第21話 センターになりたい
九月になり、美月は二十三歳になった。
誕生日に高城から来た短いメッセージは、仕事用の連絡とは別の場所へ残してある。名前を呼んでもらったことも、一緒に食べた小さなケーキも嬉しかった。だが今、鏡の前で必要なのは、そのときの甘い気持ちではなかった。
新曲の課題が、まだ身体へ入っていない。
「ここ、上じゃなくて、横へ出すんだよね」
柚葉が振付の確認用映像を止めた。稽古場の床には、五人の開始位置を示すテープが貼ってある。美月は正面の鏡を見て腕を上げ、その角度を横へ直した。
今日の曲は、これまでの明るい曲より音の切れ目が強い。全員が同じところで止まらないと、一人だけ動いて見える。美月は次へ行く準備を早くしすぎて、止めるところで足が浮いた。
「はい、もう一回。音が鳴るまで待って」
振付師の声に戻る。隣の柚葉は、止まっていても次の動きへ遅れなかった。足の位置だけではなく、上半身の重さまで音に乗っているように見える。
美月は真似しようとし、今度は肩へ力が入った。
休憩に入ると、水野が選考の日程を全員へ渡した。振付と歌を分けて確認する日、その後に五人で見え方を確かめる日がある。最終結果は九月の後半に伝えられる。
「改めて、基準はこの三つ。曲に合うか、動きが安定するか、五人で見たときにどうなるか。個人のテレビ出演が増えたから、そのまま決まるわけじゃありません」
美月は紙を見た。ドラマに出たことも、トークで感想をもらったことも、自分の仕事として残る。それでも今、真ん中でこの曲を歌えるかは、別に見られる。
当たり前のことだった。だが、どこかで期待していた近道がなくなるのも感じた。
「質問ある?」
水野が尋ねると、芹佳が歌の確認範囲を聞いた。都和は全体の並びを変えて試す回数を確認する。美月も、個人の練習で使ってよい映像がどこまでかを聞いた。
全員に同じものを渡す。それ以外の特別な資料はない。説明を聞いてから、美月は紙の余白へ、まず同じ条件で試す、と書いた。
練習を再開する前に、曲を座って聴く時間があった。振付師が、手足を動かさずに、どこへ重さを感じるかだけを確かめるよう頼んだ。
美月は最初、頭の中で振付を追ってしまった。右、止まる、左へ出る。その順番で聞いていると、強い音の後ろに薄く続く低い音を聞き逃す。
講師が一度曲を止め、足で小さく拍を取った。美月も同じように床を軽く踏む。上に載る細かい音ではなく、その下の流れへ足を置くと、止まった後の入りが別の場所につながった。
「止まるって、全部やめることじゃないんですね」
美月が尋ねると、講師は頷いた。
「形は止める。でも曲は流れてる。それを切らないで」
美月は一度立ち、腕を使わず足だけで試した。柚葉がさっきしていた動きの理由が、初めて自分の身体の中にも少し入った。
次に腕を足すと、また音を見失った。美月が顔をしかめると、絵里香が隣から、私も足が二本じゃ足りない、と言った。
「増えたら、もっと揃えるの大変ですよ」
「美月、そういうことはすぐ返せるのにね」
美月は笑い、もう一度足元へ戻った。返しが速いことと、身体が音に合うことは違う。それでも、できることまで捨てて別の人にならなければ選ばれないとは思いたくなかった。
講師へ、静かな部分で顔を作りすぎていないかを聞いた。講師は、目線を動かす先が決まっていれば、口元を毎回同じにしなくていいと答えた。
美月は前の撮影で、待っている人を思い浮かべたことを思い出した。ここでは、曲の言葉を誰に渡すかを考える。鏡の中の自分の顔を点検する代わりに、少し遠くの場所へ視線を置いた。
全部ができたわけではない。けれど、ただ柚葉と同じ大きさを目指す以外にも、自分から試せるものが一つできた。
美月は水を飲み、音源が再開されるのを待った。前の人の靴音も聞く。鏡を見ているときには気づかなかった音が、曲と一緒に稽古場へ残っていた。
後半の練習では、一人ずつ前へ出て同じ部分を踊った。美月は鏡の真ん中に自分が映るのを、正面から見た。横に誰もいないので、今まで全員の動きに隠れていたずれも分かる。
最初の振りは合った。二度めの切り替えで右足が遅れ、次の腕を急いだ。
曲が止まると、美月は息を整えながら頭を下げた。
「最後の入り、もう一回だけ試してもいいですか」
振付師が頷き、音を前へ戻してくれた。美月は足から直そうとしたが、講師に、先に重心を移す準備を、と指示される。形を覚えたままでは動かない部分があった。
次に出た柚葉は、同じ場所で足を急がなかった。止まっている間にどちらへ重さが乗っているか、美月は床の印より上を見るようにした。身体の小さな準備が、次の大きな動きを支えている。
柚葉が踊り終えると、振付師は一箇所だけ修正を出した。全部が完成しているわけではない。それでも、直す話がもっと先の段階にあるのは分かった。
「今の、どうやって待ってるの」
休憩で美月が尋ねると、柚葉は靴を履いたまま足を半分だけ動かした。
「こっちへ行く前に、一回こっちに残す。言うと変だけど」
「残す?」
「次の足だけを先に出すと、戻れなくなるから。上は残して、下だけ準備する感じ」
美月も同じように試した。すぐにはできなかった。柚葉は一度見てから、自分の感覚だから先生にも聞いて、と付け足した。
同じ選考を受ける相手へ教えてくれたことに、美月は礼を言った。柚葉は不思議そうな顔をした。
「五人で踊るところは、揃った方がいいし」
その答えに、美月は頷いた。
練習を終えた後、都和に十分だけ付き合ってもらうことにした。今度はトークではなく、歌いながら姿勢を保つ練習だ。
美月は鞄を壁際へ置き、都和へ向き直った。
「私、センターになりたいです」
言ってから、声が思ったより大きかったと気づいた。ほかのメンバーは着替えに出ていて、部屋には二人だけだった。
都和は驚かず、美月の手元の紙へ視線を落とした。
「うん。どうして?」
美月は、目立ちたいから、と言いかけた。もちろんそれもある。真ん中の自分を見つけてもらいたいし、今まで応援してくれた人に喜んでほしい。
でも、それだけだと今の曲の話にならない。
「静かなところから、強く入る曲ですよね。前に撮影で、笑わない顔も使えたとき、違うことをできるのが嬉しかったんです。この曲でも、今までの印象だけじゃないところを出せる気がして」
都和は頷いた。
「じゃあ、そこを出せるようにしよう。なりたいと言うのは、いいと思う」
美月は肩を下ろした。
都和に見てもらうと、歌の入りで息を多く使いすぎていると分かった。強く見せたいからと声を押すと、次の静かな部分で足りなくなる。
美月は前半を軽くし、後半までつなげた。今度は弱くなりすぎたので、どこで力を出すかを分ける。十分では終わらず、都和がここまでと時間を区切った。
「今日一回で全部作らなくていい。明日も練習あるから」
「はい。ありがとうございました」
美月は床の印の前へ戻り、最後に息だけを合わせた。センターになりたいと言った自分の声を、できていない音で消したくなったが、それをするための練習ではない。
帰り支度をしていると、高城が次の全体リハーサルの確認に来た。美月は仕事の挨拶をし、資料は水野へ返したことを伝えた。
高城は全員の進み具合を振付師から共有してもらうところで、美月個人へ点数をつける話はしなかった。今日から突然そうなったのではなく、八月に決めた運用が続いている。
美月は自分のノートを鞄へ入れ、レッスンの細かい質問をここでしないようにした。
その夜、私的な通話で、高城へ言った。
「私、今回、センターを取りたいです」
電話の向こうが静かになった。美月は、今の自分が向いているかどうかを聞きたくなったが、先に首を振った。ここには映らないのに、自分のためにそうした。
「答えを教えてほしいんじゃなくて。そう決めたって、伝えたかったです」
高城は、うん、と返した。
「聞いた」
短かった。美月は笑いそうになり、少しだけ喉を鳴らした。
「今日は、それでいいです」
「うん」
選ばれると言ってもらえたわけではない。高城は選ぶ側にもいない。明日の足の入りは、自分が振付師へ聞き、何度も試さなければ変わらない。
それでも、自分の欲しいものを知っていてくれる人が一人増えた。
通話を終える前、美月は今日の夕飯の話をした。練習で使う音源も、ノートも送らない。欲しかったものを一つ声にした後で、二人の普通の話へ戻れたことが、今日は嬉しかった。




