第39話 良かった、だけじゃ足りない
「箱の傷のところ、よかった」
高城がそう言ったのは、美月がまだ上着を脱いでいる途中だった。
番組が放送されてから二日後の夜、約束して彼の部屋へ来たところだ。初回の収録後にも短く会ったが、そのとき高城は本編を見ていなかった。美月が話せる範囲で終わったことを聞き、食事をしただけだった。
放送の夜、美月は一人で机の前へ座っていた。リュミエールの仕事から帰り、食事を終え、手元へ台本を置く。けれど、本編が始まったところで閉じた。
収録で自分が何を言ったかは覚えていても、番組としてどうつながったかはまだ知らない。
箱の話では、ゲストの手元から美月の顔へ映像が切り替わった。自分が相手を見る時間は、思っていたより長かった。それでも、黙って困っているようには見えなかった。
別の作品が出てきて止まった場面は、短く残っていた。司会が拾い、美月が聞き直す。見る前に怖かったほど、大きな失敗として目立ってはいない。知らないものを一度聞いてから、話が続いた場面だった。
美月は録画を止めずに最後まで見た。その後、自分のノートへ二つだけ書いた。相手の話から聞けたこと。次はもっと短く聞けること。
高城へすぐに感想を求める文は送らなかった。明後日会う約束がある。そこで、自分がどう見たかも一緒に話そうと思った。
翌日、水野から番組の担当者の感想も受け取り、継続して同じ役割を頼みたいと聞いた。美月はありがとうございますと返し、次の準備の日程を確かめた。
その二日間を持って、今日は彼の部屋へ来た。
今日は放送を見たかと聞こうと思っていた。
高城の方が先だった。
「もう、感想ですか」
美月はコートを掛け、振り返った。
「聞かれる前に、言っておこうと思って」
「それは、嬉しいです」
高城は台所へ向かいながら、食事の支度はほぼできていると言った。今日は彼が作る番で、美月は買ってきた果物を机へ置く。料理の本にあった簡単な鍋の料理らしく、湯気が上がっていた。
大きな皿を二つ出すよう頼まれ、美月は棚から取り出した。
座ってから感想を聞くつもりだったが、高城は皿へ料理を分けながら、さっきの話を続けた。
「作る時間を聞く流れになるかと思ったら、傷を残すか迷ったって話を拾ったでしょ。そこで、本人の話したいものが出てきた感じがした」
美月は箸を並べる手を止めた。台本の予定を知らない高城も、同じところで流れが変わったと見たらしい。
「私も、あそこがよかったと思ってます」
「うん」
「どうして残したのか、聞きたくなったので。用意した質問より先に」
高城は頷き、二人分の皿を持った。美月も飲み物を運び、テーブルへ座る。
温かい料理を前に手を合わせた後、高城は一口食べてから、味を確かめるように美月を見た。
「どう?」
「美味しいです。修司さんの方から、聞きましたね」
「料理は、聞く」
「番組のときも、私が聞きたくなるの、分かりますか」
高城は少し考え、分かる、と答えた。美月はそこへ、でも今日は先に言ってもらえて嬉しかったです、と続けた。
高城は水を一口飲み、テレビの方へ目を向けた。録画は残してあるが、今日はもう一度再生しながら採点するつもりではないらしい。
「使っていた時間も、箱の中身みたいに残る、って言ったとき、俺は前の展示を思い出した」
美月は顔を上げた。
あの古い包み紙を、もう半年ほど前に二人で見ている。自分も収録中に思い出したが、そこで高城と行った話をするわけにはいかなかった。
「私も、浮かびました。あの石鹸の紙」
「使ってた人が分かりそうって、美月が言ってた」
「覚えてたんですか」
「うん。番組でそれに近い言葉を、自分の言い方で返してたから。知ってる美月が、仕事の中にいた感じがして、嬉しかった」
美月はすぐ返事をしなかった。
上手くなったという評価は、今までにも何度かもらった。今日は、その後へ、高城がどう見て嬉しかったかまで続いている。
「……良かった、だけじゃ足りないって、前は思ってました」
美月は言った。
「うん」
「今日は、続きまで、自分から言ってくれましたね」
「言いたかったから」
高城は短く答え、皿の上へ視線を戻した。美月はそこで、見て言ってくださいと頼むのをやめた。
「私も、よかったと思います。あの場面、自分の中にあったことが、ちゃんと相手の話とつながったので」
美月は一口食べ、温かさを飲み込んだ。
「詰まったところも、自分で見ました。次は、問いの前の説明をもっと短くしたいです。そこは森岡さんと番組の方へ確認してます」
「うん」
高城は仕事の細かな指導へ入らず、美月の話を聞いた。
食事の途中、美月は番組の放送を見た日のことを話した。リュミエールの連絡欄には、絵里香から、箱に電池入れそう、と来た。柚葉は問い返すところが自然だったと言い、芹佳は声が前より落ち着いたと教えてくれた。
都和は、次も楽しみ、と短く送ってきた。
「私も、次が楽しみなんです。前は、次で失敗したら、今回のよかった分までなくなる気がしたんですけど」
「なくならないと思うよ」
「はい。そう思えるようになりました」
美月は頷き、皿の中身を少し寄せた。まだ全部が変わったわけではない。次の現場が来れば緊張するし、褒められたら嬉しい。だが、自分の一日を相手の返事一つへ全部預けることは、少し減った。
高城が、次の収録も決まっているのかを聞いた。美月は、はい、と答えた。連続番組は続き、グループの公演もある。センターは今回も柚葉で、五人で作った動線を本番へ持っていく。
自分が全部の真ん中へ来たわけではない。それでも、その中に自分のした仕事がある。
「柚葉の隣も、今は、自分の場所だと思ってます」
美月が言うと、高城は頷いた。
「次に真ん中を目指すのも、やめてません」
「うん」
「それは、森岡さんにも話しました」
高城は、いいと思う、と答えた。自分が選んでもらうための相手ではなくなっても、その気持ちを知っていてほしかった。
食べ終える前に、高城がもう一つ話した。放送を見た後、美月へすぐ感想を送りかけ、途中でやめたのだという。
「長くなったから。もうすぐ会うし、直接言おうと思って」
「消したんですか」
「メモに残してる」
美月は顔を上げた。高城も、伝えるために言葉を残しておく人なのだと初めて知った。
「あとで、見せなくていいので、話してください。まだあるなら聞きたいです」
「うん。今、だいたい言ったけど」
美月は笑った。用意した言葉を読み上げるのではなく、向かいにいる相手へ自分の感想を渡してくれた。その手間まで含めて、今日は受け取れた気がした。
食後、皿を二人で片づけた。美月が洗い、高城が拭いて戻す。台所の幅に合わせ、交代する前に声を掛けるのも自然になっていた。
「修司さん、ここ、まだ油あります」
「どこ?」
高城が皿を戻してくれる。美月はもう一度洗い、今度こそ渡した。
片づけを終え、果物を切って少しずつ食べた。高城が次の休みを聞いてきたので、美月は手帳を開いた。
「来週の土曜なら、午後が空いてます」
「俺も。その日、一緒に出かけない?」
「何の用事ですか」
高城は美月を見て、少しだけ口元を上げた。
「デートの用事」
「言葉、上手になりましたね」
「採点は、今もあるんだ」
美月は、あります、と答えた。彼が困る顔を見てから、行きたいです、と返事をした。
場所は人が多すぎないところへ。展示のように予約を取るか、それとも少し歩いて食事をするか。二人で候補を出し、静かな通りを散歩することに決めた。
仕事の相談も、何かを見せる約束もない。
「会う前に、何か用意しなくていいですか」
美月がわざと尋ねると、高城は一度考えた。
「歩ける靴」
「それ以外は?」
「会いたい気持ちがあれば」
美月は果物を持ったまま止まった。高城も自分の言った言葉に少し困ったような顔をした。
「今の、聞きました」
「忘れていいけど」
「嫌です。ちゃんと覚えます」
美月は笑い、次の土曜へ小さく丸をつけた。
それが嬉しい。次に会う理由としては、もう十分だった。




