メガネチェックだ!
「あははははっ、かーわいーなぁリーフェ。そりゃこんな自分より年上ばっかの中で自分にだけ距離取られてちゃ嫌にもなるよなぁ」
グラ兄にバシバシと肩を叩かれたリーフェリオン様が、ジロリとグラ兄を睨む。
「メガネかけてるリーフェの睨みとか怖くねーしっ」
それはメガネを外して睨まれるフラグだろ。
自分で立ててどうするよ。
「なぁトーチカ、リーフェとももうちょい仲良くしてやってくれよ」
「俺は十分仲良いつもりだけど?」
「じゃあせめて、私的な場だけでも敬語外してやったらいーじゃねーかよ」
「そんなの、お世話になってる相手に失礼だろ。俺はリーフェリオン様にめちゃくちゃ感謝してるんだからな!?」
「だってよ、リーフェ」
「っ……」
グラ兄に話を振られて、リーフェリオン様は小さく息を呑むと、両手で顔を覆ってしまった。
大丈夫か? メガネに指紋がつかないようにしてくれよ?
「なんつーか、ほんっとにリーフェもトーチカも可愛いよなぁ」
グラ兄の言葉に深く頷いているのはヴァルさんだ。
俺もリーフェリオン様が可愛いのはわかる。
俺より三つ年上ではあるが、彼は仕草とか考え方だとかが純粋で健気で可愛いと思う。
だけどさ……?
「なんで俺まで一緒に可愛がろうとするんだよ」
「あはははは」
「答えになってねーから」
「で、ではせめて……」
おずおずと告げられたくぐもった言葉に、俺達はリーフェリオン様を見る。
リーフェリオン様はメガネこそ外に出していたが、まだ口元は両手で隠したままだ。
「トーチカも、私をリーフェと…………いや、リオン呼んでもらえないだろうか……?」
それってヴァルさんみたいな呼び方で良いってことか?
じゃあえっと……。
「……リオン様?」
途端、リーフェリオン様……いや、リオン様のラベンダー色の瞳が嬉しそうに緩んだ。
「ああ……、ありがとうトーチカ」
すげー可愛い顔して嬉しそうに笑ってくれるリオン様に、俺は思わず自分の顎を撫でて考える。
「んー……」
「……どうしたんだい? トーチカが嫌なら無理にと言うつもりはないよ?」
リオン様は相変わらずの気遣い屋さんだな。
俺はリオン様を安心させるように小さく笑って言う。
「いえ、リオン様をこんな風に呼ばせてもらうなら、俺の事も翔って呼んでもらうほうがいいのかなと思ったんです」
「ショー……?」
やっぱりそこは伸びちゃうか。
俺はダメ元でウを強調してもう一度伝えてみる。
「翔、ですね。それが俺のファーストネームです」
「そうだったのか……」
驚きを浮かべるリオン様に、ヴァルさんが呟く。
「確かに以前、飛来人は僕達とは名の順が逆だと聞いた事があったな」
「ありがとう。とても嬉しいよ、ショウ……」
お。リオン様はよっぽど俺の名を真剣に聞き取ってくれたのか、こっちの人には難しいだろうに、今度は正しく発音してくれた。
こういうところが、この人は実に真面目で、誠実なんだよな……。
『翔』というその響きは、高校の頃まで、毎日欠かさず耳にしていた音だった。
鼓膜の内で、俺の名を呼ぶ両親の懐かしい声が蘇る。
馬鹿なことばっかやってゲラゲラ笑い合ってた地元の友達も、俺を翔と呼んでいた……。
急な事故で両親が他界して。
一人暮らしで地元を離れて働き出したら、昔の友達とも疎遠になって。
それからは、人から下の名前で呼ばれる事なく暮らしてた。
……でも、別にそれを寂しく思うような事もなかったのにな……。
こんな異世界で、またこんな風に、俺の名前をこんなに大事そうに呼んでくれる人が現れるなんて思ってもみなかった。
俺は久々に呼ばれた自分の名に、そこに込められた優しい響きに、色んな感情が込み上げて胸がいっぱいになる。
「っ、……俺も、リオン様にそう呼んでもらえて……嬉しいです」
くすぐったいような、でも嬉しくてたまらないような、そんなむずむずした感情が抑えきれなくて、俺は結局溢れる喜びのまま微笑んでしまった。
途端、リオン様が顔を真っ赤にして、慌てて手で覆ってしまう。
だけど、リオン様の淡いプラチナブロンドからは真っ赤に染まった耳が透けて見えている。
……これは、見なかったことにしよう。
笑顔に耐性のないリオン様に笑いかけてしまった俺が悪いんだからな。
俺がそーっとリオン様から視線を外すと、グラ兄がクククと何かを堪えるように笑っていた。
「全くさぁ……、トーチカは本当に、時々たまんねー顔を見せてくれるよなぁ……?」
大きく骨張った片手で口元を覆っているグラ兄を見上げて、俺は考える。
それって、笑いが堪え切れないくらい、俺がアホ面下げてたって事か……?
「ったく、グラ兄はいちいち揶揄わなくていいだろ? 俺はすげー嬉しかったんだよっ!!」
「ぐはっっ! ストレートっ!!」
「あーくそ、うるさいうるさーいっ!」
「いや可愛すぎんだろこいつら……」
よく見れば、ヴァルさんは黙って俺達に背を向けていたが、その肩は小さく揺れている。
……もしかして笑いを堪えてるのか……?
俺は居た堪れなくなって叫んだ。
「ええいっ、メガネチェック、メガネチェーーーック!!」
「「「!?」」」
全員の視線が俺に集まる。
今、六つのレンズの全てに俺が映っているのかと思うと、なんだかちょっと幸せになるな。
「全員、メガネに指紋や海水がついていないか確認! ついていた場合は触らずそのまま俺に渡すこと!」
さっきからリオン様は手で顔を覆いがちなので、レンズに指先が当たった可能性がある。
グラ兄は潮溜まりから岩を持ち上げたりしてくれたので、海水の飛沫が飛んでる可能性が高い。
ヴァルさんも水辺でしばらく魔力を注いでくれてたからな……。
「海水がついてしまったレンズをそのままメガネ拭きで拭くと塩分がジャリってなるからな。コーティングがダメになるぞ」
言いながら俺も自分のメガネをチェックする。
いや、俺のにも思ったよりたくさん細かい飛沫が散ってるなぁ。
あ、これはグラ兄のズボンがブルンブルンしてた時の飛沫では……??
あの時確かに感じたもんな、濃厚な磯の香りを、顔全体に……。
俺は自分のショルダーバッグからアルコール不使用のウェットティッシュを取り出す。
「海辺に行った後は、なるべくすぐに、真水でメガネをしっかり洗って、それから優しく拭くように! 以上!」
俺の指導に、それぞれが良い返事を返す。
ヴァルさんが水の魔法で移動中の馬車の中にも関わらず真水を用意してくれたので、俺は全員のメガネを綺麗に洗って丁寧に拭き上げる。
ヴァルさんは本当になんでもできてすごいな……。
「ヴァルさん、どうぞ」
「ありがとうございます」
「リオン様、どうぞ」
「ありがとう、ショウ」
うう……。
リオン様が俺の名を丁寧に呼ぶ度に、なんだかムズムズして口元が緩みそうになってしまうな……。
「はい、グラ兄」
「おう、ありがとな」
受け取ったグラ兄が、意外と丁寧にメガネをかける。
この三人はメガネをすごく大事にしてくれてるのが些細な仕草から伝わってくるので、嬉しいよな。
すると、グラ兄がニヤッと笑って言った。
「嬉しそうな顔してんなぁ」
「へ? 俺?」
「そーだよ。そんじゃあオレもショーって呼ぶか」
いや、ショーじゃねーし。
まあ大雑把なグラ兄がその違いに気づくのは難しいんだろうけどな。
「却下」
俺の言葉に、グラ兄はキョトンと瞬いた。
「へ……? なんだよ、リーフェだけなのか?」
「そうだよ、これはリオン様だけじゃなきゃ意味ねーんだからな」
「ふぅ〜ん? へぇ〜? トーチカはリーフェを特別扱いするのか?」
「だって、そうじゃなきゃ公平じゃないだろ?」
ニマニマと笑みを浮かべていたグラ兄が「んん?」と怪訝な顔になる。
「公平……なのか?」
「俺としてはこれでようやく公平なんだよ」
首を傾げるグラ兄に俺は説明する。
「だってリオン様は俺に敬語抜きで喋ってほしいわけだろ? でも俺はリオン様にはどうしてもそんな風にできないからさ、その代わりにって、俺はリオン様を皆と違う呼び方で呼ばせてもらう事にしたわけだろ?」
「まあ、そーなるな」
「それなら、俺がそのお返しでリオン様に下の名前を呼んでもらうのは、リオン様だけに限定するのが筋ってもんだろ?」
「んんん……? そう言われっと、そんな気も……する……ような……?」
「下の、名前……?」
尋ねたのはリオン様だった。
ああそうか、これは俺んとこの独特の文化か。
俺は、まだ首を傾げているグラ兄を放置してリオン様に答える。
「日本語……俺のいた世界の言語は、文字を縦に並べて文章にするんです。だから、家名を上の名前、個人名を下の名前って言う習慣があるだけです」
「なるほど……」
「そんなわけだから、グラ兄は今まで通り遠近って呼んでくれよな?」
俺が念を押すと、グラ兄は仕方なさそうに苦笑して「しゃーねーな」と答えた。
***
俺達がまた宰相様の執務室に集まったのは、海に行った翌日の午後だ。
前と同じように穏やかな微笑みで迎えてくれたドリュエリオン様は、俺の仕上げたメガネをとても喜んでくれた。
この執務室で執務机に座って使う用のメガネはアンダーリム……上の部分にフレームがないタイプの中近両用メガネだ。
執務室に来訪者が来た場合に、机の距離からちょうど相手の顔が見えるあたりの中距離と、手元で書類を書いたり読んだりする近距離の二つの度が、1枚のレンズの上下に分けて入れてある。
このメガネ一本で執務室の椅子に座っている間は事足りるだろう。
アンダーリムにしたのは、それ以外の距離を見る時にメガネを少し下げれば上から見やすいようにだな。
あえてマット仕上げにしたシックなブラウンのフレームは、執務室の落ち着いた空気にとても似合っていた。
はああああああ、知的なイケオジの茶色がかった金髪に、ブラウンのマットなフレームが更に知的度を上乗せしていて、見るからにIQが高いっ!!!
メガネと合わさると、ドリュエリオン様の外見IQは倍以上に跳ね上がるな……。
「……トーチカ君?」
「ハッ、すみません、ドリュエリオン様のメガネ姿があまりに素晴らしくて……」
思わずこぼしてしまった本音に、ドリュエリオン様はクスクスと笑って言った。
「ふふ、メガネを良く知る君にそう言ってもらえるとは、光栄だね」
うわ……。
流石、宰相様は褒めもスマートに受け取ってくれるのか、すごいな……。
俺は、仕事用メガネのフィッティングを整えると、ささやかなプレゼントとしてメガネチェーンをトレイに三本並べて見せる。
「これは……?」




