第4話 見てたなら言ってください
「終わった?」
「まだ、途中です」
「じゃあ、一回そこを終わりにしてみて」
都和は稽古場の壁に背を預け、ストップウォッチを止めた。美月の正面には鏡があり、その足元に二人の水筒が並んでいる。全体練習後の二十分だけ、短い話を聞いてもらう約束だった。
美月は膝の上のメモを見た。
「まだ、店に電話してないです」
「電話するところまで聞かなくても、私は分かった」
「でも、本当は電話してから面白いことが」
「じゃあ、そっちを先に言う?」
美月はメモに矢印を書いた。順番を変えると、出来事を全部説明しないまま結末へ行くことになる。それでは初めて聞く人が困らないだろうか。
都和はタイマーを零に戻した。
「全部言う版、一回聞こうか」
美月は朝から考えてきた通りに話した。袋の色、店で会った人、帰宅してから気づくまで。都和は口を挟まず、終わると数字を見せた。四十七秒。
「途中で何の話か忘れそうになった」
「そんなに分かりにくいですか」
「細かいことは分かる。袋の色も分かる。でも、美月が何を言いたいのか探しながら聞いてた」
美月はメモを裏返した。親切に教えているつもりで、聞く側の仕事を増やしていたのかもしれない。
「都和さんだったら、どこから言います?」
「私は美月じゃないから。いちばん言いたかったことは?」
「取り違えた人も、同じように私の買ったものを見て困ってたことです」
「じゃあ、それ」
再開すると、十八秒で終わった。都和は今度、話の後で自分の買い物の失敗を返してきた。美月は続きを話すのを待ち、聞かれたところだけ足した。
四十七秒を十八秒にしただけなのに、二人で話した時間はむしろ長くなった。
「これなら、私も入れる」
都和は立ち上がり、鏡の前で肩を回した。歌の練習の前に付き合ってくれていたので、美月はここで切り上げようとメモを畳んだ。
「もう一つ、聞いてもらっていいですか」
「どうしたの」
「先週の収録、私、いない方がよかったとか思いませんでした?」
都和は肩を回すのをやめた。
「前半の話、長かったとは思ったよ」
「はい」
「いない方がいいとは思ってない。後半、絵里香に返したところは美月がいてよかった」
美月はメモの折り目を指で押さえた。どちらか一つにまとめてくれない答えは、怖いけれど、後で確かめ直すことができた。
「ありがとうございます」
「その質問をするくらい気になるなら、ちゃんと映像を見ていいと思う。見直してから、次を考えよう」
入口が開き、水野と高城が入ってきた。高城は小さなノートパソコンの入ったケースを持っている。美月は時計を見た。水野に頼んであった確認用映像を見る時間だ。
都和は水筒を取り、隣の小部屋で発声をしてくると言って出ていった。扉が閉まる前、美月へ、十八秒の方ね、と指を立てた。
稽古場の隅にある机へ三人で移り、高城がパソコンを開いた。水野は椅子を引き、二人の横に座る。美月は画面から少し離れた位置で背筋を伸ばした。
「そんなに構えなくていい」
「構えたくなる映像なので」
「じゃあ、止めたいところで言って」
最初の話題を見たところで、美月は止めてくださいと言った。画面の中の自分が、司会の次の言葉へかぶせている。
「ここです。カード替えたの見てるのに、まだ喋ってます」
「うん」
「笑いが止まったら、自分の話がつまらなかったって分かってしまう気がしました」
口にしてみると、ずいぶん勝手な理由だった。相手の話のために止まる場面なのに、自分への評価を確かめたくて続けた。
高城は再生位置を数秒前へ戻した。
「笑いが終わったときに止まっても、最初に笑ったことは消えない」
「そうなんですけど」
「この人、相沢の顔見て頷いてる。つまらないから切りたい顔かどうか、見て」
司会は微笑んで次のカードを持っている。言い終わるのを待ってくれていた。美月は自分がどんな顔をしていたかより、画面の向こうの人の手を見るようになった。
「……私、ここで一回、止まれましたね」
「止まれる場所、今は見えてる?」
「はい」
もう一度だけ前半を再生してもらった。今度は自分の声より、隣の人が話し始めようとする瞬間を見た。膝に載せた布袋を持ち上げ、こちらが続けると、また下ろす。
美月は、そこで止めるよう頼んだ。
「ここ、ちゃんと見えてたはずです」
「次は見られると思う?」
「見ようとするのは、できます」
必ず失敗しないとは言えなかった。高城もそこを言い直させず、次の再生位置を探した。美月はメモに、隣の手を見る、と書き、すぐに括弧を足す。手だけを監視するようになったら、また別のことを聞き逃す。
相手が話したそうか。今のところは、その短い問いでよかった。
次に後半を見た。柚葉へ話を渡し、五人の並びが変わる。美月が半歩ずれているので、絵里香の顔が正面のカメラから見える。柚葉が言ったとおりだった。
水野がそこで一時停止を頼んだ。
「この位置、今日のライブ練習でも使えそう。柚葉に伝えておこう」
美月も、画面の中の五人の足元をメモに描き足した。
映像確認を終えてから、美月はさっきの短い話を高城にも聞いてもらった。水野は隣で連絡の返信をしながら、耳をこちらへ向けている。
最後まで言い終えると、高城はすぐに頷いた。
「いい。今日は、相手が返すところまで考えてある」
「さっき練習したんです。都和さんと」
「うん。前より入り口が短い。声も、最後を急いでない」
美月は首を傾げた。前より、という言葉が気になった。
「前の、聞いてました?」
「水野さんが練習用に撮った動画。共有していいって言ってたでしょ」
そうだった。収録後、自分でも見直すために撮ってもらい、制作の確認用にも渡してよいと答えた。美月は、あの短い動画を高城が実際に開くところまでは想像していなかった。
「全部、見たんですか」
「全部って、三本だったよね」
「同じ話を、三回です」
「二本めで最後が速くなって、三本めは先にオチ言ってた」
美月はメモを机へ置いた。三本めの後、水野へ、もう分からなくなりました、と言ったことも思い出した。
「見てたなら、先に言ってください」
高城はパソコンを閉じる手を止めた。
「今日、確認するつもりだったけど」
「今日まで、私、ずっと一人で変なことしてる気がしてたので」
言ってから、水野へ顔を向けた。
「水野さんや都和さんに見てもらってるのは分かってます。でも、どこを直すのか言った人から、返事がなかったので」
水野は頷き、スマートフォンを伏せた。高城は美月の顔を見た後、机へ置かれたメモを見た。
「確認したら、一回連絡する。次の現場まで待つ話じゃなかったね」
「それ、お願いします」
美月はようやく椅子の背にもたれた。
高城はその様子を見てから、バッグのポケットへ目を落とした。
「今日、この後は?」
「帰って、ご飯食べます」
「昨日、練習動画撮ってたの遅かったけど、何時までやった?」
「十一時前まで。家で声出すと隣に聞こえるので、小さく」
「睡眠は取れてる?」
「七時間くらい。朝の用事がなかったので」
高城はもう一つ質問しそうな顔をしたが、水野が明日は午後集合だと補った。
「なら、今日はもう練習増やさなくていい。さっきできたところで終わって」
「完成ということですか」
「今日の分は」
「また、限定がついた」
美月の方から笑ってしまった。高城の返事を待たず、水筒を取りに鏡の前へ戻る。顔を上げると、自分が眉間に皺を寄せていないのが見えた。
廊下では都和が発声を終え、靴紐を結び直していた。
「どうだった?」
「今日の分は、完成だそうです」
「よかったね」
「はい」
都和に手を振り、階段を下りた。下の踊り場で窓が開いていて、夕食の匂いが風に混じっている。美月はスマートフォンを出しかけて、バッグへ戻した。
今夜は四本めの動画を送らない。できなかったところを探す代わりに、炊飯器を予約していなかったことを思い出す。
駅前でパンを買って帰ろう。そう決めたところで、水野から明日の予定が届いた。その下に、高城も入っている業務用の連絡欄へ、新しいメッセージが一つ増えた。
『今日の十八秒版で大丈夫。聞き直されたら、続きを足す形で』
美月は立ち止まり、手すりの脇で返信した。
『確認ありがとうございます。十八秒は水野さんからですか』
『都和から聞いた』
美月はありがとうの言葉をもう一度打ちかけ、同じ文が続くのでやめた。
『次は、聞き返す余白を残します』
送った後で、パン屋へ向かった。閉店まで、まだ少し時間がある。




