったのか、声は高い位置から聞こえた。
辛い記憶がないだろうから、という意味か。
「ショウが今日まで怯えずにいてくれて、本当に救われたよ……」
優し過ぎるくらいのリオン様の声は、俺のすぐそばで聞こえた。
グラ兄に抱き込まれた俺の手を、リオン様の手らしきものがそっと取る。
「私はこの戦いを必ず勝利へと導く。そして、勝利の栄光をショウヘ捧げると誓うよ」
少しだけ持ち上げられた俺の手に、さらりと細くて柔らかいものが触れる。
リオン様の髪だろうか。
リオン様の髪は細くてサラサラしてて、すごく撫で心地がいいんだよな。
次の瞬間、ふに、と何だかとても柔らかいものが手の甲に触れた。
少ししっとりした柔らかいものが、どこか名残惜しそうにゆっくり離れると、俺にそっと囁く。
「愛している」
……?
それは俺が今までの人生で、一度も人から言われたことのない言葉だった。
「フラウ、着替えを頼む」
「はい」
パタンと扉の閉まる音が小さく聞こえて、二人が隣の衣装部屋へと姿を消したことがわかった。
途端、心臓がドッと早鐘を打ち始める。
カーッと頭に血がのぼって、顔どころか頭ごと真っ赤に茹で上がった。
バクバクいう心臓に、動いてもいないのに息が苦しくなる。
「はー……。ついにリーフェもそこまで自覚したかぁ……」
グラ兄の呟きは、ため息混じりのわりに、どこか嬉しそうに聞こえた。
「トーチカ、お前起きてたろ?」
言われて、バレてたのか……と思う。
いや、起きてたっていうか、半分は寝てたっていうか、……まあ、半分くらいは起きてたんだけどさ……。
「器用な奴だなー。リーフェが出てってから赤くなるなんて、どんな技だよ」
「い、いや、理解するのに、時間が、かかったって、いうか……」
俺がボソボソと答えると、グラ兄はグフゥッと笑いを堪えようとして失敗したような音を漏らした。
だってあんな言葉、人に対して使うのなんて、本とかテレビでしか見たことも聞いたこともなかった。
親からも、高校の頃付き合ってた彼女からも、好きだと言われたことはあったが、あんな……。
あ、あんな言葉は、言われたことがない。
物に対してなら、俺はメガネを心から愛してるし、高谷はプラモを愛してると叫んでいたが、人に対して使った事は、いまだかつてなかった。
だって、あんな言葉……。
そう簡単に言うようなもんじゃねーだろ……?
……それを……、それを、リオン様が……。
え…………?
……俺に…………?




