第13話 初デートに反省会はいりません
高城は展示の三つめで、仕事の話をした。
「この色の切り替え、照明でも使えそう」
ガラスの向こうには、古い菓子の包み紙が並んでいた。折り目のところだけ色が薄くなり、よく使った箱の写真と一緒に飾られている。美月は文字の丸さを見ていたので、最初は何の話か分からなかった。
「照明?」
「今度のライブ、次の曲へ変わるところに――」
「今日は、反省会と企画会議はなしです」
高城が口を閉じた。
七月十六日の午後、二人は予約制の小さな展示室にいた。場所は古い建物の二階で、靴音が響かないよう柔らかいマットが敷かれている。先の時間帯の客はもう帰り、受付には担当者が一人。ほかに二人連れが奥の展示を見ていた。
高城は平日より薄い色のシャツを着ていたが、手の位置も物を見る角度も、打ち合わせ中とあまり変わらない。
「仕事抜きって言ったの、修司さんです」
「そうだった」
「三つめですよ。まだ」
「二つめまでは、我慢した」
「我慢しないと仕事の話になるんですか」
美月は声を抑えて笑った。高城も口元を緩めたが、次の展示へ移ると静かになった。
会話がない。作品は見ているし、気まずいとまでは思わない。それでも仕事を禁じた途端に共通の話題がなくなったようで、美月は次の説明文を読みながら考えた。
紙の箱。昔の石鹸の包装。家で使っていたらしい小さな容器。
この人と、衣装でも台本でもないものを見て、何を話すのだろう。
「美月は、こういう箱取っておく方?」
高城が先に聞いた。
美月は厚紙の小さな引き出し箱を見た。中に入っていたものより、箱の方が長く使われたという説明がある。
「取っておきます。丈夫だと、捨てづらくて」
「何入れるの」
「今、家のは、電池です」
高城がこちらを見たので、美月は説明を足した。
「使ったのと、まだ使えるのを、袋で分けて」
「ちゃんとしてるね」
「たまに混ざります」
「そこは、ちゃんとしてなかった」
美月は、仕事以外だと褒め方も雑だと思いながら、近くの棚へ移った。高城の部屋のことはまだ知らない。名前を呼び合う関係になっても、どういう引き出しへ何が入っているかは分からなかった。
「修司さんは、捨てる方ですか」
「箱は捨てる。説明書が溜まる」
「もう使ってない家電のも?」
「たぶん、ある」
「私と同じですね」
「電池と?」
「いつか使いそうなものを、残してるところです」
高城は少し考えて、そうかも、と頷いた。仕事で結論を出すときより、頼りない返事だった。それが悪くなかった。
展示は三十分ほどで一周できた。美月は古いラベルの文字をもう一度見たくて、最初の棚へ戻った。高城は隣に来たが、先を急がせなかった。
美月が透明なケースへ身を近づけると、高城は半歩後ろへ下がり、別の人が通れる幅を空ける。仕事中にも見た動きだが、自分が今何かを返さなくてよい時間なのは違った。
「これ、好きです」
美月は丸い文字の入った石鹸の包み紙を指した。
「きれいだから?」
「そうですけど、使った後に中身がなくても、何だったか分かるのが。家に一個あったら、誰が使ってたかも分かりそうで」
言ってから、美月は難しい説明をしたような気がした。だが高城は、うん、と頷いた。
「うちの実家、祖母の裁縫箱が菓子の缶だった。中身の菓子は食べたことないけど、あれは祖母のだって分かった」
「そういうのです」
美月は嬉しくなって、高城を見た。彼は仕事へ結びつけず、自分の家の話をしていた。
展示を出るとき、受付で複製の小さなポストカードを選んだ。高城は買わないつもりだったらしいが、美月が二枚で迷っているのを見て、一枚は自分が買うと言った。
「欲しいからですか。それとも、私を決めさせるため?」
「半々」
「そこは、欲しいって言ってくれても」
「でも、これは好き」
彼が選んだのは、菓子の缶の絵だった。美月は石鹸の方を買い、薄い封筒を受け取った。違うものを選んでいるのに、一緒に来たことが少し形に残った。
「相沢さん、ですよね」
封筒を渡した受付の人が、小さな声で言った。
「この前のドラマ、拝見しました。砂糖のところ、好きで」
「ありがとうございます」
美月は封筒を持ち直して頭を下げた。横にいる高城の手元へ、つい視線が動いた。彼も自分の買った封筒を持っている。
「今日は、お仕事でいらしたんですか」
「いえ、お休みで。包み紙を、もう一度見たくなって」
「そうでしたか。ゆっくり見ていただけて、嬉しいです」
受付の人は、それ以上尋ねなかった。美月も礼を言い、扉を出た。階段の踊り場まで来てから、高城が小さく振り返る。
「大丈夫?」
「はい。見てくれたって、嬉しかったです。ただ、返事を間違えそうになりました」
「仕事って言う必要はないよ」
「言ったら、次に何の仕事か聞かれますしね」
美月は封筒を鞄へ入れた。出口で高城の袖をつかむつもりだった手は、肩紐を直す方へ回す。
「今日は、お休みです」
「うん。次は、ご飯」
その予定まで変えるつもりはなかった。美月は頷き、一段下で待っている高城へ追いついた。
階段を下り、近くの食事の店へ移った。奥の静かな席で、二人とも冷たい飲み物を頼む。美月はメニューを見て、焼いた野菜の多い定食を選んだ。高城は同じものにしようとして、一つの欄で止まった。
「これ、苦手ですか」
美月が尋ねると、高城は首を振った。
「食べられる。積極的に選ばないだけ」
「嫌いの言い換えでは」
「子供みたいに言うな」
美月は笑い、玉ねぎを避けたいらしいことを覚えた。生のものに限るので、加熱されていれば問題ないという。普段の短い返事を思うと、料理の条件だけ急に細かい。
「先に言った方が早いんじゃないですか」
「それ、俺が言ったやつ?」
「そうです。ちゃんと覚えてます」
仕事の話をしないまま、昼食が来た。美月は家の洗濯機の音が大きいことを話し、高城は隣の部屋の生活音がむしろ静かすぎて、自分の音が気になると言った。
美月が嫌いな食器の音の話をすると、高城も分かると頷く。
「今、仕事のこと、忘れてました?」
美月が聞くと、高城は箸を置いて考えた。
「少なくとも、玉ねぎから企画は出てない」
「それはよかったです」
美月も箸を止めた。ずっと会話が続いたわけではない。水を飲む間も、料理を食べる間も、静かな時間はあった。それを失敗した間だと思わずに済んだのは、初めてかもしれない。
食後、高城が時間を確かめた。美月は今日の夜も空いていたが、遅くまで一緒にいる約束はしていない。ここで終わるのが惜しくて、食べ終えた皿の縁を見た。
「もう、帰りますか」
「まだ早い。近くに本屋あるけど、寄る?」
美月は頷いた。
店を出てから歩いた本屋では、それぞれ別の棚へ散った。高城は美術書を見て、美月は暮らしの本の前で足を止める。しばらくして合流すると、高城が手にしていたのは料理の薄い本だった。
「うどんを超える予定ですか」
「うどんのページもある」
「戻ってる」
美月が笑うと、高城は表紙をこちらへ向けた。一人分を少ない道具で作る本だった。美月は自分も使えそうだと言い、同じ棚へ戻ってもう一冊探した。
並んで本をめくっているときは、手をつないでいなくても十分近かった。
本屋の入口の脇で、美月は買った本を鞄へ収めた。高城も会計を終えて出てくる。彼の手には料理の本があり、ほかに仕事の資料になりそうな厚い本はなかった。
「欲しいもの、我慢してませんか」
「今日は特に」
「仕事の話しないでって言ったから、買えなくなったのかと」
高城は少し考えてから首を振った。
「話さない時間があっても、仕事はなくならないから。今日はこれが欲しかった」
美月はその答えを聞き、本の表紙へ目を落とした。相手を自分の休日へ無理に閉じ込めたわけではないらしい。
仕事のことを大切にしている高城は好きだった。ただ、その話をしないと自分と一緒にいられないのだったら寂しかった。今日、その心配を本人へ説明せずに済むと思っていたが、美月は今の気持ちを短く伝えた。
高城は聞いた後、本を持っていない方の手で鞄の肩紐を直した。
「今日、一緒に来たくて誘ったんだから。それは、心配しなくていい」
美月は、はい、と返した。ちゃんと答えが来るなら、少し恥ずかしくても聞く方がいい。
駅へ向かう途中、美月は買ったポストカードの封筒を鞄の中で確かめた。角は折れていない。高城も自分の鞄へ菓子の缶の絵を入れている。
「今日、どうでした?」
聞いてから、いつもの感想の求め方になったと思った。だが高城は、何の仕事を振り返るのかなどと聞かず、楽しかったと答えた。
「美月、展示で二周めに戻るんだなと思った」
「見落としたくないので」
「うん。俺は一周で出る方だから、一人だと気づかなかったものがあった」
美月は足元を見て、白線をまたいだ。
「次は、私が決めます」
「何を?」
「次のデート。今日、予約もお店も、修司さんが考えてくれたので」
高城は日程を確認しようとして、スマートフォンを出した。美月も手帳を開く。
空いている日は二日後だった。美月は行きたい場所を一つ挙げ、その後の食事も探しておくと言った。
予約の必要がない小さな庭園を思い浮かべ、天気だけは調べておこうと書き添える。
今日の二枚のポストカードは、次の約束を作るために必要だったわけではない。それでも家へ帰ったら、すぐ見えるところへ置こうと思った。見るたびに、展示の外で聞いた話も思い出せそうだった。




