第18話 高城さんを黙らせたい
玉ねぎが、思っていたより多かった。
美月はまな板の上の山と、フライパンの大きさを見比べた。二人分の主菜に使う量としては合っているはずだ。問題は、それとは別にスープと副菜を用意し、どれにも玉ねぎを使おうとしたことだった。
スマートフォンの画面には、三つの料理の手順が別々のページで開いている。
「一つずつ、やればいい」
自分に言い、火をつけた。途端に、電子レンジが終わった音がする。取り出すものを持っていないことに気づき、ふきんを探した。
高城が来るまで、あと二十分。
今日はこの部屋で夕食を食べる約束だった。前に一緒に作った食事は簡単だったので、今度はちゃんと作って驚かせたかった。
黙って美味しいと言う顔を見たい。説明不足の人が説明を忘れるくらいのものを出したい。そこまで考えて、買い物のかごへ材料を足したのが間違いだったのかもしれない。
炒める音がして、換気扇をつけ忘れていたと気づく。慌ててスイッチを押し、主菜の下味の袋を冷蔵庫から出した。スープへ入れる分を先に分けるはずだったが、まな板にはもう全部が混じっている。
インターホンが鳴った。
早い。時計を見て、そうではないと分かる。もう二十分経っていた。
「ちょっとだけ、待ってください」
美月は通話のボタンへ答え、火を弱めてから玄関へ向かった。高城は約束どおりの時間に立っていた。
「お邪魔します。いい匂い」
「今、途中です。座っててください」
高城は靴を脱ぎ、上着を掛ける場所を確かめた。美月が台所へ戻ると、彼も少し遅れて入口まで来た。
「何か、手伝う?」
「大丈夫です。今日は、私が」
美月は鍋をかき混ぜ、別のフライパンの蓋を取った。焦げてはいないが、野菜の水分が思ったより多い。このままなら主菜の味が薄くなる。
高城が台の上を一度見た。
「サラダの皿、出すくらいはできるけど」
「まだ、仕上がってないので」
「皿は先でも」
「修司さんを黙らせたいので、今日は待っててください」
言ってから、言葉が変だと気づいた。高城は一度口を閉じたが、笑うより先に、鍋の火を見た。
「今、あっち、沸いてる」
美月はスープへ振り返った。泡が蓋の端へ迫っている。慌てて火を下げ、隣のフライパンへ戻ると、今度は箸をどこへ置いたか分からない。
黙らせるどころか、注意してもらっている。
「……すみません。皿、出してもらっていいですか」
美月は台の上へ箸を置き直し、先に頼むことにした。
高城は頷き、手を洗いに行った。タオルの場所を間違えなかったので、それはまだ言わずにおく。
「どの皿?」
「上から二段めの、白い浅いのを二枚。大きい方です」
皿が出るだけで、完成したものを置く場所ができた。美月は先にサラダをそこへ分け、手順の一つを終わらせた。
高城は次に何ができるかと尋ねたが、美月はすぐには頼まず、台を見た。自分にしかできないことと、場所を教えればしてもらえることを分ける。
「パンを切って、お皿へ。包丁は、今洗います」
「それは、洗うところからやる」
高城がシンクへ移り、美月はフライパンへ戻った。二人が動く場所を変える前に声を掛けると、前回のようにぶつからずに済む。
スープは薄味にして、主菜だけ味を確かめ直した。一品減らそうか迷い、もうできている副菜を見た。温かくなくてよいものまで、今すぐ仕上げようとしなくていい。
主菜の汁気が落ち着くのを待つ間、美月は冷たい副菜を先に容器へ移すことにした。高城が空いた器を引き、美月は台の上を一度拭いた。
「それ、今やる必要あります?」
自分で自分へ聞くつもりだったのに、声が出た。高城が、俺の皿のこと、と聞き返す。
「いえ。全部一緒に並べたいけど、今じゃなくていいものもあるなって」
「冷たいものは、最後でもよさそう」
美月は頷き、保存する分を冷蔵庫へ入れた。扉を開けている間に、火は高城に見てもらう。戻る前に声を掛けると、彼は台所から一歩退いた。
「次は、最初から一つ頼んでもいいですか」
「もちろん」
「何ができるか、先に聞きます」
「パン切るのはできる」
「今日、確認できました」
美月はそこで笑い、もう一度主菜の味を見た。さっきより余裕を持って口へ運べたので、足す必要がないことも分かった。調味料の蓋を閉じ、それ以上は手を加えずに火を止めた。
全部がテーブルへ載ったとき、約束より三十分遅かった。
美月は向かいへ座り、並べた皿を見た。主菜の横に切ったパン。小さなサラダとスープ。途中まで作っていた副菜は少ししか出せず、冷蔵庫へ残してある。
「お待たせしました」
「ありがとう。いただきます」
高城が手を合わせた。美月も同じようにしてから、相手が最初の一口を食べるのを見てしまった。
高城は主菜を噛み、飲み込んで言った。
「うまい」
その後に、衣装、とも、ただし、とも続かなかった。
美月は自分の箸を持ったまま止まった。
「……何か、言って」
「今、言ったけど」
「そうですけど」
黙らせるつもりだったのに、黙ったのは自分だった。高城がもう一口食べるので、ようやく自分も皿へ手を伸ばす。
少し濃いかと心配していた味は、パンと合わせるとちょうどよかった。玉ねぎも甘くなっている。
「途中、全部、間に合わなくなりました」
「三品、同時に始めてた?」
「四品です」
「多かったね」
「二人分だから、倍できるかと思って」
「手は倍じゃないからね」
美月は、その通りですね、と答えた。高城は責める調子ではなく、次のスープを飲んだ。手伝ったから半分しか自分の料理ではなくなった、とは言わない人だった。
「皿、出してもらって、助かりました」
「そのくらいはできる」
「そのくらいを、頼めなかったんです。私がやるって言ったので、最後まで一人でしないとって」
高城は箸を置き、美月の方を見た。
「作ってくれるのは嬉しいけど、何もしないで待つより、一緒にやる方が楽だった」
「私を助けるためだけじゃなくて?」
「うん。待ってると、どこまで声を掛けていいか分からなかったから」
美月は頷いた。自分がどんなご飯を出すかだけでなく、高城が来てから何をして過ごすかも、今日の時間の一部だった。
料理の完成度で黙らせたいと思っていたことを、半分くらい正直に話した。
「いつも、言い返されるので。今日は何も言えなくなるくらい、美味しかったらいいなと」
「美味しかったら、言う方がよくない?」
「……たしかに」
自分の目標が最初からおかしかったと分かり、美月はスープへ口をつけた。高城も声を抑えて笑ったが、今日の料理を笑っているわけではなかった。
食事の後、美月は残った分を保存容器へ移した。高城は洗い物をし、さっき使ったタオルを元へ戻す。手順を教えなくても少し動けるようになったのが、嬉しくもくすぐったくもあった。
「修司さん、今日、よかったところを言っていいですか」
美月が声を掛けると、高城がこちらを向いた。
「何、急に」
「手伝うって言った後、私が断っても、怒らなかったところ。できてないのは見えてたはずなのに、私が頼むまで待ってくれたので」
高城は洗った器をかごへ置き、少し黙った。
「沸いてるとは言った」
「それは、言ってくれて助かりました」
美月はふきんを受け取り、最後の皿を拭いた。
「気をつかってくれたの、ちゃんと分かりました。ありがとうございます」
高城は視線をシンクへ戻し、もう汚れていない場所へ水を流した。
「褒められると、困るんですか」
「困ってない」
「では、こっちを見てください」
高城が振り返った。美月は一度口を結んでから、もう一つだけ言った。
「一緒に作れて、楽しかったです」
高城は、俺も、と返した。
翌朝、美月は事務所で水野と次の週の予定を確認していた。高城も少し離れた机で、ライブ資料をまとめている。水野が昼食の時間を取れるかと聞いたので、美月は持ってきた容器を鞄から出した。
「昨日の分があるので、大丈夫です」
「作ったの? 偉いね」
水野が笑い、美月もつられて笑った。容器の中身を見た高城が、いい匂いだね、とだけ言う。
「それ、昨日、食べたじゃないですか。パン切ってくれたときに――」
言葉が途中で止まった。
水野の視線が、美月から高城へゆっくり移る。
入口に、資料を持った都和が立っていた。いつからいたのか分からない。高城は何も付け足さず、机の資料へ目を戻した。
都和が水野へ紙を渡す間、美月は容器の蓋を押さえたまま、顔を上げられなかった。




