第23話 納品:薬師:ただいま
ギルドの扉を押し開けると、夜にもかかわらず中は明るかった。
魔法灯が壁に点々と並び、受付カウンターには数人の冒険者が列を作っている。交代制の二十四時間稼働らしい。
(夜でもやってるのは助かるな)
カウンターの奥に、栗色のポニーテールが見えた。
クレアだ。まだいたのか、それとも夜番なのか。
列に並び、しばらく待つ。
前の冒険者が去り、携太の番が来た。
「ああ!携太じゃん! おかえり~癒月草の採取、どうだった?」
クレアが目を輝かせる。
「まぁ……いろいろあったけど、採ってきたよ」
(いろいろどころじゃないんだけどな)
ゴブリンに囲まれたことだとか。炎の弾に救われたこととか。二匹との出会いとか。
──全部、昨日と今日の出来事だ。
「さっそくだけど、納品の確認よろしく」
スマホから堂々と取り出すわけにはいかないため、携太は魔導ローブの内側に手を入れ、癒月草を取り出した。30,000イエンは痛い出費に思われたが、今となっては必需品だったかもしれない。
カウンターの上に、青白く光る細い草が並んでいく。
「いち、にい、さん……」
クレアが手際よく数えていく。
「──百本!?」
声が裏返った。
「初回の採取クエストで百本って……ちょっと、すごくない?」
「運が良かったんだよ」
携太は曖昧に笑った。実際には複製で五百本まで増やしているのだが、それは言えない。
「E品質が百本ね。一本50イエンで、5,000イエンになるよ。……何それ?」
クレアの目が、携太の手元に向いた。
百本の確認が終わってから見せようと、別にして持っていた五本。
先ほどの癒月草とは、発光の強さがまるで違う。
「これ……」
クレアが一本を手に取り、目を細めた。
「品質が違う。E品質じゃない──これ、D品質?」
「ああ。五本だけ別で見てもらおうと思って」
「D品質の癒月草……」
クレアの声が、さっきまでの軽さから変わった。
「うちのギルドに持ち込まれたのは、かなり久しぶりかも。一本500イエンでの買取になるけど──」
「──失礼」
横から、声が割り込んだ。
低く、だがよく通る声。
携太が振り向くと、カウンターの横に一人の男が立っていた。
年齢は四十代半ばか。短く刈り込んだ茶髪に、穏やかだが鋭い目。服装は上質だが派手さはない。どこか品のある佇まいだった。
「クリスフォードさん……」
クレアが苦笑いを浮かべた。
「まだクエスト報酬の手続きの途中ですよ」
「すまない、わかっている。だが──」
男は携太の持つD品質の癒月草を見つめていた。目に、切迫したものがあった。
「それは、D品質の癒月草で間違いないか」
携太に向けて、真っ直ぐに聞いてきた。
「……ええ、そうですけど」
「私はクリスフォード。薬師をしている」
男は一礼した。
「失礼を承知で言わせてほしい。その癒月草を──私に売ってもらえないだろうか」
◆
話は、カウンターの脇にある商談用のテーブルに移った。
クレアが「まあ、クリスフォードさんなら仕方ないか」と言って、場所を貸してくれた。どうやら常連のようだ。
クリスフォードは、テーブルに着くなり話し始めた。
「私は富裕層エリアに住んでいるが、薬師としてこの街の中級層の人々にも薬を出している。癒月草は薬の主原料のひとつでね。体力回復や軽い傷の治療に使う」
(薬……?)
この世界にも薬はあるのか。携太は少し驚いた。
「調合の技術はある。他の素材も、金を出せば手に入る。だが──D品質以上の癒月草だけは、どれだけ金を積んでも市場に出回らないんだ」
クリスフォードの声に、静かな苛立ちが滲んでいた。
「ギルドに出回る癒月草は、ほとんどがE品質だ。それでも薬は作れる。だが──効き目が弱い。風邪を和らげる程度ならいいが、もう少し重い症状……例えば、慢性的な痛みや、長引く体調不良には、E品質では力不足なんだ」
クリスフォードの目が、テーブルの上のD品質の癒月草に向けられる。
「D品質なら、話が変わる。薬の効果が格段に上がる。今まで治せなかった症状に手が届くかもしれない」
「それは……どういう人たちに使うんですか」
「多くは治癒師に診てもらう余裕がない中級層の人々だ。いや──最近は、富裕層であっても診てもらえない」
クリスフォードの表情が、わずかに曇った。
「……診てもらえない?」
「治癒師の話は、また今度にしよう。とにかく──薬を必要としている人が、今この街にはたくさんいる。D品質の癒月草があれば、その人たちを助けられる」
(薬草が……人を助ける、か)
携太は、テーブルの上の五本を見た。
自分が魔物の生息地の近くで、たまたま採れた草。
それが、誰かの痛みを和らげるものになる。
「──実は、妻の薬にも使いたいのだ」
クリスフォードの声が、少しだけ小さくなった。
「妻が体を壊していてね。ここしばらく、ずっと調子が悪い。以前なら治癒師に診てもらえたのだが……今は、なかなかそうもいかなくなった」
「……」
「子供たちの世話も重なって、疲れが溜まっている。せめて薬で楽にしてやりたいのだが、E品質では効果が薄くて」
携太は黙って聞いていた。
声をかけるべき言葉が、すぐには見つからなかった。
「……わかりました」
携太は、D品質の癒月草五本をクリスフォードの前に押し出した。
「売りますよ。奥さんのために使ってください」
クリスフォードが目を見開いた。
「いいのか?」
「もちろん。そのために採ったわけじゃないですけど──でも、必要としている人がいるなら」
クリスフォードは、しばらく癒月草を見つめていた。
そして、深く頭を下げた。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
顔を上げたクリスフォードは、真剣な表情で携太を見た。
「もうひとつ、聞かせてほしい。──こんな品質の癒月草を手に入れられる場所を、君は知っているのか?」
「……まあ、偶然見つけた場所ですけど」
「もし可能なら、今後も取引してもらえないだろうか。ギルドを通さず、直接で構わない。もちろん、ギルドの買取価格以上を出す」
携太は少し考えた。
ギルドに卸すよりも、直接取引の方が双方にメリットがある。仲介手数料がかからない分、クリスフォードは安く仕入れられるし、携太の手取りも増える。
そして何より──この薬草が、直接、困っている人に届く。
(悪くない話だ)
だが、今は頭が回らない。
昨日は寝たつもりだが、テントと寝袋では体の疲れが取れていない。久しぶりにたくさん歩いたのもあり、元オフィスワーカーの体には限界だった。
「前向きに考えたいです。ただ──」
携太は正直に言った。
「今日は、いろいろあって疲れているんです。詳しい話は明日にさせてもらえませんか」
「もちろんだ。無理を言ってすまない」
クリスフォードが申し訳なさそうに頭を下げた。
「明日、またこのギルドで──」
「いえ」
携太は、少し間を置いてから言った。
「明日は、お宅に伺います」
クリスフォードが、きょとんとした顔をした。
「奥さんの話が気になって。少しでも側にいてあげた方がいいでしょうし」
「──ありがたい。本当に」
クリスフォードの声が震えていた。それだけ、妻のことが心配なのだろう。
住所を聞き、明日の朝に訪ねる約束をして、携太はギルドを後にした。
◆
E品質の買取はクレアが処理してくれた。
百本で5,000イエン。
D品質の五本はクリスフォードに直接売った。一本700イエンで3,500イエン。ギルドの買取価格より高い。
合計8,500イエン。
(魔導ローブの代金が30,000イエンだったから……まだまだだな)
手持ちの金を計算しながら、夜の石畳を歩く。
安眠亭の看板が見えてきた。
先日、写真編集で修繕したばかりの外壁が、通りの灯りに照らされて温かく光っている。
(……帰ってきたな)
扉を開ける。
「いらっしゃいま──携太さん!」
カウンターの奥からエレナが飛び出してきた。
「帰ってきた! お父さん、携太さんが帰ってきたよ!」
奥から、バルトがメガネを拭きながら現れた。
「おかえりなさい、携太さん。一晩の予定が二晩になったのかと、少し心配していましたよ」
「すみません、予定より今日の帰りも遅くなってしまって」
「いえいえ。無事なら何よりです」
バルトが穏やかに微笑む。
「どうでした? 城壁の外は」
「いい場所でした。……ただ、ちょっとハプニングもあって」
「ハプニング?」
エレナが心配そうに身を乗り出した。
「大丈夫だったけどね。バルトさん……また今度、ゆっくり話しますよ。今日は──」
携太は、自分でも驚くほど疲れた声が出た。
「──ちょっと、限界で」
「あら……顔色が悪いですね。今日はゆっくり休んでください」
バルトが背中を押すように部屋へ促した。
エレナが水を汲んで、部屋までついてきてくれた。
「ありがとう、エレナ」
「……携太さん」
エレナが少しだけ声を落とした。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫。ただ、すごく疲れただけだよ」
携太は笑って見せた。
部屋に入ると、寝袋ではなくベッドが待っていた。
当たり前のことが、こんなにありがたいとは。
(……明日、クリスフォードさんのところに行く)
(奥さんの様子を見て、薬草の話を詰めて──)
そこまで考えたところで、体が勝手に動いた。
ベッドに、ばたんと倒れ込む。
靴も脱いでいない。でも、もう起き上がれなかった。
『携太』
ペットルーム越しに、ミントの穏やかな声が響いた。
『……おかえり』
『おかえりー!』
チョコの声が被さる。
目を閉じたまま、携太は口元だけで笑った。
「……ただいま」
残り少ない意識の中で、水の入ったグラスをテーブルに置く、小さな音が聞こえた。
エレナだ。
そっと背中に毛布がかけられる。
「……おかえりなさい、携太さん。お疲れさまでした」
小さな声。少しだけ、震えていた。
足音が扉に向かい、静かに部屋を出ていく。
廊下に出たエレナは、両手で自分の頬を押さえた。
熱い。
(……なんで、あんなに無防備なの……)
寝息が聞こえる部屋を背に、エレナは赤くなった顔を隠すように、足早に階下へ下りていった。




