番外編<そして、俺は人間になった。>
本の外は想像以上にとても眩しかった。
世界はもちろん、人との関わりが俺に教えてくれた物が一番多かった。
スタートは入学してすぐのこと。
「ねえ。」
講義が終わって話しかけて来たのが、後に親友でありバイト仲間ともなった、あの人だった。
「…君だよね?黒崎 蓮って。」
帰ろうとした時に声をかけられた。
前髪は重く斜めに流し、もみあげは刈られている。服装はワイシャツにベストのセーターに黒のスキニーだ。スタイル良いので、余計カッコ良く見える。
「?……はい。」
「このレポート見たって。教授から。」
「あ、…ああ。ありがとう。」
「……実は教授に勧められて少し読んじゃったんだ。ごめん。」
「え…いや…別に、いいけど。」
「すげー参考になった。頭良いんだね。ありがと、じゃ。」
それが初めてのコンタクト。
それからの一週間、ちょくちょく講義が重なったり、食堂で鉢合わせたりと偶然が偶然を呼んだ。
そんな時の昼の食堂でだった。
「あ。俺の名前言ってなかったよね?ごめん。」
「や、全然。」
「俺は赤井川 清丸。二年、二十歳。」
ずいぶん立派な名前だな、しかし赤井川なんて聞いたことないが。
突っ込めば墓穴を掘る事になるので何も言わなかった。
「黒崎 蓮。一年。俺も二十歳。」
「だから頭良いのか…」
「…いや、海外の大学に行ってただけだよ。」
「………留学?」
「いや、日本に来たのは今年初めて。」
「なら日本の良いとこ教えてやるよ。」
「…………」
「…だめだったか?」
「いや……」
「………あんまり、嬉しくない?」
そう言って指差したのは自分の頭。引きずってたのを見抜かれたようだ。
「……良くても、良いことない。」
「………じゃあ、俺と知り合えた事は良いことじゃないか?」
「……え?」
今まで、同じ年の人と勉強した事がなかった。同年代の人や親達は羨ましそうな目で見て、年上の人や同じ教室の人は、目も合わせなかった。
えらくプライドが高い彼らにとって、俺は十分に壊せる存在だったんだ。いじめもあれば、テスト隠蔽もあった。“友達”はおろか、“知り合い”も、こんな風に話しかけて来た人も、話を聞いてくれた人もいなかった。
「……あの時のあのレポートが無ければ俺らは顔を合わせなかっただろ?それって、お前が頭良いからだろ?」
「………」
「ふふ。とかね。」
恥ずかしくなったのか、笑って誤魔化してたけど、俺は嬉しくてそれを突ついた。
「青臭。」
しばらくの沈黙の後、二人して大笑いした。
その後バイトを紹介してもらい、ほぼ一日中一緒にいるようになった。
「……なんだ、また店に泊まったのか?」
ちなみに彼は自分の名前が大嫌いだそうだ。家は平凡中の平凡らしいし、絵に描いたような頑固で世話焼きのお祖父さんから命名された健全な普通の子。
そんな名前のおかげで同級生だけでなく、近所や先輩後輩、先生からも、「おじゃ○丸」とあだ名が付いたそうだ。
「……不動産屋さんに悪い人がいるなんて知らなかった…」
「……それも良い勉強だよ。」
ちなみに俺は彼を“おじゃ○丸”などとは一度も呼ばない事にした。
家族のせいでもうどうすることもできない事を、一生背負わなければならないという無力さを知っているから、言えなかった。
ま、勝手に一緒にしたけども。
だから清丸は、俺の経歴も家族構成も知らない。むしろ俺が言いたくないのを分かってるかのように、一度も訊いてこないのだ。
「こんばんは、まずお品物からお渡しします。えーと…お会計が三千八百九十円です。」
「……あの、この辺の大学に通ってるんですか?」
正直こんなに声を掛けられたのは初めてだった。
行く先々で必ず女性には一言言われるか、顔が少しでも赤いか…
「す、すみません……ほらお皿用意して!シッシッ!」
一目惚れだった。
とくにこれと言って言葉にできないが、綺麗な肌に透き通る茶色の瞳、身長は163ぐらい?
ルームウェアにしてもオシャレで、玄関もデザイン性が高かった。
なんだろう…
オーラか雰囲気か、すごく胸がざわついたんだ。
「…ただのバイトです。」
そう、俺はただのバイトをしている成人にすぎない。
それがまた、嬉しかった。俺にとって、平凡という名の“幸せ”が、とても。
ドキ、ドキ…
そう鳴る胸の音はしっかり聞いていた。
そして、ついさっきの出来事を思い出せば音は格段に変わる。
ドクン、ドクン……
この扉の向こうにいるとしても、さっき会ったばかりなのに、“会いたい”そう思っていた。
…これが、一目惚れと言うやつなのだろうか。
「なぁ、清丸。」
「ん?どした?」
「一目惚れってしたことある?」
「……あるよ。」
「…どんな感じ?」
「苦しい。でも嫌な苦しさじゃないんだ。なんか…こう、ぎゅーって……何笑ってんだよ。」
「…い、いや…はは。」
本当にこの人はできた人だと思う。
同じ大学で、同じ年なのに、なぜこの人とはこんなにも差があるように感じるのだろうか。
「うん。……………………………………ありがと。」
「聞こえなーい。」
「………も、言わない。」
「んだよー…せっかく録音しようと思ったのに…」
「は?……き、清丸さん、あなたキモイです。」
「蓮の貴重なお礼の言葉は録っておくべきだろー!」
「はぁー…」
それから2日後。
店の電話が鳴った。
「はい、こちら24時間どこへでも飛んで行きます。美味しいピザ宅配店ボーノです。ご注文承ります。」
「えと…ピッツアマルゲリータのMを一つと…」
この声は……!
「40分後ほどにお持ちいたします。よろしいでしょうか?……はい。失礼いたします。」
「……注文は?」
「清丸……」
「ん?」
「……………彼女からの、一之瀬さんからの、電話だった…」
「…だ、だから?」
当然の反応だ。俺が何を言いたいのか理解しろという方が無理がある。
「上手く作れよ?」
しかし現実というのはそう良い事ばかりではなくて。
「黒崎さん、お知り合いだという方が、どうしてもと……」
あと10分経ったら、行こうと思ってた矢先だった。
「…ゆ、ゆず…………」
「蓮っ…!!!」
いつもなら彼女の背中に手を回すのだが、“やめろ”、“離れろ”と心と体が言っていたのを、俺はすんなり聞き入れていた。
「…会いたかった……」
「ごめん。仕事中なんだ。今すぐパリへ帰れ。」
「泊まりまでしに来たのよ?レディーに対し…」
「ここはなんでも話が通る世界じゃないし、お前が来れる世界でもない。帰れ。」
初めてだった。人に対してこんな目と言葉を向けたのは。
「わ、たしの、こと、は……?」
「……悪いが、応えた覚えはない。」
しばらくの沈黙の後、俺には一度も見せなかったゆずの正体を、ここにきて間近で見る事になった。
「はぁー、今ならまだ許すから、正直に言って。」
「…俺はお前の事は好きじゃない。」
「出世コースよ。お金に苦しむ事なく幸せが手に入る。あなたの平凡は、ここには無いわ。それをも捨てる?」
「お金に苦しんだ事のないお前にわかるわけがない。本当の幸せは“安定”じゃない。」
「叔父様にも許してもらえるのに?」
「言ったはずだ。所詮おとぎ話のお姫様なんだ、お前は。」
「……もう一度、訊くわよ?正直に言わ…」
「しつこい。俺は、お前の事なんか好きじゃない。」
はっきり言った。ここでゆずの何かが切れたのだろう。たぶん、俺が誰よりも最初にゆずの核を突ついた。
そう、右頬を平手で叩かれた。
当たったダイヤがとても痛い。
「はん!おめでたい子ね。一族に飼われてた犬に何ができるのよ?あなたみたいな人ほど迷惑な金持ちはいないわ!!」
「てめーみてぇな人を利己的に利用する権力者にはなりたくないからな。そのためだったら油まみれの黒い白鳥にでもなるぜ?それに、俺には金は10万も無い。もう金持ちでもなんでもない。」
そしてもう一発。せめて同じ場所は避けていただきたい。
「…俺は、ただの黒崎 蓮だ。」
「 ……ふん!」
そうして出口へ向かうゆずに、内心驚いていると、背中を向けたまま小さく一言。
「…あなたは、家族を平気で捨てるのね。」
その一言は、俺を倒すのに十分な力があった。
「ほっぺた、大丈夫ですか?」
しまった……!
彼女の前で元気ない顔を見せてしまった…!
まして今やっと彼女の顔を見た始末………はぁ。
この次に自分が何を彼女に言ったか、一度も思い出せなかった。
ただ、氷が溶けていったような温かさがやってきて。
気づいたらバイク走らせてて。
気づいたら泣いてた。
「……蓮。何があったかなんて訊かないけどさ、分からない事があるなら俺が頑張って教えられるよ。」
すっかり意気消沈している俺を気遣ってくれた。
清丸だってバカじゃない。
俺が“おじゃ○丸”と一度も呼ばない事と、どうしても話したいという意思を無理にでも通せるような人とトラブルがあれば、それなりに察しはつく。
だから清丸のこの声で、俺は素直に疑問をぶつけられた。
「清丸、父親の反対押し切って旅に出た息子は、母や兄弟だけでなく従兄弟も含めて“家族を平気で捨てた人”っていうか?」
「…言った人には悪いけど、それは蓮を信用してない証拠となる一言だと思う。信用してないから、旅に出させなかったんじゃないか?“お前は、私たちがいなければ生きられないんだ”ってハナから決めつけてさ。」
「…………」
「ほれ。注文のピザ。しっかり笑ってこい。」
優しく発せられた言葉と、喝として叩かれた背中をしっかりと受け止め、寒い中無我夢中でピザを配達しに行った。
その後の彼女にも、割とスッキリした顔を見せられたんじゃないかと俺は思う。正直なところ、彼女の笑った顔しか覚えてないがな。
夕方、外で会った時なんかはガラにもなく運命を信じた。
なのに顔が真っ赤なのを悟られたくなくて、すぐに逃げだした。
醜い自分を見られたくない、そんな思いもあった。
我ながらとても情けないと、本気で思う。
「はぁー…」
「……幸せ逃げるぞー。」
「はぁー…」
「飯食えよ。」
「はぁ…あ、むゴッ!?」
開いた口に無理やりパンを突っ込まれた。
「な、なにすんだよ!」
「うるせー、恋煩い。」
「なっ………」
「………顔赤くすんな。」
“ピリリリリリ”
無機質な音を鳴らす物の持ち主は画面を見ずに出た。
「…はい。なんだ、蓮か。どした?」
「もう店出た?」
「いまあがったとこ。なんで?」
「あのー、俺の荷物を持って、バイクとジャンパーに帽子を引き取っていただけないでしょうか。」
「…………………訊くぞ?何があった?」
「キ、キャンセルピザを、一之瀬さんと食べまして、ここを離れられないんで…」
照れながら言ったのは電話越しでも伝わったと思う。
「はぁーあ、良くわかんないけど、いいねー恋とやらは。」
「ほんと、助かる。あとさ…」
「ん?」
「たとえどんな物を捨てようが、守りたい物を悔いなく守れば、それで良いよな?」
「……お前、カッコいいな。」
「ん。ありがとう。」
「お!録音成功!!」
「……は?もしかしてそのために嘘言ったりしてないよな?」
「大丈夫、してないしてない。」
「………………感動半減。いや消滅。」
「……なんかごめん。」
しかし、縮んだと思った距離は縮んでなかったのだろうか。元の店員とお客様の位置に変わったのだ。
別に嫌じゃない。“なぜ?”とも思わない。
ただ、ただ…この扉の淵を越えたら、どうなるだろうか?
という、期待と不安でいっぱいで、それでも俺には彼女を守れる力は無くて、資格も無くて……
「蓮、どうするんだ?」
「…もし彼女から電話がもう一度あったら………日本を発つ。」
「………」
「清丸見てて思った。俺はずいぶん子どもだったんだ。それに、そんな子どもの初恋を確かめたい気もするんだ。……今の想いに、自信がないから。」
清丸は黙って静かに聞いてくれた。
もしかすると、清丸とは最後になるかもしれない。そんなリスクも俺は全部背負うから、だから、全部話した。
俺が誰で、何のために来て、何のために勉強し、なぜ隠してたか…その他もろもろ。
「俺は、彼女が好きだ。だからこそ、守れる力をつけてくる。会えないのは辛いし、彼女に振り向いてもらえないかもしれないけど、……それ」
黙って聞いていた清丸は、その先を知ってか、代わりに言った。それは、“わかった。いってこい。”というあらわれのような気もした。
「それでも、行くんだろ?」
「ああ。ありがとう。……この言葉も、今度は清丸の口から聞きたいな。」
「100年経ったら聞けるかもな。」
しかしそれが実現するまで、3年もかかってしまっていた。
清丸はもうすぐ卒業して大手に就職だし、俺はまだあと一年残ってたが、実のところすでに辞めていたのだった。
「なんだと?!ひょっこり出てきたと思えば、大学を辞めただと?!どういうつもりだ!説明しろ!!」
まずこうやって顔を合わせるまでに3年かかってしまっている。別に戻る気は毛頭ないのに、だ。
「黒崎 雅信さん、私はあなたに宣戦布告しに来ました。」
父さんだけでなく、明彦さんや叔父さん、ゆずもいるホテルロビーのようなリビングで俺は皆を見下ろして告げた。もちろん、日帰りで訪れた。理由は、眠る時間さえも惜しかったからだ。
「宣戦布告…?」
当然、ゆずが発したこの言葉には一切触れない。見向きもしない。いや、触れたくないし見たくもないな。
「私はあなたたちの敵として現れ、そして倒します。」
「……………目的はなんだ?」
「祖国を、日本を認めろ。そして人を事業や会社としか思ってないその思考も、すぐさま捨てること。」
すると明彦さんは言った。
「…お前に利益が無いじゃないか。」
「………俺は大切な人さえ守れれば、それでいい。」
「…なら、大切じゃないものは?」
「愚問だな。ないよ。」
「………そうか。親父。」
「ああ。私から言っておく。君の席は今もずっと空いている。いつでも門を叩き、奪ってみるがいい。君は、それがしたかったのだろう?」
「いいえ。俺の思う席は、いつも空いてませんよ。」
「!!!!!」
捨て台詞のように言い残し、去ろうと背中を向けて外へ向かう。
「………蓮。」
父さんがやっと呼んだ。実は昔から俺の名前を呼んだ事は一度もなかった。びっくりして、思わず立ち止まってしまった。
「…なぜ私を倒さない、越えない。」
「…………………父さんと対等な立場で仕事したかったから、かな?」
俺は後ろも見ずに、前を向いて歩き出した。
あの人を守るために、自分の足で歩くために。
この手で、人生を築くために。
そして、人間として、生きるために。




