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第19話 隠すのが下手な二人

 水野は、その場で何も決めつけなかった。


「美月、後で五分、話せる?」


 そう言って、自分の予定表へ目を戻した。高城にも別の確認事項があると言い、まずは今日の移動時間の話を終える。美月は容器を鞄へしまい、聞かれた時間に頷いた。

 いつもの確認に戻ってくれたことは助かった。だが、昨夜のことを仕事場で話した自分まで、見なかったことにしてもらえるわけではなかった。


 午前のレッスンが終わった後、美月は事務所の小さな面談室へ呼ばれた。中には水野だけがいて、正面ではなく机の角を挟む形で椅子を置いている。


「座って。先に言っておくけど、誰かが見たとか、そういう話ではないからね」


「はい」


 美月は鞄を椅子の横へ置いた。水野は手帳を開かず、こちらの顔を見た。


「さっきの、昨日、高城さんと一緒に夕食を作ったという話。私生活で会ってる、という理解で合ってる?」


「合ってます」


「食事へ行く話は聞いたけど、今は、お付き合いしてる?」


 美月は膝の上で一度手を重ねた。

 高城と相談してから答えるべきだろうかと、一瞬考えた。けれど、聞かれているのは自分の事実でもある。相手に言ってもらうまで黙る理由はなかった。


「はい。七月十二日からです」


 水野が小さく頷いた。驚いた声は出さず、いつからかを確認している。美月も続きを話した。


「今日、仕事場で私的な話を出してしまって、すみませんでした」


「そこは、気をつけよう。近い雰囲気だけで関係を決めつけるつもりはなかったけど、二人の家での話が業務中に出ると、確認は必要になる」


「はい」


 水野は少し間を置き、次の問いをした。


「高城さんの立場で、断りにくかったことはなかった?」


「ありません。食事も、最初は私から誘いました。告白も、自分からしました」


「今、続けたいと思ってる?」


「思っています」


 美月は水野の目を見て答えた。浮かれていると思われるのは嫌だったが、そのために自分の気持ちを小さく言う必要もない。

 水野はそこまで聞いてから、頷いた。


「二人でいるところを写真に撮られたり、外の人に関係を聞かれたりしたことは?」


「聞かれたことはありません。写真は、分からないです」


「何かあったら、先に連絡して。その場で否定した言葉が、後で別の話と食い違うこともある。二人だけで答えを作らないでね」


 美月は鞄へ目を落とし、はい、と答えた。


「そのうえで、仕事の判断をどう分けるかは、本人たちの気持ちとは別に整理しないといけない」


「高城さんも、それは話してくれました」


「誰かへ相談は?」


 美月は言葉を止めた。話すと言っていた。高城の予定を細かく聞かず、決まったら教えてもらうつもりでいた。

 その間に、自分たちは名前を呼び合い、家で食事をして、仲直りの話までしている。


「私には、まだ具体的には聞いてません」


「分かった。そこは高城さんに確認するね。美月からも、仕事で不安なことがあったら言って」


 美月は頷き、いつもの連絡の欄を思い浮かべた。


「仕事の話が、恋人への不満で変わったと思われるのは嫌です。私も、厳しく言われたら付き合ってる意味がない、とは思ってません」


「うん」


「でも、誰が評価するか変わるなら、教えてほしいです。急に何も分からなくなるのも、怖いので」


 水野は、そこは必要なこととして伝える、と答えた。


 面談室を出た後、美月は空いた廊下で水を飲んだ。高城は別の仕事を終えて戻ってきたばかりだった。目が合い、何か言いたくなったが、ここでは仕事の挨拶だけをした。


「水野さんと、お話ししました」


「うん。俺も、この後」


 高城はいつもよりゆっくり頷いた。美月は、ちゃんと自分で答えたことを伝えようとして、やめた。それは当然のことだし、彼の話が終わってからでいい。

 自分は次のボーカル練習へ向かう。その予定まで崩して、面談の結果を待つ必要はなかった。


 ボーカル練習では、芹佳と同じフレーズを交互に歌った。美月は最初の音を出し遅れ、講師に一度止められた。今朝の水野の目を思い出していた。

 美月は水を飲ませてもらい、楽譜へ視線を戻した。何があったかを練習の全員へ説明する必要はない。ここで必要なのは、今どこからやり直すかを聞くことだった。


「次の入りから、もう一度お願いします」


 芹佳が先に音を取り、美月はその終わりを聞いて自分の音を出した。一人で不安を消してからでなければ仕事ができないのなら、今日の時間は終わらない。目の前の一つへ戻ることは、できた。

 休憩で芹佳へ遅れた礼を言うと、彼女は、入る場所が変わったと思ったから待ってただけ、と答えた。大きく助けた顔をされないので、美月も、次は合わせます、と返せた。

 夕方の話で何が決まるかは、まだ分からない。それでも今日歌った部分は、昨日より少しだけ合った。美月はそこを楽譜へ書き、自分の荷物をまとめた。


 夕方、三人で同じ面談室へ集まった。美月は昼と同じ席へ座り、高城は机の向こう、水野は角のところへ座った。水野は二人へ個別に確認した内容が一致しているとだけ伝え、私的な会話の細部を読み上げるようなことはしなかった。


「交際の事実と、二人とも続ける意思があることは分かりました。今、問題にするのは、仕事上の判断を曖昧にしないことです」


 高城が先に口を開いた。


「報告を先延ばしにしていました。仕事の分け方を考えてからと思って、その間に相談する時間を取らなかった。俺の判断が遅かったです」


 美月は向かいの人を見た。水野は責める言葉を重ねず、いつ頃話すつもりだったのかを確かめた。


「明確な日を決めていなかった。だから、そのまま遅れました」


 高城は言い切った。忙しかった、調整が難しかった、という説明へ逃げなかった。その点は受け取れたが、だからといって遅れた事実が消えるわけではなかった。


「私も、話してくれると言われて、待ったままでした」


 美月が言うと、高城がこちらを向いた。


「そこを美月の責任にはしない。職務の相談は、俺がするべきことだった」


 水野が頷いた。


「そうですね。ただ、美月も仕事の窓口が分からなくなるのは困ると話してくれたので、決まったことは二人へ同じように共有します」


 美月は、お願いします、と答えた。


 水野は、出演内容の相談、レッスンの課題、グループの演出と、現在の業務を並べた。個人の起用やセンター選考の判断は、翌日、部長を交えて整理することになった。

 美月は知らなかった選考の可能性に一度顔を上げたが、詳しい内容はまだ決まっていないと説明され、そこで聞くのを止めた。


「交際を続けるために、私が仕事を減らす、みたいな話にはしたくないです」


 美月は自分から言った。


「高城さんに見てもらうためだけに仕事をしてるわけではないので。……そうなりかけることは、ありますけど」


 最後は少し声が小さくなった。水野はその一言を笑わず、分けて考えるのは大事だね、と答えた。

 高城も、仕事の継続と交際を交換条件にはしない、と言った。


 明日の午後、制作部長の長谷部(はせべ)と話すことになった。水野が時間を確定する間、美月は鞄から手帳を出した。高城が自分へ目を向けたので、まだ何か言いたいことがあるのかと思ったが、彼は水野の返事を待った。


 面談室を出る前、水野が二人に言った。


「私は、二人の予定を全部隠す役ではないからね。仕事へ私的な事情を持ち込まないようにするのは、まず本人たちで」


「はい」


 美月と高城の返事が重なった。揃ったことを可笑しがる余裕はなかったが、同じことを聞いているのは分かった。


 その夜は、二人で食事へ行かなかった。美月は帰りの電車で高城へ短く連絡した。


『今日、自分の希望は話しました。明日も、私の分は私が話します』


 返信は、ありがとう、の後へ、遅くしてごめん、と続いていた。

 美月は、明日、説明を一緒に聞きたいです、と返した。すぐに大丈夫だと言って慰める必要はなかった。恋人を責め続けたいのでもなく、実際に変わるところまで確かめたかった。


 家で昼食の容器を洗った。蓋の角まで水を流し、乾かす向きを変える。明日の弁当はまだ決めていない。面談へ行く前に慌てないよう、朝の持ち物を先に玄関へ揃えた。昨夜の料理はちゃんと美味しかった。その事実まで、今日の不安で消えたりはしない。

 美月は容器を乾かし、明日の予定を書いた手帳を机へ置いた。

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