メガネを、二つ並べて
「あの、フラウレイドさんは今……?」
「ああ、彼ならもう休んでいるよ。泣き疲れてしまったんだろう。……彼を、あんなにも不安にさせてしまった。私は次期領主失格――」
俺は、自身を責めようとするリオン様の口を、思わず片手で塞いでいた。
失格なはずあるもんか。
次期領主として相応しい人だからこそ、その立場をわかっているからこそ、そんなに激しく悔やんでるんだろ?
「リオン様、俺はこっちに来てまだそんなに経たないけど、それでも俺は、リオン様は領主に相応しい人だって思ってます」
そんな事、領主の仕事もろくに知らない俺が言ったって何の意味もないだろうけどさ……。
でも、ちょっとでもこの人を慰めてやりたいんだよ。
なんか、今俺にできることって、他にねーのかな……。
俺は、もどかしい思いで、リオン様の口を塞いでいた片手を離すと、リオン様の体を強く抱き直す。
「リオン様はすごく頑張ってるし、皆の事すごく考えてるし、すごく優しい人です。皆、リオン様の事が大好きですよっ」
俺の言葉に、リオン様が小さく息を呑む。
つーか後ろから抱きしめてたら、リオン様が今どんな顔してんのか見えねーんだよな。
それに、じっと座って話聞いてたら、俺の方が肌寒くなってきた……。
「俺、布団に入らせてもらっていいですか?」
寒くって、と俺が苦笑すると、リオン様はすぐに許可をくれる。
「ああ。そろそろ明け方が近いのか。ショウが私を温めてくれていたから、冷え込んできた事に気づかなかった、すまない、私ばかり……」
俺はゴソゴソとリオン様のどデカいベッドに潜り込むと、掛け布団を持ち上げてリオン様を呼ぶ。
「リオン様も、こちらにどうぞ」
「……え……?」
つか、そもそもこれはリオン様のベッドと布団なんだけどな。
リオン様は、呼ばなきゃ来そうにないからさ。
「わ、私、も……?」
リオン様の頬が、心なしか赤くなる。
そこで恥ずかしがられると、俺の方が恥ずかしくなるんでやめてほしい。
「寒いんで、リオン様も一緒に入ってください」
俺がきっぱり言い切れば、リオン様は「わ、わかった……」と素直に俺の隣に入ってくる。
よしよし、これで俺も寒くねーし、リオン様も寒くねーし、リオン様の顔もよく見えるしな。
って、あーーーーーーーーっ!
リオン様は、俺の言いつけをきちんと守って、布団に入る前に両手でメガネを外した。
……こうなったらあれだ。
俺もメガネを外そう。
そして、リオン様の目を、なるべく焦点を合わせて見ないようにしよう……。
リオン様は外したメガネのツルを左、右、と俺の教えた順番通りに折り畳む。
海外のメガネだと逆のもあるが、日本のメガネはほとんどがこの順で畳むようになっている。
逆に畳むと左のツルが浮いて、置いた時にグラグラしたりケースに入りきらなくなるからな。
しかしリオン様は、メガネを畳む些細な仕草すら絵になるな……。
俺は、リオン様がベッドのヘッドボードに置いたメガネの横に、俺のメガネを並べて置いた。
仲良く並ぶメガネの姿に、何となくほっこりする。
「いつもありがとな、俺の相棒と、リオン様の相棒」
思わず口に出ていたらしい俺の感謝の言葉に、リオン様が布団の中で小さく笑った。
こういうちょっとした仕草が可愛いんだよなこの人、こんな風にクスクスって小さく笑うとことか、本当に可愛いんだが…………。
……今はリオン様の視線がヤバいので直視できない……。
俺が布団に肩まで潜り込むと、リオン様が優しい声で尋ねる。
「ショウ、寒くないかい?」
俺は思わず向けかけた視線を何とかリオン様の肩口に留めて、微笑んで返す。
「俺は寒くないですよ、リオン様の布団はふかふかですね。リオン様もあったかくしてくださいね」
視線を留めたリオン様の肩口に、俺は布団をぎゅぎゅっと押し込む。
これなら不自然じゃないよな!?
「……ショウは、いつでも温かいな……」
それって、心がって事だろうか。
それなら……。
「リオン様の方がずっとあったかくて優しい人ですよ。急に現れた俺にも、ずっと優しくしてくれてるじゃないですか」
「…………私が、優しい…………?」
小さな声で呟いたリオン様の言葉は、少しだけ震えていた気がした。
「そうですよ、リオン様は優しい人です」
だって町の人達も、リオン様の顔は怖がっていたけれど、その存在を頼りにしているようだったし……。
「……そう、だろうか……。母上にも避けられてしまった、私が……?」
…………そういやリオン様のお母さんの話って聞いた事がないんだが?
いや、生きてるのは知ってる。
遠い別荘で、ゆっくり暮らしているとフラウレイドさんからは聞いていた。
けど、リオン様の口から『母』という単語を聞いたのは初めてだった。
俺の隣で俯くリオン様の、そっと伏せられたまつ毛が、なんとなく震えている気がした。
近くてよく見えねーけど。
泣いてんのかな。
……泣けばいいのにな。
リオン様だって、我慢してないでフラウレイドさんみたいに泣いちまえばいーんだよな。
そうすりゃ泣き疲れて眠る事だってできるだろうに。
この人は涙まで、一人で我慢して呑み込んでしまうから。
……だからこんな風に眠れない夜を過ごすことになるんだよ。
リオン様の涙なら、俺だって、グラ兄だって、もちろんフラウレイドさんだって、いくらでも受け止めようって奴が近くにいんのにさ。
もっと、俺達に甘えてくれりゃいいのに。
上に立つ人は、部下に弱いとこを見せちゃダメとかそういうやつなんだろうか。
そーゆーことなら、俺はリオン様の部下じゃないしセーフじゃねーの?
俺なんて、リオン様には衣食住から心のケアまで全部甘えっぱなしだってのにさ。
せめて、弱ってる時くらい、俺にも甘えてくれよ。
俺はリオン様の後頭部に手を回すと、リオン様の頭をギュッと胸元に抱き寄せた。
わぷっ、と俺の胸に小さな声を漏らしたリオン様が、一瞬驚いたように体をこわばらせる。
つーか、こうしてればリオン様の強烈な睨みを喰らうこともないんじゃないか?
ナイスアイデアなんじゃないか?
いやでも、顔が見れない点はさっきと同じか……?
「っ……ショウ……!?」
困惑する様子のリオン様の、サラサラした髪をゆっくり撫でて、俺は言う。
リオン様の心に、俺の思いがちゃんと届きますように。
「リオン様は優しい人ですよ。俺が保証します。3年保証……を延長して、5年保証……いや、生涯保証をつけてもいいくらいです」
人生の中でメガネの度は変わってゆくけれど。
リオン様の優しさは、きっとこの先どれほど月日が経っても、一生変わらないと俺は思う。
「もうこれ以上、リオン様が優しくなろうとする必要はないですよ。今でももう十分、優しすぎるくらいなんですから」
リオン様は俺の胸で小さく息を詰まらせて、それから「ありがとう」と言った。
その声は、隠しようもなく震えていた。
……泣いてんのかな。
俺の眼裏に、あの日一度だけ見たリオン様の涙が浮かぶ。
俺が初めて生み出したメガネをかけて、リオン様が零した涙は、本当に綺麗だった……。
「……兄が……、亡くなって、しばらくして……。私の弟が、産まれたんだ……」
俺の胸でポツポツと話すリオン様からは時折小さく鼻を啜る音が聞こえるのに、不思議と欠片も嫌悪感がない。
なんか俺って、リオン様の事よっぽど綺麗だと思ってるよな。
むしろ、リオン様なら、鼻水だって涎だっていくらでも俺の服につけてくれていいとすら思える。
……まあ、この俺の寝巻きは、リオン様の金で用意されているわけだが。
「私が7つの時に、生まれた弟は……。すごく、小さくて……柔らかくて……。可愛かった……」
俺は相槌がわりにリオン様の髪をゆっくり撫でる。
二人息子が一人になっちまって、両親は頑張ったってことか。
「けれど、弟は3つの歳を迎えることなく……、流行り病で……この世を、去ってしまった……」
リオン様の喉が、ヒクッと引き攣ったような音を立てた。
3歳前なら少しは喋っただろうし、優しいリオン様はきっと良いお兄さんとして、弟をすごく可愛がってたんだろうな……。
「その頃には……、私の目つきも悪くなってきていてね……。両親にも、何度も注意を受けたんだが、私は……中々……直せなくて……」
リオン様の震える肩と声に、俺は息が詰まりそうになる。
そんなの……。
リオン様はただ……、親の顔を、見ようとしてただけじゃないか……。
どうして俺はその頃のリオン様にメガネを作ってやる事ができなかったんだろう。そんな、無茶な憤りを感じてしまうほどに。
10歳のリオン様の置かれた状況は、厳し過ぎた……。
「私の、12歳の誕生日を祝った後……、母上は……療養として……、別荘での生活を、始めたんだ……」
……。
……リオン様は、さっき『母上に避けられてしまった』って言ったよな。
だから自分は優しくないって。
……は?
自分の息子が睨んでくるからって、子ども放ってどっか行くか?
睨んできたとしても、リオン様は乱暴な事をしたり、声を荒げたりなんかしないだろ?
それなのに、なんでそう…………っ。
俺は、沸き立つ怒りに、思わずリオン様の両肩を掴んでグイッと体を離した。
リオン様のラベンダー色の瞳が、涙に濡れたまま俺を見上げる。
その瞳が、いっぱいの悲しみを浮かべながらも、俺を強く睨みつけた。
ギリッという音が聞こえそうなほどに強く睨まれたのは、リオン様が俺の顔をよく見ようと思ったからだ。
それだけだ。
こんな悲しそうな瞳に睨まれたって、怖くも何ともねーよ。
リオン様は自分が俺を睨んでしまった事に気づいたのか、慌てて視線を外そうとする。
俺はそんなリオン様の視線を追いかけて、強引に視線を絡めると、見つめ返した。
「リオン様、俺はもう、リオン様に睨まれても怖くないですよ」
俺は、もうリオン様の深い優しさを身に沁みて知っているから。
リオン様が、自分の視線にどれほど傷ついて、傷つけられてきたかをわかっているから。
俺は精一杯心を込めて微笑む。
リオン様が納得できるまで、俺は何度でも言ってやるよ。
リオン様は優しいって。
「リオン様は優しい人です。誰よりも。リオン様のお母さんも、きっとわかっていますよ」
そうであってほしい。
だって、こんな優しい人のお母さんなんだから。
自分の子どもが続けて亡くなって、きっと心が弱ってしまっていたから。
だから、その時は、耐えられなかったんだろう。
リオン様の……鋭い視線に。
でも、今のリオン様を見れば……、優しく微笑むリオン様を見てくれれば、きっと……。
考えを改めてくれると……そう信じたい。
俺は、涙を溢れさせるリオン様をもう一度優しく抱き寄せて、リオン様が眠りにつくまで、その頭を優しく撫で続けた。




