メガネと朝と、フラウレイドの勘違い〈リーフェリオン視点〉
***〈リーフェリオン視点〉
「おはようございます、リーフェリオン様」
静かなフラウの声が聞こえる。
それはいつもと同じ、朝の訪れを告げる声だった。
ああ、起きる時間か。
開きにくい瞼は、腫れているのか。
どことなく熱くて重い。
これは……私は泣き寝入りしてしまったのだろうか……?
眠る前の記憶を辿ろうと重い瞼を開けると、私の目の前には規則正しい呼吸に合わせて静かに上下する胸があった。
「……ショウ?」
ショウの穏やかな寝顔は、私の胸に驚きよりも先に穏やかな安らぎを届けてくれた。
ああ、全部思い出した。
昨夜はショウが明け方まで私の話を聞いてくれて、そのまま私を慰めながら寝かせてくれたのだったな。
すうすうと安らかな寝息を立てて眠るショウを見つめていると、自然と笑みが溢れてしまった。
「トっ…………、トーチカ様……っ!?」
一方で、フラウの声は裏返っているが。
「こっ、こここここれはいいいいったいどどどどどうっっ、どうっ、いうっっここここここ」
「フラウ、静かにしてくれ。ショウが起きてしまうだろう?」
私はフラウのあまりの動揺ぶりに笑いを堪えながら言った。
睡眠時間は短かったはずだが、意外と頭はスッキリしている。
ただ、この顔はダメだな。
今日の朝食はコルト君と共に囲む最後の食卓だ。
こんなに泣き腫らした目では心配をかけてしまうだろう。
「目を冷やしたい。冷たい布巾を頼む」
「はっ、はははははいっ、ただいまっ!」
こらこら、静かにと言っただろうに。
フラウが大慌てで出て行った気配に、私はもう一度苦笑した。
さて、起き出さねばな。
そう思いはするものの、ショウの腕は私の頭の下と私の腕から背にかかっていて、私が動いては彼を起こしてしまいそうで気が引ける。
……いや、気が引けると言うのもあるが、本当のところは私が名残惜しいのだろう。
彼の温かな腕の中から抜け出してしまうのが。
こんなにも守られていると強く感じながら眠りについたのは、いつぶりだったのだろうか。
記憶をどれほど辿っても、私の覚えのある中に、優しく抱かれながら眠った記憶というものは見つからなかった。
ただ遥かに幼い頃の朧げな印象のひとつに、温かい日差しの中で母上の腕に抱かれていたような一場面があるようなないような……。
そんな微かな記憶の残滓のようなものを手繰りながら、私は目の前で眠るショウの顔をもう一度見る。
彼が私を包んでくれている。
その事実は、何度確かめても、その度に私の胸を優しく揺らした。
どれほどそうして彼の寝顔を見つめていたのか、フラウが氷と絞った布巾を手に戻ってきてしまった。
仕方なくショウの腕からそっと抜け出すと、ショウは目を覚ましてしまったのか、ごそりと寝返りを打った。
「ん……ぅ……、リオンさま……?」
……ああ、彼の起き抜けの声はこんな風なのか。
いつもよりも少しだけ掠れたショウの声に、なぜか私の心臓が小さく跳ねる。
「まだ眠っていていいよ。朝食には間に合うように起こすからね」
私の声は、私が思うよりもずっと優しい響きに聞こえた。
「んー……じゃあ、もうちょい、寝ますね……」
微睡むような声を最後に、彼はまた静かな寝息を立て始める。
はっきりとは見えなかったが、彼はずっと目を閉じたままのようだった。
「リ……リーフェリオン様、こ、こ、これを、どうぞ……」
まだ動揺を残したフラウが小声で差し出してくる冷たい布巾を「ありがとう」と受け取って目元を冷やす。
ひんやりとした布巾の重さが、腫れた瞼に心地良い。
「あ、あ、あの、トーチカ様は、な、な、な、何故リーフェリオン様のベッドに…………?」
「ショウは昨夜私を慰めてくれて……、そのまま共に眠っていたんだ」
「ト、トーチカ様が……、リーフェリオン様を…………お、お、お、お慰め、して…………」
フラウはどうしてそこまで動揺しているんだ?
「フラウは目は腫れていないのか?」
「わ、私は、既に治しましたから……」
言われてようやく気づく。その手があるじゃないか。
「目が腫れるほど泣くなんて久々で、すっかり忘れていたよ。フラウ、私にも治癒をかけてもらえるかい?」
「か、かしこまりました……」
動揺しながらも、フラウは私の目に治癒魔法をかけて腫れを治してくれる。
「ありがとう、手間を取らせたね」
「いえ……。……いえ、あの……」
「どうした?」
なんだか本当にこれがあの常に冷静なフラウなのかと心配になってしまうほどに、今朝のフラウは様子がおかしいな。
「あの……、その、まさか……。まさかでは、あるのですが……。ひとつ確認させていただいても、よろしいでしょうか?」
「ああ」
「リーフェリオン様は……トーチカ様を、ええと、その……、だ、だ、抱いた、のでしょうか? そ、それとも、抱かれ、たの、でしょうか……?」
問われて、私は昨夜の様子を思い出す。
「……後者だな」
私の方がショウよりも年上だというのに恥ずかしい話ではあるが、昨夜慰められたのは私の方で、私を慰めてくれたのはショウだった。
「――っっ、……で、では、その……。リーフェリオン様は、……っ、トーチカ様に抱かれて、涙を……?」
フラウは一体何故、そう詳細に問いただそうとするんだ?
あまり恥ずかしい事を聞かないでほしい。
「……フラウ、プライベートだぞ。あまり聞かないでくれないか」
「そっ………………、そう、ですね。……も、申し訳、ありません……」
肩を落とすフラウは、いまだに愕然とした様子を滲ませている。
フラウは一体どうしたと言うのか。
昨夜はフラウが先に寝てしまったが、それによって私がショウを頼ってしまった事を悔いているのだろうか。
そう心配せずとも、ショウならば、私が女々しく涙を見せたところで、私やフラウを悪く言うことなど決してないだろうに。
私は布巾で顔を拭うと、ベッド脇から腕を伸ばして、ヘッドボードに二つ並んだメガネのうち銀色の方を手に取る。
朝日を浴びて輝く金と銀のメガネは、なんだかとても似合いに見えて、知らず心が弾んだ。
そういえば、ショウは外したメガネに『相棒』と声をかけていたな。
彼に倣って、私も心の中でそっとメガネに声をかける。
私の相棒、今日もよろしく頼むよ、と。
メガネを正しい位置にかけると、ぼやけた私の世界は途端にくっきりとして視野が広がる。
本当に、メガネとはなんと有り難く、頼もしい存在なのだろうか。
私は今日も、メガネと、それを私に与えてくれたショウへの感謝を胸に、新しい一日のスタートを切った。




