メガネとただいまとおかえり
「リーフェが立場を忘れるなんて事ねーだろ?」
リオン様は唇を引き結んだまま、答えなかった。
「お前は自分の立場を分かってた。分かってたのに、トーチカを追った」
リオン様のラベンダー色の瞳がそっと伏せられて、見えなくなる。
「それを、反省したからって、次はないなんて言い切れんのか?」
グラ兄は、答えないリオン様をじっと見下ろしてから「はぁ」と息を吐いた。
「オレがついてきゃ良かったんだよ、ああいう場合はさ。それをモタモタしてたオレが一番マズかった。そこはマジで反省してるし、次はぜってーオレがついてく」
「グラ兄……」
「トーチカも、怖い思いさせて悪かった……」
大きなグラ兄の手が、ポンと俺の頭を撫でる。
「大丈夫だよ、リオン様がいてくれたから」
「けどそれはリーフェの立場上マズかったんだよ」
「ああ、うん……。けどまあリオン様ももう分かってるみたいだしさ……」
「本人がよく分かってる事だからこそ、言ってるんだ」
「んん?」
「あんな、人ってのは自分でも分かってる事を人から言われんのが一番効くんだよ。だからこそ、オレはリーフェに言う必要がある。オレの言葉が、少しでもリーフェのブレーキになるようにな」
「……そーゆーもんか……?」
まあでも、グラ兄が言うならそうなんだろうな、と、なんとなく納得しながら俺が頷くと、グラ兄は鮮やかな緑の瞳でジロッと俺を睨んだ。
「トーチカ、お前ももう少し自覚しろよ?」
え、何を?
「お前が危ない目に遭えば、リーフェは自分の立場も構わず手を伸ばしちまうんだって事を。お前も分かっといてくれよ」
「え? 俺? なんで?」
「そんだけリーフェはお前が大事なんだろうよ」
ああ、確かにリオン様は俺の保護観察官だし、サーティラにもちゃんと面倒見とくようにって言われてたもんな……。
「そっか。分かった、気をつけるな」
俺が答えると、グラ兄は少しだけ困ったような顔で「ま、今んとこはそれでいーか」と苦笑した。
「……グラディレオ、すまない、後を任せてもいいだろうか。フラウを休ませてやりたい」
「あー……、フラウ兄さんには堪えたか。悪かったな」
「いや、いい。私の不手際だ」
答えて、リオン様はフラウレイドさんの肩を支えるようにして食堂から出ていった。
フラウレイドさんは一度も顔を上げなくて、俺達に何も言わないまま部屋を出て行った。
フラウレイドさんはいつも必ず、俺にもおやすみの挨拶をしてくれるんだけどな。
リオン様が消えてしまった事がそんなにショックだったのか……。
……悪い事をしちゃったな……。
リオン様とフラウレイドさんが出て行った扉を見つめていたら、俺の肩にグラ兄の太い腕が回った。
相変わらずずっしり重い腕だ。
グラ兄を挟んだ反対側で「わぁ」と可愛い声が上がる。
見ればコルトも俺と同じようにグラ兄に確保されていた。
「んじゃここはお開きだな。トーチカもコルトも遅くまで頑張って疲れたろ。部屋まで送るからな」
グラ兄が明るい調子で言いながら、俺とコルトを連れて廊下へ出た。
広い屋敷を部屋に向かって歩くうち、コルトが大きなあくびをこぼした。
眠そうに目を擦りはじめたコルトの手をグラ兄が引いてやっている。
ああ、俺達がいない間ずっと、コルトは何かの能力を使っていたからヘトヘトなんだな。
俯いて舟を漕ぐコルトの横顔を見ていると、俯いたまま部屋を出ていったフラウレイドさんの姿が眼裏に浮かんだ。
「なあグラ兄、ちょっと聞いてもいいか?」
俺の言葉に、グラ兄がこちらを見ないまま答える。
「フラウ兄さんの事なら、トーチカのせいじゃねーから、気にすんな」
「……それって、聞くなって事か?」
「んー……、第三者のオレが勝手に話すのもなぁ。ってとこだな。気になんならリーフェに聞いてみろよ」
「わかった」
……とは言え、リオン様はいつも忙しそうなんだよなぁ……。
コルトが、眠そうな口調でポツポツと話し出す。
「フラウレイドさんは、リーフェリオン様の事をとってもとっても心配なさってました……。お二人がご無事と分かった後も、フラウレイドさんの心臓の音はずーっとドキドキしていて、とても……苦しそうでした……」
「そっか……。教えてくれてありがとうな、コルト」
「ボクも、グラ兄さんもいっぱい心配しましたよ……?」
「そうだよな、ごめんな」
「オレは謝罪よりも礼のがいいな」
「ボクも、師匠の笑顔が見たいですっ」
ああ、そうか。
俺はまだ二人にお礼を言ってなかったのか。
「二人とも、心配してくれてありがとう。戻ってきて、二人にまた会えて、俺本当に良かったって思ったんだ」
心を込めて微笑んだ俺に、二人は嬉しそうに微笑み返してくれた。
「おかえり、トーチカ」
「おかえりなさいませっ師匠っ!」
「ははっ、ありがとう。ただいま」
二人の言葉を聞いて、ああ、俺の帰る場所はここなんだな……と実感した。
もしかしたら、俺は不幸な事故や偶然でこの世界に迷い込んだわけじゃなくて。
最初からここに来るために、向こうの世界でメガネの知識を学んでいたんじゃないか……?
そんな風にすら思えてしまって、苦笑する。
『何を馬鹿な』という思いと同じくらい『そうだったらいいな』と思っている自分がいる。
不意に、昔馴染みの顔がよぎる。
高谷も俺と同じように、ある日突然この世界に飛来した。
でも、城で楽しく暮らしていると言った高谷の表情は、明るかった。
……あいつも、ここに来て良かったと思っているんだろうか。
……俺と同じように……。
俺は、歪んだ四角いガラスがたくさん嵌め込まれた窓越しに、ぼんやりと光る月を見上げた。
***
夜中。
喉が渇いて目を覚ました俺は、室内用の靴で廊下に出た。
これまではフラウレイドさんが毎晩欠かさず、寝る前に新しい水差しを置いてくれてたんだけどな。
今夜だけは、サイドテーブルに水差しとコップが並ぶ事はなかった。
そうそう夜中に水を飲むこともなかったので、なんだか勿体無いな、なんて思ってたんだが、こんな日に限って喉が渇くなんてな……。
厨房まで行くのも面倒だったので、俺は共同の水飲み場でゴクゴクと喉を潤して引き返す。
すると、廊下の格子窓付きの扉の一つが開いていることに気づいた。
なんだ?
戸締り忘れか……?
でもそれなら鍵は開いてても、扉が開いてるってことはないか……?
扉の外を覗いてみると、小さなバルコニーには人の姿があった。
月の光を浴びてキラキラと輝くプラチナブロンドは、月よりも輝いて見える。
「リオン様……?」
俺の声に、月の妖精かなってくらい綺麗なその人は、ハッとこちらを振り返った。
普段リボンで括られている髪は解かれていて、いつも肩下ほどに下がっている左側の髪はリオン様の胸元までを淡い輝きで彩っている。
リオン様は普段カチッとした生地の厚い服を着ているけど、こんな風に寝巻き一枚だと、線が細くて……肌が白くて……。
……うん、ものすごく繊細というか、むしろ繊細を通り過ぎて、儚い。
さらに、俺の作ったシルバーフレームのメガネが、儚さに拍車をかけている。
つーか、俺より広そうに見えてた肩幅は服のせいだったのか?
普段の服には肩パッドが入っているのか、薄い生地の寝巻きに包まれたリオン様のなで肩は俺よりも細く見えた。
その頼りなげな姿は、強風が吹けばそのまま夜の闇にさらわれてしまいそうに思える。
「ショウ……。どうしたんだい、こんな夜更けに。眠れないのかい?」
優しい声で俺を気遣うリオン様にこそ、俺は同じ事を尋ねたいんだが?




