第27話 センターの隣
隣の位置から見ると、柚葉の肩が思ったより近かった。
美月は足元のテープへ靴先を合わせ、片腕を上げた。新曲のサビへ入る前、中央へ寄ってから左右へ開く。最初の確認では通れたのに、音を入れると自分と柚葉の腕が近づきすぎる。
「もう一回、そこからお願いします」
柚葉が言った。振付師が音を戻し、五人が開始位置へ戻る。
九月最後のリハーサルだった。センターが決まって一週間ほど経ち、曲の途中の小さな動きまで合わせ始めている。柚葉は歌の入りを気にしながら、ほかの四人の移動にも目を向けていた。
何でもできる人が選ばれたように見えていたが、近くで見ると、何も考えずに立っているわけではなかった。
二度めも腕が近づいた。美月が避けると、その後の自分の手が小さくなる。
曲が止まり、美月は下ろした指を見た。自分の見せ場を減らせば通れる。そう思えば一番簡単だった。柚葉が真ん中で、自分は隣なのだから、そちらに合わせるべきなのかもしれない。
けれど、小さくした自分の腕は、この曲の形としても違っていた。
「相沢、今、何を変えた?」
振付師に聞かれ、美月は顔を上げた。
「腕を下げました。近かったので」
「下げないで通れる位置、探そう。そこは二人とも手を見せたい」
美月は頷いた。もう一度鏡へ向き直った。
休憩では、柚葉が床へ座り、何かをメモしていた。歌詞の余白に息を吸う場所の印が増えている。美月は水を取りに行く前、その隣へ立った。
「さっき、私が遅れてる?」
「ううん。私も、横を見るのが早いかも。自分の歌の前に向き直りたくて」
柚葉は立ち上がり、半分の速さで動いた。美月も前へ出る。音なしで並ぶと、二人が同じ線を通ろうとしているのが分かった。
どちらかが曲がれば、腕を小さくする必要はない。
「私、ここを斜めに抜けたら、次へ行けるかも」
美月は自分の足を少し外へ置いた。柚葉が同じ場所を動き、二人の間に手のひら一枚分の余裕ができた。
「いいと思う。でも、後ろ、都和さん来るよね」
美月は振り返った。二人だけで通れても、その後の人の道を狭くしてはいけない。
都和へ声を掛け、今の位置から一度動いてもらう。都和は途中で足を止め、ここを避けるなら次の入りが遅れる、と教えてくれた。
「じゃあ、私が出るのを少し早くしたら」
「音は変えない方がよくない?」
柚葉が言い、美月は頷いた。自分たちだけで決めず、まず問題と案を振付師へ見てもらうことにした。
休憩の終わり、三人で床の位置を示した。美月は自分の腕が小さくなる理由と、斜めに抜けたいこと、ただし都和の移動が重なることを話す。
振付師は三人を動かし、美月へ、斜めに抜けるのはよいが最初の足の置き方を変えてみよう、と頼んだ。
大きく歩く代わりに、身体の向きを先に変える。美月が試すと、同じ一歩でも通る幅が減った。
柚葉が中央へ戻り、都和が後ろから出てくる。今度は三人とも止まらずに通れた。
「これなら、手は元の高さで出せます」
美月が言うと、振付師はカメラの位置から見るため、全員を止めた。
正面に置かれた確認用のカメラへ合わせ、絵里香と芹佳も所定の位置へ戻る。五人で動いてから、初めて案が採用された。
美月は自分のメモへ足の向きを書いた。
ただ、そこで急に柚葉を応援するだけの人になったわけではなかった。
中央から始まる柚葉の動きを見ると、まだ胸の奥が詰まる。自分がそこにいた場合を想像することもある。隣の場所から彼女を助けたら、その気持ちが消えるのかと思ったが、消えなかった。
消えなくても、今の動きはよくなった。
美月はその二つを一緒に持って、次の練習へ入った。
歌をつけると、柚葉が新しい位置で音を外した。彼女は手を上げ、一度止めてもらった。
「動きの方を考えて、入りを見失いました。すみません」
いつも周りを見ている柚葉にも、自分のことしかできなくなる瞬間がある。美月は、じゃあ自分にも勝ち目があったのでは、と考えてしまい、すぐ目を閉じた。
今することではない。
「私、ここで一回、柚葉を見てるので。そこを合図にできますか」
美月は自分の視線が移る場所を示した。振付師が、見つめ合う芝居にならない範囲で、と確認し、短い目の合う場所を決めた。
次の回、柚葉は美月の目線を受け、歌へ戻れた。今度は全体の流れを止めずに進む。
美月の腕も下がらなかった。開いた手の先まで力が届き、静かな部分へ戻るとき、呼吸を少し残せた。
曲を通した後、振付師が、今の映像を見よう、と言った。五人は水を飲み、壁際のモニターへ集まる。
美月は自分の顔だけを見る癖を抑え、まず足元の流れを見た。中央へ集まるところは以前より滑らかだった。柚葉の腕が伸び、その横で美月の手も一緒に広がる。都和は後ろから無理なく出てきていた。
「ここ、よくなった」
美月は声にした。誰かへ感想を求める前に、自分でそう思った。
「うん。相沢が小さくしなくて済んだし、柚葉も次へ急がなくなった」
振付師が言った。柚葉も、美月が見てくれる場所があると歌へ戻りやすい、と続けた。
美月は頷き、画面をもう一度見た。
映像を見た後、五人はもう一度中央へ戻った。今度は最初の静かな部分から通す。動線を直したところだけを成功させても、その前から歌って踊ったときに戻ってしまえば、本番には使えない。
美月は最初の位置へ立ち、足先を少し開いた。隣の柚葉が息を整えている。視線を合わせる場所はまだ先なので、今は正面を見る。
曲が始まると、美月は遠くの相手へ声を渡すつもりで口を開いた。前に出るのを急がず、次の音まで重さを残す。最初のフレーズを終えたとき、柚葉の声が横から入った。
声が違うと、同じ歌詞の温度も少し変わる。その違いを消そうとせず、次の言葉を受ける。歌を揃えることが、全員同じ声になることではないと、芹佳に前に言われたのを思い出した。
直した場所が来た。美月は足より先に身体の向きを変え、腕を上げる。柚葉の手とぶつからず、都和の道も空いた。
そこで安心して動きを止めかけ、次の音へ遅れそうになった。美月は肩を固めず、腕を下ろす流れで元へ戻った。最後まで踊り終えると、柚葉が横で一度大きく息を吐いた。
「後半、私、目が合うの早かった?」
柚葉が聞いた。美月は自分の息を整えてから答えた。
「少し。でも、私も直したところで安心したので、次が遅れそうだった。もう一回見るとき、そこも確かめたい」
二人は講師へ同じ内容を伝え、確認用の映像を一度だけ見た。問題の場所だけでなく、そこから次へ行くところにも課題がある。それでも、前のように腕を小さくして避けていた形へは戻っていなかった。
美月は新しい課題を一つだけ書いた。
講師は、明日は同じ動きを入りから試すことにして、今日の練習を終えた。美月は足元のテープを確認し、次に迷わないよう自分の開始位置の角へ印をつけてもよいかと聞いた。許可をもらってから、小さな三角のテープを貼った。
確認の終わりに、高城が全体の演出側から見た変更点を話した。明かりの切り替えを、この二人が開く音へ合わせる。個人の優劣の話ではなく、今日できた五人の動きへ仕事を合わせる話だった。
美月は質問がないことを確かめ、自分のノートを閉じた。高城へ褒めてもらうために、今日の提案をもう一度説明しようとは思わなかった。
彼は制作陣から経緯を聞き、必要なことを確認している。それで仕事の情報は足りている。
帰り支度のとき、柚葉が美月へ近づいた。
「今日、ありがとう。私、何とかしなきゃって思って、逆に見えてなかった」
美月は鞄の肩紐を持ち、少し考えた。
「私も、自分が小さくすればいいのかと思った。でも、そうじゃなかったから」
「うん」
「次も、変だと思ったら、言って。私も言うので」
柚葉は頷き、自分の鞄を持ち上げた。
その夜、美月は高城へ、今日は練習で手応えがあったと送った。具体的な資料や映像は添えず、話せる範囲で、五人の動きが通るようになったとだけ書く。
返信を待つ前に、ノートへ今日よくなった場所を記した。柚葉の名前と自分の名前が、同じ矢印の横へ並んだ。
まだ真ん中へ立ちたい。次に機会があったら、今度こそと思う。美月は明日の練習欄に、次の入りまで、と書き足した。




