第3話 失敗していいと言った人
次の番組収録でも、笑ってもらえたところまでは、前と同じだった。
美月は隣のゲストへ顔を向けた。司会が次の話題へ移ろうと、カードを持ち直している。それも見えていた。けれど、美月の話にはまだ続きがあった。
「それで、結局その袋を開けてみたら、買った覚えのないものが入っていて」
収録前に考えた返事ではなかった。朝、メンバーの柚葉と話していて思い出した買い物の失敗だ。最初の一言で司会が笑い、もう少し聞いてくれるような気がした。
誰かの息を吸う音が重なった。
「あ、そういうことか。袋が同じで取り違えちゃった?」
司会の言葉へ、美月は頷いた。
「はい。だから私、そのお店の人にまず電話を――」
「なるほどね。では、お隣も似た経験があるそうですが」
話が渡った。
隣に座るゲストの女性が、持っていた小道具の布袋を膝へ下ろした。
「私も、実は似てまして」
その人の話の結末も、よく似た袋の取り違えだった。
美月は笑うタイミングを外さないようにした。だが、袋を取り違えたところまで自分が先に話したせいで、種明かしを聞いてしまったような空気になったのは分かった。
カメラの向こうで、スタッフが小さなボードを書き換えた。
収録が止まったとき、美月はソファから立ち、隣の女性へ頭を下げた。
「すみません。私、長く話してしまって」
「大丈夫よ。私も、入るところ逃しちゃったし」
優しく言われたので、もっと何か言いたくなった。けれど、相手はスタッフに呼ばれている。謝る時間まで長くしてはいけない。
美月はもう一度だけ頭を下げ、自分の控室へ戻った。
机に置いた台本の端が湿っていた。ずっと握っていたらしい。今回は、答えの文章を短くしか書いていない。相手を見て、自分の言葉で。高城の言ったことをやろうとした結果がこれだった。
いっそ台本どおりの方がよかった。
そう考えたところで、入口の外から高城の声が聞こえた。
「相沢への伝え方が足りませんでした。自然に返していいとは言ったんですが、次へ渡すところまで整理できてなくて」
美月はドアの近くへ寄った。扉は開いていて、廊下の壁際に、高城と番組の担当者がいる。
「いえ、こちらも二人の話が似てるのを詰め切れてなかったので」
「使う順と、本人に止める合図が必要なところを確認させてください。次の収録分は最初の返しまでにします」
「分かりました。スタジオで一度、お願いします」
高城が頷き、担当者を見送った。美月が入口にいることに気づいて、こちらを向く。
「聞こえました」
「壁薄いからね」
「開いてますし」
美月はドアから手を離した。高城が中へ入り、机の向かいに椅子を引く。美月も座ったが、まだ台本を開く気にはなれなかった。
「私のせいなのに、なんで先に謝るんですか」
「制作から話す必要があるから」
「自然にって言われたのを、私が間違えただけです」
「その説明で足りると思ったのはこっち。相沢の話が長かったのは相沢。両方ある」
全部を引き受けて、あなたは悪くないと言う人ではなかった。それは今、少し助かった。
「前の収録はよかったから、ああいう感じにしようとしたんです」
「前は何に返した?」
「寝起きも優雅なんでしょうね、って」
「今日は?」
「買い物で失敗したこと、だったと思います」
「最初の一言で質問の答えは終わってた。その後、相手は聞き返してなかった」
高城は美月の台本を勝手に取らず、見ていいかと手で示した。美月が前へ押すと、彼は出演順のページを開いた。
「司会がカードを変えたの、見えた?」
「はい」
「じゃあ、そこで渡せた。続きが要るなら聞かれる」
「途中でやめるの、変じゃないですか」
「いちばん言いたいことを先にすれば、途中にはならない」
美月はさっきの話を、頭の中で並べ直した。取り違えた袋を持って帰ってしまって、店に電話した。順番を変えるだけで、言葉が随分減る。
笑いが起きたところまでは、うまく話せている気がしていた。
「反応があると、続けたくなりました」
「分かる。そこは次、止まってみて」
「止まって、何もなくなったら」
「次の人がいる。相沢一人の時間じゃないから」
当たり前の言葉が、さっきの布袋の映像と結びついた。美月はようやく台本を自分の前へ引き戻した。
後半のグループ紹介では、全員が一度スタジオへ出る。美月の役は、曲の説明を一言して、柚葉の実演へ渡すことになっていた。
「ここ、曲の特徴だけにします。練習の話は、聞かれたら」
「うん」
「柚葉の紹介を先に言った方がいいですか」
「本人と合わせよう。こっちで勝手に増やさずに」
高城が水野へ連絡し、美月は隣の広い控室へ移った。都和と、同じくメンバーの芹佳が鏡の前で髪を整え、絵里香が柚葉と立ち位置を確かめている。美月は輪へ入る前に、収録で長く話してしまったことを短く伝えた。
「後半は、曲の紹介だけ先に言って柚葉へ渡したい」
「いいよ。私、こっちから入るね」
柚葉は机をステージの端に見立て、横へ一歩動いた。
「美月、ここで私を見ると、絵里香さんの顔を隠しちゃうかも。半歩こっちがいい」
「こう?」
「うん。それで私が前へ出ても、全員映る」
美月は足元を見た。自分の台詞だけなら考えてきた。けれど、その台詞が終わった後、誰がどこへ動くかまでは見ていなかった。
柚葉はまだ自分の説明が始まっていないうちから、全員の立つ場所を見ている。
「センターに出るとき、緊張しない?」
「する。でも、横の人が見えると、ちょっと安心する」
柚葉は笑って、美月の靴先へ自分の靴先を揃えた。
「渡すとき、一回目を合わせてくれたら、出る」
「分かった」
スタジオへ戻る前、高城も立ち位置を確認した。スタッフへ必要な幅を尋ね、机の角を基準にした五人の配置を、床の印に合わせ直す。
後半、美月は曲名を言ってから、一つだけ特徴を話した。楽しくなると動き出したくなる曲です。ここで練習中の失敗を付け足したくなったが、柚葉へ目を向ける。
「その動きを、柚葉が見せます」
柚葉が前へ出た。動きの大きさに、司会が感心した声を上げる。絵里香が自分もやって見せ、足を絡ませて笑いが起きた。美月はそこへ、さっきの練習ではできてたのに、と返した。
「今、テレビだから欲が出た」
絵里香の答えに、美月も声を出して笑った。欲が出るのは自分だけではないらしい。今度は、そこで話を止められた。
すべての収録が終わってから、美月は番組担当者へ挨拶に行った。隣のゲストの話にかぶせてしまったことと、次は話を短く渡したいことを、自分の言葉で伝えた。担当者は頷き、後半は見やすかったと言った。
控室へ戻る廊下で高城に追いつき、美月は立ち止まった。
「失敗していいって、前に言いましたよね」
「言った」
「失敗したら、すごく嫌な気持ちなんですけど」
「そりゃ、そうだろうね」
「もうちょっと、言いようありません?」
高城は廊下を通るスタッフへ道を譲り、美月を壁際へ促した。二人とも荷物を身体へ寄せてから、話の続きをした。
「今日の前半を、よかったことにはしない。でも、一回失敗したから次は使わない、とは思ってない」
美月は台本の背を指でなぞった。ほしかった言葉が少し入っていたので、すぐに軽口で返すことができなかった。
「それは、先に言っておいてください」
「今言った」
「はい。覚えました」
水野が控室の入口から帰り支度を呼びかけた。高城は美月を先へ通し、扉の脇で言った。
「失敗していいと、反省しなくていいは違うからね」
「そこまで一緒に覚えます」
控室で、柚葉が実演に使った小さなタオルを畳んでいた。美月は帰り支度をしながら、さっきの立ち位置の礼を言った。
「あそこ、私からは絵里香さんが隠れてるって分からなかった」
「前のライブの映像で、私も芹佳さんを隠しちゃったことがあって。今日、同じ感じだったから」
「そうだったんだ」
「自分じゃ全員見えてるつもりだったんだけどね」
柚葉はバッグのファスナーを閉めた。もともとできる人、で片づけかけていたものにも、本人の見直した時間がある。美月は台本を開き、立ち位置も映像で見る、と書いた。
水野が、収録の確認用映像を見られる日を教えてくれた。今すぐ全部を見ることはできないので、忘れそうなところだけ先に書き留める。前半の自分を見るのは気が重かったが、後半の五人がどう映ったのかは見たかった。
帰りのバッグは、朝より重く感じた。増えた紙は一枚もない。電車に乗って座れたとき、美月は台本の余白へ、話の終わりを先に作る、と書き足した。




