メガネを必要とする人
青紫髪の青年の前に何か光る円形のものが現れたと思ったら、次の瞬間、俺とリーフェリオン様とフラウレイドさんは透明なドーム状の膜のようなものに全員まとめて包まれていた。
「これって……?」
「防護膜だ。我々が彼の魔法の熱気にあてられないよう、ヴァルミリオ様が用意してくださったのだろう」
リーフェリオン様がいつもの優しい声で説明してくれる。
「なるほど……」
これって触ってもいいのかな……?
俺がそろりと手を持ち上げたところで、リーフェリオン様がクスッと笑って言った。
「膜には触れても構わないが、それよりも、ヴァルミリオ様の詠唱が始まったようだよ」
リーフェリオン様には俺の浅い考えは全部お見通しなのか?
この人はいつも、尋ねるより前に俺の欲しい答えをくれるな……。
促されて青紫髪の青年……ヴァルミリオ様とやらの方を見れば、その周囲にいくつもの赤い色をした円が浮かんでいる。
それぞれで模様が違うな……。
「あれは魔法陣だよ。あんな風に膨大な数の魔法陣を組み合わせて、一つの大きな力を持った魔法を発動させる。それができるのはヴァルミリオ様のような大魔導士と呼ばれるほんのひと握りの人だけだ」
「へぇ〜」
防護膜に包まれている俺達は無風だが、グラ兄とヴァルミリオ様の服や髪が大きくはためいているので、あの辺りは強烈な風が吹いているようだ。
次々に浮かび続ける魔法陣に包まれてヴァルミリオ様の体が完全に見えなくなった頃、アリーナ中が一気に赤く染まった。
「!?」
ドッと腹に響くような衝撃と共に、何本もの火柱が空高くまで燃え上がる。
うっわ………………、すっげぇ……。
あまりの規模と迫力に、言葉が出ない。
アリーナまではずいぶんと距離があるにも関わらず、轟々と音を立てて燃え上がる圧倒的な炎の迫力に、思わず後ずさってしまう。
「ぉわっ!?」
石造りの観客席の小さな段差につまづいて後ろにすっ転びそうになる。
「トーチカ!」
俺の背を支えてくれたのは、リーフェリオン様だった。
「良かった、間に合った……」
ホッと息を吐いて、リーフェリオン様がラベンダー色の瞳で俺を覗き込む。
「大丈夫かい?」
本当に心配だったんだとその瞳が訴えている。
俺が無事で、本当に良かったと……。
さらりとリーフェリオン様の整いまくった顔の横に淡い金の髪が流れて、繊細な銀のフレームが光を返す。
赤い光だ。
アリーナを埋め尽くす炎の、赤い光……。
「あ、そうだ、魔法……」
大迫力の大魔法を見せてもらっていた最中だったのに。
そんなことをすっかり忘れてしまうほどに、リーフェリオン様と銀縁メガネの織り成すビジュアルが最高に良過ぎた。
「リーフェリオン様、助けてくれてありがとうございます」
「立てそうか?」
「はい。もう大丈夫です」
俺が改めて前を向いたところで、荒れ狂うように燃え上がっていた炎は、ようやくその勢いを落とし始めた。
「すごい迫力でしたね。想像の何倍もすごかったです」
いや俺はすごい以外の褒め言葉を知らないのか?
じゃあ、なんて言ったら良いんだ。
えーと、ものすごい? 大迫力?
……もういいか。素直にすごいで。
俺は自分の語彙力のなさに、早々に匙を投げる。
「ああ、トーチカが喜んでくれたなら良かったよ」
リーフェリオン様は本当に嬉しそうに微笑んでくれた。
途端に、きゃあっと少し離れたところで女性の声が上がる。
黄色い声というほど甲高くはなかったが、見れば魔法修練場の観客席にはちらほらと女性の姿があり、そのほとんどが大魔法を使ったヴァルミリオ様の方ではなくリーフェリオン様の方を見つめていた。
うんうん。その気持ちはよくわかる。
リーフェリオン様と銀縁メガネの絵面は最高だよな。
これこそまさに幸福な組み合わせ。
至高のマリアージュと言っても過言ではない。
俺より少し遅れて女性達の視線に気づいたらしいリーフェリオン様が、おずおずと周りを見回す。
ああそうか、まだ相手を見るだけで怖がられ続けていた頃の印象が抜けきれていないんだな。
けれどリーフェリオン様の怖れに反して、周囲の女性達はリーフェリオン様の視線を受けると嬉しそうに頬を染めたり、瞳を輝かせて見惚れたりしている。
よしよし。その反応やヨシ!
こうやって少しずつでも、リーフェリオン様が失ってしまった対人関係での自信が取り戻せるといいな。
リーフェリオン様からホッとした気配を感じて、俺とフラウレイドさんはそっと視線を交わす。
フラウレイドさんの嬉しそうな表情に、きっと俺も同じような顔をしているんだろうな、なんて思いながら。
「おーーーいっ、トーチカー、満足したかー?」
やたら小さく聞こえる叫び声に、ああ、保護膜があるからか。と思った途端、保護膜がすうっと溶けるように消えた。
おおお、さすが魔法……ファンタジックだ。
「ビビんなかったかー? ド迫力だったろー?」
でっかい声で叫びながら、急な傾斜も壁も物ともせずに跳んだり跳ねたりしながらこっちに駆けてくるのはグラ兄だ。
って、なんかグラ兄が小脇に抱えてるのって、さっきの大魔導士なんじゃないか!?
俺の前にポンと下ろされた大魔導士の第一声は「何で僕まで……」だった。
「トーチカ、こいつはヴァルミリオ・ヴァンミリオン。この国でダントツ一番の腕を持った大魔導士だが、極度の面倒臭がりでいつも眠そうな顔してるやつだ」
えっ……。そんなに凄い人だったのか!?
いや確かに凄かったけど。もの凄かったけれどっ……!!
というかそんなすごい人をそんな風に紹介していいのかよっ!?
「ヴァル、こいつは飛来人のトーチカ。ちっこい見た目だけど、俺と兄貴達を強くしてくれて、リーフェの顔を良くしてくれた、すげー奴なんだぜ!」
「顔、を……?」
ヴァルミリオ様が眠そうな半眼をリーフェリオン様に向けた。
「ヴァルミリオ様お久しぶりです。この度は我々の為にお忙しい中素晴らしい大魔法をご披露くださりありがとうございます」
丁寧な挨拶で優雅に頭を下げたリーフェリオン様を、ヴァルミリオ様が真っ赤な瞳で見つめる。
さっきまで眠そうに半分閉じられていた赤い瞳は、驚いたように丸くなっていた。
この人って髪は濃い青紫なのに目は真っ赤なんだな。
その不思議な赤い瞳は淡く光っているようにも見える。
んん? よく見れば赤い瞳の下の方は金色になっているぞ、どういう事だ……?
俺がじっと見つめるうちに、金色は赤い色に溶け込んで全部が真っ赤な瞳になってしまった。
んんん……?
俺の見間違いか……?
「どーしたトーチカ、そんな必死でヴァルを見つめて。こーゆー顔が好みなのか?」
「いや、今、ヴァルミリオ様の瞳が一部だけ金色に見えた気がしてさ……」
「ああ、全力で魔法使ってる時はこいつの目って金色だからな」
「!?」
「生まれつき魔力の強い奴は最初から金色なんだけどな。ほら、サーティラも金眼だろ?」
「ああ……、確かに……」
サーティラは性格には難ありだが、あんなに綺麗な銀髪とあんなに綺麗な金眼の組み合わせは正直ずるいと思うほどに映えるんだよな。
あれでいつでも人を見下したような顔さえしてなきゃなぁ……。
「ヴァルは元々赤い瞳だから、大魔法を使ってる時とか魔法を連発してる間だけ金色になるんだよ」
いや、そう言われても『なるほどそうか』とは思えないんだが……?
……まあここは魔法が当たり前の世界なんだもんな。
俺の常識がこの世界の常識と合わないこともあるよな……。
……あるか……?
いや、あることにしておこう……。
俺は虹彩に含まれるメラニン色素だとかについて真面目に考える事を放棄した。
「リーフェリオン……」
ポツリと零されるヴァルミリオ様の声は、男性にしては少し高くて中性的だ。
「良かったな」
そう言ったヴァルミリオ様が、眠そうな赤い瞳を少しだけ細める。
「ありがとうございます。これもトーチカのおかげです」
リーフェリオン様はヴァルミリオ様にふわりと微笑んでから、俺を見つめた。
「トーチカ……。飛来人、か……」
ヴァルミリオ様が俺に視線を移す。
うわ……、鮮やかな赤い瞳って綺麗だな……。
正面から見据えられると、その赤い輝きに魅入られてしまいそうだ。
「ヴァルはあれからちっとは狙いが良くなったかぁー?」
グラ兄がそう言ってヴァルミリオ様を覗き込む。
ヴァルミリオ様はわずかに眉を顰めてグラ兄から顔を逸らした。
「こいつなぁ、魔法はめちゃめちゃ上手いのに狙いが悪くてさ。それをカバーするために広範囲の魔法ばっか使ってたら、いつの間にか大魔法に特化したって奴なんだよ」
グラ兄が俺に向かって喋ってくるので俺は「へぇ」と適当に相槌を打つ。
本人の前で『それはすごい』って言って良いのか分かんないような話振るのやめてくれよ。
「けど大魔法ってやつは発動まで時間もかかるし、魔力もすぐ枯渇すんだよな」
そういう魔法の狙いって、練習してもなんともならないもんなのか……?
「グラディ……、煩い」
うわ、やっぱ本人嫌がってるじゃないか。
頑張ってもできない事を言われるのって嫌だよな。
しかもこんな初対面の相手がいるようなとこで言う事じゃないだろ。
俺はグラ兄を止めようとグラ兄を見上げる。
グラ兄は俺を鮮やかな緑の瞳で見つめていた。
思ったよりもずっと、真剣な顔で。
「ヴァルは昔っから、ひとつしかない標的がいくつもあるように見えるとか言うんだよ」
……それって……乱視では?
「なあトーチカ、どうにかなんねーか?」
あー、なるほど。グラ兄は俺にそういう相談をしてたのか。
それなら確かに、俺が何とかできるかもしれないな。
俺はニッとグラ兄に笑いかけると、視線をヴァルミリオ様に戻した。
「ヴァルミリオ様、良ければお話を聞かせてもらえませんか?」




