メガネと悔しさ
ヴァルミリオ様は俺の作ったメガネをかけた後、泣き出して、しゃがみ込んでしまった。
声を漏らす事なく、ただ静かに肩を震わせて泣くヴァルミリオ様。
俯いたその表情はボリュームのあるポニーテールに隠されて見えない。
けれど、膝の上では色が変わるほどに拳が握りしめられている。
その様子に『これは違うな』と俺は気づいた。
衝撃を受けたのは同じでも、これはリーフェリオン様のような嬉し泣きじゃない。
彼はおそらく、悔しいんだろう。
さっきのグラ兄との会話から、ヴァルミリオ様はこれまで乱視のせいで、人よりも余計に苦労を背負ってきたようだったから。
自分以外の人が見ていた世界を初めて目にして、どうして今まで自分だけが、そうじゃなかったのかと……。
思うよな。当然。
……ごめんな。悔しい思いさせて。
今までヴァルミリオ様は、乱視の中でずっと頑張ってきたんだもんな……。
俺はヴァルミリオ様の隣にしゃがみ込むと、謝った。
「すみません……。辛い思いをさせてしまいましたね……」
俺の言葉にびくりと揺れた肩は、俺とそう変わらない肩幅だ。
今はしゃがんでしまっているが、ヴァルミリオ様の背はリーフェリオン様より少し低いが俺よりは5センチ以上は高いくらいだった。
「……貴方が、謝る事は……ひとつも、ない」
ズビ、と鼻をすする音をさせながらも、ヴァルミリオ様はハッキリそう言った。
彼に衝撃を与えて、泣くほど悔しい思いをさせてしまったのは俺なのにな。
俺の行動と悔しさの原因をちゃんと切りわけて考えて、人に八つ当たりしない、ヴァルミリオ様は強い人なんだなぁ……。
だからこそ、ここまで乱視を抱えたまま頑張り続けてしまったんだろうな。
頑張って頑張って、この滲んだ世界で今日まで必死で足掻いていたからこそ、知ってしまった事実が悔しくて仕方ないんだろう。
「あのメガネはヴァルミリオ様の物ですが、かけるかかけないかは、ヴァルミリオ様の自由です」
「トーチカ、さん……」
……さん?
グラ兄の事を愛称で呼んで、リーフェリオン様を呼び捨てにする人が、俺にさん付けするのか……?
年齢不詳な顔してるけど、絶対俺より年上だよな?
ヴァルミリオ様はゴシゴシと涙を拭くと、勢いよく立ち上がった。
つられて俺も立ち上がると、潤んだ赤い瞳が俺をまっすぐ見つめた。
「僕のために、能力を使ってくれて、ありがとうございます……」
「あ、いや……。でも、そのせいでヴァルミリオ様に悔しい思いをさせてしまいました」
「トーチカさんのせいではありません」
そう言い切ったヴァルミリオ様が、グラ兄を見上げる。
「かけるか?」
グラ兄に尋ねられて「ああ」とヴァルミリオ様が手を伸ばした。
ヴァルミリオ様の顔にもう一度メガネがかけられる。
彼は感情を抑え込むかのように、ゆっくりと深呼吸をしながら周囲の景色を眺めた。
「……これが、本当の世界……」
ヴァルミリオ様の呟いた言葉は、微かに震えていた。
「ヴァルミリオ様……」
「僕のことは『ヴァル』とお呼びください。トーチカさん、僕はこのメガネをかけます。これからずっと、かけ続けます」
強い意志の込められた視線が僕をまっすぐ貫く。
「トーチカさんのお心を無駄にはしません。僕は必ず、これを力に変えてみせます」
宣言すると、ヴァルミリオ様……いやえっと、ヴァル様? はアリーナを見下ろした。
「一番、二番、三番の標的を空けろ!」
ヴァル様の高めの声が、アリーナに凛と響き渡る。
こちらに近い……と言ってもずいぶん距離はあるが、こちら側の標的三つから人がザザッと離れた。
人がいなくなると、標的というのが棒状のものの先端に円形の的がついた形をしていることがわかる。
「へへへ、オレにもこっから見えるぜ!」
グラ兄の嬉しそうな声に、思わず俺の心が温まる。
するとヴァル様が首を傾げた。
「グラディ……?」
「オレはメガネがねーとあの距離は見えねーんだよ」
「……そう、だったのか……」
ヴァル様が尋ねるような視線をリーフェリオン様に投げる。
「私は近くが特にぼやけてしまって……、睨むように見てしまっていたのですが、今はメガネがあるので大丈夫です」
「そうか」
ヴァル様の口元が少しだけ緩む。
「僕だけでは……、なかったと言うことか……」
小さな呟きは、次の瞬間ヴァル様が放った魔法の音で掻き消えた。
***
「いやー! すげーなヴァル! 百発百中だったじゃねーかっ!!」
グラ兄にバシバシと背を叩かれて、ヴァル様はゴホッと咽せてから相変わらずの眠そうな顔で答えた。
「まだ百発も撃ってない」
あれから、俺達の前でヴァル様は全ての標的に正確に魔法を当てて見せてくれた。
本人自身が一番驚いた顔をしていたけれど、グラ兄もリーフェリオン様も、アリーナにいた魔導士の皆さんも全員が驚いていた。
アリーナに割れんばかりの拍手と歓声が上がって、皆ヴァル様が標的を狙えるよう努力していた事を知ってたんだなと気づく。だからこそ、当たるようになって、皆こんなに嬉しかったんだな……。
「へへ……」
「トーチカ?」
うぐ、堪えきれずに思い出し笑いを浮かべてしまっていたところを、リーフェリオン様に見られてしまった。
「いや、何でもありません……」
「トーチカさん、どうかしましたか?」
そう言って俺を覗き込むのはヴァル様だ。
「あの、なんでヴァル様は私に敬語なんですか……?」
「トーチカさんは敬うべき方だからです」
当然とばかりに言い切られて、俺は返事に困る。
「トーチカ、ヴァルにめちゃくちゃ懐かれたなー」
あははと笑いながら言うグラ兄が「もうヴァルにも敬語抜きでいーって」と付け足す。
その言葉に、ヴァル様がコクコクコクと真剣な顔で何度も頷くので、俺は思わずふき出した。
「ふふっ、じゃあヴァルさん、俺にも敬語はいらないよ」
赤い瞳が嬉しそうにふわりとほそめられる。
うわ、笑うと何だかすごく可愛いな……。
そっか、小顔で中性的な顔だから、笑うと途端に子どもっぽくなるのか。
「いいえ、僕はトーチカさんを敬ってますから」
だけど笑顔とは裏腹に、敬語の方は譲らないんだな……。
「うわっ、ヴァルが笑ったぞ!? 見たかリーフェ!」
「み、見た……。こんな笑顔は初めて目にした……」
そんなにレアな顔だったのか!?
当のヴァルさんは、スンとしたいつもの顔に戻っている。
「こいつ孤高の天才タイプでさ、口元緩めるくらいならあるけど、こんなにっこり笑ってるとこなんか……オレも初めて見たよ」
「トーチカさん、僕にメガネのお礼をさせてください」
「お礼なんていらないよ。むしろ、俺はちょうどこの城の人にメガネを作らないといけないとこだったから、メガネを作らせてもらえて助かったし。逆にこっちがお礼させてほしいくらいだ」
俺の返事にヴァルさんはぽかんと口を開けた。
ヴァルさんの視線が、ふらふらと答えを求めるようにグラ兄とリーフェリオン様に向けられると、二人はは苦笑を浮かべて頷いた。
「……そんな、……無茶苦茶な……」
呻くように呟いて、ヴァルさんが頭を抱える。
いや、本当なんだけどな……。
「では、トーチカさんが僕の力を必要とする時には、必ずお声掛けください」
意思の強い赤い瞳が、懇願するように俺を見つめる。
「ありがとう、ヴァルさん。頼りにさせてもらうよ」
「しっかしヴァルそのメガネよく似合ってんなー。なんか二割り増しくらい顔が良く見えるんだが。やっぱメガネって顔も良くなるんじゃねーか?」
ぶつぶつ呟いたグラ兄が俺の顔を覗き込む。
「なあトーチカ、俺も前よりイケメンになったか?」
「グラ兄は最初からイケメンだろ。まあ確かに今の方がメガネで知的度上がってさらにカッコイイかな?」
「へへへ、嬉しいこと言ってくれんなー。やっぱトーチカは可愛い奴だなっ」
グラ兄がひょいと俺の両脇を掴んで持ち上げる。
「おわっ」
慌てる間に、俺はグラ兄の肩に乗せられてしまった。
何だこの扱いは……。
俺ってグラ兄に子ども扱いされ過ぎじゃないか……?
視点が上がると、城の向こうにキラキラ輝く海が見えた。
「海だ……」
「ん? 海が見えたか。そう遠くないからなー。風向きによっては時々海の香りも届くぞ」
「へえ、そうなんだ」
「おーいリーフェ、眉間に皺寄ってんぞー?」
遠い水面に目を奪われていた俺は、グラ兄の言葉で視線を戻す。
確かにリーフェリオン様は渋い顔でグラ兄を軽く睨んでいた。




