第16話 彼女の芝居に駄目を出す
画面の中の美月は、泣く前から泣きそうな顔をしていた。
演技のワークショップで撮った練習映像だ。二人で同じ短い場面を演じ、見返した後にもう一度撮った。相手役が何を言うか分かっていても、最初から答えの表情を作らない。それが今日の課題だった。
二回めは、一回めより待てたと思う。
レッスンの最後、講師は二本を続けて見せた。美月がどちらもできていないと答えると、講師は、できているかどうかの二択ではなく、どこが変わったか見てほしいと言った。
相手が最初の一言を出すときの顔は、確かに違った。美月はそこを指し、後の方はまだ急いでいると思うと答えた。
講師は頷き、次の練習では後半だけを分けて試すことにした。全部を同時に直そうとすると、最初に変えられたところまで戻ってしまうという。
美月はノートへその順番を書いた。今日は、よくなったところを先に見つけられた。それが嬉しくて、練習用の映像を持ち帰ってもよいと聞いたとき、すぐ高城の顔を思い浮かべた。
それを高城にも見てもらいたかった。
「確認用の映像です。相手の方にも、事務所の人へ見せていいと聞いてあります」
美月はそう伝え、タブレットを机の上へ置いた。仕事を終えてから、予約した小さな店の個室で食事をしている。皿はもう下げてもらい、二人の前には湯のみだけが残っていた。
高城は自分が映像の選考に関わるものではないことを確かめ、いいよ、と画面へ目を向けた。
「どうでしたか」
見終えたところで、美月は尋ねた。高城は再生位置を少し戻した。
「ここ、相手がまだ話してるけど、美月はもう顔を変えてる」
美月は画面を見た。指摘されたところが、まさに二回めで直したつもりの部分だった。
「一回めは、もっと早かったんです」
「うん。でも、二回めも最後の言葉を待ててない。何を言われても同じ顔になる」
高城が再生し、止めた。
美月は、自分の目元が力んでいるのを見た。確かに、相手の顔を見るより、泣けるかどうかを気にしているようだった。
「泣く前の場面です。だから、こういう顔なのかなと」
「泣くことが先に決まってるのは台本。人物は、相手の言葉を聞いて泣くんじゃないの」
正しいと思った。思ったのに、頷く動作ができなかった。
今日は、レッスンの後でグループの練習へ戻り、全員で同じところを繰り返した。その後も映像を見直して、以前よりよくなったところを一つ見つけてから、ここへ来た。
その一つが、まだできていないと言われている。
「全部、駄目ってことですか」
高城が美月を見た。
「そうは言ってない」
「でも、いいところは何も言わないので」
「今は、どこを直すか聞かれたと思った」
「どうでしたかって、聞きました」
二人の間にタブレットが立っている。美月はそれを倒した。画面を消したいというより、自分の顔が止まっているのを見続けたくなかった。
高城は再生ボタンから手を離した。
「意見を聞かれたから、気になったところを言った。良くなかった?」
困っているようにも、苛立っているようにも聞こえた。美月は指を膝へ戻した。自分から見せて、自分から感想を求めた。それは分かっている。
だから、傷ついたと言うのがずるい気がした。
「恋人に聞いたら、最初くらい、違う言葉があるのかと思いました」
「仕事では手加減しないでって、言ってたよね」
美月は唇を結んだ。自分の言葉を使われると、なおさら上手く返せない。
「手加減と、何もよくないみたいに言うのは、別じゃないですか」
「何もよくないとは言ってない」
「言わなくても、そう聞こえることはあります」
高城は息を吐き、湯のみへ視線を落とした。美月はその間に、タブレットをケースへ入れた。留め具が一度引っかかり、やり直す。
高城が手伝おうとするより先に、自分で閉じた。
「今日は、もう見なくて大丈夫です」
「美月」
「大丈夫です」
高城の視線が、顔へ戻った。
「本当に大丈夫?」
聞き直されると、はいと言えなかった。ブラックのコーヒーのときも、同じように大丈夫と言って、全部を別の意味にしてしまった。
美月はケースを鞄へ入れ、少し考えた。
「今、これ以上話すと、違うことまで言いそうです」
高城は頷いた。すぐに仲直りの言葉を出そうとはしなかった。
「分かった。今日は、ここでやめよう」
「はい」
それでよかったはずなのに、胸の奥が落ち着かなかった。引き留めてもらいたかったのかもしれない。けれど、自分が終わりにしたいと言ったのだから、勝手にその裏を読まれるのも困る。
美月は湯のみを持ち、残りを飲んだ。もうぬるくなっていた。
会計を済ませて外へ出ると、風があった。高城は帰りの電車があるかを確かめ、美月は乗り換えも問題ないと答えた。
道の分かれる角で止まる。
「送らなくて、大丈夫です」
また同じ言葉を使ってしまった。けれど今度は本当に、一人で帰りたかった。
「一人で、少し考えたいので」
続けると、高城は、分かったと返した。
「着いたことだけ、連絡してくれると」
「はい。します」
美月は頭を下げかけ、仕事ではないと気づいてやめた。代わりに、また、とだけ言う。高城も、また、と返した。
電車で座った途端、涙が出そうになった。美月は窓から目を離し、鞄のファスナーを見た。
相手の台詞を待つという課題は、本当に残っている。そこを直さなくていいと言ってほしかったわけではない。自分でも、次のレッスンで直すつもりだった。
では何を聞きたかったのか。
今日も頑張ったね、だろうか。何時間も練習したんだから偉いと言ってもらえたら、下手なままでもよくなるのだろうか。
そう考えると、また自分への言い方が厳しくなった。
美月は鞄からイヤホンを出し、音楽を一曲だけ聴いた。
帰宅してから、着きました、と送った。高城からは、連絡ありがとう、と返ってきた。いつもならそこで何かもう一言を待つが、今日はスマートフォンを置いた。
シャワーを浴び、部屋着へ着替えてから、机でタブレットを開いた。
音量を下げ、自分だけで二回の映像を見比べる。一回めは相手が口を開く前から泣きそうな顔をしていた。二回めは最初の台詞を聞いている。そこは違っていた。ただ、最後の言葉の前には、まだ次の表情へ急いでいる。
よくなった部分と、残った課題が、両方ある。
その両方を話してもらいたかった。たぶん、最初に頑張ったことも受け取ってほしかった。
美月はペンを取り、練習用のノートへ二つに分けて書いた。できたこと。次に試すこと。ここまで書くと、高城へ見せた目的が、今日の結果を採点してもらうことだけではなかったと分かった。
恋人へ、今日の自分の時間を話したかったのだ。
高城に会う前、どこが変わったかと聞かれたら答えられるように、映像の位置まで確かめていた。その準備を思い出すと、やはり意見も聞きたかったのだと分かる。一つの目的ではなかった。
技術の話を聞くなら、できていないところも言われる。自分の一日を聞いてほしいなら、映像より先に今日のことを話してもよかった。
美月は、全部駄目なんですか、と言った自分の声を思い出した。高城が言っていないことまで言われたように返した。それでは相手も、自分が何を言ったかを説明するしかなくなる。
ノートの下へ、聞いてほしいことを先に言う、と書いた。芝居の練習の欄からは少し離した。今は同じ問題に見えても、明日持っていく場所が違った。
通話履歴の上で指が止まる。今から電話をしても、最初の一言を間違えそうだった。美月は文章を打つ。
『さっきは、全部駄目って言われた気がしました。でも、そう言ってないのは分かってます』
読んで消した。相手に自分の言葉を弁解させるだけの文に見えた。
『私は、今日、頑張ったことも聞いてほしかったです』
今度は少し近かった。けれど文字だけで送ると、また一言の返事を何通りにも読むだろう。
美月は文章を消し、画面を一度閉じた。最後に言い合った言葉を、そのまま今日の結論にしたくはない。
カレンダーを開き、明日の練習が終わる時間を確かめる。高城が空いているかは、聞かなければ分からなかった。
『明日、話したいです』
送ると、すぐに返事が来た。
『俺も話したい。仕事の終わる時間、明日の昼に連絡する』
美月は画面を見つめた。
タブレットを閉じ、明日持っていくノートの上へ置く。芝居の課題はレッスンに持っていき、恋人へ頼みたいことは、自分の口で話そうと思った。




