メガネを外してくれる人
「しかもアイツ、礼も言わねーしなぁ?」
グラ兄は相変わらずサーティラの事が好きじゃねーよな。
リオン様より年上のくせに、いかにも面白くねーって顔で唇を尖らせる様子はどうにも子どもっぽい。
「そーか? 『ご苦労だったな。よく休め』つってただろ」
「それは礼とは違ぇだろーよ」
「労ってんだしいーんじゃねーの? 必要経費も補佐官さんがくれたしさ」
「そんなんお前、飲み物代くらいしか貰わなかったじゃねーかよ。もっとぼったくれよ」
「そんくらいしか減るもんねーもん」
「魔力が減ってんだろ」
これって、減ってるのは魔力だったのか……。
そういや家庭教師の先生もそんなことを言ってた気がするな。
「……ちゃんとグラ兄の分も合わせて2人分もらったしさ?」
「オレはリーフェから給料ガッツリもらってんだよっ!」
「へー、ガッツリもらってんだ?」
「おーよ、破格の高待遇だぞ?」
「おおー。いいねー、ホワイトじゃん」
「リーフェにとっちゃ、トーチカはそんだけ大事だって事だよ」
「そっか。本当にありがたいよな」
「……そんだけか?」
「ん?」
「お前さ、会議の時、リーフェ達の話ちゃんと聞いてなかったろ」
「ゔっ……」
俺の反応に、グラ兄は大きなため息を吐いてから「まあいいけどよ……。いや、そろそろダメか……?」と何やら自問自答している。
会議と言えば……。
俺は王様が宰相さんをドリューと愛称で呼んでいたのを思い出す。
「そーいやさ、前にローゼシリア様が言ってた宰相さんの想い人って誰のことだったんだろうな……」
もしかして、あの辺の世代の皆さんも仲が良かったりしたんだろうか。
今、20代後半から30代前半のリオン様とグラ兄とフラウレイドさんとヴァルさん達は昔馴染みって感じだよな?
「まさか、あの超絶イケメンのドリュエリオン様にも、片想いの相手がいたなんてなぁ」
あの人に言い寄られたら、断れる人なんか居なそうな気がするけどな。
ああでも、親が決めた婚約者がいるんだから、好きだからって告白するわけにもいかなかったのか……。
うーん……。貴族様ってのはままならないもんなんだなぁ……。
「……オレ知ってんぜ」
「えっ、マジで?」
「誰にも言わねーってんなら、教えてやってもいーぜ?」
「ええ……? いや、遠慮しとくよ。そーゆーのって他人が勝手に聞くよーなもんじゃねーだろ。想像するのは自由だとしても、答え合わせをする権利は俺にはねーよ」
「いや、オレだって完全に無関係な奴には言わねーよ」
グラ兄の声の響きは、からかっているようなそれではなかった。
「……何だよそれ、まるで俺がなんか関係あるみてーじゃねーか」
「んー……。リーフェがあんだけ思いを傾けてんだからさ、トーチカももうちょい当事者意識持った方がいーんじゃねーかなって、オレは思うんだよな……」
……何の話だ?
「ま、オレとしては3人でわいわいやんのも子どもの頃に戻ったみてーで楽しかったんだけどな。……そろそろ終わりも見えてきちまったしな」
終わり……?
「そんな怪訝な顔しねーでさ、聞くだけ聞いとけよ。トーチカももうしばらくリーフェんとこで世話になるだろ?」
「もう、しばらく……」
そうか。
光雨災害が落ち着いたら、俺は念願の店舗を構えて……。
……それで、リオン様のお屋敷を……。
…………出て行くんだ……。
「っ、おいっ!?」
焦ったようなグラ兄の声がして、次の瞬間、俺はメガネを外された。
何でだろうと思う隙もなく、俺の目の上をグラ兄のでっかい手が覆い隠す。
「……なんだよ、オレのせいか……?」
グラ兄はいつになく弱ったような声だ。
「まいったな……」
グラ兄は体を屈めて俺の頭を腕の中に抱き込んだのか、グラ兄のいつも逆立ってる髪がツンツンと俺の頭やこめかみに当たる感触がある。
「なぁ、トーチカ、泣くなよ……」
弱りきったようなグラ兄の声は、俺のすぐ耳元で聞こえた。
っ……。
いつもゲラゲラ笑ってるグラ兄の、すっかり聞き慣れたはずの声が、なんだか妙に色っぽく聞こえて、背中の産毛がぞわわっと逆立つ。
うん? 別にそこまでキモくはなかったよな……?
いや、鳥肌ではないのか。腕にサブイボが立ってる感じはないな……?
……なんだ今の……?
グラ兄は俺の目が回らないようにか、俺の体をゆっくりひっくり返して、俺の顔をグラ兄の胸に抱き寄せた。
グラ兄の胸って筋肉がバイーンとついてんだけどさ、これグラ兄が力抜いてるとむにゅっと柔らかいんだよな。
ムキムキに縁のない俺は、ムキムキの人は身体中硬いのかと思ってたので、これは正直ちょっと意外だった。
もっちりしたグラ兄の胸は枕にはちょうど良いんだが、顔を埋めてしまうと、息が詰まりそうなんだが……?
「よしよし、よーしよしよし……」
俺は犬か? 赤ちゃんか? ってくらい分かりやすくあやされて、ちょっと苦笑が漏れた。
「なんだおい、泣いてるくせに笑うのかよ、こっちは真面目にやってんだぞ?」
文句を言いながらも、グラ兄の手は俺の頭を繰り返し優しく撫でる。
「あれかー……。トーチカは、そこんとこ全然考えてなかったんだな?」
ゔ……。
その通りです……。
俺はグラ兄の胸で、渋々頷いた。
グラ兄は「ククッ」と喉の奥で笑って「お前らしいなー」とだけ言った。
リオン様は考えてたのかな……。
考えて、それでも、俺の為にってそうしてくれてたんだろうか。
だって、リオン様はあんなに俺に懐いてくれてたんだから……。
俺とグラ兄があの屋敷から出て行ったら……。
絶対、置いてかれたリオン様は寂しくなるだろ……?
それなのに、それをわかってるのに、俺の夢を叶えるために……?
昨日だって遅くまで資料作っててさ、毎日必死で頑張ってたのに。
それで、その結果……リオン様が寂しい思いをするなんて……。
そんなの、あんまりじゃねーか。
「別にトーチカは王都に店建てたって、ずっとそこに住むわけじゃねーだろ?」
グラ兄の言葉に黙って頷く。
「店が落ち着いたら、リーフェんとこに戻ってくりゃいーじゃねーかよ」
分かってる……。
わかってるけどさ……そんなのは……あまりに自分勝手じゃねーか?
リオン様は、俺の帰りをいつでも待ってるって言ってくれたのに。
俺はそんなリオン様をずっとずっと待たせるのか?
あの人は、療養から帰って来ない母親を、もう13年も待ち続けてたんだぞ?
そんな人を、これ以上一日だって……寂しい気持ちで、待たせたくねーってのに……っっ。
もう俺には分かるんだよ。
リオン様はきっと、俺が出て行くって言ったら、どんなに寂しくても無理して笑って送り出してくれる。
どんなに悲しくても、泣かないで、今までみたいにずっとひとりで抱え込んで。
眠れない夜を、ひとりだけで乗り越えて……。
リオン様は、約束を違えたりしない人だからな。
その日俺が帰ってこなくても、その次の日も、そのまた次の日も、俺のことを待っててくれるんだ。
俺に「おかえり」って言ってくれるために。
寂しさに震えるリオン様の姿は、あまりにも簡単に胸に描けてしまって、それがまた、どうしようもなく悔しかった。
リオン様のためだけじゃない。
俺だって……あのお屋敷に……。
リオン様のとこに帰りたいんだ……。
「お、目ぇ覚めたか……?」
優しい声はすぐ近くで聞こえた。
ぼんやりと見えた周囲の景色は俺の記憶よりも夕方の気配を帯びている。
「……ぇ……あ……、俺寝てた!?」
「ちょいうたた寝って感じだな。まああんだけ魔力消耗した後だししゃーねーよ」
言いながら、グラ兄は俺にメガネをかけてくれる。
「うわ、ごめんなっ。グラ兄腕とか足とか痺れてねーか!?」
「お前一人くらい楽勝だって、前も言ったろ?」
うっ、本当に頼もしいなこの人……。
「どーだ、立てそうか? 無理なら抱えて帰るぞ?」
俺は「やってみる」と答えて立ち上がる。
立てはしたものの立つのがやっとという様子の俺を、グラ兄は笑いながら抱え上げた。
「ブハッッ、生まれたての子鹿じゃねーかよっ」
「そっ、そこまでプルプルはしてなかっただろ!?」
「いーや、してたね。もうプルプルプルプルプルプルしてた」
俺は、グラ兄の大きな口からやたらと高音で紡がれたプルプルの連呼に思わず爆笑する。
いやダメだ、ツボった、笑いがおさまらん……。
「ひー……っ、腹痛ぇって……」
俺が身を捩って爆笑していると、グラ兄がニカッと満足そうに笑った。
「よしよし、トーチカはやっぱ、笑ってんのが一番だな」
「グラ兄……」
「泣かせてぇとは思うけどさ、あーゆー悲しそうなやつはダメだ」
いや悲しくない泣き顔って何だよ。
あ。今すでに笑い過ぎでちょい滲んでるな、涙。
こーゆーのか?
はー……。グラ兄も本当にいい人なんだよなぁ……。
俺は、俺を軽々抱えたままずんずんと廊下を進む頼もしすぎるグラ兄の胸に頭をくっつけて、思わず溢した。
「グラ兄……、俺、グラ兄ともリオン様とも離れたくないよ……」
「おっ……お前っっ……! っ、せめてどっちかにしろよっ!」
「なんで?」
俺は、グラ兄ともリオン様とも、フラウレイドさんともヴァルさんともコルト君とも、皆と一緒にいたいよ。
首を傾げてグラ兄を見上げると、グラ兄は何だか少しだけ頬を赤くしてからヤケ気味に叫んだ。
「っ、あーーーーーーっくそっ! わかったよっ、俺が二人まとめて面倒見てやっから!!」
うん……?
なんでグラ兄が面倒見てくれんの?
グラ兄は雇われてる側だろ。
あー……でもグラ兄のとこは家としては金持ちなのか?
だってお兄さん達二人はこの国の騎士団と近衛騎士団のトップなわけだもんな。
高給取りなのか……?
俺はよくわからないながらも、グラ兄のその気持ちがすごく嬉しくて「へへ、ありがとな」とふやけた顔で笑った。




