メガネと森の民
「ほほう……。これは得難き物を得たようじゃのう」
ソスさんはメガネをずいぶん気に入ってくれたようだ。
ピンと立ち上がった真っ白の長い尻尾は、ソスさんの後ろでプルプルしている。
俺の家で昔飼ってた猫も、ご機嫌な時はこんな感じだったな。
……ところで、ケモ耳の方は納得したが、尻尾は何のためについてるんだ?
いやまあ、それは今度家庭教師の人が来たら聞いてみるか……。
「そのメガネが、ソスさんを支えるパートナーとなれる事を祈っていますね」
俺は、フィッティングも指導も完了して、メガネの受け渡しが終わった事を伝えるべくそう締め括った。
ソスさんは俺の言葉に「うむ」と満足そうに頷く。
それから、ふと真顔になって、言った。
「ここを訪ったのは、儂の孫を助けた礼をするためじゃったのう」
ん?
そうだったのか?
カルール王子の方は恩返しをって言ってた気がするが、コルト君はメガネを作りたいって話だったから、ソスさんがお礼をしに来てたなんて思ってもみなかった。
てっきり、メガネを作るためなんだとばかり……。
「……そこまで意外そうな顔をされるとは、思わなんだのう」
おおおおっ、リムレスメガネからジロリとこちらを覗く白い瞳!
動きに合わせてきらりと光るレンズのフチが美しすぎるな!!
「まあ良い、お主にはメガネの借りもできた事じゃ、改めて名乗るとしよう」
そう言ったソスさんが両手を軽く広げる。
すると、室内にも関わらず、まるで森の中にでもいるような深い緑の香りが広がった。
「儂は森の主ソスリアル・リミグス。……と言うたところで、お主に分からぬのも当然じゃのう」
クスクスと口元に細く白い指を当てて笑うソスさんの感情に応えるように、ひらひらと、どこからともなく真っ白な花びらが部屋に舞う。
リオン様達がそれぞれ警戒しているのは分かったんだけど、俺がどうすればよいのかはよくわからない。
「儂は森で一番の力を持っておる。孫を助け、儂にメガネを作ったお主を儂はとても気に入った。森の物ならば好きなだけ褒美に与えよう。何なりと申してみよ」
え?
えーと……。
森で手に入る物って……なんだ……?
薪とか? 木材とか果物とかか……?
答えを求めるようにリオン様に視線を移しかけた時、ソスさんが「いや、むしろ……」と言葉を繋いだ。
「お主は森で暮らしてはどうじゃ。生活は儂が保証する。お主の類稀なる力の恩恵を、儂ら森の民にも分け与えてほしいものじゃのう」
「森……ですか。私は町に自分の店を構えたいと思っているので、それはちょっと……」
「森の中にも村や町はある。大勢の者が、お主のメガネを必要としておるぞ?」
そ、そうなのか!?
俺が思う森と、ソスさんの言う森は規模が随分違いそうだな……。
「店を開きたいのならば、森の中の町にて開くが良い。必要な物は儂が揃えよう」
うわー、太っ腹な提案だなぁ。
渡りに船といった非常にありがたい申し出ではあるんだが……。
「ショウ……っ」
不意に聞こえた小さな声に振り返ると、リオン様が今にも泣きそうな顔で俺を見つめていた。
ん? 俺の事心配してくれてるのか……?
俺は『大丈夫ですよ』と励ますように小さく笑って見せる。
「どうじゃ、悪い条件ではなかろう?」
答えを促されて、俺はソスさんへと向き直った。
「お気持ちはとてもありがたいんですが、店を構えるなら王都の近くにと思っているので、すみません」
俺の答えに、ソスさんはメガネの向こうでゆったりと瞬く。
「ほほう……? お主に金が必要ならば、儂らも人との取引がある。お主の望む形で惜しみなく払うと約束するのじゃがのう?」
「ああ、そういう事ではなくて、私がメガネを作った人が城にたくさんいるんです。まだ小さい子にも作ったので、こまめにチェックする必要があって……」
「ふむ……?」
「メガネは作って終わりではありません。大切なのは継続的なメンテナンスとアフターサポートです。正しく作ること、正しくかけること、そして、その状態を維持することがメガネの鉄則です。私には、私の生み出した全てのメガネの面倒を見る責任があります」
「なるほどのう……責任と申すか。お主はほんに碧い眼をしておるのぅ」
あおい……?
俺の目は青くはないが……?
ソスさんはクスクスと楽しそうに笑って言う。
「儂らの古い言葉で、心清く強く正しい者を指す、最大級の褒め言葉じゃ。これを森の民に言われたのならば、それは誇るべき事よ」
つまりめっちゃ褒めたぞ。と?
そっか……、へへ、嬉しいな……。
俺がヘラっと笑うと、ソスさんは満足気に目を細めて鷹揚に頷いた。
「うむうむ。儂はお主がますます気に入ったのう。お主が困る時には、儂がいつでも力を貸そうぞ」
「ありがとうございます。私が店を開いて、スタッフが十分育ち2号店が展開できそうになったら、ぜひ森へも店を出させてください」
ずいぶんと先の話ではあるが、森の方にもソスさんみたいにメガネが必要な人がいるなら、そこにも眼鏡店は出したいよな。
「うむ。その言葉忘れるでないぞ? その暁には、儂がお主のために土地と建物を用意すると約束しよう」
「ありがとうございますっ!」
ものすごく有難いソスさんの申し出に、俺は全力で頭を下げた。
***
ソスさんが帰って、俺達はフラウレイドさんの入れてくれたお茶で一服していた。
視界の端では、部屋の中にたくさん散った花弁を侍従さんが拾い集めている。
「その花びらからは、森の民秘伝の香料ができるんですよ。いつまでも香りが続くので、ぜひ乾燥させてポプリにしてくださいね」
ニコニコ顔でそう説明してくれているのはコルト君だ。
コルト君は、俺からメガネのメンテナンスを教わり身につけるまで帰ってくるなと、この屋敷に取り残されてしまっていた。
「コルトって森の主の孫なんだよな? 俺達敬語使った方がいいか?」
堂々と本人にそんな事を尋ねるグラ兄に、コルト君は「いりませんよー」と可愛い笑顔で答える。
「あ、トーチカさんも、ボクのことは呼び捨ててくださいね。これからはボクはトーチカさんの弟子になるんですから」
弟子……?
今までの人生で、後輩ならいたけど、弟子ができたのは初めてだな。
そうか……、コルトは今日から俺の弟子なのか。
「じゃあ、これからよろしく頼むな、コルト」
「はいっ、よろしくお願いします、師匠っ」
ぺこっと頭を下げるコルトのツノを、グラ兄がすかさず受け止める。
いやこれ……、グラ兄が止めてくれなきゃ、俺の顔面に当たるところだったな、ツノ……。
「おい、あぶねーぞ」
「あ、そうでした。祖父の手前、一番大きくしてましたね。短くしておきます」
言うが早いか、コルトのツノが目の前でみるみる縮んでゆく。
掌大ほどの大きさになったツノは、角も丸まっていて、当たっても痛くなさそうだ。
「おおー、すごいなー」
「へー、おもしれーな」
相変わらず感想レベルが同じ程度の、グラ兄の安心感……。
リオン様とフラウレイドさんがコルトにどんな部屋を用意したらいいか、どんなものが必要か、食事は……と色々聞き取っている。
うっ、そうか。
俺はもしかしてリオン様のお屋敷に、穀潰しを一人増やしてしまったのでは……?
ハラハラしている俺の前で、コルトはリオン様に礼儀正しく礼を告げて、宿泊費や飲食費を合わせたお金を渡していた。
あっ……、しっかりしている……。
……ってことは、穀潰しは俺だけか……。
俺がスースーする胸を押さえる横で、グラ兄がケラケラ笑って言った。
「しっかし、トーチカはすげーな、森の主のお墨付きともなれば、サーティラもそう簡単には手ぇ出せねぇんじゃねーの?」
「だといいけどなぁ」
「あー、でも城のでかい風呂は良かったよなー」
「ああそれな、広かったよなー」
「なー」
グラ兄のおかげで温まった胸に、俺がヘラっと笑うと、リオン様が小さく呟いた。
「……どうして二人はそんなに仲が良いんだ」
俺が「んー?」と首を傾げてグラ兄を見上げると、グラ兄も同じような仕草で俺を見下ろして「気が合うんじゃねーの?」と言う。
「グラ兄話しやすいからなぁ、実際助かってるよ。こっちに来てすぐの時とか喋れる相手ほとんどいなかったし、俺ひとりだったらダメんなってたかも……」
「そっかぁ? トーチカは世渡り下手には見えねぇけどなぁ。オレがいなくても誰とでも仲良くやってたんじゃねーの?」
「はは、それはそーかもな」
高校の終わりには、俺は俺ひとりでなんとかするしかなかったからな。
世渡り術も自然と身についた。
「グラディレオさんは師匠のお兄さんのような方なんですか?」
「おー、そんな感じだな。トーチカを守るのが俺の仕事だ。コルトも俺の事はグラ兄さんって呼んでくれていーぜ?」
「わあっ、いいんですか!? 嬉しいですっ! ボクお兄さん欲しかったんですっ! グラ兄さんっ!」
弾けるような笑顔で呼ばれて、グラ兄がガバッとコルトを抱き上げた。
「ひゃわっ」
「おっ前っっっ!! かっっっわいいなぁぁぁぁっっ」
コルトはそのままグラ兄にグリグリと顔を押し付けられている。
「ひゃぅぅっ。くすぐったいですぅぅぅ」
うん、コルトの素直さと無邪気さが可愛過ぎたよな。気持ちはわかる。
でもまあ一応、その子お偉いとこのお孫さんだし、おろしとこうな、グラ兄。
ほら、リオン様とフラウレイドさんがオロオロハラハラしてるからさ。
俺は、コルトを一向に手放しそうにないグラ兄の後ろ髪をそっと引っ張る。
「グラ兄、俺の弟子だぞ、そろそろおろせよ」
「お? なんだ。やきもちか?」
「違――っ、うわっ」
「ほーら、トーチカも一緒に抱いてやるから拗ねんなよー」
「だから違ぇっつってんだろ!?」
次の瞬間、グラ兄とコルトがビクリと肩を揺らして息を止めた。
あー……。
リオン様がメガネを外したんだな……。
俺が決してそっちを見ないようにしていると「グラディレオ、下ろしなさい。二人に失礼だろう」とリオン様の静かな声がした。
後から聞いた話によると、コルトはこの時、この家で一番強いのはリオン様だと確信したらしい。




