メガネと二人きりの夜
「……俺は喉が渇いて目が覚めて、水を飲んできた帰りです」
ひとまず問いに答えると、リオン様はぱちりと瞬いた。
「ああそうか……、フラウが崩れてしまったからか。迷惑をかけてしまったね、気が回らなくてすまない。すぐに水差しを用意しよう」
早足で廊下に出ようとするリオン様を俺は慌てて止める。
「もう水は飲んできたんで大丈夫ですっ」
「しかし、また喉が乾くかもしれないだろう?」
「だとしても、水くらいひとりで飲みに行けますからっ」
焦りから、つい強い口調になってしまった俺に、リオン様の肩が小さく揺れた。
「……そうか。……そうだな……、すまない。ショウを子ども扱いしているつもりはないのだが……」
いや、わかってるよ。
リオン様はただ、俺が快適に過ごせるようにって気を配ってくれてるんだって事は。
片手で自分の腕を抱くようにして俯いてしまったリオン様は、何だかいつもより小さく見える。
「そんな風に思ってませんよ、リオン様。俺は大丈夫です」
「ありがとう……」
俺に礼を告げながらも、リオン様は顔を上げなかった。
ん……?
俺は、自分のメガネを上げてリオン様をよく見る。
淡い金色の髪が小さく揺れているのは、まさか、震えているんだろうか。
「リオン様に触れてもいいですか?」
グラ兄相手なら何も言わずに手を伸ばすところだが、リオン様はいつも俺に触れる時には必ず断りを入れてくれるので、俺もそれに倣ってみる。
「……え……?」
リオン様が驚いたような顔で俺を見る。
聞き取れなかったんだろうか?
俺はもう一度ゆっくり伝えた。
「リオン様に、俺が触れても、いいですか?」
「……ぁ、……ああ、構わない、よ……?」
なんで疑問系なんだ?
なんで触るのかって事か?
俺は内心首を傾げつつ、リオン様の肩を片手で包む。
リオン様は小さく息を詰めたけど、俺の手を振り払うような事はない。
薄くて柔らかな寝巻き越しに伝わるリオン様の体温は、思った通り、すっかり下がり切っていた。
「やっぱり……。身体が冷たくなってるじゃないですか。一体いつから外にいたんですか?」
「あ、ああ……、そう言えば、しばらくここに居た気がするな……」
「もしかしてリオン様寝てないんですか?」
「ええと……」
言葉を探す様子から察するに、この人一睡もしてないな?
「とにかく中に入りましょう」
俺は少しでもリオン様を温めようと両手でリオン様の両肩を包んで摩りながら、廊下へと強引にリオン様を移動させた。
扉を閉めて、俺は手早く扉の鍵を締める。
バルコニー付きの廊下の扉は、どれも穴に鉄の棒を差し込んでぐるぐる回して閉めるタイプの鍵で、俺でも気軽に開閉できるんだよな。
「お部屋まで送りますよ」
「いや、そんな必要は……」
「なくても、リオン様は俺を送ってくれるじゃないですか」
「……それは……」
「たまには俺にも送らせてくださいよ」
「……わかった、ありがとう」
そう言って小さく笑ってくれたリオン様の笑顔は、ちゃんとメガネをかけているのに、どこか辛そうに見える。
うーん……。
どうしたのかって、聞いてみるか……?
けど、もう遅い時間だし、リオン様は寝てないみたいなんだよな……。
俺が話を聞く方が寝られるってんならいいけど、そうじゃないのに、俺に話した分だけ無駄に睡眠時間を削る……って可能性もあるんだよな……。
なんて考えている間に、リオン様の部屋に着いてしまう。
「送ってくれてありがとう、ショウ。時間を取らせてすまなかったね、ゆっくり休んでおくれ」
そんな事、そんな優しい声で言うなよ。
リオン様は全然寝られそうにないみたいな顔しとして、俺にはゆっくり寝ろなんて。
っ、俺は、リオン様にこそ、しっかり休んでほしいんだよっ!
俺に半分背を向けるようにして扉を開けたリオン様の白い手を、俺は思わず掴んでいた。
「っ!?」
リオン様がラベンダー色の瞳を丸くして俺を振り返る。
シルバーフレームに包まれたレンズが、リオン様の揺れる瞳が、俺だけを映す。
俺は、それがなんだかすごく嬉しくて、口元を緩めた。
「リオン様……」
「……ショウ……?」
おっと、俺が喜んでどうするよ。
リオン様とメガネのビジュアルがあまりに良すぎて、時々すっかり何もかも忘れて見惚れてしまうんだよな……。
俺は気を取り直して口を開く。
「リオン様、フラウレイドさんのことを尋ねてもいいですか?」
リオン様はほんの少し視線を彷徨わせてから、答えた。
「分かった……。けれど少し長い話になるよ。ショウは大丈夫かい?」
こんな時まで俺の心配とは。
リオン様が良い人過ぎる。
「大丈夫です!」
俺が力強く頷いて答えれば、リオン様は小さく微笑んで「入ってくれ」と俺を寝室に招き入れた。
わー、リオン様の寝室、広過ぎるな……。
だだっ広い部屋のど真ん中に、デカいベッドがドンとある。
……つーか、ベッドしかないな。
ベッドオンリー。
まさに寝室。
いやでも普通にこんだけ部屋が広けりゃ、ソファーとかそういうのも置いてるかと思うんだが……。
……つーかリオン様のベッド、デカいな。
俺のベッドですらデカいと思ってたのに、リオン様のベッドは……同じ方向に4回は寝返り打っても余裕だろこれ……。
あとなんか、この部屋って良い匂いがするな。
香水って感じじゃねーけど、なんかふんわりした花の匂いみたいな、ちょっとだけ甘い感じの香りだ。
「あいにくこの部屋にはベッドしかないんだ。そこにかけてくれるかい?」
ベッドに腰掛けたリオン様の白い手が、その隣を俺に示している。
俺は、なんだかちょっとドキドキしながら、リオン様の隣へ腰掛けた。
「えっと、お隣失礼します……」
すげー……。
大の男が二人並んで座っても、ほんの少しも軋まないな、このベッド。
「ソファも椅子も無くてすまないね」
俺が緊張してしまったせいか、リオン様が苦笑しながらもう一度謝った。
ああ、これは俺の緊張をほぐそうとしてくれているのか。
「以前はこの部屋にも家具があったんだが。私が寝る寸前まで仕事をしてしまうせいでね。二年程前かな、過労で倒れたことがあって、目覚めた時には机もソファも撤去されていたんだよ。フラウに、今後は寝室に仕事を持ち込まないようにと叱られてしまった」
クスッと笑ってリオン様は言うけれど、リオン様が過労で倒れた時、フラウレイドさんはきっと今日みたいに真っ青になってたんだろうな。
リオン様の寝室から、リオン様の許可なくベッド以外の家具を全部撤去してしまうフラウレイドさんの行動からは、二度とリオン様を過労になどさせるものかという強い意志を感じる。
「さて、フラウの事だね、どこから話そうか……」
そう呟いたリオン様の横顔はまだどこか青白い。
まだ身体は冷たいんだろうか。
俺はベッドの上にあった毛布を手繰り寄せると、リオン様の肩を包む。
しっかり前まで毛布を合わせて、その上からぎゅむぎゅむと温めるように肩を抱いた。
あ、触って良いか聞くん忘れてたな。
「すみません、急に。触ってもよかったですか?」
リオン様は驚いたような顔をしていたけれど、俺の言葉にちょっとだけ笑って「ショウなら、いつでも触れてくれて良いよ」なんて俺のフォローまでしてくれる。
本当に出来た人だ。
「じゃあ俺にも、リオン様はいつでも触ってくださいね。許可とか取らなくていいんで」
リオン様はラベンダー色の瞳で瞬いて、それから花が咲くみたいにふわりと微笑んだ。
「ありがとう、嬉しいよ」
っ、あーーーーーー!!!!
可愛いな!!!!
リオン様ってば可愛過ぎるよな!?
最初はあんなに怖かったのに、なんかもう最近のリオン様は可愛くてたまらないんだが!?
なんだこれ!?
最初がマイナススタートだったからか!?
俺はギャップにやられてるのか!?!?
待て待て落ち着け、俺。
今はリオン様の可愛さに悶えてる場合じゃねーって!
バクバクいう心臓を押さえる俺の横で、リオン様は静かに話し始めた。




