メガネと二度目の添い寝
***
「流星光雨災害の発生日が判明したよ」
リオン様がそう言ったのは、コルト君が帰って三日経った日の夕食の席だった。
「おー、いよいよだな」
グラ兄のあっさりした言葉にも、俺は緊張感を煽られてしまう。
両手に握ったカトラリーを下ろして話の続きを待つ俺を、リオン様は瞳で宥めてから口を開いた。
「ちょうど30日後の正午頃から落下開始だ」
「昼からかあ……早めに飯食っとかねーとなー」
そう言ったグラ兄の鮮やかな緑の瞳がギラリと輝いている。
うわー。やる気なさそうな口調の癖に、グラ兄は暴れる気満々だな。
「それって、ズレたり外れたりしないんですか?」
「ああ。ほぼ予見通りだろう。ズレたとしても数時間で、日を跨ぐほどにズレることはないよ」
はー……、なるほどなぁ。こんな風に能力による予知の精度が高い分、この国には今まで天体望遠鏡みたいなものが必要にならなかったんだな……。
窓ガラスがこうなのも、頷けるよ……。
俺はそろそろ見慣れてきた掌大の歪なガラスが何枚も嵌った格子窓を見上げた。
夕食後のお茶を飲んでいると、珍しく席を外していたフラウレイドさんがいつもより少しだけ慌てた様子で食堂に入ってきた。
「リーフェリオン様、お手紙です」
銀色のピカピカのトレイには確かに一通の手紙が乗っている。
「今か……?」
小さく呟くリオン様の言葉に、確かにフラウレイドさんが食事中に手紙を持ってくるなんて初めてだなと思う。
何かよっぽど急ぎの用事なんだろうか……。
リオン様は手紙を手に取ると、添えられたペーパーナイフで開封する。
そんなささやかな動作ですら、リオン様だと美しくて絵になるな……。
リオン様のサラサラのプラチナブロンドが小さく揺れて、銀色のメガネが手紙を見つめる。
「これは……」
小さく息を呑んだリオン様は、何だかとても衝撃を受けたように見えた。
「分かった、すぐに返事を出そう」
フラウレイドさんにそう応えて、リオン様はお茶の途中で席を立った。
「慌ただしくてすまないな。ショウとグラディレオはゆっくりしていってくれ。二人とも、今日もありがとう。良い夢を」
リオン様は俺達に微笑んでおやすみの挨拶までを手早く済ませると、足早に部屋を出ていった。
「……何だったんだろ」
俺の呟きに、ぐいっとお茶を飲み干したグラ兄が答える。
「んー、領民から至急の嘆願書でも届いたのかと思ったけど、そうじゃねーみたいだしなー」
「なんでそんなの分かんの?」
「封蝋だよ」
「封蝋?」
「封筒の封をしてる蝋の塊。あれに家紋が押してあんの」
「へー、家紋……」
家紋と聞いて俺の脳内に浮かんだのは、葵の御紋……三つ葉葵とか、織田木瓜とかそういう戦国武将が旗に掲げてたような物だったんだが、そういうのの西洋版なのがあるって事だよな?
「それがウィルトゥーズ公爵家だったんだよ」
「よく見えたな」
「メガネのおかげだな」
「ハハッ、そりゃよかった」
「だから差出人は宰相様か、そうじゃなきゃ……」
「リオン様のお母さんって事か」
俺の言葉に、グラ兄は面白くなさそうな顔で「そだな」と答えた。
「グラ兄はリオン様のお母さんには会った事あんの?」
「まーな。……最近は全く見てないけどな」
「もしかしてさ、グラ兄ってリオン様のお母さんの事あんま好きじゃないのか?」
俺の質問に、グラ兄は珍しく言い淀んでから「……まーな」と答えた。
グラ兄って普段ニコニコってかニヤニヤしてるから、あんま怖いと思ったことねーけど、こんな風に仏頂面してると顔つきもシャープだし体格もいいしで、結構いかつい兄さんなんだよな。
「なんで? リオン様のお母さんって性格悪いの?」
「ローゼシリア様な、そんなんじゃねーよ。……普通の……大事に育てられた、貴族のお嬢様だよ」
「ふーん……?」
リオン様のお母さんはローゼシリア様っていうのか。
前に一度フラウレイドさんがサラッと名前を言ってたけど、もうすっかり忘れてたな。
「別にオレが嫌な思いしたとかじゃねーけどさ。まだ12歳になったばっかのリーフェを屋敷に置いたまま、ずっと戻ってこねーとか。そーゆーのがちょっと、……好きになれねーだけだよ」
渋い顔で、俺の方を見ないまま答えるグラ兄の様子に、俺は思わずにやけてしまう。
「へへへ……」
「……なんでニヤニヤしてんだよ」
「いや、グラ兄が俺と同じ気持ちになってくれてんのが嬉しくてさ」
にへらと笑って俺が答えると、グラ兄は一瞬ぽかんとした顔をして、それからちょっとだけ眉を顰めた顔で「まーーったく、トーチカは可愛い奴だなぁ」と笑う。
席を立つと、俺の髪はグラ兄のでっかい手でぐしゃぐしゃにされたし、ぶっとくて重い腕も相変わらず肩に回されたけれど、今日はそんなに嫌な気分にはならなかった。
***
その日の夜、俺はリオン様の寝室の前まで来ていた。
いや、こんな時間に尋ねるつもりじゃなかったんだけどさ。
布団に入って寝ようとしても、リオン様が受け取ってた手紙の事が気になって気になって……。
しばらくゴロンゴロンしてたんだが、このままじゃ寝られそうにねーし、まだリオン様が起きてるようなら聞く方が早いかなと……。
……思ったんだけどさ、夜中に急に押しかけるのってやっぱマズくないか?
ノックしようかどうしようかとしばらくその場でウロウロ逡巡していたら、扉が開いて、フラウレイドさんが顔を出した。
「トーチカ様……。どうなさいましたか?」
「えーと……ちょっと、リオン様に聞きたい事があって……」
そこへ、リオン様が気づいて室内から声をかけてくる。
「ショウ? どうしたんだ、こんな時間に。フラウ、入ってもらってくれ」
声をかけられたフラウレイドさんが、なぜか小さく肩を揺らしてから、俺を寝室に入れてくれる。
「またベッドでも良いかい?」
苦笑を浮かべて俺をベッドに誘ってくれるリオン様に、俺も「他にないんですもんね」と答えてベッドに腰掛ける。
すると、フラウレイドさんが「明日にはこちらにも応接セットを戻しましょう」ときっぱり言い切った。
ん? 良いのか? 戻して。
まあでもそれから二年も経ったわけだし、リオン様も少しは成長したのか……?
頑張りすぎる性質は変わってない気もするが……。
「フラウ、今日はもういいよ。おやすみ、ゆっくり休んでくれ」
リオン様の言葉に、フラウレイドさんはほんの一瞬躊躇うような顔をしたけれど、そのままガックリと肩を落として挨拶と共に部屋を去った。
……なんかまだ話があったんじゃないのか?
「俺が追い出してしまったみたいで申し訳ないな……」
つい小さく呟くと、リオン様がクスッと笑って言った。
「大丈夫だよ、話は終わっていたからね。手紙も渡しておいたし」
……手紙……。
「……リオン様、さっきの手紙って……」
俺の言葉に、リオン様はちょっとだけ痛そうな顔で微笑んだ。
「ああ、ショウは私を心配して来てくれたのか……。すまないね、心配ばかりかけて」
「そんなのは、俺が勝手に心配してるだけなんで、リオン様が気にする事じゃないですよ」
「……あの手紙は、母上が屋敷に顔を出すという先触れだった」
「先触れ……?」
「ああ、今から行くよという連絡だね。急な訪問を避けるための手紙だ。とはいえ到着は明後日のようだから、急といえば十分急なんだが……。彼女にとってここは自宅なのだから、先触れを出してくれるだけありがたいよ」
『彼女』という言葉に、何だかリオン様と母親との距離を感じてしまう。
「おそらく私の顔つきが変わったと人伝に耳にしたのだろうね。本来ならば、こちらから先に手紙を出すなりして顔を出すべきだったのだが……。後手に回って、申し訳ないことをしてしまったな」
それって……、俺のせいで城に呼び出されたりして行ったり来たりして忙しかったからだろ。
「俺のせいで、リオン様を忙しくさせてしまって、すみません」
「ああいや、ショウのせいではないよ。私の不手際だ」
そう答えるリオン様にはまったく気負ったところもなく、本当にそうだと思っている様子だ。
相変わらず、リオン様はさらっと全部を自分のせいにしてしまうな。
「けど光雨災害が近づく今になって……?」
リオン様もここ最近いつにも増して流星光雨災害対策で大忙しだってのにさ。
わざわざ忙しい最中に会いにこなくてもいいもんじゃないか?
「……いや、だからこそ、来てくださるのだろう」
そう答えたリオン様の口元は柔らかく緩んでいた。
「光雨災害での死者数はそう多くはないが、毎年幾らかの犠牲は出る。それに、土地や建物への被害は激しく、しばらくは復興作業に大忙しとなるからな」
そっか、人の命だけは防護膜で守れても、領土全体を覆う事はできないんだもんな……。
「そうなる前に、母上が私の顔を見に来てくれるというだけで、私はとても嬉しいよ」
うわ……リオン様めちゃくちゃ嬉しそうだな……。
「良かったですね、リオン様」
俺はリオン様の肩をそっと撫でる。
いつでも許可なく触って良いって言われてるからな。
「ああ……、ただ……」
そこまでで途切れてしまったリオン様の言葉に、俺は俯いてしまったリオン様の背をゆっくり撫でて尋ねる。
「ただ……?」
「ただ、その……、私が、母上の期待に……応えられると、良いのだが……」
いつも人に弱い部分を見せないリオン様が、こんな風に、俺の前でだけ素直に見せてくれる気弱な言葉ってやつに、俺は何とも嬉しくなっちまうんだよな。
俺はにやけてしまいそうな頬をグッと引き締めながら、太鼓判を押す。
「もちろんですよっ、メガネと一緒のリオン様は最高にイイ顔してますから! リオン様のお母さんの事も、最高の笑顔で出迎えてあげましょうねっ!」
リオン様は俺の気合いたっぷりの言葉に、ラベンダー色の瞳で俺の顔を見つめてから、眉だけ困った様子のままで、ふわりと幸せそうに微笑んだ。
「ああ、そうだな。ショウがそう言ってくれると、大丈夫な気がしてくるよ」
ぅぁーーーーっっっ。
可愛いな……っっ。
なんか俺に懐いてるリオン様がめちゃくちゃ可愛いんだがっっっ!!?
俺は、リオン様の様子が落ち着いている事に一安心をして、リオン様の肩をポンとひとつ叩くと立ち上がった。
「それじゃ、あんま長居しても悪いんで、俺はそろそろ……」
そんな俺の寝巻きの裾を、リオン様の白い手が握った。
「ショウ……、部屋に戻ってしまうのか?」
なんだ?
「その……、もし………………、っ、……いや、なんでもない。引き止めて、すまなかった。ゆっくり休んでくれ……」
いや、なんだよ、言いかけてやめられると気になるだろ。
「リオン様……? 何かあるなら何でも言ってくださいよ? 俺はリオン様のためなら何でもやりますよ?」
リオン様の母親ってなると、52歳のドリュエリオン様と同世代って事だろ。
やっぱ老眼は十分に入る歳だよな。
老眼鏡を作ってくれって話なら、遠慮なく言ってくれていいんだが?
「では、その……ショウの言葉に甘えて……」
こっちに来てからというもの、男性用メガネばっかり作ってるからな。
女性用のメガネは久しぶりだ。
向こうの世界じゃ俺の勤めていた店舗は女性客の方が多かったからな。
「私の隣で……寝てくれないだろうか……」
…………ん?
俺の金縁メガネの視界の中で、リオン様の顔が見る間に赤くなってゆく。
「……ぁ……、その、いや、ショウが嫌なら、いいんだ。幼な子のような事を言って、すまなかった。忘れてくれ……」
「いっ、いやいやいや、全っ然、嫌って事はないですよ!?」
こんな風に、珍しく自分から俺に甘えようとしてくれたリオン様の頼みを断ってしまった日には、もう二度とリオン様は俺に甘えを見せてくれないんじゃないか。
そんな気がして、俺は慌てて訂正する。
今のはちょっと予想外だっただけで、別に嫌ってことはない。
前に俺がリオン様のベッドでうっかり寝落ちした時も、ベッドがデカいからか寝具が最高級だからか、寝苦しいと思うことはなかったしな。
「俺でよければ喜んでお付き合いします」
にっこり笑って伝えれば、リオン様は嬉しそうにパアッと幼なげな笑顔を見せた。
うっ、可愛い……っ!!!
リオン様の表情には、捨てられた子犬が俺だけを頼ってくれてるみたいな、そんな一途な健気さを感じる……。
よくもまあ、こんな可愛い子を置いて出ていけるよな……。
おっと、俺が憤ってもしゃーないしゃーない。
今はたっぷりリオン様を甘やかして寝かせてやるか。
きっと、久々に会う母の期待に応えられるかどうかが不安で仕方ないんだな。
俺はこないだのようにリオン様のベッドに潜り込んで、メガネを外す。
そんな俺を見て、リオン様も部屋の明かりを落とすと、いそいそとベッドに上がってくる。
俺に続いてメガネを外したリオン様が、シルバーフレームの繊細なメガネをヘッドボードのところに並べた。
金と銀のメタルフレームのメガネが並ぶ様は、何となくお揃い感があって可愛らしい。
「へへ、今日もありがとうな、俺とリオン様の相棒」
一日働いてくれたメガネ達に感謝を伝えると、俺の隣に潜り込んでくるリオン様もまた嬉しそうに微笑んでメガネに「ありがとう」と囁いた。
愛しげな囁き声からは、俺が生み出したメガネをとても大切にしてくれているのが伝わって、なんだか胸がじんとする。
こんなに大事にしてくれる人の相棒になれて、リオン様のメガネも幸せ者だよな。
これからも、リオン様にクッキリした世界を見せてやってくれよ。
これ以上リオン様が辛い思いをしなくて良いように、リオン様を守ってやってほしい。
願いを込めて見つめると、まるで俺の思いに応えるように、リオン様のメガネがきらりと輝いたような気がした。




