第40話 高城さんは感じが悪い
待ち合わせの十分前に、美月は着いた。
一月の空は高く、晴れていても風が冷たい。駅から少し離れた小さな通りには、まだ昼の客が少なかった。高城が選んだ店の向かいに、木のベンチが一つある。
美月はそこへ座り、コートの襟を指で整えた。
今日の持ち物は財布とスマートフォン、ハンカチ、それからいつもの小さな手帳。台本も、確認してほしい映像も入っていない。
歩ける靴だけは、言われたとおりにした。
高城は五分前に来た。駅の方から歩いてくる姿を見つけ、美月は声を掛けかけて待った。向こうがこちらに気づくまで、一瞬の間がある。
六月の撮影で、笑う前の顔を求められたことを思い出した。今は表情を決める必要がない。高城が顔を上げ、美月を見つけたので、自然に手を小さく振った。
「早かったね」
「高城さんも」
高城はベンチの前で止まり、美月の足元を見た。
「歩けそう」
「靴の感想、ありがとうございます」
予約した店へ入った。奥の、通路との間に仕切りのある席へ向かい合って座る。外の通りは見えず、二人の間には小さな花の入った器が置かれていた。
高城はメニューを開く前に、声を少し落とした。
「まだ、ほかもある?」
美月はコートを脱いで膝へ畳んだ。柔らかい色のニットと、落ち着いた丈のスカート。衣装ではなく、自分が着たくて選んだ服だった。
「今日は、どうですか」
高城は美月を見た。最初に靴から確かめた人が、今度は顔までちゃんと見る。
「可愛いよ」
美月はすぐに返した。
「服が?」
「美月が」
用意していた一言先の文句が、行き場をなくした。
美月は高城を見たまま、少し口を閉じた。向こうは平気そうな顔をしているが、視線が一度だけメニューへ動いた。
「今の、ずるいです」
「聞かれたから答えた」
「前は、衣装って言い足したのに」
「今日は、衣装じゃないから」
美月は、そういう意味ではないです、と返しかけ、笑った。
「ありがとうございます。私も、今日の修司さん、好きです」
高城の視線が戻った。
「今日の?」
「今日は、特に」
美月が答えると、高城は短く頷いた。今度は自分が少し困らせられたらしい。
美月はメニューを見ながら、高城へ飲み物の希望を聞いた。彼も美月へ尋ねる。
「今日は、甘いのがいいです。温かい方」
「俺は茶にしようかな」
別々の飲み物を頼み、食べるものもそれぞれ選んだ。
注文を終えると、高城が店の花へ目を向けた。
「それ、撮影で持ってたのに似てるね」
美月は器を見た。白い花が二本、少し違う角度に開いている。
「最初に会った日ですね」
「うん」
「あのとき、花より先に私の笑顔へ文句が来ました」
高城は一度口を結んだ。美月は今、その日を笑って話せることが嬉しかった。
「もう少し、言い方はあったと思う」
「その日に言いましたよ、それ」
「うん。言われた」
美月も、あの言い方がなければ好きになれなかった、とまでは思わなかった。もっと感じよく会えても、仕事をしているところを見たら、たぶん気になっただろう。
「でも、あの写真、今も好きです」
美月は言った。
「自分で選び直した方?」
「はい。顔が整ってるだけでは分からないものがあるって、あれから少しずつ分かったので」
高城は頷き、料理が来たので器を端へ寄せた。
昔の話から、昨日の番組の準備の話へ移る。美月は非公開の内容ではなく、質問を短くまとめる練習を続けていることだけを話した。高城も、自分の仕事で今週は移動が増えると伝えた。
「新曲の公演も、もうすぐです」
美月が言った。柚葉が真ん中で、五人がそれぞれ動きを持つ曲。自分が提案した通り道も、何度も確認した歌の入りも、そのまま本番へ持っていく。
「自分のところ、楽しみです。まだ緊張しますけど」
「楽しみにしてる」
高城は演出の答えを足さず、そう言った。美月は、ありがとうございます、と返し、料理へ手を戻した。
彼の感想がほしい気持ちはなくなっていない。これからも、見たらどうだったか聞くだろう。その返事を待ちながら、自分がどうだったかも忘れないでいられそうだった。
食事の後、二人は川沿いの短い散歩道へ向かった。風は店へ入る前より少し弱くなっている。通りには犬を連れた人がいて、二人は道の端へ寄って先に通した。
高城が歩く速さを落としたので、美月は横へ並んだ。自分が遅いのかと思いかけたが、急ぐ用事がないだけだった。
「次の時間、大丈夫ですか」
癖で聞くと、高城は美月を見た。
「今日は、ここから仕事に戻らない」
「私もです」
「なら、急がなくていいね」
美月は頷いた。何かを終えてから会う夜も好きだったが、一緒に歩くために空けた午後は、また違っていた。
道の先に、小さな木の橋があった。渡った向こうには低い石垣と、冬の植え込みが続く。二人は橋を渡り、川が見えるところで止まった。
高城の手が近くにあった。美月は手袋の指先を引っ張りかけ、そのまま指を折った。
橋は対岸の遊歩道からも見える。遠くに人影はあるが、その人が何を見ているかまでは分からない。
「ここでは、我慢ですね」
美月が小さく言うと、高城は川の方を見たまま頷いた。
「うん」
「担当は離れたのに」
「一緒にいたことまで、なくなるわけじゃないから」
美月は手袋の指を一本ずつ直した。自分だけの恋の話で終わらず、今の仕事まで、教わっていた頃の仕事まで違う目で見られる。柚葉が真ん中に立つために重ねた練習のことも、映像だけを見た人へ順番に説明できるわけではない。
高城は手を伸ばさず、美月と同じ高さの石垣へ肘を置いた。袖の端だけが近くにあった。
「寒くない?」
高城が聞いた。
「寒いです。だから、つなぎたくなります」
「手袋の方が温かいと思うけど」
「そういう話ではないです」
高城の肩が小さく動いた。美月はその顔を見て、やっぱり感じが悪いと思った。分かっていないふりの返事を、時々まだ楽しんでいる。
「彼氏としては、何点ですか」
今度は高城が聞いた。
美月は高城の方を向いた。自分から点数を尋ねるようになるとは、春には思わなかっただろう。
「聞きたいんですか。本当に」
「言い出したの、美月だからね」
「今、手袋の話をしたので、二点減点です」
「何点から?」
「採点基準は非公開です」
高城が顔をしかめ、美月は声を出して笑った。
「でも、会いたいって、自分から言ってくれるようになったので、そこは加点してます」
「それは、よかった」
「あと、分からないことを聞いてくれるところも」
高城は少し真面目な顔で頷いた。美月も、からかいだけでは終わらせず続けた。
「私も、してほしいことは言います。勝手に察してもらうのを待つだけには、しないようにします」
「うん。俺も、先に決めずに聞く」
高城が石垣から肘を離した。美月も手をポケットへ戻し、またゆっくり歩き始めた。
川面に光が揺れていた。二人の間へ次の台詞を入れなくても、時間は普通に流れた。美月は少し先の店に古い缶が飾られているのを見つけ、寄ってみたいと言った。
高城は頷き、仕事の何に使えるかではなく、美月が好きそうだと答えた。
途中、小さな広場の縁で、二人は歩く方向を確かめた。美月が気になった店は一本向こうの通りらしい。高城が地図を開き、近い方の角を示した。
「こっちから行くと、坂がある」
「歩けますよ。ちゃんと靴も選んだので」
「じゃあ、こっちで」
高城は歩き始めた。美月も、もう休みたくなったら言いますと付け足す。
坂の途中に、空の小さな植木鉢が並んでいた。店の名前も分からないまま見ていると、高城が、これが欲しいの、と尋ねた。
「見るだけです。家で使う場所、まだ考えてないので」
「そう」
二人は同じ鉢を少し眺め、そのまま通り過ぎた。
美月はポケットの中で指を伸ばした。橋から少し離れた道は風が弱く、足元の音もよく聞こえた。高城が立ち止まると、自分も同じ場所で止まった。次の仕事が楽しみなのと、今日がまだ終わってほしくないのが、同時にあった。
店の入口で、美月は手袋を外してポケットへしまった。高城が扉を開け、先にどうぞと身を引く。美月は礼を言って入り、さっき見つけた古い缶の並ぶ棚へ向かった。
高城も隣へ来た。ひとつの缶を見比べる間も、二人の手は棚の前へ別々に置いていた。
夕方、高城の部屋へ着いた。
玄関の扉が閉まってから、美月は自分の片手を彼の前へ出した。高城がその手を取り、指を合わせる。
「ずっと、こっちは空いてました」
「俺も」
美月は握る力を少し強くした。外では呼びづらかった名前を、今度はそのまま呼んだ。
「修司さん」
彼が振り返った。
「好きです」
高城は一度美月の顔を見て、それから頷いた。
「俺も、好きだよ」
欲しい言葉が、ちゃんと返ってきた。美月は嬉しくなって、またあとで一つくらい文句も言いたくなるだろうと思った。
高城さんは、感じが悪い。
けれどもう、その人に好きだと言うのを、我慢するつもりはなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
◆仕事の顔とは違う一面から始まる恋を、ほかの作品でも描いています。
『鬼上司が、俺の家では甘えん坊になる』連載中
会社では鬼部長。家では、俺の毛布から出てこない。社会人二人の恋の物語です。
https://ncode.syosetu.com/n2945my/
『嫌いな上司と、婚活パーティーで会いました』連載中
職場では天敵の二人が、お互いの婚活を相談する大人のラブコメです。
https://ncode.syosetu.com/n2920my/
恋愛作品の一覧はこちら。各作品は独立して読めます。
https://ncode.syosetu.com/s9890k/
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