第6話 衣装の話ですか
「いつもより、背が高く見える」
都和に言われ、美月は鏡の前で片足を引いた。薄い灰色の長いスカートは、歩くたびに裾だけが遅れてついてくる。上は襟のないブラウスで、首元に細い銀色の飾りがあった。白いリボンも、いつもの花柄もない。
「靴が高いので」
「そういうことじゃなくて。立ち方が大人っぽくなるね」
「転ばないようにしてるだけです」
都和は声を立てて笑い、鏡越しに美月の肩を示した。力が入っていたので、一度息を吐いて下ろす。隣で芹佳が髪をまとめてもらいながら、今日の色は五人で並ぶときれいそう、と言った。
六月も終わりに近づいていた。新しい宣材写真の撮影で、全員が淡い寒色の衣装を着ている。美月はテスト撮影を終え、次の全体撮影まで待つように言われていた。
メンバーには、どうですか、とすぐ聞けた。廊下を歩いてくる足音を聞いた途端、同じ言葉が出にくくなる。
「高城さん、入りました」
水野の声に続いて、黒いシャツが入口に見えた。出会った四月より袖が短い。高城は撮影担当者と話しながら、五人の支度を順に確かめた。
美月の前では足を止めたが、衣装の金具が反射しないかをスタッフへ尋ねただけだった。
「そこ、光ると顔より目立つかも。照明当てて見てもらえる?」
美月は鏡の自分と高城を交互に見た。顔は目立っていないのだろうか。いや、まだ照明を当ててもいない。
金具を少しずらし終えてから、美月は高城に声を掛けた。
「いつもと、違いますよね」
「うん。企画、そうなってるから」
「そうですね。知ってます」
高城は手元の構成表を見た。美月はそこへ、もう少し直接的な言葉を差し込むことにした。
「似合ってますか」
「似合ってる」
すぐだった。すぐすぎて、反応のための時間を持てなかった。
「……以上ですか」
「ほかに?」
「いつもと違うので、何かあるかと」
高城は構成表から顔を上げた。美月が袖口を直していると、一歩離れて全体を見る。
「丈、ちゃんと合ってる。動いても裾を踏まないし」
「それは衣装さんにお礼を言いました」
「じゃあ、何を言わせたいの」
その聞き方をされると、自分から言えなくなる。可愛いですか、などとここで聞いたら、衣装を用意してくれた人まで巻き込んでしまいそうだった。
美月が答えを選んでいると、高城が先に言った。
「可愛いよ」
美月は指を止めた。高城はその顔を見てから、手元の構成表へ目を落とした。
「衣装」
続いた言葉の方が、明らかに余分だった。
「衣装の話ですか」
「衣装の話をしてたんじゃないの」
少し向こうで水野がスタッフと確認しているので、声を大きくするわけにもいかない。美月は一歩近づき、低い声で抗議した。
「分かって言ってません?」
「似合ってるとは言ったでしょ」
「それは、いただきました」
高城は美月の顔を見てから、撮影スペースへ視線を向けた。呼ばれるまで、もう時間がない。
「そのくらいの顔も、撮ってもらえば」
「怒ってる顔です」
「真面目に聞いてる顔にも見える」
美月は鏡へ向き直った。たしかに笑っていない。それでも、不機嫌なだけの顔かというと、少し違った。
衣装担当者が裾を確かめに来たので、高城は入口の方へ下がった。美月は、今の顔をそのまま残すのは悔しいと思いながら、鏡を見直した。
撮影台には低い箱が置かれ、壁に淡い影が落ちていた。カメラマンは美月に箱の横へ立つよう頼み、足の位置を示す。美月は裾を踏まないよう片足ずつ動かした。
「今回は、笑顔だけじゃなくて、静かなカットもほしいです。待ち合わせで相手を見つけたけど、まだ向こうが気づいてない感じ」
美月はカメラの少し横を見た。相手が来たら、まず笑うだろうと思い、口角を上げかける。
「笑う前、ください」
カメラマンの声で止まった。笑う前とは、どこからどこまでなのだろう。気づいた顔を作ろうとすると、眉だけが大きく動いてしまう。
二枚撮った後、確認用モニターへ案内された。高城は少し離れたスタッフ用の机で、全体の撮影順を相談している。こちらへ指示する様子はない。
「何か見つけた感じは出てるんですけど、ちょっと驚きが強いですね」
美月はモニターに頷いた。自分でも、長く待っていた相手というより、知らない人を発見した顔に見える。
「待つ相手、誰でもいいですか」
「もちろん。自分で分かる相手で」
台へ戻り、今度は都和を思い浮かべた。駅前で待っていて、予定より早く歩いてきてくれたところ。声を掛けようとして、まだ届かない距離だから待つ。
撮影の音が続いた。顔を止めようとせず、向こうが気づくのを待つつもりで視線を置いた。
「あ、今のいいです。もう一回、そのまま」
言われた瞬間、そのままが分からなくなった。美月が困ると、カメラマンは一度顔を横へ向け、もう一度見て、と動きを挟んでくれた。戻るまでに呼吸が入って、顔だけを固定せずに済んだ。
撮り終えて、モニターへ戻る。笑っていない自分がいる。リボンで清楚らしく見せた写真とは違うが、冷たいだけでもない。
「これ、私も好きです」
言うと、カメラマンが、その感じも使えるといいね、と候補に印をつけた。美月は次の人のために台から離れ、袖へ戻った。
都和と柚葉が全体撮影用の位置へ向かっている。美月は水を飲み、高城がスタッフとの確認を終えるのを待った。さっきは聞き方を失敗したが、今は何を聞きたいか分かっていた。
「高城さん、今の写真、どうでした?」
「後半の方がいい。最初の二枚は、驚く芝居をしてた」
「自分でもそう思いました。待つ相手を変えたんです」
「誰に?」
「都和さんです」
高城が頷いた。別に残念がるはずもないのに、美月は返事を一拍待ってしまった。
「衣装に合わせて別人になる必要はないから。相沢が何を見てるのか分かれば、落ち着いた顔も使える」
「笑わないと怖く見えるかと思ってました」
「そう見えたら、そのとき調整すればいい。最初から全部一つにしなくていいよ」
美月は四月の花の写真を思い出した。あのときは、同じ顔が駄目と言われたことばかり気になった。今日は、顔を変えるために相手のことを考えたら、少し変わった。
「それなら、先に言われても分かったと思います」
「四月に?」
「はい」
「どうかな」
否定しきれなかったので、美月は紙コップの縁へ口をつけた。水しか入っていないのに、休憩の言い訳になってくれて助かる。
全体撮影では、美月は端に座った。真ん中に立つ都和の服へ、芹佳の袖が重ならないよう、スタッフが位置を直す。美月も裾を整え、足先を目印へ合わせた。
カメラマンが軽い質問を投げ、五人で話しながら撮るカットになった。絵里香が今日いちばん大人っぽい人を聞かれ、自分です、と手を挙げる。隣の芹佳が静かに、その椅子を揺らさなければ、と言った。
皆が笑った。美月は隣の柚葉へ顔を向け、それからレンズへ戻った。
全員でモニターを見ると、芹佳が一枚を指した。笑っている人と静かにこちらを見ている人が混じり、五人が同じ表情ではないカットだった。
「これ、皆が話を聞いてる感じする」
美月も頷いた。自分の顔だけで選ぶなら、別の写真だったかもしれない。だが、これでは隣の柚葉へ返しかけた気配が残っている。
都和は宣材として必要な正面のカットも確かめ、両方を候補に残せないかと尋ねた。カメラマンが使い道ごとに選ぼうと答える。
美月は、今日の写真を皆で見る時間まで含めて、覚えておこうと思った。
帰り支度の前、モニターには全体写真が出ていた。高城は採用候補について、事務所側の用途をスタッフへ伝えている。美月は少し離れて、自分の衣装の色が全員の中へ収まっているのを見た。
欲しかった返事とは別に、今日できたことはあった。
それを言いに行こうかと思い、やめた。撮影中、もう「私も好きです」と伝えてある。
家に帰り、部屋着へ着替えた後、鏡を見た。灰色の長いスカートはもうなく、膝の出かけた柔らかいズボンをはいている。大人っぽく立とうとしても、スリッパの音が邪魔をした。
スマートフォンで確認用の写真を開く。静かな顔を見て、今日の説明を思い出そうとした。
先に浮かんだのは、可愛いよ、という声だった。
衣装、と続いた方まで、丁寧に再生される。
「余計な一言ばっかり」
美月は画面を伏せ、干し終えていなかった洗濯物を広げた。白いシャツの袖が裏返っている。引っ張って直しながら、もし次に同じことを言われたらどう返すか考えた。
衣装だけですか。私の話をしています。そう言えばいい。
その先を想像するところで、手が止まった。何を期待しているのかが、自分にも分かりそうになったので、美月は残りの服を急いでハンガーへ掛けた。




