魔法の光
イザベラと私たちとを乗せた馬車が王都を出発して数日が経った。
王都を抜け、土や石で硬く整備された街道をひたすら道なりに走った。道は王都を中心に各町や村へ伸び通じている。イザベラの家である屋敷があるのは、王都から遠く離れた領地で、馬車でも数日かかるらしい。道中雨に降られることもなく、天候に恵まれたことは幸いだった。私たちは途中で町や村に寄り食事と、夜は宿屋で疲れを癒しつつ目的地を目指した。
太陽が昇りきる前に宿を出発する。夏の峠は越えたが、日差しに当たれば汗がにじむほどにはまだ暑かった。
土で固められただけの道で馬車はガタガタと揺れた。正直言ってあまりよろしくない乗り心地である。さらに言えば記憶にある自動車と比べるとペースも随分とゆっくりだ。巨大化したロウの背中に乗ってひとっ飛びした方が乗り心地は別として、私には合うなと思った。
そして馬車の中で過ごす時間というのは何とも退屈極まりない。旅の最大の問題点だ。移動だけが1日の大半の予定なので、大人しく馬車に座っているしかなく運動不足にもなりそうだ。自然の景色に癒されるのは初日くらいなもので、ほとんど変わらない景色をぼうっと眺めているしかなかった。
旅の間、喋る相手も限られているわけで、必然的にイザベラと会話することが増えた。最初はギクシャクと(というか私が一方的に)していたが、数日一緒に過ごしているせいか、少しだけイザベラとも打ちとけたように思う。また私たち以外に御者として同行している壮年の男性もひとりいて、どうやらイザベラの家の使用人との事らしい。彼とも親しげとまではいかないが、イザベラを交え日常的な雑談をするまでになった。
その間、残りの2匹であるロウとアートフィレイスは座席の隅でぴったりと引っ付き静かに微睡んでいた。夏のこの暑い中でである。
この短い期間の中で最も仲良くなったのはこの2匹、かもしれない。
馬車の旅とは初めてで、私は何もかもがされるがままだった。
今夜で馬車の旅は最終日だとイザベラに教えてもらていた。日が暮れ始める前に私たちを乗せた馬車は最寄りの町か村へと入る。
この世界に来たばかりの頃に過ごした村で知ったことだが、日の沈んだ時間に町や村の外を移動する人はいない。王都を出て改めて気づいたが、比較大きな街以外は夜になると途端に闇がたちこめるのだ。ロータス学園に入学して、当たり前になっていた魔法の灯りは、町や村で見かけることはなかった。
御者が慣れたように宿屋へと馬車を進め、入り口で降りた。私たちを下ろした馬車はそのまま納屋へ移動した。私はイザベラの後に続き、宿屋へ入ると宿の主人から部屋の鍵を受け取った。
イザベラ自身はもちろん、私や御者のおじさんもそれぞれ個室が用意された。短くはあるがこの旅の間の代金はイザベラがまとめて支払ってくれていた。最初は自分の分は自分で払うと申し出たが、きっぱりと断られてしまっている。実際私の手持ちだけでは確実に足りなかった。イザベラがそのことに気づいているかは不確かだが、ありがたく気持ちを受け取ることにした。
「ヒナ、食事に行きましょう」
部屋の扉の外から掛けられる声はイザベラのものだ。ここ数日の大きな変化である。シアとリディが見たら感激で声を上げるかもしれない。
「うん、行こう行こう。すっかりお腹空いちゃった」
今晩の宿には食事がないので、町の食事できる店を探した。護衛を兼ねて御者のおじさんもいっしょだ。
道中の町々と同じく、今晩の町も街灯などもちろんなく薄暗い。出歩く人々も少ないため、王都と比べると寂しい雰囲気だ。
「今晩もやるの?」
夜の町は通り沿いの建物か薄らと漏れ出る明かりと、空に散らばる星々だけが光原だった。王都以外ではロウソクなどの炎の光が当たり前だ。
「ええもちろん。私たちの魔法は使っても減るわけではないから。だから今晩も手伝ってくれる?」
「もちろん、お安いご用よ」
私がそう返事をすると、イザベラが確認するように頷く。
「ルーメンル ティプリコ」
呟くようにイザベラが光の呪文を唱えると、周囲にいくつもの柔らかな発光体が浮かび上がった。
私も遅れて魔法を発現させる。
「ルーメ」
そう唱えれば遠くに散らばっていた光の妖精たちが一斉に集まってきて、私の体を明るく照らすほどに発光する。眩しさに目を細めて、彼らに「もうちょっと遠くで」と言えば渋々というように光が散らばった。
町全体に拡散するように光を纏った妖精たちが散らばっていく。その様子を眺めながら、少し頭をよぎるものがあった。それは王都から出発して少しずつ離れていくたびに感じていたものだった。
「ヒナ」
呼ばれて振り返った。イザベラの周りにも妖精たちがフワフワと浮いている。蛍火のようだ。ここ数日で見慣れた、といっても美しい景色につい見惚れてしまう。
「いつも思うけど凄い光ね」
「そう? 私のは制御できてないだけよ。イザベラの魔法の方が正確って感じじゃない」
イザベラが引き連れてきた光の妖精たちに囲まれながら話していると、魔法の光に気づいた町の人々が不思議そうに外へ出てきた。
「そういうことじゃなくて。簡単な呪文で魔法が大きく発現してる。さすがに潜在する魔力が豊潤なのね」
「そうなのかな? 自分じゃよく分からないんだけど」
実は呪文を使わなくても魔法を行使できるんだけど。言葉には出さず頭の中でそう続けた。おばあちゃんはもちろん、母や兄も同じように呪文を必要とせず、呼吸するように魔法を使っていたことを思い出した。
遠い記憶に想いを馳せていると、周囲から上がった突然の歓声に驚き、思わず肩を揺らした。想定していた通り、私たちは集まった大勢の町民に囲まれていた。
魔法の光に歓声をあげるものが大半、珍しげに眺めるものも少しばかり。魔法を出現させたのが王都の学生である私たちであると知れ渡ると、歓声がさらに強くなる。
これを数日間。まるでパフォーマンスのような行動を、イザベラと私は立ち寄る町や村で続けてきていた。
しばらくの間魔法を見せたり王都の話をしたりして、流石に空腹の限界になると町の人々に教えてもらった食事処で遅めの夕食をとった。
焼きたてのパンの匂いと脂滴る香草焼きのお肉、それからミルク仕立てのスープがテーブルに並ぶ。そそる香りに空腹感がさらに刺激される。
冷ましたスープは夏の暑さにちょうど良い。ひと口飲んで、それから切り分けたお肉を口に運んだ。魔法を使った後はなおさらお腹が空く。会計はイザベラだが遠慮はここ数日でなくなった。
パクパクと手と口を動かしていく。対面に座るイザベラから強い視線を感じ、しばらくして視線を返した。大分お腹は満たされてきた。
「なぜこんな事をするのかと聞かないの?」
ごくりと飲み込んで、私はキョトンとした。
「えーと、魔法のこと?」
「それ以外に何かある?」
「それもそうだけど。ーー町の人たちの様子を見ればわかるじゃない。だから別に聞かなくっていいかなって思って」
「ーーヒナって、少し変わってるって言われたりしない?」
イザベラは目を真ん丸くすると、おかしそうに笑った。
「え、私変なこといった?」
どうしてイザベラが笑うのかが分からなくて、そう尋ねれば今度はさらに声を上げて笑われた。
「シア様方がヒナと友人になった理由が少し分かったわ」
食事をし終えて外へ出ると、まだ町中光の魔法で明るく照らされていた。町の人々もこの明かりがあるからか、外へ出ている人が増えて夜だというのに活気に溢れていた。
この様子を見て、どうして魔法を使うのかとその理由に気づかないわけがない。
「今は王都だけだけれど、いつかはその他の町や村でもこんな風に明るく過ごせたらと思っているの。ーーただの夢、だけどね」
「素敵な夢だよ! 私も村で過ごしてたから分かるんだけど、もしこんな風に明るくなったらきっとすごくいいと思う」
正直にそう言えば、照れたようにイザベラがはにかんだ。裏のない嬉しそうな様子に、私は今までイザベラに不信感を抱いていたことをひどく後悔した。
「ありがとう。今までこんな風に言ってくれる人はいなかったから素直に嬉しいわ」
「他の人は賛成してくれないの? こんな素敵な夢なのに」
そう私が聞くと、イザベラは笑顔を一瞬のうちに顰めてしまった。
「昔と違って魔法がほとんど貴族のものになってからしばらく経っているでしょう。ヒナに言うのもなんだけど、特権だと思っているものが多いのよ。だからほとんどの貴族はきっと私とは正反対の考えじゃないかしら。家族も含めて」
魔法を一般的に広めた魔石がその数を減らしてそう長くはない。魔石が減少するとともに、平民の魔法の使用率も並行して減少し続けている。
試験勉強のおかげで魔法史の内容もまだ頭に残っている。おばあちゃんの指輪と魔石について調べていた甲斐もあった。私はイザベラの言葉に納得するように頷いた。
イザベラの憂いを感じさせる瞳は、まるでここではないどこか遠くを見ているかのようだった。
イザベラの一面を感じられたことで、以前にも増して親しみを感じていた。勝手にだが、私の中で新たな友人としても認定済みである。
だからさらに気にかかっていた。
イザベラと、そしておばあちゃんの魔法の指輪との関係に。