第14話 清楚系の部屋ではありません
天気予報の傘の印が、朝から大きくなっていた。
庭園へ行くつもりだった休日、美月は窓の向こうの雨を見て、スマートフォンへ視線を戻した。高城からは、外歩きはやめようと来ている。もちろん異論はなかった。違う場所を探そうとして、いくつかの予約画面を開く。
前のデートで、次は自分が決めると言った。雨まで自分で止める必要はないが、何も決められないまま終わるのは嫌だった。
『家で、ご飯にしませんか』
送る前に一度消し、もう一度打った。自分の家へ招くという意味だと分かるよう、最寄り駅を添える。高城の返事は、いいの、と短かった。
『私からお願いしてます。無理でなければ』
『行きたい。雨が強いから、着く時間は相談させて』
美月は嬉しくなって画面を閉じ、部屋を見た。
机に台本。椅子に、昨日取り込んだ洗濯物。棚の上には、途中まで開けた綿棒の袋と、先日買ったポストカード。
清楚な人が住んでいそうな部屋へ変えるには、時間も思想も足りない。
「普通には、しよう」
美月は声に出し、まず洗濯物から片づけた。下着をしまい、タオルを畳み、椅子を空ける。床へ出ている充電コードを壁際へ寄せ、仕事の資料を一つの山へまとめた。
台本を棚へ隠そうとして、やめた。毎日使うものだし、あとで見つからなくなる。表紙を下にして、机の端へ置くことにした。
途中で、水を一口飲んだ。たった一人が来るだけで、こんなに物の置き場所を気にするものなのか。
昼前、雨が弱くなった時間に高城が来た。インターホンへ返事をし、部屋の入口を開ける。彼は畳んだ傘を入れる袋と、食材の入った小さな袋を持っていた。
「お邪魔します」
「どうぞ。床、濡れてないですか」
「大丈夫。玄関で拭いた」
美月は彼の靴を置けるよう、自分のスリッパを少し引いた。高城は玄関から室内へ入り、最初に部屋全体を一度見た。
美月はその視線の行方を追った。椅子。机。カーテンの脇へ少し見えている部屋干しの竿。
「清楚系の部屋ではありません」
言い訳が先に出た。
高城は上着を置いていい場所を尋ねながら、普通に部屋でしょ、と返した。
「もっと、白い家具とか想像してませんでした?」
「家具の色まで考えてなかった」
「一応、先に言っておこうと思って」
「衣装着て住んでるとは思ってないよ」
それもそうだった。美月はテーブルの向かいへ座るよう促した。椅子の座面をさっき拭いたことまでは言わない。
高城は袋を机へ置き、途中の店で買った卵とパンを出した。美月は家にあるものでスープを作るつもりだと伝えていた。彼は何か追加するなら先に聞こうと、店から連絡をくれたのだった。
「買ってきてもらって、すみません」
「食べるんだから。何作る?」
美月は小さな台所の冷蔵庫を開けた。野菜のスープに、卵を使ったものを一品。パンを温めれば足りる。簡単にすると決めていたのに、高城がいると見栄えを足したくなる。
「卵、焼くなら、別で野菜も切って」
「スープに入る分でよくない?」
「でも、同じ皿の上に何もないと」
「パン、載せたら」
美月は一度、皿を棚へ戻した。必要なものだけ台へ出した。
高城が袖をまくり、手を洗ってよいかと尋ねた。美月は石鹸の場所を教え、使うタオルを新しく出す。
「そこまでしなくても」
「さっき畳んだので、ちょうどあります」
生活感を消すために畳んだタオルが、早速役に立つ。美月は少しだけ可笑しくなった。
台所は二人で横に立つには狭かった。美月が野菜を切る間、高城にはテーブルで卵を割ってもらった。殻を入れる皿と混ぜる器を渡し、こちらで鍋を火に掛ける。
包丁を持ったまま後ろへ動こうとして、高城が近づいてきたので止まった。
「今、置くので、待ってください」
「ごめん。器、どこへ置くか聞こうと思って」
美月は包丁をまな板へ置き、火のそばの空いた場所を指した。互いの動きが分からないと、自分の台所でも簡単にぶつかる。
高城は器を置くと、使い終えた皿を洗ってよいかと聞いた。美月はそれを頼み、自分は鍋の味を確かめる。
一人で三つ同時にしようとするより、二つに減っただけで手が空いた。
「これ、味見してください」
小さな皿へスープをよそい、高城へ渡した。
「美味しい」
高城はすぐ答えた。美月は用意していた、薄くないですか、という質問をいったん止めた。
「一回で言いましたね」
「味は、口に入れたら分かるから」
「仕事の評価も、そういう感じだったら」
「今、仕事の話は禁止じゃないの」
自分の決めた規則へ引っかかった。美月は鍋の蓋を持ち、そうでした、と答えた。
食事をテーブルへ運ぶと、雨がまた強くなった。窓へ細かく当たる音がする。高城は窓のすぐ近くに置いていた薄い冊子を、美月へ確認してから奥へ寄せた。
「少し、吹き込んでた」
「あ、本当だ。ありがとうございます」
カーテンの端を確かめ、窓を完全に閉める。冊子は料理の本ではなく、出演したドラマの台本だった。隠したつもりの別の資料の山から、一冊だけ離れていた。
高城は表紙の文字を見ても、勝手に開かなかった。美月はそれを机へ置き直し、テーブルへ戻った。
「ここにも台本あるって、思ったでしょう」
「うん。仕事してるんだなとは思った」
「片づいてないな、ではなくて?」
「俺の家、もっと資料あるよ」
美月は箸を止めた。完璧に物のない部屋を想像していたが、本や資料は確かにありそうだ。
「今度、見せてください」
「いいけど。がっかりしない?」
「今日、私が先に見せたので」
高城は頷き、パンを二つに割った。一つを美月の皿へ置き、スープへ少し浸して食べる。食べ方まで見ていたことに気づき、美月も自分の皿へ目を落とした。
一緒に食べるところを見るだけで満足するのは、自分でも新しかった。
食後、片づけは高城が洗い、美月が拭いて戻すことになった。皿の置き場所をいちいち教えるので、一人でやるより遅い。それでも、洗いかごから受け取るたびに手が少し近づく。
最後のカップを戻すと、高城が濡れた手を拭く場所を探した。美月はさっきのタオルを渡した。
「もう、覚えてください」
「一回来ただけで?」
「次も使うかもしれないので」
言ってから、美月は空の洗いかごへ目を向けた。高城がタオルを掛け直し、そうだね、と答えた。
洗い物の後、テーブルへ戻ると、高城がポストカードに気づいた。小さな木の台へ立てた石鹸の絵は、台本の山とは反対側に置いてある。
「飾ってくれたんだ」
「はい。机に座ると見えるので」
「俺のは、まだ本に挟んである」
「それも、使ってるならいいと思います」
美月は彼が持ち帰ったものの行方が分かり、嬉しくなった。部屋へ来た感想を褒めてもらうより、この絵を前に一緒に見たことを話せる方が楽しい。
買った料理の本も出し、今日の卵の焼き方を確認した。手順どおりではなかったが、二人とも食べたので問題はない。高城は次に作るならスープへ豆を入れてもよさそうだと言い、美月は買い忘れなければ、と答えた。
使い終わったふきんを掛け直し、残った野菜を冷蔵庫へ戻した。
午後はテーブルで本を見たり、音量を小さくした動画を一つ見たりして過ごした。美月が途中で洗濯物を取り込むと言うと、高城は手伝おうとしたが、そこは自分でやると断った。
高城は理由を尋ねず、椅子へ座って待った。
夕方、雨雲が抜けた。窓を少し開けると、冷えた空気が流れ込んだ。美月は二人分のカップを片づけながら、今日は庭園を歩けなくてもよかったと思った。次に晴れたら行こうと、途中で普通に話せたからだ。
高城は明日の仕事が早いので、暗くなる前に帰ることになった。美月は玄関で傘を渡し、道が滑りやすいから気をつけてと言った。
「今日は、招いてくれてありがとう」
「こちらこそ。食材も」
高城が一度外へ出てから、振り返った。
「タオル、左の棒だったね」
「はい。次、間違えないでください」
扉を閉めると、美月はしばらく玄関に立っていた。傘を置いてあった場所だけ、まだ少し濡れていた。玄関用の布でそこを拭く。鍵を掛けて部屋へ戻り、机へ台本を戻そうとして、椅子に目が留まる。
さっきまでそこに高城が座っていた。空いている椅子は朝にもあったのに、見え方が違った。
美月は椅子を机の下へ押し込みかけ、少しだけ手前に残した。




