第20話 担当を外れる話
長谷部克巳の机には、四人分の水が置かれていた。
美月は水野と並んで座り、高城は斜め向かいの椅子へ座った。大きな会議ではなく、制作部の小さな応接スペースだ。八月一日の午後、窓から入る光が机の端へ四角く落ちていた。
高城が交際の事実と日付、報告が遅れたことを自分から話した。長谷部は頷き、美月へも、現在の意思を確かめた。
「活動を続けたいです。交際も、続けたいと思っています」
美月は二つを並べて答えた。どちらを選ぶかの質問ではなかったが、先に自分の言葉にしておきたかった。
長谷部は分かったと答え、高城へ顔を戻した。
「個別の評価と起用の決め方は、今日から分ける。グループ制作の引き継ぎは、元の人員計画と合わせて進めよう」
今日から、という言葉で、美月は膝へ手を揃え直した。
いつか変わることの相談だと思っていたものが、実際の仕事へつながっている。
決まったことは、長い説明ではなかった。美月の個人の配役や起用、センターを決める際の採点と最終判断から、高城を外す。評価が必要な案件では、長谷部と音楽担当、振付師など、当該の仕事を見る人たちが判断する。連絡は水野から受け取る。
高城はしばらく、五人のライブや制作全体を続ける。ただし、その中に美月個人の評価を混ぜない。グループ制作も、次の担当者へ渡すための準備を始める。
「これで、知られても大丈夫という話にはならない」
長谷部は資料から顔を上げた。
「担当プロデューサーと交際していたと知られれば、今までの起用も、これからの選考も疑われる。ほかの四人の仕事まで、そう見られることがある。応援してくれている人にも、現場にも、説明が必要になる」
「何も、不公平なことはしていなくても、ですか」
「していないと説明できる形にする。だから、今日から分ける」
美月は机の水へ手を伸ばしかけ、資料の方へ戻した。
「全部、担当を外れるんですか」
美月は思わず聞いた。長谷部が、今日から全部ではない、と首を振る。
「新曲と公演の制作がある。途中の仕事を投げずに、引き継げる日を決める。森岡という担当に入ってもらう予定だが、本人の今の仕事とも合わせる」
聞いたことのない名前だった。高城はすでにその人を知っているらしく、頷いている。
美月は二人の顔を見て、言いかけたことを飲み込まないようにした。
「私だけ、急に何も分からなくなるのは、怖いです。どこへ何を相談するかを、先に教えてほしいです」
水野が、そこは私から一覧にして伝える、と答えた。長谷部も、本人へ説明しないまま運用だけ変えることはしないと言った。
高城は美月へ顔を向けた。
「今進んでる仕事は、何が変わるか一つずつ確認しよう。全部を今日なくす話じゃない」
美月は頷いた。ただ、安心しておけばいいと言われなかったのがよかった。変わるものはある。その中で、確認できることを確認すればいい。
「グループのほかの人には、何と説明しますか」
美月が聞くと、長谷部は担当変更の仕事上の予定を伝えると答えた。全員へ私生活の細部まで話す必要はないが、仕事の窓口の変更は同じ情報にする。理由を聞かれたとき、本人たちが無理な説明を重ねないよう、水野を窓口にする。
森岡への引き継ぎも、以前からの新規制作案件の配置を踏まえたものだと聞いた。突然の処分で誰かが仕事を失う話ではない。それでも、自分たちの選択で必要になった整理があることは、受け取らなければならなかった。
長谷部は最後に高城へ、報告が遅れた分、決めたことを曖昧に戻さないように、と言った。高城は、はい、と答えた。
美月も水を一口飲み、これからの連絡は水野に確認しますと伝えた。会議は三十分もかからずに終わった。
応接スペースを出ると、廊下はいつもどおりだった。人が資料を持って行き来し、向こうの部屋から誰かの笑い声がする。
美月は壁際へ寄り、水野が長谷部との確認を終えるのを待った。高城も少し離れて立っている。
「森岡さんって、どんな方ですか」
美月が尋ねると、高城は少し考えた。
「企画の説明が丁寧で、話を整理するのが上手い。今は別の制作を見てる」
「感じ、いいですか」
「俺に聞く?」
美月は一瞬笑いそうになったが、まだ全部は笑えなかった。
「知らないので、聞きました」
「うん。ちゃんと話せる相手だと思う」
高城が自分の後任を悪く言わずに答えた。美月はそれを覚えておこうと思った。知らない人を怖がって、高城より何か足りないところを探してしまいそうだったからだ。
水野が戻り、空いた机で今ある案件を三人で確認することになった。美月は手帳を出し、高城も資料を広げる。
「このドラマのレッスンは、今までどおり先生へ。次の役の打診があったら、私から美月へ伝える」
水野が一つずつ確認する。
「ライブの進行は高城さんが全体をまとめる。個人の見せ場の変更が評価に関わる場合は、ほかの制作陣と部長へ確認を入れる。美月も、その話を私抜きの私的な相談で進めないでね」
「はい」
美月は名前を書いた。
「じゃあ、練習で困ったら、私は先生か水野さんへ先に聞けばいいんですね」
「そう。私が答えられないことは、見られる人へつなぐ」
水野が言った。美月は手帳へ丸をつけた。
確認が終わり、高城は次の仕事へ向かった。美月は水野と残り、今日決まった内容を文面でも受け取れるか尋ねた。
「もちろん。高城さんと同じものを送るね」
「ありがとうございます」
水野は美月の手帳へ目を向け、余白がまだあることを見て少し笑った。
「全部、今覚えなくていいから。分からなくなったら確認して」
「はい。誰に聞くかは、もう書けたので」
その日のグループ練習は、いつもより集中できなかった。美月は一度入る方向を間違え、柚葉へ謝って戻った。誰かへ打ち明けてすぐ安心したくなる気持ちを、全員が動いている時間へ持ち込んではいけない。
休憩になってから、都和に、自分の頭が少し散らかっているとだけ伝えた。都和は、水を飲んでからもう一度合わせよう、と言った。理由の全部を聞かれなかったので、美月も次の一回へ戻れた。
夜、高城から短い連絡が来た。
『今日はお疲れさま。いきなり変わる話になって、不安にさせたと思う』
美月はベッドの端へ座り、返事を考えた。大丈夫です、と送ると、今日書いた疑問まで消したことになる。
『不安はあります。でも、仕事も交際も、やめたいと思ってません』
しばらくして、高城から、自分も同じだと返ってきた。声を聞いていいかと尋ねられ、美月は電話をした。
「私、高城さんが担当だから好きになったところは、あります」
通話の途中で、美月は言った。
「でも、担当じゃなければ会わなくていいとは、思ってないです。そこは、まだ変わってない」
「うん」
「修司さんも、そうですか」
「そう。仕事で会わない日も、会いたいと思ってる」
今日は、こちらが聞いた。次は向こうからも言ってほしい。そういう小さな要求を、今日の会議の重さで消したくはなかった。
「では、またご飯に行きましょう。家でも、外でも」
「予定、見よう」
「待ち合わせ、事務所の前にはしないですね」
「うん。場所は、こっちの連絡へ送る」
美月は手帳を開いた。高城と会う日程を探す欄と、仕事を誰へ相談するかを書いたページは、同じ手帳の別のところにある。
通話を終えた後、水野から資料が届いた。今日の分担と、その下に新曲の企画についての連絡がある。
九月から、次の曲のセンターを選ぶための練習と選考を行う。全員へ同じ課題を共有し、楽曲との適合、ダンスの安定、五人での見え方を確認するという。
美月は画面を上から読み直した。高城からではなく、水野から届いている。
自分も対象の五人の一人だった。
美月は課題を開く前に、まず案内の連絡先を確かめた。質問は水野へ。音楽面の確認日と、振付師の説明を受ける日も書かれている。分からないことを高城へ転送する代わりに、確認したい項目を自分のノートへ移した。
曲をまだ聴いてもいないのに、センター、という二文字だけが目に残った。これまで真ん中へ立ちたいと言ったことはない。言ってしまうと、選ばれなかった自分まで先に想像してしまうからだ。
だが五人へ同じ案内が来ているなら、自分も最初から端へ寄っている必要はなかった。
翌日の練習で皆と確認すると返信した。送った先は、水野だった。
それから高城との私的な連絡を開きかけ、今日はやめた。選考の説明を彼へ求めるのではなく、どうしたいかを自分で決めてから話したい。
手元のノートには、さっき書いた質問が三つ並んでいた。答えを受け取る場所はもうある。今は自分の方の言葉を、少しずつ探せばよかった。
手帳の九月の欄を開くと、誕生日の印のほかにはまだ広い余白があった。美月はペンを取り、選考が始まる時期をそこへ書き込んだ。




